君に白い花を送ろう。@マリポーサの花
2008年11月24日 タカラヅカ「とどのつまり、毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ」
……いったい何人に、この台詞を聞かされたことだろう。
『マリポーサの花』のラストシーンのことですよ、ええ。
一緒に生きることもできない、いつ帰れるかもわからない。
そんなときに「待っていろ」と言う男なんて、最低。
毎月、変わらない心の証に花を送る、なんて、最低の上に、最悪。
女の幸せを考えていない。自分の都合、自分本位の価値観。
「よーするに、男目線なんだよね」
はい、その通りです。
正塚晴彦の書く物語は、いつだって完璧に男目線。オンナゴコロなんざぁカケラもわかっちゃいない。
毎回毎回飽きもせず、「男のロマン」を書き続ける。それもちょっと時代遅れの、時代遅れなことすら「かっこいい」と思っている団塊世代あたりのオヤジ価値観。
ツッコミ担当ドリーさんが「あの学生運動コンプレックス、なんとかしてほしいんだけど!」てなことを言い捨てていたのは、的確すぎて、痛快。
正塚的には、「生きている証の花を送り続ける」から、かっこいいんだろう。自分で書いてて「くぅ~~、かっこいいよなっ」と思ってるんだろう(笑)。
でも、観客である女からしてみりゃ、夢も冷める最悪行為という(笑)。
作中のセリア@となみが送られてくる花をよろこぶのはわかる。彼女の立場、状況ならそうだろう。
しかし観客はセリアじゃない。客席で物語を眺めているわけだから、現実問題、「あの状況で、あんなことをする男は嫌だ(笑)」ということになる。
「ま、所詮絵空事だからアレでいいけど(笑)」……女性がそう思うなんてこと、正塚はまったく考えていないんだろう。自分があまりのかっこよさにシビレているネロ@水の行動に、女はとーぜんセリアのようにめろめろになると思って、書いてるんだろう。
「そーゆー男の浅はかさを、かわいいと思えるかどうかだね」
正塚作品を愛せるかどうか。
いやあ、迷惑千万だよねー、ネロみたいな男って。
毎月きちんと送られてくればいいけど、遅れたりしたらセリアはものすごーく気に病むだろうし、来なくなったら「ネロが死んだ? それとももう私のことどーでもよくなった?!」と思い悩むよね、傷つくよね?
かといって、10年20年送り続けられたら、さらにひどいよね。なにもしてくれない男に義理立てして、目の前にどんな幸せがあっても背を向けろってか? セリア自身が心変わりしても毎月の花はすげー重荷だし、なにか事情があってそれ以上待てなくなった場合は毎月断罪の証として届けられるわけだよ?
どれほど無神経なら、こんな仕打ちが平気でできるんだ??
ふつーに現実を見つめる女性たちが「毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ!」と一刀両断するのもとーぜんですよ、正塚せんせ?(笑)
でもわたしは、非現実世界こそを愛して妄想して生きるヲタクとゆーイキモノなので。
もう二度と会えないかもしれない女に、毎月きちんと花を送り続ける……それを「かっこいい」と本気で思っている男を、「かわいい」と思う(笑)。
そして、純粋に萌えだと思う。
この「男の無神経さ」が。
ふつーに「美しい物語」として、正塚が夢想する通りの「生きている証」を毎年受け取ってしあわせに微笑むセリアにも、わくわくする。
また、あるとき花が届かなくなったり、遅れたりして、そのたびに取り乱すセリア、というのにも、すごくわくわくする。
何年も経って、送られてくる花がセリアを縛る鎖となり、日常の中でどれだけ彼女が苦しむかも、想像するとわくわくする。
でもって、いつかセリアがネロを憎むようになったりして。
また、心は変わらずネロのもとにありながら、事情があって他の男と結婚しなければならなくなったセリア、にもわくわくする。それでも彼女は毎月花を受け取るんだよ。心をズタズタにされながら。
あるいは、乾ききってナニも感じず、受け取るなりゴミ箱へ投げ捨てるの。悲しみゆえに心を閉ざしたのもアリだし、ほんとーにもうネロのことなんかどーでもよくなって、「また来たわー、うざ」と思ってるの、心から!てのも、アリっす、わくわくっす!
反対に、ネロに対しても。
セリアのことを愛しながらも、事情があってどうしても花が送れなくなってしまうネロの葛藤、なんてのを想像するとわくわくする。
いつの間にか花を送ることが義務になってしまい、心に澱を溜めていくよどんだネロ、つーのもわくわくです。
さらに義務が鎖になり、いつしかセリアを憎んでしまうネロ、とゆーのも、すげーわくわくですわ。
他に愛する人ができてしまい、「やべ。セリアどーするよ?!」と苦悩するネロなんて、これまた素敵にわくわくっ(笑)。
「もう二度と会えないかもしれない女に、生きる証の花を送り続ける」という、アホなことをするキャラクタだからこそ、悲劇的結末がいくらでも想像できて、楽しい。萌える。
あーもー、ネロってば大好きだ。
『マリポーサの花』はすごくキレイに終わってるけど、現実的に考えれば、待っているのは高確率で悲劇だから(笑)。
しかも、泥沼系、人間の醜さ全開系の不幸てんこ盛りになるって。
や、無事に政変が起こり、ネロが帰国できる未来がすぐに来るかもしれないけど、正塚的美学では、「半年後には、ふたりは無事再会し、幸せに暮らしました」ではないんでしょ?
いつ、と簡単に言えないくらい期間はあり、また、先が見えないことがロマンなんでしょ?
なのに、ネロの行動を「かっこいい」と悦に入っていられるのは、男目線だよなあ。
や、そーゆーとこも含めて、とにかくたのしいです。
わたしは、正塚作品が好きです。
あの恥ずかしい「男のロマンチシズム」も含めて。
……いったい何人に、この台詞を聞かされたことだろう。
『マリポーサの花』のラストシーンのことですよ、ええ。
一緒に生きることもできない、いつ帰れるかもわからない。
そんなときに「待っていろ」と言う男なんて、最低。
毎月、変わらない心の証に花を送る、なんて、最低の上に、最悪。
女の幸せを考えていない。自分の都合、自分本位の価値観。
「よーするに、男目線なんだよね」
はい、その通りです。
正塚晴彦の書く物語は、いつだって完璧に男目線。オンナゴコロなんざぁカケラもわかっちゃいない。
毎回毎回飽きもせず、「男のロマン」を書き続ける。それもちょっと時代遅れの、時代遅れなことすら「かっこいい」と思っている団塊世代あたりのオヤジ価値観。
ツッコミ担当ドリーさんが「あの学生運動コンプレックス、なんとかしてほしいんだけど!」てなことを言い捨てていたのは、的確すぎて、痛快。
正塚的には、「生きている証の花を送り続ける」から、かっこいいんだろう。自分で書いてて「くぅ~~、かっこいいよなっ」と思ってるんだろう(笑)。
でも、観客である女からしてみりゃ、夢も冷める最悪行為という(笑)。
作中のセリア@となみが送られてくる花をよろこぶのはわかる。彼女の立場、状況ならそうだろう。
しかし観客はセリアじゃない。客席で物語を眺めているわけだから、現実問題、「あの状況で、あんなことをする男は嫌だ(笑)」ということになる。
「ま、所詮絵空事だからアレでいいけど(笑)」……女性がそう思うなんてこと、正塚はまったく考えていないんだろう。自分があまりのかっこよさにシビレているネロ@水の行動に、女はとーぜんセリアのようにめろめろになると思って、書いてるんだろう。
「そーゆー男の浅はかさを、かわいいと思えるかどうかだね」
正塚作品を愛せるかどうか。
いやあ、迷惑千万だよねー、ネロみたいな男って。
毎月きちんと送られてくればいいけど、遅れたりしたらセリアはものすごーく気に病むだろうし、来なくなったら「ネロが死んだ? それとももう私のことどーでもよくなった?!」と思い悩むよね、傷つくよね?
かといって、10年20年送り続けられたら、さらにひどいよね。なにもしてくれない男に義理立てして、目の前にどんな幸せがあっても背を向けろってか? セリア自身が心変わりしても毎月の花はすげー重荷だし、なにか事情があってそれ以上待てなくなった場合は毎月断罪の証として届けられるわけだよ?
どれほど無神経なら、こんな仕打ちが平気でできるんだ??
ふつーに現実を見つめる女性たちが「毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ!」と一刀両断するのもとーぜんですよ、正塚せんせ?(笑)
でもわたしは、非現実世界こそを愛して妄想して生きるヲタクとゆーイキモノなので。
もう二度と会えないかもしれない女に、毎月きちんと花を送り続ける……それを「かっこいい」と本気で思っている男を、「かわいい」と思う(笑)。
そして、純粋に萌えだと思う。
この「男の無神経さ」が。
ふつーに「美しい物語」として、正塚が夢想する通りの「生きている証」を毎年受け取ってしあわせに微笑むセリアにも、わくわくする。
また、あるとき花が届かなくなったり、遅れたりして、そのたびに取り乱すセリア、というのにも、すごくわくわくする。
何年も経って、送られてくる花がセリアを縛る鎖となり、日常の中でどれだけ彼女が苦しむかも、想像するとわくわくする。
でもって、いつかセリアがネロを憎むようになったりして。
また、心は変わらずネロのもとにありながら、事情があって他の男と結婚しなければならなくなったセリア、にもわくわくする。それでも彼女は毎月花を受け取るんだよ。心をズタズタにされながら。
あるいは、乾ききってナニも感じず、受け取るなりゴミ箱へ投げ捨てるの。悲しみゆえに心を閉ざしたのもアリだし、ほんとーにもうネロのことなんかどーでもよくなって、「また来たわー、うざ」と思ってるの、心から!てのも、アリっす、わくわくっす!
反対に、ネロに対しても。
セリアのことを愛しながらも、事情があってどうしても花が送れなくなってしまうネロの葛藤、なんてのを想像するとわくわくする。
いつの間にか花を送ることが義務になってしまい、心に澱を溜めていくよどんだネロ、つーのもわくわくです。
さらに義務が鎖になり、いつしかセリアを憎んでしまうネロ、とゆーのも、すげーわくわくですわ。
他に愛する人ができてしまい、「やべ。セリアどーするよ?!」と苦悩するネロなんて、これまた素敵にわくわくっ(笑)。
「もう二度と会えないかもしれない女に、生きる証の花を送り続ける」という、アホなことをするキャラクタだからこそ、悲劇的結末がいくらでも想像できて、楽しい。萌える。
あーもー、ネロってば大好きだ。
『マリポーサの花』はすごくキレイに終わってるけど、現実的に考えれば、待っているのは高確率で悲劇だから(笑)。
しかも、泥沼系、人間の醜さ全開系の不幸てんこ盛りになるって。
や、無事に政変が起こり、ネロが帰国できる未来がすぐに来るかもしれないけど、正塚的美学では、「半年後には、ふたりは無事再会し、幸せに暮らしました」ではないんでしょ?
いつ、と簡単に言えないくらい期間はあり、また、先が見えないことがロマンなんでしょ?
なのに、ネロの行動を「かっこいい」と悦に入っていられるのは、男目線だよなあ。
や、そーゆーとこも含めて、とにかくたのしいです。
わたしは、正塚作品が好きです。
あの恥ずかしい「男のロマンチシズム」も含めて。
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