刻。@『あさきゆめみしII』千秋楽
2007年7月23日 タカラヅカ「3階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
『あさきゆめみしII』千秋楽。
涙が出たのは、この瞬間だ。
何回目かのカーテンコール。
総立ちになった客席に向けて、オサ様はほにゃっと笑って「やっちゃおうかなっ」という感じで前に出た。
あうんの呼吸。
ファンだけの空間。
「お馴染みのアレ」です。
そう。
あれは2年前。
同じこの劇場で、同じことをやった。
「3階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
寿美礼サマの声に応え、客席が声と腕を高らかに上げる。「イェ〜〜イ!!」と。
「2階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
「1階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
春野寿美礼の導くまま、ひとつになる。
立ち上がり、腕を振る。声を出す。
狂乱のとき。
幸福のとき。
ただただしあわせに満ちていたコンサート、『I got music』。
その千秋楽でもたしかに、同じことをした。
ダイスキ。
その想いを込めて、腕を上げる。声を出す。
その同じ劇場で。
別れのときを目の前にしているなんて。
時の流れを想った。
刻の霊なんてなくても、「刻」を感じることなんか誰だってできる。それがわからない演出家の無能さに歯がみしつつも、過去と現在を想う。
二重映しになる世界。
「これからも続く」ことがわかっていた、幸福な幸福な『I got music』。今現在の舞台がすばらしく、そしてこのすばらしい舞台を作り上げた人を、これからも観ることができるよろこび。
ゴールの見えない高揚感。
ついていく。
この人に、ついていく。
闇雲に思った。
ダイスキ。好きであることがうれしい。
春野寿美礼に出会えてうれしい。
オサコンはターニングポイント。博多『マラケシュ』とオサコンで、わたしの人生変わったからなー。オサコン追いかけて東京行くくらい、ナニかスイッチ入っちゃったんだよなー。や、その前に『マラケシュ』追いかけて博多まで通っていたけれど。
オサコン『I got music』は、しあわせの記憶。
ただただ幸福だった、せつない想い出。
しあわせな記憶こそが、泣けてくるのは何故だろう。
かなしいことなんか特に思い出さないけれど、幸福な思い出は何度もよみがえり、胸を締めつける。涙を流させる。
オサコンのたのしさが、愛が、せつなくてたまらない。
あの日、たしかにこの場所で。
同じように、声を出した。
「3階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
あの日は3階席で。
よりによって1列目だったから、立つと手すりが膝くらいまでしかなくて、こわかった。それでも腕を上げて「イェ〜〜イ!」と応えていた。
隣にいるのは初見のチェリさんで。たしかチェリさんに取ってもらったチケットぢゃなかったっけか。
今回は1階席で。
オペラグラスのいらない、ありがたい席。それでもわたしはオサ様が出てくるとオペラを握りしめていた。
隣にいるのはやっぱり初見のチェリさんで。チェリさんに取ってもらったチケットで。……チェリさん、オサ様運アリ過ぎ?
舞台の上のオサ様は同じ、隣に坐っている友人も同じ。
束の間のタイムトリップ。
あのとき。
春野寿美礼をすごいと思った。
もともと実力は認めていたけれど、そんな認識を吹っ飛ばす勢いで、さらに感服した。
たしかな技術と空気を動かす力、世界の中心がどこかを示す力、圧倒的な一方的な、ある意味暴力的なまでの大きな力なのに、乱暴にはならない、一種の愛嬌というか、かわいらしさを持つ芸風。キャラクタ。
それらすべてに、打ち負かされた。ひれ伏した。
春野寿美礼は、すごい。
この人をすごいと認め、その前にひれ伏すことが、誇りになる。
春野寿美礼と出会い、彼を愛することのできたわたしは、その事実に胸を張ることができる。
彼を知らずに、彼を愛さずに生きることより、はるかに豊かなものを得られたからだ。
線目をタレさせてくしゃりと笑う、一般的な美形ラインからははずれているよーな笑顔も、軟体動物系くねくねナルシー芸も、愛しくてならない。
こんなに愛らしい、美しいイキモノがいていいのかと思う。
好きで、好きで、終わって欲しくなくて、「今」が永遠に続けばいいと思った。
オサコンは上演時間がどんどん延びていったね。梅芸楽は30分押しだっけ? 東京楽は1時間押しになったんだっけ?
終わって欲しくなくて、永遠が欲しくて、拍手をし続けた。
や、あのオサコンでわたし、まっつオチしたんですけどね。だからこそほんとに「終わらないで」と願った。
まっつオチと、寿美礼サマへの傾倒は表裏一体で。離して語れるものではなくて。
『あさきゆめみしII』千秋楽。
ビミョーな黒髪ロング鬘姿のオサ様が、くしゃくしゃに笑っている。
愛しいキャラクタが、「イェ〜〜ッ!!」と叫んでいる。
好きで。ダイスキで。
愛しくて愛しくて。
このひとが、いなくなってしまうんだ。
その事実が痛い。
あの日の幸福さが、痛い。
『あさきゆめみしII』千秋楽。
涙が出たのは、この瞬間だ。
何回目かのカーテンコール。
総立ちになった客席に向けて、オサ様はほにゃっと笑って「やっちゃおうかなっ」という感じで前に出た。
あうんの呼吸。
ファンだけの空間。
「お馴染みのアレ」です。
そう。
あれは2年前。
同じこの劇場で、同じことをやった。
「3階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
寿美礼サマの声に応え、客席が声と腕を高らかに上げる。「イェ〜〜イ!!」と。
「2階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
「1階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
春野寿美礼の導くまま、ひとつになる。
立ち上がり、腕を振る。声を出す。
狂乱のとき。
幸福のとき。
ただただしあわせに満ちていたコンサート、『I got music』。
その千秋楽でもたしかに、同じことをした。
ダイスキ。
その想いを込めて、腕を上げる。声を出す。
その同じ劇場で。
別れのときを目の前にしているなんて。
時の流れを想った。
刻の霊なんてなくても、「刻」を感じることなんか誰だってできる。それがわからない演出家の無能さに歯がみしつつも、過去と現在を想う。
二重映しになる世界。
「これからも続く」ことがわかっていた、幸福な幸福な『I got music』。今現在の舞台がすばらしく、そしてこのすばらしい舞台を作り上げた人を、これからも観ることができるよろこび。
ゴールの見えない高揚感。
ついていく。
この人に、ついていく。
闇雲に思った。
ダイスキ。好きであることがうれしい。
春野寿美礼に出会えてうれしい。
オサコンはターニングポイント。博多『マラケシュ』とオサコンで、わたしの人生変わったからなー。オサコン追いかけて東京行くくらい、ナニかスイッチ入っちゃったんだよなー。や、その前に『マラケシュ』追いかけて博多まで通っていたけれど。
オサコン『I got music』は、しあわせの記憶。
ただただ幸福だった、せつない想い出。
しあわせな記憶こそが、泣けてくるのは何故だろう。
かなしいことなんか特に思い出さないけれど、幸福な思い出は何度もよみがえり、胸を締めつける。涙を流させる。
オサコンのたのしさが、愛が、せつなくてたまらない。
あの日、たしかにこの場所で。
同じように、声を出した。
「3階のお客さん、イェ〜〜イ!!」
あの日は3階席で。
よりによって1列目だったから、立つと手すりが膝くらいまでしかなくて、こわかった。それでも腕を上げて「イェ〜〜イ!」と応えていた。
隣にいるのは初見のチェリさんで。たしかチェリさんに取ってもらったチケットぢゃなかったっけか。
今回は1階席で。
オペラグラスのいらない、ありがたい席。それでもわたしはオサ様が出てくるとオペラを握りしめていた。
隣にいるのはやっぱり初見のチェリさんで。チェリさんに取ってもらったチケットで。……チェリさん、オサ様運アリ過ぎ?
舞台の上のオサ様は同じ、隣に坐っている友人も同じ。
束の間のタイムトリップ。
あのとき。
春野寿美礼をすごいと思った。
もともと実力は認めていたけれど、そんな認識を吹っ飛ばす勢いで、さらに感服した。
たしかな技術と空気を動かす力、世界の中心がどこかを示す力、圧倒的な一方的な、ある意味暴力的なまでの大きな力なのに、乱暴にはならない、一種の愛嬌というか、かわいらしさを持つ芸風。キャラクタ。
それらすべてに、打ち負かされた。ひれ伏した。
春野寿美礼は、すごい。
この人をすごいと認め、その前にひれ伏すことが、誇りになる。
春野寿美礼と出会い、彼を愛することのできたわたしは、その事実に胸を張ることができる。
彼を知らずに、彼を愛さずに生きることより、はるかに豊かなものを得られたからだ。
線目をタレさせてくしゃりと笑う、一般的な美形ラインからははずれているよーな笑顔も、軟体動物系くねくねナルシー芸も、愛しくてならない。
こんなに愛らしい、美しいイキモノがいていいのかと思う。
好きで、好きで、終わって欲しくなくて、「今」が永遠に続けばいいと思った。
オサコンは上演時間がどんどん延びていったね。梅芸楽は30分押しだっけ? 東京楽は1時間押しになったんだっけ?
終わって欲しくなくて、永遠が欲しくて、拍手をし続けた。
や、あのオサコンでわたし、まっつオチしたんですけどね。だからこそほんとに「終わらないで」と願った。
まっつオチと、寿美礼サマへの傾倒は表裏一体で。離して語れるものではなくて。
『あさきゆめみしII』千秋楽。
ビミョーな黒髪ロング鬘姿のオサ様が、くしゃくしゃに笑っている。
愛しいキャラクタが、「イェ〜〜ッ!!」と叫んでいる。
好きで。ダイスキで。
愛しくて愛しくて。
このひとが、いなくなってしまうんだ。
その事実が痛い。
あの日の幸福さが、痛い。
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