ティリアンとギルダが愛し合うこの物語は、原作とは別物だ。原作のティリアンは置いておいて、宝塚歌劇『エル・アルコン−鷹−』の、トウコ・ティリアンの話。

 ティリアン@トウコは、捕らえたギルダ@あすかに対して言う。「服を脱いでください」と。

 サイトーくんは原作の台詞をTPO無視して使い回しているので、他はともかくラヴシーンではサムいことになっている。
 サイトーくんは原作ファンなので、たぶん「この台詞かっくいーっ。絶対トウコに言わせたい〜〜! 萌え〜〜」とか思ってまんま使い回しているんだと思う。植爺のように意味もわからずパッチワークしているのではないのがわかるため、微笑ましいっちゃー微笑ましいんだが。
 マンガと舞台では表現方法がチガウため、マンガまんまをやってしまったために、ペネロープとの場面では初日に観客から爆笑されたりとえーらいこっちゃなことになっていた。

 それでも、エロパワー炸裂で演じきってしまうトウコ様に拍手。

 ペネロープとの場面はティリアン自身が「手段」と割り切っているのである意味義務的(笑)だが、ティリアン自身が求めているギルダとの場面はさらにエロ度がアップしている。

 「生々しさ」「妖精ではない、猥雑さ」という魅力を持つトウコの、本領発揮。
 嫌がる女を力尽くではなく(ポイント)、強引に抱いてしまう様が、トウコならでは。
 
  
 ギルダに対し、「最大の敬意と愛情を持つ」、「海の勇者への讃美の気持ち」と、まるで皮肉のように言いながら。
 強引に服を脱がせ、のしかかっていく。

 言葉では、彼の性格、生き方通りの刃をきらめかせながら……それでも、カラダでは……ギルダとの一夜では、ほんとうに、彼女への「最大の敬意と愛情」「海の勇者への讃美」を示したんじゃないだろうか。

 ヅカでベッドシーンがあったって、それは「愛のカタチ」、美しいキスシーンと変わらないただの記号のようなモノだと思っている。それ以上の生々しいことなんか考えない。
 だが、トウコだと、ほんとーに「それ以上」を考えてしまう。

 『エル・アルコン』でいうと、ティリアンが、どんなふうにギルダを抱いたのか、想像してしまう。

 今の少女マンガは性描写もえげつないが、昔の少女マンガは直接シーンは描かず、抱き合ってキスのあとは暗転、翌朝「チチチ…」と鳥の声がするところからはじまったもんだ。
 ヅカのベッドシーンも昔の少女マンガと同じく「朝チュン」(暗転のあとは翌朝、鳥が鳴く)と同じだし、それでいいと思っているんだが。
 星組公演『エル・アルコン』は、「朝チュン」にあらず。
 暗転せず、今の少女マンガのよーに行為がある、と思えてしまう。むしろそこにいちばんわかりやい「愛の在処」があると思う。

 ティリアンはほんとうに「最大の敬意と愛情」を持って、ギルダを抱いたのだろう。
 醜い傷に口づけ、愛撫したのだろう。

 ただの「愛」や「恋」ゆえのやさしさではなく。

 勝者が敗者を貶めるためではなく、その価値を知り、敬うための行為。

 ややこしい男だ、ティリアン。言葉だけ台詞にして書き出せばやさしい色男的なことを言っているけど、態度も口調も冷淡。おかげでやさしげな言葉は全部皮肉に聞こえる。でも実際抱かれてみれば、その言葉が嘘でないことがわかる。

 手法としては「朝チュン」なのに、実際にナニがどうあったかは描かれていないのに、暗転のあとを、想像してしまう。させてしまう。
 トウコのもつ生々しさが、せつなさを加速させる。

 ギルダに感情移入できるから。
 ただ「悪」としてしか、「敵」としてしか見てこなかった男に、恋をする。
 冷酷な言動の野心家。言葉ではない、表面には決して現れない部分で彼の「真実」に、文字通り、触れる。
 肌でしかわからないことがある。言葉を持たない獣のように。本能でしか、魂でしか、伝えるすべを持たない男と女が在る。

 やー、サイトー版『エル・アルコン』をノベライズしていいなら、「朝チュン」でなく、ちゃんとふつーの恋愛小説みたく愛の行為のあれこれも全部書き込みたいですな。そしてそこが、ヲトメ心を刺激する、せつない、泣ける場面になるはず。

 世間知らずの小娘ではないギルダが、「抱かれたから」ティリアンになびいたはずがない。
 次の場面で少女時代の思い出を歌う彼女は、ティリアンの真実に触れたから、記憶の底に眠っていた「孤独な少年」のことを思い出しちゃったりしてるわけだ。
 や、この「幼なじみ」設定は心から「いらん」と思っているけどね。「人を信じることのない瞳が自分を見るようだった」とかギルダは言うけど、ティリアンはともかく、ギルダはチガウやろ。領主の娘として、島民たちに慕われて育ったんぢゃねーの? だからこそ、故郷を守るために自ら傷だらけになっても戦うんでしょ?

 ギルダとティリアンは、「七つの海七つの空」に憑かれた男と女、つーことで十分愛し合う理由になる。
 同じカタチの魂を、互いの中に見つけることができる。
 愛し愛され、それゆえの誇りを持って育ったギルダ。心を閉ざし、それゆえに強く育ったティリアン。環境はちがっても、磨かれ方はちがっても、今、光を放つふたつの宝石はたしかに同じものだった。
 ……て、そーゆーことっしょ?

 だからふたりは、決して愛を語らない。

 彼らが口にするのは、「七つの海七つの空」。
 同じ魂が、同じ方角を見据えている。

 ふつーの男と女のように、ふつーの恋愛のように、互いの欠けた部分を埋め合うことなく。癒やし合うこともなく。
 同じところが欠けたまま、いびつなまま、かなしいまま、それでも光を放つ。同じ夢を見る。

 原作のティリアンとも『エル・アルコン』とも別物だけれど。
 でもこれもまた、たしかにティリアンであり『エル・アルコン』である。

 ギルダと出会うことで、ギルダを知ることで、ティリアン自身の輪郭が浮き彫りにされていく。

 だから。

 ギルダになって、ティリアンに恋をする。
 「愛している」とは、死んでも言わない恋だけど。言われることのない恋だけど。
 抱き合うことより、守られることより、癒すことより、背を合わせて闘う、肩を並べて走る、そんな関係だけど。

 それでも、黒い翼は七つの海と空を目指す。翼の向かう方角に、その彼方に思いを馳せる。

 
 ヘタに「これみよがしに恋愛を匂わせる」ことをしなくても、トウコとあすかなら、大人の愛憎をエロく見せてくれるよ、サイトーくん。
 トウコは放っておいてもイヤラシイし、あすかもそれを真正面から受けて立ってくれる。

 ああ、よくぞこのふたりがティリアンとギルダを演じてくれた。
 ベッドなだれ込みシーンで、演出以上のエロさを見せてくれることが、うれしくてならない。

 プラトニックよりはるかに、せつなくて愛しいから。
 傷痕を介する男と女の愛欲が。


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