今回の雪組公演、ショー『風の錦絵』はたのしかった。
 退屈しているヒマがないまま、テンション高いまま終わる。

 だけどわたし的に芝居『ZORRO 仮面のメサイア』に魅力を感じられなかったため、リピート意欲はあまりわき上がらなかった。

 『ZORRO 仮面のメサイア』は別に、悪くない。罪のない娯楽作品だと思う。が、どうにもつまらなくて、2回目からテンションが落ちた。1回目はいいんだ、1回目は……。コレもアリだろう、と思えるから。
 『愛と死のアラビア』とどっちがマシかというと……うーんうーん、どっちだろ? というレベル。

 つってもこれは、ヅカではありがちなことだ。嘆くほどの駄作だとは思っていない。薄くて軽くて整合性はなくて雰囲気だけで通して見た目だけ派手で、植爺作『ベルサイユのばら』から嫌悪感を取り除いたよーな作品。
 娯楽作品として初見のお客さんを喜ばせるのに適していると思う。 
 雪組は前回の公演が「初心者お断り」なトンデモ作品だったので(笑)、バランスは取れているのかもしれない。

 しかし2公演連続、「ショーは観たいけど芝居は……」な構成で、ショーが30分、つーのはすごいなヲイ(笑)。
 
 『ゾロ』は物語が粗だらけなので、リピートするとキャラに感情移入がしにくい。初見で気はついても流せていた疑問が、繰り返し観ることでどんどん大きくなり、キャラの言動やストーリー展開に納得できず、あちこち足を取られたり水を差されたりするので興醒めして困るんだよな。
 正塚やオギー作品は反対に観れば観るほどキャラに感情移入して、物語にどっぷりハマって行くんだけどなー。
 谷せんせもキライではないので(好き嫌いで言えば好きだ・笑)、作品によってはどんだけ粗があっても入り込めるので、『アラビア』も『ゾロ』もわたしとは相性が悪かったのか。……最近谷作品で好きだと思えるモノがあまりナイ気がするんだが……合わなくなってきちゃったのかなあ。わたしも変わっていってるわけだし。

 リピートしつつ、「感情移入できないなあ」と引いたキモチで眺めていたんだが。

 とりあえず、メンドーサ@ゆみこが光っていた。

 わたしはあまり、ゆみこちゃんから「光」を感じることはないんだ。
 スターにはいろんな持ち味があり、魅力がある。ひとりひとり顔が違うように、個性はみんなチガウ。

 ゆみこちゃんは太陽と月なら月の魅力、陰の魅力を持つ人で、明るすぎないところがイイと思っている。
 闇や狂気を演じることはできるが、毒を持たないという、稀少な持ち味。や、ふつー闇属性の人って毒があるからさ。

 今回のメンドーサ役は、悪役。
 ほんとにもうただ、「悪役」。
 いっそ世界征服でも企んでくれりゃー記号として突き抜けるんだが、それすらなく、「実はいい人なんです★」という安っぽいオチまで用意された、どーしよーもない悪役。

 最初はその記号としての「悪役」の「弱さ」が気になった。
 せっかくわかりやすい、安い悪役なのに、なんでこう「弱い」んだろう。もっとオイシイ役だろうに、埋没気味だ。

 某ゆみこ担の友人はいつものよーに「ディエゴ@水さんを愛しすぎている」と評していたが、わたしにはそんな風にも見えない。
 これは脚本が悪いんだが、ロリータ@となみちゃんを愛しているようにも見えないし、メンドーサっていったいナニがしたいのかなと。

 そんな感じだったんだが。
 3回目に観たときに、メンドーサ氏が発光しているのを見た。

 廃坑の牢獄でいちばんのわるもの@ハマコに撃たれたあとの、メンドーサ大佐。
 ホゲ様@『太王四神記』で言うところの、「もうオレは後戻りできないんだ~~!」の場面ですな。

 撃つ必要がないのにわざわざハマコがメンドーサを撃つのは、ただの「作者の都合による、消去法」であって、それ以上の意味はない。

・ディエゴとメンドーサを幼なじみにした。(これが無理ありまくりのアホ設定)
・メンドーサは悪役なので、死ななければならない。(大前提)
・悪役を懲らしめるのは正義の味方・主人公ディエゴの仕事。(大前提)
・でも、ディエゴに友だち殺しはさせられない。(大前提)

・ゆえに、メンドーサは別の人間に殺されなければならない。(消去法により、消極的に決定)

 という事情により、ハマコが脈絡なくメンドーサを撃ち、「もう助からない、時間の問題」な状態にし、正義のディエゴが「トドメを刺して楽にしてやる」という結果に落ち着いた。

 その、最後の悪あがき、「ディエゴがトドメを刺しても悪く見えない」ように、とにかくあがかなければならない、「演出家の都合が見えて大変」な場面にて。

 あがくメンドーサが、発光して見えた。

 作品のわけわかんなさ全部背負わされて、「それって変じゃない?」な部分をすべて「メンドーサはそーゆー人ってことで」「メンドーサが変だからってことで」と押し付けられて、主役と戦って死ぬならまだしも、物語的にちゃんと描く気もないてきとーな脇役に射殺されて終わる。
 その、彼が背負わされた「大変だな、ゆみこ……」といういろーんなことを全部、打ち消す光を、発していた。

 戦いがすべてだと言っていた男が、最期を悟った戦いで、彼ひとり光っているのが見えた。
 その光が、すべてを肯定していた。
 メンドーサという男を。
 彼の人生を。言動を。

 最期の戦いで発光する、そういう男だからこそ、今までの言動があったんだ。

 そう、すこんと納得させてくれた。
 そして、そんな風にしか生きられない……存在できなかった、メンドーサという男が、哀れだった。

 他の生き方があったのかどうかはわからない。可能性を探すのもおこがましい。
 彼は今、彼の生きていた道の集大成として、彼自身の力で輝いている。

 だからもうそれで、いいんだ。

 
 谷脚本のアレさを、その演技でねじ伏せてしまうなんて、すげえなあ、ゆみこ。
 そして、あの切ない、哀しい……されどまぎれもなく男らしい光を発することができるなんて、すげえなあ、ゆみこ。
 純粋に「真ん中」向きの光り方ではないんだが、いろんな魅力があってしかるべきタカラヅカなんだから、この光もまたたしかに、「スター」の輝きのひとつだと思う。

 メンドーサの演技が「前へ」出てきた分、ベルナルド@キムの最期の演技はおとなしめになっていると思う。初日に狂気全開でえーらいこっちゃだったキムくんは、ちゃんと「3番手」の演技になっていた。
 そして、このふたりの間に立ち、彼らの演技と渡り合うディエゴ@水くんは、下からがっつり支え、ふたりの最期の場面の輝きを前へ放つ役割をしている。
 主役級の男たち3人の、そーゆーバランス感覚もすばらしい。

 
 んで、最後に、つまらんことではあるが、気になること。
 『風の錦絵』のゆみこ&ミエコ先生場面「風の盆」で、ゆみこちゃんが「~風の盆♪」と歌うなり、舞台の盆が回り出すのが、ひそかなツボだ。初見ではツボ直撃して、どーしよーかと思った(笑)。

 『ゾロ』の、くだんのディエゴVSメンドーサの、感動場面にて。
「ゾロ……教えてくれ、オマエの正体を」
「その正体は……オマエが思っている男だ」
「やはりそうか」
 で、絶命するメンドーサ大佐。

 ついここで、

「やはりそうか……バスティアーンだな……(絶命)」

 とかだったら。

 誰っ?!

 って、その場にいるモノ全員凍り付いたのにな、と。
 メンドーサが誰を想定していたかなんて、誰にもわかんないし?

 ……パロディのネタ……てゆーか、ツッコミを考えずにはいられない、ステキ作品ってことで。

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