地上最後の男と女。@タランテラ!
2006年10月23日 タカラヅカ コム姫とまーちゃんの最後のショー作品である『タランテラ!』では、通常のデュエットダンスがなかった。
フィナーレに階段前でふたりきりで踊るアレね。
ふたりが踊り終わって、階段中央にエトワール登場、という流れがショーのテンプレ。
いちお、怒濤のラストシーンでコムまーはふたりで踊るけれど、いわゆるふつーのデュエットダンスではなかった。
や、プログラム(買ったさ!)には「デュエットダンスから群舞へ」とか書いてあるけど。チガウし。どう考えても。
トップコンビふたりだけで、素敵なドレスとスーツ(とか燕尾とか)でじっくりくるくる踊るなんてこと、なかったよ。
コムまーがしっかり絡んで「相手役」として踊っているのは、ストーリー部分の方。
プログラムを読むと第5場「大西洋」で、「大きな海に抱かれて、繰り広げられるデュエットダンス」とかしれっと書いてある。
アレの何処がデュエットダンスだ(笑)。
や、言葉的にはまちがっていないのだろうけれど。
精神的には、天と地ほとの差があるぞ(笑)。
「ラ・プラタ河」の蝶とタランテラの場面にしたってこの「大西洋」にしたって、真っ当にラヴラヴしてない。
そこにあるのは生命がかがったヒリつく関係。どちらも女の方は微笑んでいるけれど、描かれているのは生やさしいモノではない。
ふつーに恋愛関係にある男女としては、踊っていない。
ふつーの恋人同士ではない男と女。
幸福な未来を持たない男と女。
追いつめられた、研ぎ澄まされたモノ。
いっそただの恋愛なら、あるいはただの愛欲なら、まだ救われたのに。
そう思わせるなにか。
コムまーというコンビにインスピレーションを受けて創作すると、こんなことになるんだ、ということを、見せつけてくれる。
ヅカのお約束の、階段前のラヴラヴデュエットダンスなし。
かわりにがっちり組んで踊ってくれたのは、捕食者と被食者のおそろしい場面。
美しく、そして残酷な、絶望に満ちたダンス。
最後の最後に、ここまで「コムまー」を見せつけてくれると、たまらない。
コムちゃんをコムちゃんだから愛し、まーちゃんをまーちゃんだから愛した。このふたりの個性を生かし、このふたりでしかできないものを表現してくれた、『タランテラ!』という作品を、すごいと思う。
邪を識(し)る者として描かれる、タランテラ@コム。
無邪気なモノとして描かれる、蝶もしくは海の女@まー。
邪は邪をしるゆえに牙を剥き、またその牙を収めることをしる。
無邪気なものは邪を理解しないゆえに、邪の存在すら赦さず滅してしまう。
邪……あるいは、罪。
罪びとの罪、罪なきものの、罪なきゆえの罪。
万華鏡のように、回り続ける。
触れあえば消滅する、相反する世界のモノ。
それでも存在する以上惹かれ合うモノ。
そこにいるのは、地上最後の男と女。
恋愛だとか情だとか、ぬるいものはすでに、そこにはなくて。
ぎりぎりの、追いつめられた関係。
共に滅びるか、それとも相手を喰らうか。
なんてコンビだろう。
これほどの精神世界を見せてくれたふたりに、涙が止まらない。
心がなければ、絶望もないのに。
愛したからこそ、心は痛み、軋む。希望はゆがみ、狂気に塗りつぶされていく。
毒蜘蛛タランテラとして「悪」のように登場したコム。
だが彼の人生(あるいは旅)を追体験していると、彼が「悪」でないことがわかってくる。
彼が持つのは「業」。
それは彼だけにとどまらない。すべての人間が持つものだ。
彼はその「業」ゆえに罪を重ね、罪に苦しみ、彷徨を続ける。
「業」と「罪」はチガウものだろう? 何故同じになる。同じだと思ってしまうことこそが弱さ、そして罪ではないのか。
可憐な蝶として「善」のように登場したまーちゃん。
無邪気に心のままに愛を表現する彼女は「正しい」。だけど彼女の正しさゆえに追いつめられていく毒蜘蛛の姿を見ていると、いたたまれなくなる。
「清いもの」はその正しさで、闇を持つものを断罪しているんだ。
彼女はその「正しさ」ゆえに罪を裁き、罪人を追いつめ、君臨する。
彼女に罪はない。彼女には、罪人の弱さがはじめから理解できないのだから。
「大西洋」の場面の、まーちゃんのこわさときたら。
慈愛に満ちた大人の女の表情で、満面の笑顔で両腕をさしのべる。
もし女神というものがいるなら、この彼女の姿を、そして表情をしているかもしれない。
だからこそ、彼女の存在は、絶望なのだ。
女神の前で、顔を上げられる者があるだろうか。自分は小指の爪先ほどの罪も悪意もないと、胸を張れる人間がいるだろうか。
汚れきったわたしは、絶望する。
彼女の美しさ、清らかさの前に、膝を折る。
自分の存在を、恥じる。
生きていけないほどに。
神聖に美しい、慈愛の微笑を湛える女と、彼女に惹かれ、その腕に抱かれようとしながら惑乱する男。
場に流れるのは、罪を歌う声。
コムまーが好きだ。
よくぞこのふたりがコンビを組み、これほどのものを見せてくれたと、引き合わせてくれたすべてのものに感謝する。
緊迫感で呼吸もままならない、そんな男と女の関係があってもいいと思う。
フィナーレに階段前でふたりきりで踊るアレね。
ふたりが踊り終わって、階段中央にエトワール登場、という流れがショーのテンプレ。
いちお、怒濤のラストシーンでコムまーはふたりで踊るけれど、いわゆるふつーのデュエットダンスではなかった。
や、プログラム(買ったさ!)には「デュエットダンスから群舞へ」とか書いてあるけど。チガウし。どう考えても。
トップコンビふたりだけで、素敵なドレスとスーツ(とか燕尾とか)でじっくりくるくる踊るなんてこと、なかったよ。
コムまーがしっかり絡んで「相手役」として踊っているのは、ストーリー部分の方。
プログラムを読むと第5場「大西洋」で、「大きな海に抱かれて、繰り広げられるデュエットダンス」とかしれっと書いてある。
アレの何処がデュエットダンスだ(笑)。
や、言葉的にはまちがっていないのだろうけれど。
精神的には、天と地ほとの差があるぞ(笑)。
「ラ・プラタ河」の蝶とタランテラの場面にしたってこの「大西洋」にしたって、真っ当にラヴラヴしてない。
そこにあるのは生命がかがったヒリつく関係。どちらも女の方は微笑んでいるけれど、描かれているのは生やさしいモノではない。
ふつーに恋愛関係にある男女としては、踊っていない。
ふつーの恋人同士ではない男と女。
幸福な未来を持たない男と女。
追いつめられた、研ぎ澄まされたモノ。
いっそただの恋愛なら、あるいはただの愛欲なら、まだ救われたのに。
そう思わせるなにか。
コムまーというコンビにインスピレーションを受けて創作すると、こんなことになるんだ、ということを、見せつけてくれる。
ヅカのお約束の、階段前のラヴラヴデュエットダンスなし。
かわりにがっちり組んで踊ってくれたのは、捕食者と被食者のおそろしい場面。
美しく、そして残酷な、絶望に満ちたダンス。
最後の最後に、ここまで「コムまー」を見せつけてくれると、たまらない。
コムちゃんをコムちゃんだから愛し、まーちゃんをまーちゃんだから愛した。このふたりの個性を生かし、このふたりでしかできないものを表現してくれた、『タランテラ!』という作品を、すごいと思う。
邪を識(し)る者として描かれる、タランテラ@コム。
無邪気なモノとして描かれる、蝶もしくは海の女@まー。
邪は邪をしるゆえに牙を剥き、またその牙を収めることをしる。
無邪気なものは邪を理解しないゆえに、邪の存在すら赦さず滅してしまう。
邪……あるいは、罪。
罪びとの罪、罪なきものの、罪なきゆえの罪。
万華鏡のように、回り続ける。
触れあえば消滅する、相反する世界のモノ。
それでも存在する以上惹かれ合うモノ。
そこにいるのは、地上最後の男と女。
恋愛だとか情だとか、ぬるいものはすでに、そこにはなくて。
ぎりぎりの、追いつめられた関係。
共に滅びるか、それとも相手を喰らうか。
なんてコンビだろう。
これほどの精神世界を見せてくれたふたりに、涙が止まらない。
心がなければ、絶望もないのに。
愛したからこそ、心は痛み、軋む。希望はゆがみ、狂気に塗りつぶされていく。
毒蜘蛛タランテラとして「悪」のように登場したコム。
だが彼の人生(あるいは旅)を追体験していると、彼が「悪」でないことがわかってくる。
彼が持つのは「業」。
それは彼だけにとどまらない。すべての人間が持つものだ。
彼はその「業」ゆえに罪を重ね、罪に苦しみ、彷徨を続ける。
「業」と「罪」はチガウものだろう? 何故同じになる。同じだと思ってしまうことこそが弱さ、そして罪ではないのか。
可憐な蝶として「善」のように登場したまーちゃん。
無邪気に心のままに愛を表現する彼女は「正しい」。だけど彼女の正しさゆえに追いつめられていく毒蜘蛛の姿を見ていると、いたたまれなくなる。
「清いもの」はその正しさで、闇を持つものを断罪しているんだ。
彼女はその「正しさ」ゆえに罪を裁き、罪人を追いつめ、君臨する。
彼女に罪はない。彼女には、罪人の弱さがはじめから理解できないのだから。
「大西洋」の場面の、まーちゃんのこわさときたら。
慈愛に満ちた大人の女の表情で、満面の笑顔で両腕をさしのべる。
もし女神というものがいるなら、この彼女の姿を、そして表情をしているかもしれない。
だからこそ、彼女の存在は、絶望なのだ。
女神の前で、顔を上げられる者があるだろうか。自分は小指の爪先ほどの罪も悪意もないと、胸を張れる人間がいるだろうか。
汚れきったわたしは、絶望する。
彼女の美しさ、清らかさの前に、膝を折る。
自分の存在を、恥じる。
生きていけないほどに。
神聖に美しい、慈愛の微笑を湛える女と、彼女に惹かれ、その腕に抱かれようとしながら惑乱する男。
場に流れるのは、罪を歌う声。
コムまーが好きだ。
よくぞこのふたりがコンビを組み、これほどのものを見せてくれたと、引き合わせてくれたすべてのものに感謝する。
緊迫感で呼吸もままならない、そんな男と女の関係があってもいいと思う。
コメント