マイネ・リーベ。−まっつまっつまっつ−@舞姫
2007年6月20日 タカラヅカ すみません。
今さらでなんですが。
叫ばせてください。
相沢@まっつ、好きだ〜〜っ!!
花バウ『舞姫』にて。
腐女子的にオイシイとか、役割がオイシイとか、歌があるとか、そーゆーことではなくて。
や、そーゆーのもいちいちうれしいけれど。
そうじゃなくて。
そーゆー次元のことじゃなくて。
「相沢」というキャラクタが好き。そして、相沢を相沢たらしめている、まっつが好き。
観劇3回目、今度こそ「まっつONLY視界」完遂。
初見で全体、2回目で豊太郎@みわっちを中心に作品を脳髄に叩き込み、3回目ではじめて、他を捨ててまっつだけを堪能した。
まっつを「視る」ためだけに、1幕と2幕で席を替わったぐらいだ。
1幕目は上手側、2幕目は下手側。……nanaタン協力ありがとー!
「相沢」という男がどんな表情でなにを言っているか、なにを考え、なにを感じているか、それだけを追った。
オペラのいる席ではなかったのに、オペラ握りしめてた。てゆーかわたし、この公演のために、オペラグラス買い直しましたから。おニューですよ、ははは。
あいかわらず、まっつの演技は地味だ。
しかし、嘘がない。
そのときどきの感情を、大切に、丁寧に表している。
情があふれ出ているところ、哀切なところ、強い意志で前へ出ているところ、そして、切り捨てたかのように、冷酷になる一瞬。それらが、細かく細かく変化する。
同じ感情、一本調子でなにか言っていることなんかない。
常に、揺れ動いている。
ひとの「こころ」がそうであるように。
それがね。
その姿がね。
泣けるほど、好きだ。
対豊太郎、そして対エリス@すみ花、それぞれなんと誠実な演技をしているか。
わたしは黒い人、毒のある人が好みなので、相沢は残酷なまでに正しい人、鬼畜な人の方がうれしかったと思うの。
実際、まっつが相沢役だとわかったときはクールビューティ&鬼畜を期待したくらいだし。
でも、まっつはそうではないのね。
『MIND TRAVELLER』のときも、そうだった。いっそわかりやすいマッド・サイエンティストとして突き抜けてしまった方がキャッチーなのに、地味に「まとも」な研究者を演じていた。
相沢もまた、クールで強引な男にしてしまった方がよりキャッチーだと思うのに(愛のために暴走する男って、女子の好きなタイプだってば)、なんかまたしても地味にリアルなキャラクタを創っている。
相沢は、誠実な男だ。
悪人ではまったくない。
誠実さ、やさしさがベースになって、なにもかも動いている。
そして、彼がかなしいのは、自分を「正しい」と思っていても、その「正しい」ことをするために、「斬り捨てられるモノの痛み」を理解していること。
正しい人というのは、多くの場合とても無神経だ。
『炎に口づけを』の狂信者たちほど極端でなくても、「正義」の名の下にはナニをしてもいい!と思い込んでいることが多い。
本人が「正しい」と思い込むことで、すべての悪・身勝手・自己愛が正当化される。
そーゆーキャラクタの方が、動かしやすいんだろう。や、たんに作者が無神経だっちゅーだけの場合も多いだろうけど。
相沢も、「正義」を振りかざすだけなら簡単なんだ。だって、彼はほんとうに「正しい」んだもの。
自信を持って、正しさを貫けばいい。
卑しい踊り子との愛欲に溺れた親友の目を覚まさせ、相手の踊り子には分不相応だということを教えてやればいい。
たとえ、心弱き親友に一時恨まれたとしても、いずれ目が覚めたときに感謝されることはたしかなのだから。
この「正しさ」を、強く冷たく、表現する。
そーゆー「相沢」を見たかったんだ。
「正しい」ゆえの残酷さを、わたしは「鬼畜」だと受け取るし、萌えたと思う。
だけど、この作品の相沢は、そうではない。
「正しい」のに、傷ついている。
これしか方法がないし、いちばんみんながしあわせになる決断だとわかっている。
このまま豊太郎がエリスとドイツに残っても、ふたりはいずれ破局する。
エリスが病気だからとかではなく。
鳥と魚は一緒には生きられないんだよ。どちらかが、窒息してしまう。
豊太郎と、豊太郎の愛した女性を守るためにも、ふたりを別れさせなければならない。
正しいことをしているのに、それは愛情や誠実さから来ている行動なのに、それでも彼は、苦しんでいる。
今現在、相手を傷つけることに。
相手の痛みを理解して。
傷つけることで傷ついている。
オペラグラスで、まっつだけを見ていた。
今、まっつが一瞬、迷った。弱い表情をした。次の瞬間、なにかを振り切るように、すみ花ちゃんに辛い言葉を投げた。
すみ花ちゃんが傷ついた。たぶん、彼女の胸から血が流れた。すぱっと、肉が裂け、鮮血があふれた。
同じように、まっつの胸からも血が流れた。
彼は言葉を発するたび彼女を血まみれにし、自分もまた血を流す。
でも彼は、自分の血などかまわず、強い目をする。
冷酷な眼で、とどめを刺す。
一気に刺し貫く方が、痛みが少ないから。
彼女のために。
自分も、血まみれになりながら。
エリスが発狂したとわかったとき、相沢は子どものように顔をゆがめる。
暗転の間際。
幼い子どもの顔になる。
血まみれになりながらも冷徹に剣を振り下ろした、誠実な大人の男が、子どもの顔になって叫ぶ。
その、痛々しさ。
そして。
舞扇を手にするエリスと、彼女を抱く豊太郎。
ふたりを見守る相沢は、自分の罪を、受け入れている。
正しいことを、愛ゆえに、思いやりゆえにしただけでも。
正しさを言い訳にはせず、「罪」であることを認めている。
最後に豊太郎に問うのは、ただの確認だと思う。
なにかを決したかのように「私を恨んでいるか」と問う相沢に、豊太郎は否定を返す。
そう、相沢は知っていたはずだ。
豊太郎が、相沢を恨むはずがないと。己こそを責める男だと。
わかっていた答えを得て、噛みしめるのは、相沢自身の罪だろう。
「恨んでいない」と言われて、ほっとしているようには見えない。
むしろ、それゆえに決意が深まったように思える。
この罪を、一生背負うことを。
豊太郎が、相沢を逆恨みするよーな男なら、「私のせいじゃない、お前の自業自得じゃないか」とも思えたかもしれないけれど。
ひとりの少女の心を破壊してまで、進もうとした道だ。親友を傷つけてまで、貫こうとした想いだ。
まっすぐに前進することで、彼の償いは続くのだろう。
相沢が、あまりに善良で。愛を基盤にした人で。そしてある意味、とてつもなく、まともな人で。
クールビューティ&鬼畜を期待していたわたしは、アテがはずれたことにおどろきつつ、感動するの。
ああまたこんな、地味でリアルな役作りをして。
「私は正しい」って善意ゆえの強引さで、取り返しのつかないことをする人、でよかったじゃん。わかりやすくて。派手で。
あああもお、まっつ好きだ〜〜……。
傷ついて、傷ついて、それでもスパッと冷酷な顔になるときが、すごい好き。
意志の力による、冷酷さ。
それがもお、痛々しくて。
地味でいいよ、小さくていいよ、「バウホールサイズの演技」って言われてもいい。
この人の、演技が好き。
今さらでなんですが。
叫ばせてください。
相沢@まっつ、好きだ〜〜っ!!
花バウ『舞姫』にて。
腐女子的にオイシイとか、役割がオイシイとか、歌があるとか、そーゆーことではなくて。
や、そーゆーのもいちいちうれしいけれど。
そうじゃなくて。
そーゆー次元のことじゃなくて。
「相沢」というキャラクタが好き。そして、相沢を相沢たらしめている、まっつが好き。
観劇3回目、今度こそ「まっつONLY視界」完遂。
初見で全体、2回目で豊太郎@みわっちを中心に作品を脳髄に叩き込み、3回目ではじめて、他を捨ててまっつだけを堪能した。
まっつを「視る」ためだけに、1幕と2幕で席を替わったぐらいだ。
1幕目は上手側、2幕目は下手側。……nanaタン協力ありがとー!
「相沢」という男がどんな表情でなにを言っているか、なにを考え、なにを感じているか、それだけを追った。
オペラのいる席ではなかったのに、オペラ握りしめてた。てゆーかわたし、この公演のために、オペラグラス買い直しましたから。おニューですよ、ははは。
あいかわらず、まっつの演技は地味だ。
しかし、嘘がない。
そのときどきの感情を、大切に、丁寧に表している。
情があふれ出ているところ、哀切なところ、強い意志で前へ出ているところ、そして、切り捨てたかのように、冷酷になる一瞬。それらが、細かく細かく変化する。
同じ感情、一本調子でなにか言っていることなんかない。
常に、揺れ動いている。
ひとの「こころ」がそうであるように。
それがね。
その姿がね。
泣けるほど、好きだ。
対豊太郎、そして対エリス@すみ花、それぞれなんと誠実な演技をしているか。
わたしは黒い人、毒のある人が好みなので、相沢は残酷なまでに正しい人、鬼畜な人の方がうれしかったと思うの。
実際、まっつが相沢役だとわかったときはクールビューティ&鬼畜を期待したくらいだし。
でも、まっつはそうではないのね。
『MIND TRAVELLER』のときも、そうだった。いっそわかりやすいマッド・サイエンティストとして突き抜けてしまった方がキャッチーなのに、地味に「まとも」な研究者を演じていた。
相沢もまた、クールで強引な男にしてしまった方がよりキャッチーだと思うのに(愛のために暴走する男って、女子の好きなタイプだってば)、なんかまたしても地味にリアルなキャラクタを創っている。
相沢は、誠実な男だ。
悪人ではまったくない。
誠実さ、やさしさがベースになって、なにもかも動いている。
そして、彼がかなしいのは、自分を「正しい」と思っていても、その「正しい」ことをするために、「斬り捨てられるモノの痛み」を理解していること。
正しい人というのは、多くの場合とても無神経だ。
『炎に口づけを』の狂信者たちほど極端でなくても、「正義」の名の下にはナニをしてもいい!と思い込んでいることが多い。
本人が「正しい」と思い込むことで、すべての悪・身勝手・自己愛が正当化される。
そーゆーキャラクタの方が、動かしやすいんだろう。や、たんに作者が無神経だっちゅーだけの場合も多いだろうけど。
相沢も、「正義」を振りかざすだけなら簡単なんだ。だって、彼はほんとうに「正しい」んだもの。
自信を持って、正しさを貫けばいい。
卑しい踊り子との愛欲に溺れた親友の目を覚まさせ、相手の踊り子には分不相応だということを教えてやればいい。
たとえ、心弱き親友に一時恨まれたとしても、いずれ目が覚めたときに感謝されることはたしかなのだから。
この「正しさ」を、強く冷たく、表現する。
そーゆー「相沢」を見たかったんだ。
「正しい」ゆえの残酷さを、わたしは「鬼畜」だと受け取るし、萌えたと思う。
だけど、この作品の相沢は、そうではない。
「正しい」のに、傷ついている。
これしか方法がないし、いちばんみんながしあわせになる決断だとわかっている。
このまま豊太郎がエリスとドイツに残っても、ふたりはいずれ破局する。
エリスが病気だからとかではなく。
鳥と魚は一緒には生きられないんだよ。どちらかが、窒息してしまう。
豊太郎と、豊太郎の愛した女性を守るためにも、ふたりを別れさせなければならない。
正しいことをしているのに、それは愛情や誠実さから来ている行動なのに、それでも彼は、苦しんでいる。
今現在、相手を傷つけることに。
相手の痛みを理解して。
傷つけることで傷ついている。
オペラグラスで、まっつだけを見ていた。
今、まっつが一瞬、迷った。弱い表情をした。次の瞬間、なにかを振り切るように、すみ花ちゃんに辛い言葉を投げた。
すみ花ちゃんが傷ついた。たぶん、彼女の胸から血が流れた。すぱっと、肉が裂け、鮮血があふれた。
同じように、まっつの胸からも血が流れた。
彼は言葉を発するたび彼女を血まみれにし、自分もまた血を流す。
でも彼は、自分の血などかまわず、強い目をする。
冷酷な眼で、とどめを刺す。
一気に刺し貫く方が、痛みが少ないから。
彼女のために。
自分も、血まみれになりながら。
エリスが発狂したとわかったとき、相沢は子どものように顔をゆがめる。
暗転の間際。
幼い子どもの顔になる。
血まみれになりながらも冷徹に剣を振り下ろした、誠実な大人の男が、子どもの顔になって叫ぶ。
その、痛々しさ。
そして。
舞扇を手にするエリスと、彼女を抱く豊太郎。
ふたりを見守る相沢は、自分の罪を、受け入れている。
正しいことを、愛ゆえに、思いやりゆえにしただけでも。
正しさを言い訳にはせず、「罪」であることを認めている。
最後に豊太郎に問うのは、ただの確認だと思う。
なにかを決したかのように「私を恨んでいるか」と問う相沢に、豊太郎は否定を返す。
そう、相沢は知っていたはずだ。
豊太郎が、相沢を恨むはずがないと。己こそを責める男だと。
わかっていた答えを得て、噛みしめるのは、相沢自身の罪だろう。
「恨んでいない」と言われて、ほっとしているようには見えない。
むしろ、それゆえに決意が深まったように思える。
この罪を、一生背負うことを。
豊太郎が、相沢を逆恨みするよーな男なら、「私のせいじゃない、お前の自業自得じゃないか」とも思えたかもしれないけれど。
ひとりの少女の心を破壊してまで、進もうとした道だ。親友を傷つけてまで、貫こうとした想いだ。
まっすぐに前進することで、彼の償いは続くのだろう。
相沢が、あまりに善良で。愛を基盤にした人で。そしてある意味、とてつもなく、まともな人で。
クールビューティ&鬼畜を期待していたわたしは、アテがはずれたことにおどろきつつ、感動するの。
ああまたこんな、地味でリアルな役作りをして。
「私は正しい」って善意ゆえの強引さで、取り返しのつかないことをする人、でよかったじゃん。わかりやすくて。派手で。
あああもお、まっつ好きだ〜〜……。
傷ついて、傷ついて、それでもスパッと冷酷な顔になるときが、すごい好き。
意志の力による、冷酷さ。
それがもお、痛々しくて。
地味でいいよ、小さくていいよ、「バウホールサイズの演技」って言われてもいい。
この人の、演技が好き。
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