ラスト・ショー、祝福の歌。@安蘭けいザ・ラストディ
2009年4月27日 タカラヅカ 安蘭けいの魅力はナニかを考える。
退団公演を通して見て、改めて。
舞台人・役者・エンターティナーとしての高い実力とプロ意識。それと同時に、プロ意識の欠如した、アマチュア感覚。が、魅力なのかもな、と思った。
や、矛盾してますよ。
高いプロ意識と、その欠如って。
千秋楽の入りで、オープンカーにサングラスでふんぞり返り、お花のアーチ前で演出過剰に投げキッス。
これはまちがいなく、エンターティナーとしての行動。
ファンは「最後にひとめ」トウコちゃんに会いたくて何時間も待っているのに、車の中に坐り込んでいる、しかもサングラスで顔を隠しているなんて、「アマチュア的距離感をヨシとするタカラジェンヌ」の通常行動ではない。
人混みの後ろにいた友人は、車の中のトウコちゃんは見えなかったと言っていた。前列の人しか見えないんじゃ、オープンカーの意味ないじゃん。
きれいな素顔を見せて、オープンカーの高い位置に坐ってにこにこ手を振って登場、がふつーだよね。
だけどトウコちゃんは、それをしなかった。
わざと「イベント」として「演出」してみせた。
千秋楽の楽屋入りも、「ステージ」と考えてのことだろう。
そのエンターティナーとしての意識は素晴らしいと思う。
が。
肝心の舞台では、役を離れて「退団が寂しいトウコちゃん」として泣きっぱなし。千秋楽に限らず、ムラでも後半からは崩れまくっていたし。
「プロ」ならば、舞台の上では完璧に役を演じ、本心を見せないものではないのか?
矛盾している。
プロの舞台人ならば、エンターティナーを目指すならば、自分の個人的感情を見せるべきではない。
トウコちゃんは自己プロデュースをたのしげにやっているわりに、自分でめためたになっている。そして、そんな自分を許している。
ひでー話だなと思う。
思うが。
そのアンバランスさが、たまらない魅力なのだろう。
目が離せない。放っておけない。
それは「淡々と自分の仕事をクールにこなす、いつも完璧に同じ姿しか見せない人」より、ファンを熱狂的に虜にするんだと思う。
もちろん、トウコちゃんの場合は、「高い実力」に裏打ちされている。
なんにもできないダメ子ちゃんが個人的感情でめろめろになっていたら目も当てられないが、トウコの場合はどんだけ本人がめためたになっていよーと、それでも高水準なわけで。
こんだけテンション高い舞台で、こんだけ求心力にあふれ、こんだけの歌を聴かせてくれているなら、本人がびーびー泣いていても、文句は出ないだろうという。
そして「タカラヅカ」は、ジェンヌ自身のそーゆーアマチュア感覚を愛でる場所でもある。
安蘭けいは、とてつもなく「タカラジェンヌ」だと思う。
エンターティナーでありながら、「タカラジェンヌ」なんだ。
てことで、そのトウコちゃんのラストディ。東京まで遠征して、中継を見てきました。
『My dear New Orleans』。
他でもないこの芝居こそ、スクリーン向けだと思う。
大劇場の最奥のセリ上で繰り広げられる会話劇は、あまりに遠かった。
テレビと同じように役者をアップにして表現する必要がある。演出家は稽古場ですぐ近くで見ているから、きっと最後まで気づかなかったんだろうけどね。
ジョイ@トウコと、ルル@あすかの演技の濃密な応酬を、大スクリーンで見てみたかったんだ。
わたしが見たのは『安蘭けい ザ・ラストディ』だったので、もちろんトウコ中心の画面だ。それでもトウコのみを映し続けるのではなく、いろんな人、とくに退団者のことは気を使って抜いていたと思う。
てゆーか、大スクリーンに、ポン引き@みきちぐがドアップになったことに、まずウケた。
そっかあ、退団者ぢゃなくてもアップになるんだよなあ。このサイズでみきちぐを見ることがあろうとはなあ……。
あと、モモカさんのアップとか……。
組長アップの多さはもお、なにも言うことなし……。
濃い演技の人をビッグサイズで見ると、その濃さがより際立つっつーか……あかしとかペニーとかえらいこっちゃ。
細かいフラストレーションは言い出したら切りがないが、「自分のオペラグラスではない」ことを理解して見ているのでかまわないんだが……四重唱でアンダーソン@しいちゃんがまったく映らないってのは、どーゆーこと?!
アンダーソン氏の唯一の心情吐露場面なのよ? 餞別感アリアリの銀橋ソロとはちがい、物語上での情報が詰まった歌なのよ?
まさかここで、ジョイとルルの無言ダンスのみを映し、アンダーソンさんの歌声がBGMになるとは……ソロでは抜いてもらえると思ってたよ……。
『ア ビヤント』では、みなさんの泣き顔堪能フレームというか。
トウコちゃんが泣きに入るのはわかっているが、れおんがなー(笑)。テンパっちゃってさあ大変。がんばれ次期トップ!!
千秋楽アドリブとして、銀橋の「アランです」が「宝塚歌劇バージョン」になっていたし(パリの下町のアラン少年は、宝塚音楽学校に入って、トップスターになったそうですよ!)、せり上がり登場の「レビューの華」美女@トウコさんは、アタマの上に「77」の文字を付けていたし!!
映画館でも大ウケです。
真っ白なひこにゃん(額に「瞳」の文字、黒紋付きに緑の袴!)も手渡されたし。うわー、かわいい~~。
仕方ないとわかっているが、しいすずのラスト・ハグは映らず。……劇場にいないと、脇は見られないよなあ。
あと、ジザベル@あすかをめぐっての三角関係場面では、トウコとしいちゃん(+ベニー)のいるセットが揺れまくっていてんなことを気にしている場合ではないのに、気になって仕方なかった……(笑)。
わたしだけではなかったらしく、あとで友人たちとそのことで盛り上がっちゃったよ……気になるよねえ、あれは……。
ナマで見ていたら気にならない・気づかないことなのにね。中継の醍醐味か。
黒燕尾トウコのキメ顔の後ろに、ものすげー顔の組長が映り込んでいることも、醍醐味よね。
初日スキーなわたしとしては、サヨナラショー初日であったムラ前楽で、なんの予備知識もないまま「妖しいまでに美しいグラパン」(笑)を見られて良かったと思う。
たとえカメラが映していなくても、舞台全体がどうなっていたか、ナマで観たことがある、のは心穏やかだ。
前楽にはなかったもの……水色の星形のペンライトの光を見ながら、ほんとうに美しいところだ、と思う。
いろんなお約束、伝統に守られて、縛られて、情熱と愛情で続いてきた歌劇団。
人数が多いからか、退団者挨拶はみんな短く端的で。
そして、学年が上がるにつれて長くなっていく感じが年功序列絶対のヅカらしくてイイ(笑)。
トウコちゃんは最後のご挨拶でも、エンターティナーであろうとする意識と、アマチュア感覚なところがモロに出ていて、せめぎ合っていて、トホホでもあり、愛しくもあった。
あんなにめためたに崩れているくせに、カーテンコールで「トウコさん、アイシテル」と叫べと仕切るのよ? 大泣きしている本人が、それでもいつものスカシた声色で。
中継会場で叫ぶ勇気はなかったが、叫ばなかっただけで、声に出して言いました、「トウコさん、アイシテル」。
是非ではなく、「安蘭けい」というとてつもないストームに巻き込まれるしかないんだ。
彼は「タカラヅカ」。とんでもなく「タカラヅカ」。
今、「タカラヅカ」のトップスターが退団する。
歴史が大きく動いた。
動いて、しまった。
中継会場から1時間以上掛けて、また東宝へ取って返し、出のパレードを人混みの後ろから見た。
見守った。
ものすごい数の人。
拍手とフラッシュの光が、退団者の歩みと共に移動する。
トウコちゃんは出でもやっぱり、トウコちゃんらしくパフォーマンスしていたみたいだね。わたしの位置からでは、歩いている途中までの、しかも顔から上しか見えなかったんだけど。
すべてが終わったあと、友人たちと歩きながら話した。
「ひとつの時代が終わったね」
……それでも、タカラヅカはこれからも続き、スターたちは続いていくのだけれど。
でも、たしかに、ひとつの時代が終わったと思う。
その寂寥の深さを、ひしひしと感じている。
退団公演を通して見て、改めて。
舞台人・役者・エンターティナーとしての高い実力とプロ意識。それと同時に、プロ意識の欠如した、アマチュア感覚。が、魅力なのかもな、と思った。
や、矛盾してますよ。
高いプロ意識と、その欠如って。
千秋楽の入りで、オープンカーにサングラスでふんぞり返り、お花のアーチ前で演出過剰に投げキッス。
これはまちがいなく、エンターティナーとしての行動。
ファンは「最後にひとめ」トウコちゃんに会いたくて何時間も待っているのに、車の中に坐り込んでいる、しかもサングラスで顔を隠しているなんて、「アマチュア的距離感をヨシとするタカラジェンヌ」の通常行動ではない。
人混みの後ろにいた友人は、車の中のトウコちゃんは見えなかったと言っていた。前列の人しか見えないんじゃ、オープンカーの意味ないじゃん。
きれいな素顔を見せて、オープンカーの高い位置に坐ってにこにこ手を振って登場、がふつーだよね。
だけどトウコちゃんは、それをしなかった。
わざと「イベント」として「演出」してみせた。
千秋楽の楽屋入りも、「ステージ」と考えてのことだろう。
そのエンターティナーとしての意識は素晴らしいと思う。
が。
肝心の舞台では、役を離れて「退団が寂しいトウコちゃん」として泣きっぱなし。千秋楽に限らず、ムラでも後半からは崩れまくっていたし。
「プロ」ならば、舞台の上では完璧に役を演じ、本心を見せないものではないのか?
矛盾している。
プロの舞台人ならば、エンターティナーを目指すならば、自分の個人的感情を見せるべきではない。
トウコちゃんは自己プロデュースをたのしげにやっているわりに、自分でめためたになっている。そして、そんな自分を許している。
ひでー話だなと思う。
思うが。
そのアンバランスさが、たまらない魅力なのだろう。
目が離せない。放っておけない。
それは「淡々と自分の仕事をクールにこなす、いつも完璧に同じ姿しか見せない人」より、ファンを熱狂的に虜にするんだと思う。
もちろん、トウコちゃんの場合は、「高い実力」に裏打ちされている。
なんにもできないダメ子ちゃんが個人的感情でめろめろになっていたら目も当てられないが、トウコの場合はどんだけ本人がめためたになっていよーと、それでも高水準なわけで。
こんだけテンション高い舞台で、こんだけ求心力にあふれ、こんだけの歌を聴かせてくれているなら、本人がびーびー泣いていても、文句は出ないだろうという。
そして「タカラヅカ」は、ジェンヌ自身のそーゆーアマチュア感覚を愛でる場所でもある。
安蘭けいは、とてつもなく「タカラジェンヌ」だと思う。
エンターティナーでありながら、「タカラジェンヌ」なんだ。
てことで、そのトウコちゃんのラストディ。東京まで遠征して、中継を見てきました。
『My dear New Orleans』。
他でもないこの芝居こそ、スクリーン向けだと思う。
大劇場の最奥のセリ上で繰り広げられる会話劇は、あまりに遠かった。
テレビと同じように役者をアップにして表現する必要がある。演出家は稽古場ですぐ近くで見ているから、きっと最後まで気づかなかったんだろうけどね。
ジョイ@トウコと、ルル@あすかの演技の濃密な応酬を、大スクリーンで見てみたかったんだ。
わたしが見たのは『安蘭けい ザ・ラストディ』だったので、もちろんトウコ中心の画面だ。それでもトウコのみを映し続けるのではなく、いろんな人、とくに退団者のことは気を使って抜いていたと思う。
てゆーか、大スクリーンに、ポン引き@みきちぐがドアップになったことに、まずウケた。
そっかあ、退団者ぢゃなくてもアップになるんだよなあ。このサイズでみきちぐを見ることがあろうとはなあ……。
あと、モモカさんのアップとか……。
組長アップの多さはもお、なにも言うことなし……。
濃い演技の人をビッグサイズで見ると、その濃さがより際立つっつーか……あかしとかペニーとかえらいこっちゃ。
細かいフラストレーションは言い出したら切りがないが、「自分のオペラグラスではない」ことを理解して見ているのでかまわないんだが……四重唱でアンダーソン@しいちゃんがまったく映らないってのは、どーゆーこと?!
アンダーソン氏の唯一の心情吐露場面なのよ? 餞別感アリアリの銀橋ソロとはちがい、物語上での情報が詰まった歌なのよ?
まさかここで、ジョイとルルの無言ダンスのみを映し、アンダーソンさんの歌声がBGMになるとは……ソロでは抜いてもらえると思ってたよ……。
『ア ビヤント』では、みなさんの泣き顔堪能フレームというか。
トウコちゃんが泣きに入るのはわかっているが、れおんがなー(笑)。テンパっちゃってさあ大変。がんばれ次期トップ!!
千秋楽アドリブとして、銀橋の「アランです」が「宝塚歌劇バージョン」になっていたし(パリの下町のアラン少年は、宝塚音楽学校に入って、トップスターになったそうですよ!)、せり上がり登場の「レビューの華」美女@トウコさんは、アタマの上に「77」の文字を付けていたし!!
映画館でも大ウケです。
真っ白なひこにゃん(額に「瞳」の文字、黒紋付きに緑の袴!)も手渡されたし。うわー、かわいい~~。
仕方ないとわかっているが、しいすずのラスト・ハグは映らず。……劇場にいないと、脇は見られないよなあ。
あと、ジザベル@あすかをめぐっての三角関係場面では、トウコとしいちゃん(+ベニー)のいるセットが揺れまくっていてんなことを気にしている場合ではないのに、気になって仕方なかった……(笑)。
わたしだけではなかったらしく、あとで友人たちとそのことで盛り上がっちゃったよ……気になるよねえ、あれは……。
ナマで見ていたら気にならない・気づかないことなのにね。中継の醍醐味か。
黒燕尾トウコのキメ顔の後ろに、ものすげー顔の組長が映り込んでいることも、醍醐味よね。
初日スキーなわたしとしては、サヨナラショー初日であったムラ前楽で、なんの予備知識もないまま「妖しいまでに美しいグラパン」(笑)を見られて良かったと思う。
たとえカメラが映していなくても、舞台全体がどうなっていたか、ナマで観たことがある、のは心穏やかだ。
前楽にはなかったもの……水色の星形のペンライトの光を見ながら、ほんとうに美しいところだ、と思う。
いろんなお約束、伝統に守られて、縛られて、情熱と愛情で続いてきた歌劇団。
人数が多いからか、退団者挨拶はみんな短く端的で。
そして、学年が上がるにつれて長くなっていく感じが年功序列絶対のヅカらしくてイイ(笑)。
トウコちゃんは最後のご挨拶でも、エンターティナーであろうとする意識と、アマチュア感覚なところがモロに出ていて、せめぎ合っていて、トホホでもあり、愛しくもあった。
あんなにめためたに崩れているくせに、カーテンコールで「トウコさん、アイシテル」と叫べと仕切るのよ? 大泣きしている本人が、それでもいつものスカシた声色で。
中継会場で叫ぶ勇気はなかったが、叫ばなかっただけで、声に出して言いました、「トウコさん、アイシテル」。
是非ではなく、「安蘭けい」というとてつもないストームに巻き込まれるしかないんだ。
彼は「タカラヅカ」。とんでもなく「タカラヅカ」。
今、「タカラヅカ」のトップスターが退団する。
歴史が大きく動いた。
動いて、しまった。
中継会場から1時間以上掛けて、また東宝へ取って返し、出のパレードを人混みの後ろから見た。
見守った。
ものすごい数の人。
拍手とフラッシュの光が、退団者の歩みと共に移動する。
トウコちゃんは出でもやっぱり、トウコちゃんらしくパフォーマンスしていたみたいだね。わたしの位置からでは、歩いている途中までの、しかも顔から上しか見えなかったんだけど。
すべてが終わったあと、友人たちと歩きながら話した。
「ひとつの時代が終わったね」
……それでも、タカラヅカはこれからも続き、スターたちは続いていくのだけれど。
でも、たしかに、ひとつの時代が終わったと思う。
その寂寥の深さを、ひしひしと感じている。
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