それは、「運命」の恋。@My dear New Orleans
2009年2月19日 タカラヅカ 嘘だけで固められた世界に、真実があるとするならば。
闇に閉ざされた世界に、光があるとするならば。
真実は、あのひとだ。
光は、あのひとだ。
あのひとこそが、私が生きる意味。
『My dear New Orleans』にて描き出される「愛の物語」に号泣する。
主にジョイ@トウコ視点で描かれる物語ではあるが、そこにあるルル@あすかの想いもまた、短いながら確実な輝きを持っている。
景子せんせ作品の欠点である多重構造、喋りすぎの後日談、構成は無駄にややこしいのにストーリーが単調かつ散漫だったりして、いろいろアレレなことにはなってはいるが。
それはともかく、ジョイとルルの「運命」の恋を楽しむことができて、わたしは好きだ。
差別と貧しさゆえに父親に売られたルルにとって、世界は醜いものでしかない。絶望しかない。
助けてくれる者もないまま彼女は身を汚し、心を削って生きてきたのだろう。
世界に絶望したなら、死ねばいい。世界を否定すれぱいい。だけど彼女は心を閉ざしながらも生き続ける。彼女が養わなければならない家族があったとしても、それらすら投げ出す選択肢はあったはずだ。
それでも彼女が、生き続けたのは。
たったひとつだけ、救いがあったからだ。
この汚い世の中で、なんの見返りもなく、良心だけで、優しさだけで彼女を助けてくれた少年。
彼女を助けたことで罪に問われた少年。
この世界にただひとつ美しいものがあるとしたら、それはあのひとだ。
あのひとを想う、この気持ちだけだ。
少年のその後を知ることは物理的に可能だったろうけれど、心情的にはできなかった。彼女のせいで投獄された彼が、彼女をどう思うか、あのときは胸を張って行った正義でも、後悔しているかもしれない。
ルルを助けてくれた少年のまっすぐな瞳が生きる救いであったのに、もしも彼の心が曇っていたら、それを見せつけられたら、もうルルは生きていけない。
だから、あえて彼を探すことなくひとりで生き続ける。戦い続ける。
また、彼が人生と引き換えに守ってくれた身体も、生きるために売るしかなかった。そんな姿を見せられるはずもない。
闇の中で、絶望の中で、ルルはあの日の少年を想い続ける。
彼が真実。彼が光。彼だけが、生きる意味。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少年は、なんの曇りもない瞳で、もう少女ではないルルを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
少年ジョイにとっても。
ルルとの出会いは、心の正しさで生きていけると信じるまっすぐな少年に打ち込まれる、現実という名の杭だった。
混血児である彼は、おそらく理不尽な目にいろいろ遭ってきただろうが、人生最初で最大の悲劇だったんじゃないだろうか。暴行されている少女を助け、投獄されるなんてのは。
長く生きていればいろんなことがあるが、なにしろまだ少年だ。自分を取り巻く限られた社会しか知らない。ジョイの性格からして、彼の狭い世界の中では人気者のリーダータイプだったんだろう。才気煥発で顔立ち気だてが良く、大人からも子どもからも愛される、それゆえちょっと無謀なところもある男の子。
困っている人がいたら迷わず助けたり、悪漢から女の子を守ったりするのは、彼にとっては特別なことではなく、ふつーのこと。正しいことをするのに、躊躇なんてない。……世間を知っていたら、「正しい」だけで生きていけないことぐらいわかるだろうに、当時の彼にはそれがまだない。
正しいことをしたのに、彼は断罪された。
それは、どれほどの衝撃か。
それまでの彼の小さな世界を、生き方を、根こそぎ否定する出来事。
それでも彼は、「正しさ」にしがみつく。
俺はまちがっていない、と。
そう。
まちがっているのは、「世界」の方。
世界はこんなにも醜い。そして、「まちがっている」とわかってなお、ジョイにはそれを正す力はない。
それは、「まちがい」ではないのか?
「まちがってる」とわかっていて、なにも出来ない自分はもうすでに「まちがっている」存在だろう。
何百回も言われただろう、「バカなことをした」と。クレオールの少女を助けるためにクレオールのジョイが、白人に暴力をふるうなんて、自殺行為。言われるたびに「俺は正しい」と言いながら……迷った、はずだ。後悔、したはずだ。
あの少女を助けなければ、こんなことにはならなかったのに……。
そんな自分の心の弱さすら、否定して。頑なに、唱え続けるだろう。「俺は正しいことをしただけだ」
現実の苦さ、残酷さ。
すがりつく矜持と自我。
迷いの中で、混沌の中で、何度も反芻する。
泣き崩れた少女のこと。
絶望した、少女のこと。
世界は「まちがっている」。
あの女の子が白人に金で買われるのも、それを助けようとした自分が投獄されるのも、みんなみんなまちがっている。
だけどジョイはあきらめたくない。
世界を。
生きることを。
ジョイ……「喜び」という名を持つ彼は、前を向こうとする。
このまちがった世界で、それでもジョイは知っている。光があることを。
彼には家族がいて、仲間がいる。音楽がある。
だから彼は、絶望に染まることはない。
どれほど迷っても、傷ついても。
そして。
何度も何度も、反芻する。
あの少女のことを。
助けられなかった少女。泣いたままだった少女。
彼女は、絶望したままだろうか。傷ついたままだろうか。
生まれてきたことを、後悔したままだろうか。
ずっとずっと、心に刺さった棘。
「まちがっている」世界に、置き去りにしてしまった少女。ジョイに力がないばかりに、絶望のまま手を離してしまった少女。
救いたかったのに。
笑って、ほしかったのに。
ジョイは大人になり、少年のときのような無謀さは影を潜めた。できることとできないことを知り、「まちがっている」世界で波風立てず生きていくすべも覚えた。
心に棘を、残したまま。
あの日の少女を、歌を、胸の奥深くに残したまま。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少女は、誰よりも美しくされど空虚さを宿した瞳で、もう少年ではないジョイを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
それは、「運命」の恋だった。
10年間、ずっとずっと、魂に埋め込まれていた種が、芽吹いたんだ。
再会した、そのときに。
ルルの姿を見たジョイが、10年前の彼女のための曲を歌わずにいられないように。
ジョイをあの日の少年だと気づいたルルが、実力者の愛人の身でありながら、感謝のキスをせずにはいられないように。
結びついていた魂を再び離すことなんかできないと、彼らの運命が警鐘を鳴らしているんだ。
えーと。
『My dear New Orleans』の欠点はいろいろあると思うけどさ。
景子せんせの最大の失敗は、ふたりの出会いを子役にやらせたことだ。
10年前の出会いのときから、運命は回り出していた。
なのに、やたら「回想」にこだわる景子タンは『HOLLYWOOD LOVER』に引き続き、別の役者に少年少女時代を演じさせ、気持ちの断絶を作ってしまった。
チガウチガウ、絶対ソレちがう、大失敗。
少年ジョイも、少女ルルも、トウコとあすかに演じさせるべきだった。
そうすればふたりは、「一目惚れよ~~♪」「愛、愛、愛~~♪」と歌わなくても、それらしい台詞のひとつもなくても、まぎれもなく「運命のふたり」を演じてくれただろう。
そのときは互いの気持ちに気づくことはなくても、今の台詞のままなんの改稿もなくても、大人になって再会したときに気持ちがつながっていただろう。
年齢の問題?
んなもん、天下の安蘭けい様ならば、ティーンエイジャーぐらい朝飯前で演じてくれるさ。(ex.ロビンフッド様@『ヘイズ・コード』)
闇に閉ざされた世界に、光があるとするならば。
真実は、あのひとだ。
光は、あのひとだ。
あのひとこそが、私が生きる意味。
『My dear New Orleans』にて描き出される「愛の物語」に号泣する。
主にジョイ@トウコ視点で描かれる物語ではあるが、そこにあるルル@あすかの想いもまた、短いながら確実な輝きを持っている。
景子せんせ作品の欠点である多重構造、喋りすぎの後日談、構成は無駄にややこしいのにストーリーが単調かつ散漫だったりして、いろいろアレレなことにはなってはいるが。
それはともかく、ジョイとルルの「運命」の恋を楽しむことができて、わたしは好きだ。
差別と貧しさゆえに父親に売られたルルにとって、世界は醜いものでしかない。絶望しかない。
助けてくれる者もないまま彼女は身を汚し、心を削って生きてきたのだろう。
世界に絶望したなら、死ねばいい。世界を否定すれぱいい。だけど彼女は心を閉ざしながらも生き続ける。彼女が養わなければならない家族があったとしても、それらすら投げ出す選択肢はあったはずだ。
それでも彼女が、生き続けたのは。
たったひとつだけ、救いがあったからだ。
この汚い世の中で、なんの見返りもなく、良心だけで、優しさだけで彼女を助けてくれた少年。
彼女を助けたことで罪に問われた少年。
この世界にただひとつ美しいものがあるとしたら、それはあのひとだ。
あのひとを想う、この気持ちだけだ。
少年のその後を知ることは物理的に可能だったろうけれど、心情的にはできなかった。彼女のせいで投獄された彼が、彼女をどう思うか、あのときは胸を張って行った正義でも、後悔しているかもしれない。
ルルを助けてくれた少年のまっすぐな瞳が生きる救いであったのに、もしも彼の心が曇っていたら、それを見せつけられたら、もうルルは生きていけない。
だから、あえて彼を探すことなくひとりで生き続ける。戦い続ける。
また、彼が人生と引き換えに守ってくれた身体も、生きるために売るしかなかった。そんな姿を見せられるはずもない。
闇の中で、絶望の中で、ルルはあの日の少年を想い続ける。
彼が真実。彼が光。彼だけが、生きる意味。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少年は、なんの曇りもない瞳で、もう少女ではないルルを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
少年ジョイにとっても。
ルルとの出会いは、心の正しさで生きていけると信じるまっすぐな少年に打ち込まれる、現実という名の杭だった。
混血児である彼は、おそらく理不尽な目にいろいろ遭ってきただろうが、人生最初で最大の悲劇だったんじゃないだろうか。暴行されている少女を助け、投獄されるなんてのは。
長く生きていればいろんなことがあるが、なにしろまだ少年だ。自分を取り巻く限られた社会しか知らない。ジョイの性格からして、彼の狭い世界の中では人気者のリーダータイプだったんだろう。才気煥発で顔立ち気だてが良く、大人からも子どもからも愛される、それゆえちょっと無謀なところもある男の子。
困っている人がいたら迷わず助けたり、悪漢から女の子を守ったりするのは、彼にとっては特別なことではなく、ふつーのこと。正しいことをするのに、躊躇なんてない。……世間を知っていたら、「正しい」だけで生きていけないことぐらいわかるだろうに、当時の彼にはそれがまだない。
正しいことをしたのに、彼は断罪された。
それは、どれほどの衝撃か。
それまでの彼の小さな世界を、生き方を、根こそぎ否定する出来事。
それでも彼は、「正しさ」にしがみつく。
俺はまちがっていない、と。
そう。
まちがっているのは、「世界」の方。
世界はこんなにも醜い。そして、「まちがっている」とわかってなお、ジョイにはそれを正す力はない。
それは、「まちがい」ではないのか?
「まちがってる」とわかっていて、なにも出来ない自分はもうすでに「まちがっている」存在だろう。
何百回も言われただろう、「バカなことをした」と。クレオールの少女を助けるためにクレオールのジョイが、白人に暴力をふるうなんて、自殺行為。言われるたびに「俺は正しい」と言いながら……迷った、はずだ。後悔、したはずだ。
あの少女を助けなければ、こんなことにはならなかったのに……。
そんな自分の心の弱さすら、否定して。頑なに、唱え続けるだろう。「俺は正しいことをしただけだ」
現実の苦さ、残酷さ。
すがりつく矜持と自我。
迷いの中で、混沌の中で、何度も反芻する。
泣き崩れた少女のこと。
絶望した、少女のこと。
世界は「まちがっている」。
あの女の子が白人に金で買われるのも、それを助けようとした自分が投獄されるのも、みんなみんなまちがっている。
だけどジョイはあきらめたくない。
世界を。
生きることを。
ジョイ……「喜び」という名を持つ彼は、前を向こうとする。
このまちがった世界で、それでもジョイは知っている。光があることを。
彼には家族がいて、仲間がいる。音楽がある。
だから彼は、絶望に染まることはない。
どれほど迷っても、傷ついても。
そして。
何度も何度も、反芻する。
あの少女のことを。
助けられなかった少女。泣いたままだった少女。
彼女は、絶望したままだろうか。傷ついたままだろうか。
生まれてきたことを、後悔したままだろうか。
ずっとずっと、心に刺さった棘。
「まちがっている」世界に、置き去りにしてしまった少女。ジョイに力がないばかりに、絶望のまま手を離してしまった少女。
救いたかったのに。
笑って、ほしかったのに。
ジョイは大人になり、少年のときのような無謀さは影を潜めた。できることとできないことを知り、「まちがっている」世界で波風立てず生きていくすべも覚えた。
心に棘を、残したまま。
あの日の少女を、歌を、胸の奥深くに残したまま。
そして、再会のときが訪れた。
かつての少女は、誰よりも美しくされど空虚さを宿した瞳で、もう少年ではないジョイを見つめた。
…………恋をするな、という方がおかしい。
それは、「運命」の恋だった。
10年間、ずっとずっと、魂に埋め込まれていた種が、芽吹いたんだ。
再会した、そのときに。
ルルの姿を見たジョイが、10年前の彼女のための曲を歌わずにいられないように。
ジョイをあの日の少年だと気づいたルルが、実力者の愛人の身でありながら、感謝のキスをせずにはいられないように。
結びついていた魂を再び離すことなんかできないと、彼らの運命が警鐘を鳴らしているんだ。
えーと。
『My dear New Orleans』の欠点はいろいろあると思うけどさ。
景子せんせの最大の失敗は、ふたりの出会いを子役にやらせたことだ。
10年前の出会いのときから、運命は回り出していた。
なのに、やたら「回想」にこだわる景子タンは『HOLLYWOOD LOVER』に引き続き、別の役者に少年少女時代を演じさせ、気持ちの断絶を作ってしまった。
チガウチガウ、絶対ソレちがう、大失敗。
少年ジョイも、少女ルルも、トウコとあすかに演じさせるべきだった。
そうすればふたりは、「一目惚れよ~~♪」「愛、愛、愛~~♪」と歌わなくても、それらしい台詞のひとつもなくても、まぎれもなく「運命のふたり」を演じてくれただろう。
そのときは互いの気持ちに気づくことはなくても、今の台詞のままなんの改稿もなくても、大人になって再会したときに気持ちがつながっていただろう。
年齢の問題?
んなもん、天下の安蘭けい様ならば、ティーンエイジャーぐらい朝飯前で演じてくれるさ。(ex.ロビンフッド様@『ヘイズ・コード』)
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