男役を極めた人は、宝塚を卒業したからといって、男役を卒業する必要はないんだ。

 ということが、目からウロコでした。
 『月光のカンタータ』観劇。

 タカラヅカの特殊性はわかっている。だからこそタカラヅカを卒業するとき、特に男役との別れは「その人との今生の別れ」だと思って悲しむ。その人の人生も、あるいは芸能生活も続くことはわかっていても、「男役」としてのその人とはもう二度と会えない。それを悲しむ。
 
 もう会えない。
 そう思っていた。

 ……チガウんだ。
 たとえそれがなんであれ、ひとつの道を、型を極めた人は、それを捨てる必要なんかないんだ。

 タカラヅカを卒業したら、もう会えないと思っていたんだよ、立さん。

 男性のいる舞台で、ふつーに男性の役として成り立っている、男役・立ともみに感動した。

 立さんくらい極めた人は、外部でもふつーに男の人なんだ……。すげえ……。
 なにも知らない人が見たら、ふつーに声の個性的な男優さんだと思うんじゃね?

 記憶にあるままの立さんと再会できて、すげーうれしかった。
 そして、「タカラヅカ」を好きな身としては、タカラヅカを極めた人の芸がタカラヅカ以外でも魅力を発揮できるのだと思え、さらにうれしかった。

 
 主演は、椿火呂花ちゃん。あの美貌の男役、ゆうかちゃんですな。
 この人の「タカラヅカ」っぽさもすごい。卒業して何年になるんだ? このブログの最初のヅカ感想がゆうかちゃん主演のバウ『エイジ・オブ・イノセンス』だった気がするんだが。
 ヅカを卒業し、男役でなくなって数年経っているだろうに、現役ジェンヌと遜色ない美貌、スタイル。この人を早々に失ってしまったことが悔やまれる大輪の花っぷり。

 ……でも、ゆうかちゃんはふつーに「タカラヅカ男役」であり、男性と並ぶとふつーに「タカラヅカ男役」で、立さんに感じた「極めた人ってすごい!」という感動はない。
 たぶん、現役ジェンヌが外部出演して、男役として男優と競演してもこんな感じだろうな。
 ゆうかちゃんに対する感動は、「辞めて何年も経っているのに、現役みたい」なことであり、立さんとはチガウ。

 だからこそ、椿火呂花という舞台人は舞台人として成り立っているんだろう。
 ふつーに男優さんみたいになってしまっては、ゆうかちゃんとしては意味がない。今でも「タカラヅカ男役」であることが重要だと思う。
 ……それならなんで、タカラヅカでは駄目だったのか、てことになるけど……まあそのへんを考え出すと話が長くなるので割愛。

 ゆうかちゃんはとことん美しく……そして、椿火呂花の美しさだけで保っている舞台だったと思う。や、立さんはじめ、他の出演している人たちを否定するのではなく。
 ゆうかちゃんありき。ゆうかちゃんの美しさがなければそもそもこの舞台の企画すら存在しないだろう、って勢いで。

 作品はねえ……すごかったよ……予備知識なかったんだけど、その……作者って、かなり年輩の人なんだろうか? 80年代に「耽美小説」っていうジャンルが出来て、その後BLというジャンルに駆逐されるんだけど、その昭和の最後にあった文化を、今この現代にまんま見せられて、かなりびっくりした。コレを現代にやるってのは、作者は栗本薫かそれ以上の年代かな。
 それとも、ものすごーく若い人が、若いからこそ古いジャンルにハマって、闇雲に真似をしてみました、って感じなんだろうか?
 わたしも若くないので、歴史として(笑)JUNEのたどった流れを知っているんだが、そのJUNE初期の世界を21世紀にそのまんま再現されて、正直途方に暮れた。
 古い文化を否定するつもりはないけれど、古いまま持ってくるのではなく、現代の人が見るのだ、という意識でアレンジして欲しかったっす。
 それともあの時代を知らない若い人が見たら、新しいのかなあ。

 なんか「耽美」と謳ってある作品なんだが……その「耽美」ってのがさあ……。わたしの思う耽美とは、どうも趣がチガウようで。

 おフランスのお貴族サマの話なんだけど。
 お衣装きらきら、主役のアルベール様はオスカル様張りのくるくるロン毛だったりするんだけど。

 そのタカラヅカまんまなきらきらな人たちのいる、舞台がね。
 大道具っつーか背景に、薔薇の絵がいちいち描いてあるの。

 バルコニーらしきものとか、板に描いた絵でしかないんだけど、ただ白いバルコニーでいいじゃん、なものにすべて、いちいち薔薇の絵が描いてあるの。
 抽象的な、様式的な意味での花ではなくて。
 おフランスのお美しいお屋敷の壁には薔薇が絡まっているのです。柱には、薔薇が絡まっているのです。どうも、そーゆー意味らしい。
 薔薇薔薇薔薇。

 耽美=薔薇。
 
 しかも、ベニヤ板に描きました、とゆーチープな薔薇の大群……。

 男の人が少女マンガをカンチガイして「主人公の目に星をいっぱい描いて、後ろに花びら飛ばせばいいんだろ」と思っているよーな、昭和時代の少年マンガの美形悪役が薔薇を一輪くわえて登場するような、あーゆー使い方の薔薇です。
 いちいち薔薇の絡まった背景。

 あんなに安っぽい薔薇薔薇なら、いっそない方がどれだけ美しいだろう、と思いました。
 あんな微妙な書き割りセットなしで、照明とホリゾント、長椅子とかの必要最低限のモノだけで演出すればいいのに……。
 いやその、わたしと好みがチガウってだけのことです。薔薇がいっぱいで耽美なんだろう、きっと……。

 それともあれは薔薇ではなく、別の花なのかな。正視してはイケナイ気がして、できるだけ見ないようにしていたんだが。
 まあとにかく、手書きのお花が書き割りセットに無数に描いてありました。

 ストーリーもまた、その舞台センスに相応しいモノでした。こんだけゆうかちゃんが美しいのにな……。
 
 
 友だちが大喜びしていた、ゆうかちゃんの前の出演作品、闘牛士モノを観てみたかったなー。あっちはストーリーがあったみたいだし。

 
 いちばんステキだったのは、フィナーレです。
 オスカル様カツラより、地毛のゆうかちゃんがすげー美しかった。

 女役だった真丘氏にも、黒燕尾で踊ってほしかったなー。もちろんドレス姿も美しかったけれども。

 そして、なんといっても立さんの黒燕尾!!
 黒燕尾で踊る立さんを再び見られるなんて!!
 男優さんと遜色ない芸を持つ人だと思い、さらにこのフィナーレでやっぱタカラヅカ男役ってすごい! と思わせてくれるんだもの、立さんブラボー!
 

 ……や、とにかくみんな美しかった。
 それだけを心に刻んでおこう。

コメント

日記内を検索