「水夏希」の歴史を振り返る、ショー。@雪組公演前楽
2010年7月25日 タカラヅカ「この人、どうしてトップスターじゃないんだろう?」
と、思ったのは、2002年のことだった。
舞台の水夏希を見て、今この瞬間トップスターでもおかしくない、と思った。
ちなみに、当時のわたしはまだ水ファンとは言えず、「水くんがかっこよく見えるなんて、どうして??」と友だちと言い合ったりしていた(笑)。
ファンじゃなくても、ジェンヌの「熟れ方」はわかる。
舞台上の水夏希はすでに「タカラヅカ・スター」として、大きく花開いていた。
「どうしてトップじゃないの?」と思えるような人が、2番手であるゼイタク。
当時の宙組はたか花全盛期であり、絶大な人気を誇っていたが、そこで負けず劣らず、水かなも輝いていた。力のあるスターがメインをがっちり固め、……まあその、他は「動く背景」と呼ばれた極端なシフトが有名な組だったんだけどさ……安心して「タカラヅカ」というファンタジーに酔える組だった。
翌2003年のバウ公演『里見八犬伝』の超チケ難ぶりが表すように、トウコ、あさこと並んでヅカを牽引する人気スターだったんだよな。
2002年のときすでに「どうして」と思うほどだった人なのに、トップになったのは2007年。
トウコにしろきりやんにしろ、熟した学年から何年も経ってからしかトップになれない、現在の歌劇団について危惧はあるし、だからといって代替案があるわけでもないから黙するとして。
2002年にトップになっていたなら、2010年の今、水夏希という男役は存在していない、ということだ。
今、目に映っている、完成された男役には会えなかったんだ。
雪組公演『ロジェ』『ロック・オン!』、前楽。
チケットなんてもちろんありません、当日券の抽選に早朝から並びましたとも。
なんとか立見チケットをゲットして劇場へ。
翌日の千秋楽チケットなんてあるはずもなく、当日抽選には参加するつもりだけど、当たるとも思えず、東宝チケットも皆無である以上、「これが最後」「これが見納め」と心して、「水夏希」を見る。
通り過ぎてきた時間に、いいも悪いもナイ。
今、美しい水夏希がいる。
それがすべて。
一昨日の新生雪組関連の人事発表で動揺しているため、実のところわたしはすでに許容量オーバーを起こしていて、「ラスト3日は水しぇん三昧だー」と(チケットもないのに)予定を空けていたにもかかわらず、発表の翌日は一歩も家から出ずにダラダラしていた。
このままだと、しばらくは劇場へ行く気力がわかない気がした。
でも、時間は待ってくれない。
水くんは卒業してしまう。
気力・体力がなくても、とにかく行こう。
自宅にこもってスカステだのネットだのを眺めていても意味がない。
「タカラヅカ」は、ナマモノだ。
実際に同じ空間へ行き、彼らの姿を見、同じ空気を吸って共感してはじめて、本当の出会いがあるんだ。
その時間、その場所へ行く、というのは、簡単なことではないけれど。
自分の都合の良いときにスイッチを入れれば眺められる録画映像じゃない。販売ソフトじゃない。
みんななにかしら犠牲にして、その時間、その場所へ行く。
人間同士で、作り上げるモノだから。
行けば、会えば、吹っ切れる。
わたしはそれを知っている。
水くんはそれだけ魅力的で、タカラジェンヌたちもみな魅力的だからだ。あの舞台は、光り輝いているからだ。
あの汗と、あの笑顔。それがなにより確かな真実。まぎれもない現実。
そうして。
幸運にもわたしは当たりを引き当て、劇場に入れた。
まばゆい人たち、まばゆい世界を見ることが出来た。
水しぇんの満面の笑顔。幾筋ものライトが、ひとりの人のもとに集束していく。それが、この世で最も正しいこと、当たり前のことであるように。
水夏希だけを、照らす。
いつも流暢に話すナガさんの、涙。詰まる声と、それを包む拍手と。
緞帳に「思い出の舞台映像」を流すのはもう定番になったんだね。彩音ちゃんのときと違い、映像とナガさんの語りは別々のモノだったので、「語りと映像がずれる」ことに気を取られないで済む(笑)。
ナマで見られるとは思ってなかった、水夏希サヨナラショー。
ゆみこもハマコもいない、水くんのラスト・プログラム。
こちらとしては、かなり構えて観劇したわけなんですよ。
さあ、サヨナラショーだっ、サヨナラショーなんだぞっ、と。
えーと。
わたしだけかもしんないけど。
なんか、「サヨナラショー」っぽくなかった。
ふつーに、水夏希ショーだったような?
さあ泣けっ!! というよりは、ポンポン振って歓声上げてうきゃ~~っ!!とやって、どーんっと終わったっていうか。
なんか、ふつーに「水夏希コンサート」とか、こんな感じじゃない、今なにかやったとしたら。1幕はストーリー仕立ての新作ショー、2幕は水夏希の歴史を振り返るヒットメドレー的ショー、てな構成で、梅芸と人見(笑)あたりでやっていてもおかしくない。
や、サヨナラショーってそもそも、「歴史を振り返る」構成が当たり前なんだけど、なんだろ、それにしてもあっさりさっぱり風味というか?(記憶に強烈なトウコちゃんが泣かせ入り過ぎの演出だったせいか?・笑)
いや、泣きましたよ。泣きながら観てましたが(笑)、でもなんか、こちらが勝手に構えていた感じと違うというか。
あ、終わっちゃった。
と、思って。
なんか、サヨナラショーっぽくない……落としどころがビミョーっていうか、ええっと。
そして、どんどん、にまにましてくる。
そうか、これが水くんのサヨナラショーか。
この、らしくない、のが、水くんのサヨナラショーなんだ。
カーテンコールで水くん自身が言う、「みんなも泣きすぎて観てない、なんてことがないように」と。「私も含めちゃんと千秋楽を終える」のだと。
なんか生真面目で、悲劇になりすぎない……さよならは寂しいけれど絶望ではない、どこか愛嬌のある、清涼感のある舞台。
トート様ではじまり、これ以上ない男役としての美しさを見せてくれてなお、まだ緩さがあるというか。これ以上ない、はずなのに、まだ上のナニか、を信じさせてくれるというか。
まだ、明日……これからも続いていく、未来があるんだと、思わせてくれる。
たしかに、これは別れなんだけど。悲しいんだけど。でも、人生は続いていくものね。真面目にさわやかに、堅実に、前向きに。できることを力一杯やる。信じたい人を、信じる。見つめる。
泣きながら、にまにました。
うん、明日もちゃんと見届けるよ、泣きすぎないように……って、チケット持ってないけどなっ(笑)。
2002年に、早々にトップになっちゃわなくて、よかった。あのころはわたし、こんなに好きじゃなかったもの。
こんなに長くいてくれて、こんなにいろんな姿を見せてくれて、こんなに好きにさせてくれて、ありがとう。
と、思ったのは、2002年のことだった。
舞台の水夏希を見て、今この瞬間トップスターでもおかしくない、と思った。
ちなみに、当時のわたしはまだ水ファンとは言えず、「水くんがかっこよく見えるなんて、どうして??」と友だちと言い合ったりしていた(笑)。
ファンじゃなくても、ジェンヌの「熟れ方」はわかる。
舞台上の水夏希はすでに「タカラヅカ・スター」として、大きく花開いていた。
「どうしてトップじゃないの?」と思えるような人が、2番手であるゼイタク。
当時の宙組はたか花全盛期であり、絶大な人気を誇っていたが、そこで負けず劣らず、水かなも輝いていた。力のあるスターがメインをがっちり固め、……まあその、他は「動く背景」と呼ばれた極端なシフトが有名な組だったんだけどさ……安心して「タカラヅカ」というファンタジーに酔える組だった。
翌2003年のバウ公演『里見八犬伝』の超チケ難ぶりが表すように、トウコ、あさこと並んでヅカを牽引する人気スターだったんだよな。
2002年のときすでに「どうして」と思うほどだった人なのに、トップになったのは2007年。
トウコにしろきりやんにしろ、熟した学年から何年も経ってからしかトップになれない、現在の歌劇団について危惧はあるし、だからといって代替案があるわけでもないから黙するとして。
2002年にトップになっていたなら、2010年の今、水夏希という男役は存在していない、ということだ。
今、目に映っている、完成された男役には会えなかったんだ。
雪組公演『ロジェ』『ロック・オン!』、前楽。
チケットなんてもちろんありません、当日券の抽選に早朝から並びましたとも。
なんとか立見チケットをゲットして劇場へ。
翌日の千秋楽チケットなんてあるはずもなく、当日抽選には参加するつもりだけど、当たるとも思えず、東宝チケットも皆無である以上、「これが最後」「これが見納め」と心して、「水夏希」を見る。
通り過ぎてきた時間に、いいも悪いもナイ。
今、美しい水夏希がいる。
それがすべて。
一昨日の新生雪組関連の人事発表で動揺しているため、実のところわたしはすでに許容量オーバーを起こしていて、「ラスト3日は水しぇん三昧だー」と(チケットもないのに)予定を空けていたにもかかわらず、発表の翌日は一歩も家から出ずにダラダラしていた。
このままだと、しばらくは劇場へ行く気力がわかない気がした。
でも、時間は待ってくれない。
水くんは卒業してしまう。
気力・体力がなくても、とにかく行こう。
自宅にこもってスカステだのネットだのを眺めていても意味がない。
「タカラヅカ」は、ナマモノだ。
実際に同じ空間へ行き、彼らの姿を見、同じ空気を吸って共感してはじめて、本当の出会いがあるんだ。
その時間、その場所へ行く、というのは、簡単なことではないけれど。
自分の都合の良いときにスイッチを入れれば眺められる録画映像じゃない。販売ソフトじゃない。
みんななにかしら犠牲にして、その時間、その場所へ行く。
人間同士で、作り上げるモノだから。
行けば、会えば、吹っ切れる。
わたしはそれを知っている。
水くんはそれだけ魅力的で、タカラジェンヌたちもみな魅力的だからだ。あの舞台は、光り輝いているからだ。
あの汗と、あの笑顔。それがなにより確かな真実。まぎれもない現実。
そうして。
幸運にもわたしは当たりを引き当て、劇場に入れた。
まばゆい人たち、まばゆい世界を見ることが出来た。
水しぇんの満面の笑顔。幾筋ものライトが、ひとりの人のもとに集束していく。それが、この世で最も正しいこと、当たり前のことであるように。
水夏希だけを、照らす。
いつも流暢に話すナガさんの、涙。詰まる声と、それを包む拍手と。
緞帳に「思い出の舞台映像」を流すのはもう定番になったんだね。彩音ちゃんのときと違い、映像とナガさんの語りは別々のモノだったので、「語りと映像がずれる」ことに気を取られないで済む(笑)。
ナマで見られるとは思ってなかった、水夏希サヨナラショー。
ゆみこもハマコもいない、水くんのラスト・プログラム。
こちらとしては、かなり構えて観劇したわけなんですよ。
さあ、サヨナラショーだっ、サヨナラショーなんだぞっ、と。
えーと。
わたしだけかもしんないけど。
なんか、「サヨナラショー」っぽくなかった。
ふつーに、水夏希ショーだったような?
さあ泣けっ!! というよりは、ポンポン振って歓声上げてうきゃ~~っ!!とやって、どーんっと終わったっていうか。
なんか、ふつーに「水夏希コンサート」とか、こんな感じじゃない、今なにかやったとしたら。1幕はストーリー仕立ての新作ショー、2幕は水夏希の歴史を振り返るヒットメドレー的ショー、てな構成で、梅芸と人見(笑)あたりでやっていてもおかしくない。
や、サヨナラショーってそもそも、「歴史を振り返る」構成が当たり前なんだけど、なんだろ、それにしてもあっさりさっぱり風味というか?(記憶に強烈なトウコちゃんが泣かせ入り過ぎの演出だったせいか?・笑)
いや、泣きましたよ。泣きながら観てましたが(笑)、でもなんか、こちらが勝手に構えていた感じと違うというか。
あ、終わっちゃった。
と、思って。
なんか、サヨナラショーっぽくない……落としどころがビミョーっていうか、ええっと。
そして、どんどん、にまにましてくる。
そうか、これが水くんのサヨナラショーか。
この、らしくない、のが、水くんのサヨナラショーなんだ。
カーテンコールで水くん自身が言う、「みんなも泣きすぎて観てない、なんてことがないように」と。「私も含めちゃんと千秋楽を終える」のだと。
なんか生真面目で、悲劇になりすぎない……さよならは寂しいけれど絶望ではない、どこか愛嬌のある、清涼感のある舞台。
トート様ではじまり、これ以上ない男役としての美しさを見せてくれてなお、まだ緩さがあるというか。これ以上ない、はずなのに、まだ上のナニか、を信じさせてくれるというか。
まだ、明日……これからも続いていく、未来があるんだと、思わせてくれる。
たしかに、これは別れなんだけど。悲しいんだけど。でも、人生は続いていくものね。真面目にさわやかに、堅実に、前向きに。できることを力一杯やる。信じたい人を、信じる。見つめる。
泣きながら、にまにました。
うん、明日もちゃんと見届けるよ、泣きすぎないように……って、チケット持ってないけどなっ(笑)。
2002年に、早々にトップになっちゃわなくて、よかった。あのころはわたし、こんなに好きじゃなかったもの。
こんなに長くいてくれて、こんなにいろんな姿を見せてくれて、こんなに好きにさせてくれて、ありがとう。
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