わたしは、語彙が少ない。
 表現力に乏しい。

 役者の演技に関するナニかを感じたとき、それを表現する術を持たない。
 語彙が少ないのも、表現力に乏しいのも、わたしの本能の部分だと思う。
 あるスイッチが押されたとき、その作用をどう表現するか。
 ふつうの人ならさまざまに語られるのだろうが、わたしの本能はそれをせず、「このスイッチを押したら、ここにつながる」と単純な回路ができあがってしまっているようだ。
 そのスイッチを押したら、他になんの表現もなく、ただひとつの事柄につながる。

 ある感覚、ある感動があった。
 すると、わたしのアタマはソレがなにかを考えたり表現したりせず、直感的にケロに似ていると判断する。

 このスイッチが押されると、「ケロに似ている」パネルが点る。

 なんでそのスイッチが押されたの? そのスイッチはどういうときに押されるものなの?
 そもそも「ケロに似ている」って、ナニ? どういう状態を言うの?

 てなことに、すべて説明無し。
 スイッチ → ケロに似ている
 ……それだけ。

 『舞姫』において、またしてもこのスイッチが押された。
 豊太郎@みわっちを見ているときにだ。

「みわっちの演技って、ケロに似ているとこがある」

 と、大真面目に言い、

「似てない」

 と、ドリーさんに速攻叩き落とされた(笑)。

「『ハリラバ』のそのかもべつに、ケロに似てるとか思わなかったし」
 てなふーに、ツッコミキャラ・ドリーさんに容赦なく言い切られておりますが。

 さすがにねえ、みわっちを「ケロ」だと言い出したあたりで、いくらわたしでも気づくですよ。
 なんかオレの表現、まちがってねえ? と。

 「ケロ」ってのは、タカラヅカOG、栄光の77期・汐美真帆さんのことですが、わたしが言うところの「ケロに似ている」っつーのは、いわゆるケロちゃんのことではないのではないかと。

 ようするに、感覚の語彙の問題かと。

 言葉で説明できない、なにかすごくわたし好みの演技とか姿とか。そーゆーものを表現する方法として、わたしののーみそは「ケロ」を引っ張り出してくるらしい。

 冷静に見て、みわっちは、ケロには似ていない。
 や、冷静に見なくても、ふつーそうだろう。
 それでもわたしは、ある一瞬、「ケロだ!」と思ってしまった。

 スイッチが押されたの、みわっちを見ていて。「ケロに似ている」スイッチを。

 あー、つまり。

 わたしは、わたしの好きなものを「ケロ」と呼んでいる、つーだけのことですね。

 好きなものは全部「ケロに似ている」って。
 どんだけケロが好きやねん。や、好きだけど。

 こうなってしまうと、すでに生身の汐美真帆とは別。
 わたしの中だけにある表現として、独立して考えるべきだろう。
 なにかしらすごく好みのナニか……それを「ケロに似ている」とわたしは表現する。本物のケロとは無関係に。
 おそらくケロちゃんがそれを象徴するよーなナニかではあった、ケロがソレを具現していた、というのはあるにせよ。

 これはわたしだけの感覚で、本能で、理屈ではないらしい。
 なにをもって、どこに響いたのか。これをひとに伝えるためには、人間の言葉に置き換えなければならないのに、わたしののーみそはそれを怠り、わたしにだけわかる「ケロに似ている」というサインを出す。

 なんて短絡な……。

 そしてソレをそのまま口にしては、ひとにあきれられる日々。

 語彙が少ないから、他に表現する術を持たないから、そう言う。
 すべてを「ケロ」と言うことで済ませようとする。

 つまり、緑野が「ケロに似ている」と言い出したら、その人を相当好きだということです。
 ほんとにケロに似ているかどうかは別問題として。

 そーいや友人のBe-Puちゃんはピカチュウが大好きで、自分の好きなものを全部「ピカチュウに似ている」と表現していたっけな……。
「チャーちゃんはピカチュウにそっくり!」
 って言ってきかず、「ソレ、誉め言葉になってなから、他のチャー様@匠ひびきファンの前では言わない方がいいよ」とハラハラしたっけ。
 Be-Puちゃん自身は最大級の賛辞の言葉と信じていたが、客観的に見て彼女が「ピカチュウに似ている」と言い出すモノには、理解できないものが多かった……。

 そうか……Be-Puちゃんと同じことしてんだ、あたし……。

 まっつのことも、「ケロに似ている」と言ってnanaタンにあきれられたっけね……。
 ゆーひくんのことも、ケロのDNAとか、勝手に言ってたね……。

 ほんとに、好きな人はみんな「ケロ」なんだ。わたしの表現力の限界により。

 
「ケロに似ている」
 そう思う瞬間の胸の痛みは、とことん純度の高いヲトメ心のときめきだと思う。


 

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