エンターテインメント!!@湖月わたるサヨナラショー
2006年9月18日 タカラヅカ「サヨナラショーだけで、8000円の値打ちあったよね」
「あったあった」
と、退団者のパレードを待つ間、後ろのふたり連れが話していた。
「8000円」という値段設定が、「関東圏の人なんだな」と思わせる。関西圏の人ならここで「7500円の値打ちあった」と言うはずだから。
や、S席の値段ですよ。東京宝塚劇場は8000円、宝塚大劇場は7500円。
うん。
なんかすごい、サヨナラショーだった。
わたしみたいなぬるいファンは、ナマでサヨナラショーを観た経験は、ほんとに少ない。男役トップスターではいっちゃんと、タモさん、さえちゃんぐらいだ。たかちゃんは前楽しか観られなかったし。トップ退団千秋楽は、縁がないモノだと、ずっとあきらめている。や、手に入らないもの、どうあがいたってチケットが。
あとは生中継映像でサヨナラショーだけ見たことがあるとか、退団記念ビデオやスカステであとから見たことがある程度。
そんなわたしが言っても「サンプル範囲狭すぎ、説得力ナシ」だろうけれど。
すごいサヨナラショーだった。
エンタメとして。
星組公演『愛するには短すぎる』『ネオ・ダンディズム!』千秋楽「湖月わたるサヨナラショー」。
ふつーサヨナラショーというものは、退団するスターとそのファンのためだけにある。
だからファン以外が見ても仕方ないし、ファンこそが見るモノだと思っている。
そのスターだけが出ずっぱりで、まぎれもなく「主役」としてステージに立ち、着替えの間にだけ別の人がお茶を濁す程度に登場する。同時退団者がみんなで1曲歌って銀橋渡ったりとか。
ワンマンショー基本だから、凝ったことや特別なことはできない。思い出の衣装で思い出の曲を歌い継ぐのが基本。
なのに、ワタさんサヨナラショーときたら、ちゃんと「ショー作品」になってるんだもんなあ。
「思い出の曲の歌い継ぎ」だけでは、エンタメとして弱いし、ショー作品とは言えない。
作品には起承転結が必要だし、それには「芯」になる場面がいる。
通常のヅカ作品では、プロローグ−中詰め−メイン−ロケット−デュエットダンス−パレードという定型があるよね。華やかな中詰めのあとに、がつんと「芯」になる場面が来て、あとはフィナーレへと流れていく。
『ネオ・ダンディズム!』ではポラリスのシーンだし、『レ・ビジュー・ブリアン』ならタンゴのシーン。(今年ショー作品が少ないから、例をあげられるものが少ない……)
プロローグで華やかにカマして、盛り上げながら中詰めへ、場が暖まったあとに重いモノを持ってくる。そしてロケットで雰囲気を戻して、フィナーレへ。
ひとりのスターのメドレーでは、これだけの流れを支配できない。要所要所にダンスシーンを入れること、しかも群舞が必要。って、不経済だよね、たった4回だけの観る人限られている短いショーなのに、本気で群舞入れて「ショー作品」作るのって。
でも、やってのけたんだ。ワタさんサヨナラショーって。
プロローグはあの「大漁ソーラン」!!
ええっと? わたしは前楽・楽と観たのだけど、予備知識ナシで観た前楽は、本気でびっくりした。
「ソーラン」ってあの「ソーラン」? 『ミレチャ』の?!
思い出しますよ、あの舞台、あの時代。新専科発足でヅカがめちゃくちゃに混乱していたあの頃。
漢ワタルの真骨頂、魅力爆発、ファンが急増したあの「ソーラン」を、今ここでやりますか!!
でもアレって宙組だったのに。ここ、星組だよ。……踊るの、みんな?! 「ソーラン」を?!!
本気の群舞。最初から。
ヒートアップする場内。
踊る男たち女たちの背中に「星」の一字、『ミレチャ』のときと同じ。そして漢ワタルの背中は「星」をめくって、「卒」へ。……石田センスのアレを、そのまま取り入れますか!! すげえ!
騒然としているなか、星組とワタルの定番となってしまった『タカラヅカ絢爛』を問答無用で客席まで総踊り状態へ、それから物語は「芯」へ向かって動いていく。
『花舞う長安』があって『ベルサイユのばら』があって。
端正に盛り上げたと思ったら、『ドルチェ・ヴィータ!』の「アリベデルチ・ローマ」の1シーン再現、別れのシーンを退団者と絡めることでせつなく盛り上げた。
名場面の羅列ではなく、意味のある場面再現。見送られるモノと見送るモノが逆転した演出。ピースがはまることで浮かび上がってくる絵の美しさに息をのむような。
そしてまさかの、大真みらんひとり舞台。
新公主演もしていない、TCAにも出ていない、若手が出ていた地上波テレビの旅番組にも出ていない、組ファン以外には「誰ソレ?」な若者でしかないみらんくん。
なのに彼が1曲歌い、本舞台にたったひとりで立った。0番に立った。
ありえねえ。ふつーなら、みらんくんくらいの位置の子は、トップスターのお着替え時に4人とか6人とかで銀橋渡る程度でしょう?
彼が歌うのは、夢を追う『1914/愛』の歌。
「アリベデルチ・ローマ」からみらんくんまで、「トップスターのワンマンショー」が基本のサヨナラショーを逸脱した構成に、退団者ファンのみならず、組ファンまでもが最高潮に盛り上がっている。
そこへ、「芯」となる場面が幕を開ける。
ラダメスの衣装をつけたワタさんがせり上がってきたときの、あの空気の動きときたら!
『王家に捧ぐ歌』、星組トップスター湖月わたるの原点。
若く猛々しく咆吼をあげる黄金の獅子。体温が上がるのがわかる。温度が上がるのがわかる。
たくさんの人の心がひとつになるときって、わかるよね? 伝わるよね?
なにか力が生まれて、なにかが動くよね?
ひとのこころが、さけんでいる。声ではなくて、心が。
空気が動いている。
なにか計りでもあればいいのにね。あれほどのひとのこころを、エネルギーに換えられたら、エネルギー不足なんてなくなるね。
ラダメス登場、そしてまさかのアイーダ登場。
「ソーラン」にトウコがいなかったことから、「ひょっとしたら」とは思っていたけれど。
ほんとーに、「アイーダ」になって現れた。
アンソニーだったのに。チャイナスーツの男だったのに。
カオは白いままだけど。それでも、アイーダのドレスを着て、アイーダのカツラをつけて。
ここを去るトップスターと、彼の後を継ぐ次代のトップスターは、銀橋でラヴシーンを演じ、手をつないではけていった。
「月の満ちる頃」の再現。
このショー作品の「芯」となるに相応しい重さとキャッチーさを持つシーン。
ハンパな再現ではなく、本気で入り込んでの再現。ええ、抱きしめられて、踵が浮くワタさんならではのラヴシーンを、がっつり見せてもらいましたよ! トウコちゃんの踵、浮いてたもん! ごちそーさまっ。
そーして、『ソウル・オブ・シバ!!』でロケット代わりにほっこりして、来たぞフィナーレ大階段、韓国Ver.「すみれのボレロ」!!
わたしは韓国公演観てないんで知らないけど、これが「すみれのボレロ」と呼ばれるモノであることは一目でわかる。
タカラヅカここにあり!! タカラヅカという夢、美しさ、すべてが詰まった場面だろう。
最後は『王家』の主題歌「世界に求む」で、全員登場、客席はペンライトの光。
個人に芽生えた小さな愛から、視線を世界へ向ける歌。わたしたちひとりひとりは小さくて無力だけれど、そんなわたしたちが、世界を変えていく力と、責任があるんだ……そのことを忘れずにいれば、きっとなにかが変わるはず。
タカラヅカを好きで、タカラジェンヌを好きで、ただ自分が好きだというだけで動いて集まって、それをきっかけに「自分ひとりでは得られなかったなにか」を得た。
最初の単位は、ひとり。
でも、ひとりから何人か、ひとりから誰かに、なにかが広がっていく。
それを全身で、五感すべて感じながらの幕。
すげー。
ちゃんとした、ショー作品だ。
スターの思い出の曲メドレー、じゃない。
プロローグの派手な「ソーラン」群舞、「芯」となる『王家に捧ぐ歌』再現、フィナーレでぶちカマす「すみれのボレロ」。それらを「湖月わたるの歴史」でつなぎながら、他の退団者との別れを重ね、「タカラヅカとしての美しさ」でコーティングした。
トップスターひとりのためのショーではなく、「星組」のショーだった。
ワタルは、それを選んだんだ。
自分のワンマンショーにもできたろうに。
そして、ワタルファンもまた、それを許したんだ。
少しでも長く多くワタルを見ていたいだろうに、他の退団者や組子たちの出番がきちんと……他では類を見ないほどきちんとあることに、非難や不満ではなく賞賛を贈った。
ワタルくんが、そーゆー人だからだね。
そーゆー人だとわかって愛したから、そーゆーことにあたたかい拍手を送れるんだね。
「でもわたしはあなたが好き。そうやってひとりきりの、あなたが好きよ」
他人のことを考えずには生きられない、そーゆー人を愛したから。
そして、そーゆー人だから、組子たちも一糸乱れず「ソーラン」や「ボレロ」を踊るんだね。
彼を見送るために。
サヨナラショーなんて、とにかくスターが出て、思い出の曲を歌ってればソレで場は保つのに。
それでもファンは感動して泣くのに。
それがわかっていて、ここまでエンタメとして盛り上げてくれたことに感動する。感謝する。
すげえや、星組。すげえや、ワタさん。
ほんとに、サヨナラショーだけにチケット代使ってても惜しくないよ。や、もちろん本公演も堪能したけれど。
「あったあった」
と、退団者のパレードを待つ間、後ろのふたり連れが話していた。
「8000円」という値段設定が、「関東圏の人なんだな」と思わせる。関西圏の人ならここで「7500円の値打ちあった」と言うはずだから。
や、S席の値段ですよ。東京宝塚劇場は8000円、宝塚大劇場は7500円。
うん。
なんかすごい、サヨナラショーだった。
わたしみたいなぬるいファンは、ナマでサヨナラショーを観た経験は、ほんとに少ない。男役トップスターではいっちゃんと、タモさん、さえちゃんぐらいだ。たかちゃんは前楽しか観られなかったし。トップ退団千秋楽は、縁がないモノだと、ずっとあきらめている。や、手に入らないもの、どうあがいたってチケットが。
あとは生中継映像でサヨナラショーだけ見たことがあるとか、退団記念ビデオやスカステであとから見たことがある程度。
そんなわたしが言っても「サンプル範囲狭すぎ、説得力ナシ」だろうけれど。
すごいサヨナラショーだった。
エンタメとして。
星組公演『愛するには短すぎる』『ネオ・ダンディズム!』千秋楽「湖月わたるサヨナラショー」。
ふつーサヨナラショーというものは、退団するスターとそのファンのためだけにある。
だからファン以外が見ても仕方ないし、ファンこそが見るモノだと思っている。
そのスターだけが出ずっぱりで、まぎれもなく「主役」としてステージに立ち、着替えの間にだけ別の人がお茶を濁す程度に登場する。同時退団者がみんなで1曲歌って銀橋渡ったりとか。
ワンマンショー基本だから、凝ったことや特別なことはできない。思い出の衣装で思い出の曲を歌い継ぐのが基本。
なのに、ワタさんサヨナラショーときたら、ちゃんと「ショー作品」になってるんだもんなあ。
「思い出の曲の歌い継ぎ」だけでは、エンタメとして弱いし、ショー作品とは言えない。
作品には起承転結が必要だし、それには「芯」になる場面がいる。
通常のヅカ作品では、プロローグ−中詰め−メイン−ロケット−デュエットダンス−パレードという定型があるよね。華やかな中詰めのあとに、がつんと「芯」になる場面が来て、あとはフィナーレへと流れていく。
『ネオ・ダンディズム!』ではポラリスのシーンだし、『レ・ビジュー・ブリアン』ならタンゴのシーン。(今年ショー作品が少ないから、例をあげられるものが少ない……)
プロローグで華やかにカマして、盛り上げながら中詰めへ、場が暖まったあとに重いモノを持ってくる。そしてロケットで雰囲気を戻して、フィナーレへ。
ひとりのスターのメドレーでは、これだけの流れを支配できない。要所要所にダンスシーンを入れること、しかも群舞が必要。って、不経済だよね、たった4回だけの観る人限られている短いショーなのに、本気で群舞入れて「ショー作品」作るのって。
でも、やってのけたんだ。ワタさんサヨナラショーって。
プロローグはあの「大漁ソーラン」!!
ええっと? わたしは前楽・楽と観たのだけど、予備知識ナシで観た前楽は、本気でびっくりした。
「ソーラン」ってあの「ソーラン」? 『ミレチャ』の?!
思い出しますよ、あの舞台、あの時代。新専科発足でヅカがめちゃくちゃに混乱していたあの頃。
漢ワタルの真骨頂、魅力爆発、ファンが急増したあの「ソーラン」を、今ここでやりますか!!
でもアレって宙組だったのに。ここ、星組だよ。……踊るの、みんな?! 「ソーラン」を?!!
本気の群舞。最初から。
ヒートアップする場内。
踊る男たち女たちの背中に「星」の一字、『ミレチャ』のときと同じ。そして漢ワタルの背中は「星」をめくって、「卒」へ。……石田センスのアレを、そのまま取り入れますか!! すげえ!
騒然としているなか、星組とワタルの定番となってしまった『タカラヅカ絢爛』を問答無用で客席まで総踊り状態へ、それから物語は「芯」へ向かって動いていく。
『花舞う長安』があって『ベルサイユのばら』があって。
端正に盛り上げたと思ったら、『ドルチェ・ヴィータ!』の「アリベデルチ・ローマ」の1シーン再現、別れのシーンを退団者と絡めることでせつなく盛り上げた。
名場面の羅列ではなく、意味のある場面再現。見送られるモノと見送るモノが逆転した演出。ピースがはまることで浮かび上がってくる絵の美しさに息をのむような。
そしてまさかの、大真みらんひとり舞台。
新公主演もしていない、TCAにも出ていない、若手が出ていた地上波テレビの旅番組にも出ていない、組ファン以外には「誰ソレ?」な若者でしかないみらんくん。
なのに彼が1曲歌い、本舞台にたったひとりで立った。0番に立った。
ありえねえ。ふつーなら、みらんくんくらいの位置の子は、トップスターのお着替え時に4人とか6人とかで銀橋渡る程度でしょう?
彼が歌うのは、夢を追う『1914/愛』の歌。
「アリベデルチ・ローマ」からみらんくんまで、「トップスターのワンマンショー」が基本のサヨナラショーを逸脱した構成に、退団者ファンのみならず、組ファンまでもが最高潮に盛り上がっている。
そこへ、「芯」となる場面が幕を開ける。
ラダメスの衣装をつけたワタさんがせり上がってきたときの、あの空気の動きときたら!
『王家に捧ぐ歌』、星組トップスター湖月わたるの原点。
若く猛々しく咆吼をあげる黄金の獅子。体温が上がるのがわかる。温度が上がるのがわかる。
たくさんの人の心がひとつになるときって、わかるよね? 伝わるよね?
なにか力が生まれて、なにかが動くよね?
ひとのこころが、さけんでいる。声ではなくて、心が。
空気が動いている。
なにか計りでもあればいいのにね。あれほどのひとのこころを、エネルギーに換えられたら、エネルギー不足なんてなくなるね。
ラダメス登場、そしてまさかのアイーダ登場。
「ソーラン」にトウコがいなかったことから、「ひょっとしたら」とは思っていたけれど。
ほんとーに、「アイーダ」になって現れた。
アンソニーだったのに。チャイナスーツの男だったのに。
カオは白いままだけど。それでも、アイーダのドレスを着て、アイーダのカツラをつけて。
ここを去るトップスターと、彼の後を継ぐ次代のトップスターは、銀橋でラヴシーンを演じ、手をつないではけていった。
「月の満ちる頃」の再現。
このショー作品の「芯」となるに相応しい重さとキャッチーさを持つシーン。
ハンパな再現ではなく、本気で入り込んでの再現。ええ、抱きしめられて、踵が浮くワタさんならではのラヴシーンを、がっつり見せてもらいましたよ! トウコちゃんの踵、浮いてたもん! ごちそーさまっ。
そーして、『ソウル・オブ・シバ!!』でロケット代わりにほっこりして、来たぞフィナーレ大階段、韓国Ver.「すみれのボレロ」!!
わたしは韓国公演観てないんで知らないけど、これが「すみれのボレロ」と呼ばれるモノであることは一目でわかる。
タカラヅカここにあり!! タカラヅカという夢、美しさ、すべてが詰まった場面だろう。
最後は『王家』の主題歌「世界に求む」で、全員登場、客席はペンライトの光。
個人に芽生えた小さな愛から、視線を世界へ向ける歌。わたしたちひとりひとりは小さくて無力だけれど、そんなわたしたちが、世界を変えていく力と、責任があるんだ……そのことを忘れずにいれば、きっとなにかが変わるはず。
タカラヅカを好きで、タカラジェンヌを好きで、ただ自分が好きだというだけで動いて集まって、それをきっかけに「自分ひとりでは得られなかったなにか」を得た。
最初の単位は、ひとり。
でも、ひとりから何人か、ひとりから誰かに、なにかが広がっていく。
それを全身で、五感すべて感じながらの幕。
すげー。
ちゃんとした、ショー作品だ。
スターの思い出の曲メドレー、じゃない。
プロローグの派手な「ソーラン」群舞、「芯」となる『王家に捧ぐ歌』再現、フィナーレでぶちカマす「すみれのボレロ」。それらを「湖月わたるの歴史」でつなぎながら、他の退団者との別れを重ね、「タカラヅカとしての美しさ」でコーティングした。
トップスターひとりのためのショーではなく、「星組」のショーだった。
ワタルは、それを選んだんだ。
自分のワンマンショーにもできたろうに。
そして、ワタルファンもまた、それを許したんだ。
少しでも長く多くワタルを見ていたいだろうに、他の退団者や組子たちの出番がきちんと……他では類を見ないほどきちんとあることに、非難や不満ではなく賞賛を贈った。
ワタルくんが、そーゆー人だからだね。
そーゆー人だとわかって愛したから、そーゆーことにあたたかい拍手を送れるんだね。
「でもわたしはあなたが好き。そうやってひとりきりの、あなたが好きよ」
他人のことを考えずには生きられない、そーゆー人を愛したから。
そして、そーゆー人だから、組子たちも一糸乱れず「ソーラン」や「ボレロ」を踊るんだね。
彼を見送るために。
サヨナラショーなんて、とにかくスターが出て、思い出の曲を歌ってればソレで場は保つのに。
それでもファンは感動して泣くのに。
それがわかっていて、ここまでエンタメとして盛り上げてくれたことに感動する。感謝する。
すげえや、星組。すげえや、ワタさん。
ほんとに、サヨナラショーだけにチケット代使ってても惜しくないよ。や、もちろん本公演も堪能したけれど。
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