「奇跡」が終わる。@舞姫
2008年3月20日 タカラヅカ 『舞姫』千秋楽。
日にちの感覚が狂ったまま、とにかくバスに乗って駆けつける。
みわさんって雨男だったの? 初日も楽も雨。……バウではそんなことなかったよなあ?
朝バスで東京駅に着いて、そっから開演までヒマなので、わたしよりさらに早朝に「夜行列車」で着いていたという剛の者・木ノ実さんに拾ってもらう。
「入り待ちしようね」って誘われていたのだけど、雨なので、ふたりともあっさり断念。ともにまっつファンのはずなんだが、なんて根性のない……(笑)。
だって青年館ってよく知らないところだから、どこでギャラリーすればいいのか、わかんないし。楽屋口がどこかも知らないし。
わたしは初日とその翌日と観劇したっきり、間の数日間は観ていない。
地元以外の場所での1週間公演なんて、そこに滞在するのでもなければ一瞬で終わってしまうものなのだと実感した。
自宅ですごしたのがたった2日であとは夜行バスか東京で過ごしていた1週間なんて、もーなにがなんやら。感覚どっかトんでいて、日常との境が妖しい感じ。
でもって数日ぶりの『舞姫』。
最後の、『舞姫』。
たった数日間で、印象はかなり変わっていた。
わたしは相沢くん@まっつ中心で観てしまうので、主に相沢くんが変わっていたことを全身で追う。
相沢くんは温度が上がっていて、クールさは少なくなっていた。初日近辺の「固さ」よりも、バウで観ていたときに近く、そのバウ時代がさらにパワーアップした印象。
わりと「知っている」ケンちゃんに近かったので、ほっとしたやらびっくりしたやら。
それでも確実に「大人」になっている。なんていうんだろ、「規定演技」だとしても、そこに深みを持たせることに成功しているような?
余白が感じられる芝居になっていたというか。
あー、まっつ、地味に進化してるんだなー、とうれしく思う。
『舞姫』は毎回泣けるところがチガウからおそろしい。
「ここは絶対泣ける」というお馴染みポイントはあるにしろ、それ以外の場所で、予期しない感動がどーんと襲ってくる。
よくできた作品なので、発見が多いのだと思う。また、出演者たちの「その世界に存在していること」が、生きたもの、今ここで流れ展開しているナマモノとして、そのときどきにチガウ感動を与えてくれるのだろう。
千秋楽はみわさんもすみ花ちゃんも声がかなりヤバくなっていて、歌も台詞声も「うわっ」と思うことが何度もあった。
過酷な公演だったんだなと思う。バウでは、このふたりがここまでキツそうになっていなかったと記憶しているから。
持てるものを全部出し切っている。
それが感じられる、ヤバさのある声だった。がんばれ、と心の中で拳を握ったよー。
でもスカステの放送として残るのが、この楽だけだということが、ちょっと残念だったり。エリス@ののすみ、もっとかわいい声なのになー。ところどころ低くなってて残念だー。
本日をもって退団するりおんちゃんには、総じてあたたかい拍手が。
芝居は伝説なほどにアレだが、ほんとうに美しく、かわいらしい人だ。
彼女がドレス姿で登場すると、ぱっとそこが「タカラヅカ」になる。得難い存在。
豊太郎@みわっちを、ほんとーに好きだと思う。
芝居巧者だとは、ごめん、今でもとくに思うわけじゃないんだが、それでもこの人の芝居が好きでしょうがない。
時折クリティカルにすこーんとハマる。そのときのカタルシスが、快感がすごい。
好み、としか言いようがない。これだけわたしをキモチ良くさせてくれるんだから。「好きだああぁぁぁああっっ」と大声で叫びたくなるんだから。
みわさん自身を好きというより、彼の「芝居」が好きなんだよなあ。彼の「芝居」をもっともっと観たい。主役とか、主要な役が観たいよおおお。(次の大劇はどーなんだろう?)
『舞姫』はたしかに作品ありきというか、景子先生の作品がまずよかったから、まさかの東上・再演がありえたのだとは思う。
そして景子作品は「タカラヅカ・スターとしての一定スキルを持った人なら、誰でも演じられる」汎用性の高いものだと思っている。誰々へのアテ書きで、それ以外の人は演じられない、てなものではないと思っている。(一部例外はあるが)
『舞姫』もまた、別キャストでの上演はアリだし、それでも成功はしただろうと思う。
それでも、なお。
『舞姫』が、今、このキャストの手によって上演されたことの意義を、強く信じている。
低予算が透けて見えるバウホール単体公演で、たった20人、モブの男役が輝良まさとひとりしかいないよーな状態で幕を開けた、この小さな小さな作品。
張り切って公演開始前にチケットを集めすぎたわたしはさばくのに大変で、なのに公演がはじまるとあれよあれよという間にチケ難で。
白く美しい、手のひらの中でだけ輝く小さな星のような作品だった。
それが今、再演というカタチでいろいろ大きくなって、ここにある。
このキャスト、このスタッフが集結した奇跡。
その意味を、意義を、噛みしめる。
これから『舞姫』は、何度も再演されるだろう。
何年後かは知らないが、きっと再演される。
誰が豊太郎を、エリスを演じるのかわからないが、今、このメンバーで存在する『舞姫』を体験できたこと、この作品が産声を上げるところから見守れたことを、誇りに思う。
そして、まっつ。
ありがとう、まっつ。
まっつが出演していなかったら、わたしはこんなにこの作品に耽溺していない。
ケロがいたから『凍てついた明日』を観ることが出来たように、人との出会いが作品との出会いになる。
まっつがいてくれて、よかった。
まっつを好きでよかった。
……と言いつつ、寒くておなかがすいていたので、出待ちもせずにとっとと青年館をあとにする(笑)。
終演後はどりーず東組と一緒。楽を観劇していたジュンタン、kineさん、パクちゃんに、ドリーさんが加わってみんなでごはん。わーいわーい。
ジュンタンはなんだかんだで夜行バスの時間までつきあってくれたよ、ありがとう。
『舞姫』が、終わってしまう。
いや、終わってしまったんだ。
カーテンコールで、すみ花ちゃんがみわっちに抱きついていた。
微笑ましくてかわいくて。
……で、そのふたりの後ろで、まっつが順番待ちみたいになってるのが、愉快だった。
バウではまっつが突然、抱きついたんだよね。
あー、今回は正妻に先超されてるー(笑)。
ひたすらかわいらしいみわすみの抱擁のあとで、野郎ふたりは予定調和っぽくしっかり抱き合ってました、観客の歓声をあびつつ。
まっつ、みわさんになに話しかけてたのかなあ。
出演者が下級生ばかりの公演で、みとさんが専科さんになってしまったため、みわっちひとりで長としての挨拶、ゲスト紹介、退団者紹介、次回公演案内までやり、そのうえで主演としての挨拶をしていた。感極まって声を震わせながら、それでも言うべきことを言い切り、オトコマエ度を上げていた。いやあ、みわさんすごい。
見守るまっつの目線のやさしさも堪能しました。
カテコで幕が上がり下がりするたびに、ひざまずいてりおんちゃんのドレスの裾をさばくマメのスタンドプレイっぷりにマメらしさを実感しつつ(笑)、出演者全部を見たいと思いつつもまっつから視線がはなれない、なんて正直なわたし。
フロックコートに黒髪まっつ、ビジュアル好み過ぎ。大好きだ〜〜。
終わってしまう。
終わってしまった。
マイネ・リーベ、わたしの『舞姫』。
日にちの感覚が狂ったまま、とにかくバスに乗って駆けつける。
みわさんって雨男だったの? 初日も楽も雨。……バウではそんなことなかったよなあ?
朝バスで東京駅に着いて、そっから開演までヒマなので、わたしよりさらに早朝に「夜行列車」で着いていたという剛の者・木ノ実さんに拾ってもらう。
「入り待ちしようね」って誘われていたのだけど、雨なので、ふたりともあっさり断念。ともにまっつファンのはずなんだが、なんて根性のない……(笑)。
だって青年館ってよく知らないところだから、どこでギャラリーすればいいのか、わかんないし。楽屋口がどこかも知らないし。
わたしは初日とその翌日と観劇したっきり、間の数日間は観ていない。
地元以外の場所での1週間公演なんて、そこに滞在するのでもなければ一瞬で終わってしまうものなのだと実感した。
自宅ですごしたのがたった2日であとは夜行バスか東京で過ごしていた1週間なんて、もーなにがなんやら。感覚どっかトんでいて、日常との境が妖しい感じ。
でもって数日ぶりの『舞姫』。
最後の、『舞姫』。
たった数日間で、印象はかなり変わっていた。
わたしは相沢くん@まっつ中心で観てしまうので、主に相沢くんが変わっていたことを全身で追う。
相沢くんは温度が上がっていて、クールさは少なくなっていた。初日近辺の「固さ」よりも、バウで観ていたときに近く、そのバウ時代がさらにパワーアップした印象。
わりと「知っている」ケンちゃんに近かったので、ほっとしたやらびっくりしたやら。
それでも確実に「大人」になっている。なんていうんだろ、「規定演技」だとしても、そこに深みを持たせることに成功しているような?
余白が感じられる芝居になっていたというか。
あー、まっつ、地味に進化してるんだなー、とうれしく思う。
『舞姫』は毎回泣けるところがチガウからおそろしい。
「ここは絶対泣ける」というお馴染みポイントはあるにしろ、それ以外の場所で、予期しない感動がどーんと襲ってくる。
よくできた作品なので、発見が多いのだと思う。また、出演者たちの「その世界に存在していること」が、生きたもの、今ここで流れ展開しているナマモノとして、そのときどきにチガウ感動を与えてくれるのだろう。
千秋楽はみわさんもすみ花ちゃんも声がかなりヤバくなっていて、歌も台詞声も「うわっ」と思うことが何度もあった。
過酷な公演だったんだなと思う。バウでは、このふたりがここまでキツそうになっていなかったと記憶しているから。
持てるものを全部出し切っている。
それが感じられる、ヤバさのある声だった。がんばれ、と心の中で拳を握ったよー。
でもスカステの放送として残るのが、この楽だけだということが、ちょっと残念だったり。エリス@ののすみ、もっとかわいい声なのになー。ところどころ低くなってて残念だー。
本日をもって退団するりおんちゃんには、総じてあたたかい拍手が。
芝居は伝説なほどにアレだが、ほんとうに美しく、かわいらしい人だ。
彼女がドレス姿で登場すると、ぱっとそこが「タカラヅカ」になる。得難い存在。
豊太郎@みわっちを、ほんとーに好きだと思う。
芝居巧者だとは、ごめん、今でもとくに思うわけじゃないんだが、それでもこの人の芝居が好きでしょうがない。
時折クリティカルにすこーんとハマる。そのときのカタルシスが、快感がすごい。
好み、としか言いようがない。これだけわたしをキモチ良くさせてくれるんだから。「好きだああぁぁぁああっっ」と大声で叫びたくなるんだから。
みわさん自身を好きというより、彼の「芝居」が好きなんだよなあ。彼の「芝居」をもっともっと観たい。主役とか、主要な役が観たいよおおお。(次の大劇はどーなんだろう?)
『舞姫』はたしかに作品ありきというか、景子先生の作品がまずよかったから、まさかの東上・再演がありえたのだとは思う。
そして景子作品は「タカラヅカ・スターとしての一定スキルを持った人なら、誰でも演じられる」汎用性の高いものだと思っている。誰々へのアテ書きで、それ以外の人は演じられない、てなものではないと思っている。(一部例外はあるが)
『舞姫』もまた、別キャストでの上演はアリだし、それでも成功はしただろうと思う。
それでも、なお。
『舞姫』が、今、このキャストの手によって上演されたことの意義を、強く信じている。
低予算が透けて見えるバウホール単体公演で、たった20人、モブの男役が輝良まさとひとりしかいないよーな状態で幕を開けた、この小さな小さな作品。
張り切って公演開始前にチケットを集めすぎたわたしはさばくのに大変で、なのに公演がはじまるとあれよあれよという間にチケ難で。
白く美しい、手のひらの中でだけ輝く小さな星のような作品だった。
それが今、再演というカタチでいろいろ大きくなって、ここにある。
このキャスト、このスタッフが集結した奇跡。
その意味を、意義を、噛みしめる。
これから『舞姫』は、何度も再演されるだろう。
何年後かは知らないが、きっと再演される。
誰が豊太郎を、エリスを演じるのかわからないが、今、このメンバーで存在する『舞姫』を体験できたこと、この作品が産声を上げるところから見守れたことを、誇りに思う。
そして、まっつ。
ありがとう、まっつ。
まっつが出演していなかったら、わたしはこんなにこの作品に耽溺していない。
ケロがいたから『凍てついた明日』を観ることが出来たように、人との出会いが作品との出会いになる。
まっつがいてくれて、よかった。
まっつを好きでよかった。
……と言いつつ、寒くておなかがすいていたので、出待ちもせずにとっとと青年館をあとにする(笑)。
終演後はどりーず東組と一緒。楽を観劇していたジュンタン、kineさん、パクちゃんに、ドリーさんが加わってみんなでごはん。わーいわーい。
ジュンタンはなんだかんだで夜行バスの時間までつきあってくれたよ、ありがとう。
『舞姫』が、終わってしまう。
いや、終わってしまったんだ。
カーテンコールで、すみ花ちゃんがみわっちに抱きついていた。
微笑ましくてかわいくて。
……で、そのふたりの後ろで、まっつが順番待ちみたいになってるのが、愉快だった。
バウではまっつが突然、抱きついたんだよね。
あー、今回は正妻に先超されてるー(笑)。
ひたすらかわいらしいみわすみの抱擁のあとで、野郎ふたりは予定調和っぽくしっかり抱き合ってました、観客の歓声をあびつつ。
まっつ、みわさんになに話しかけてたのかなあ。
出演者が下級生ばかりの公演で、みとさんが専科さんになってしまったため、みわっちひとりで長としての挨拶、ゲスト紹介、退団者紹介、次回公演案内までやり、そのうえで主演としての挨拶をしていた。感極まって声を震わせながら、それでも言うべきことを言い切り、オトコマエ度を上げていた。いやあ、みわさんすごい。
見守るまっつの目線のやさしさも堪能しました。
カテコで幕が上がり下がりするたびに、ひざまずいてりおんちゃんのドレスの裾をさばくマメのスタンドプレイっぷりにマメらしさを実感しつつ(笑)、出演者全部を見たいと思いつつもまっつから視線がはなれない、なんて正直なわたし。
フロックコートに黒髪まっつ、ビジュアル好み過ぎ。大好きだ〜〜。
終わってしまう。
終わってしまった。
マイネ・リーベ、わたしの『舞姫』。
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