楽園 -えり・イズム-。
2010年11月16日 タカラヅカ 今日は毎年恒例の『1万人の第九』レッスンの最終日だった。
恒例であり日常なので、なんかもお、鈍感になっているようで。
とくにナニも思わず、考えず、それが当たり前であるがゆえにルーチン化していたというか。
もちろん、自分なりに一生懸命歌ってはいるんだけど。……音楽的才能、カケラもないからな、わたし。
先生の指示で、フーガの第一声をアルトパートみんなで繰り返し練習。そこがなんとか良くなったので、じゃあその先も歌ってと言われ、一斉に歌い出す……が、すぐさま先生に止められる。
練習した第一声だけ良くて、そこで安心してそのあとが弱くなってる、と。
「アルトさんは、第1テーマなのよ。最初のSeidだけじゃダメ、Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt! までがんばって歌って。 ganzen Welt!よ、ganzen Welt!。みんな、言葉の意味わかって歌ってる?」
言葉の意味っすか。えーと、なんだったっけ? みんな目が泳いでる(笑)。
「もっとより良い世界を!! そう思って歌ってる?!」
何故だろう。
ここで、ぶわっと涙が出た。
より良い世界か。
誰だってそれを望んでいるのにね。悪くするためにすることなんて、ひとつもないのにね。
「ソプラノさんは第2テーマ、Freudeは歓喜、喜びよ!」
第九は「歓喜の歌」。喜びを歌う歌。
なんであたし、こんなときに喜びの歌なんか歌ってるんだろう?
けっこう今、オチてるんだけどな。こんな気分で、喜びって、歓喜って。
第九が喜びの歌だとわかっているのに、なんか今さら苦しくなった。
そして、一通りの注意が終わり、再度合唱開始。
アルトの歌声からはじまる、フーガ。
一小節遅れてソプラノが加わる。第九の特徴的なあのメロディ、Seid umschlungen, Millionen!とFreude, schöner Götterfunkenが女声だけで絡み合う。
テーマを1回歌い終わったところで、男声が加わる。4つのパートがそれぞれ別の歌詞を、メロディを追い掛け合うように歌う。
歌う内容はみんな同じ。
喜び。
気を取り直して歌っていたのに……何故だ、この男声が加わり、「第九」の本領発揮な音の重なり、フーガが加速したところで、またもガツンとキた。
一気に泣けた。
4つのパート、4つの声は、まさにganzen Weltを表すのだろう。全世界。いろんな人々。
みんなみんな、より良い世界を、美しい世界を望んでいる。
それが得られることを、望んでいる。
わたしがもしも、壮くんのファンサイトを運営するなら、ブログでもいいや、ファンブログをはじめるのなら、あるいは元同人女らしくファンジン(笑)を出すなら、タイトルは「Elysium」にしようと、決めていた(笑)。
第九の主題、あのもっとも有名なフレーズ。
第九と聞いて思い出す、あのメロディ部分の歌詞。
Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium
その、Elysium。
いつもいつも、ここでえりたんのことを思い出していた。
えりーずむ。
えり・イズム。
タイトルは絶対「Elysium -えりイズム-」。
Elysiumは「楽園」という意味の単語。
楽園という意味で、読みがえりたん!!
もお、壮くんのファンサイトにつけるしかないわ!と(笑)。
語学さっぱりなので、楽譜に書いてある語句の意味としてしか、知らないんですが。
教養がナイため、第九の歌詞でも勝手にジェンヌを思い浮かべてます。
Millionenではみりおくんだし、eine Seeleで愛音さんだし、Ahnestで『Ernest in Love』だし。Todはもちろんトート様だし。
「タカラヅカ」はわたしにとって、楽園なのです。
歓喜の歌で歌われる、Freude, schöner Götterfunkenなんですよ。
所詮は絵空事、誰もほんとうにそんな世界が作れるなんて思っちゃいないでしょう?な、歓喜の歌に歌われる、Alle Menschen werden Brüderな世界なんですよ。
そこで起こる、切なさや悲しみも含めて、全部ひっくるためて、「タカラヅカ」なんだと思う。
「楽園」なんだと思う。
わたしは、いちばんえりたんの境遇についてショックを受けたけれど、きっとすべてのヅカファンが、それぞれの立ち位置、それぞれの想いで受け止めていると思う。
傷ついたり悲しんだり混乱したり。もちろん、喜んだり。
わたし個人の中ですら、えりたんのことはえりたんのこととして、らんとむがトップになることはうれしいのだ、というややこしさがあるのだし。
ひとつの事象は、受け止める人によってちがっている。そのひとのなかですら、刻々と色を変える。
それでいいのだと思う。
わたしが傷ついたから、喜んでる人が信じられない!とかゆーのではなく、ひとりずつがチガウ受け止め方をする、それもが「宝塚歌劇」というモノなんだなと。
それすら内包するモノなんだ。なにしろ「Elysium」だからな。
劇団に対し憤ったり絶望したりはしょっちゅーだし、愚痴もさんざんこぼしているけれど、それすら含めてが「タカラヅカ」のファンであるわけだ。
美しき神々の火花、楽園の乙女。
彼らと出会えたこと、彼らを、そして彼らの生きる世界を愛している、喜び。
レッスン最終日にして、いちばん気持ちよく歌えた。腹の底から声を出した。
泣いて、ナニかぶっちぎれたみたいに、声が出るよーになった。周囲の人ごめん(笑)。
恒例であり日常なので、なんかもお、鈍感になっているようで。
とくにナニも思わず、考えず、それが当たり前であるがゆえにルーチン化していたというか。
もちろん、自分なりに一生懸命歌ってはいるんだけど。……音楽的才能、カケラもないからな、わたし。
先生の指示で、フーガの第一声をアルトパートみんなで繰り返し練習。そこがなんとか良くなったので、じゃあその先も歌ってと言われ、一斉に歌い出す……が、すぐさま先生に止められる。
練習した第一声だけ良くて、そこで安心してそのあとが弱くなってる、と。
「アルトさんは、第1テーマなのよ。最初のSeidだけじゃダメ、Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt! までがんばって歌って。 ganzen Welt!よ、ganzen Welt!。みんな、言葉の意味わかって歌ってる?」
言葉の意味っすか。えーと、なんだったっけ? みんな目が泳いでる(笑)。
「もっとより良い世界を!! そう思って歌ってる?!」
何故だろう。
ここで、ぶわっと涙が出た。
より良い世界か。
誰だってそれを望んでいるのにね。悪くするためにすることなんて、ひとつもないのにね。
「ソプラノさんは第2テーマ、Freudeは歓喜、喜びよ!」
第九は「歓喜の歌」。喜びを歌う歌。
なんであたし、こんなときに喜びの歌なんか歌ってるんだろう?
けっこう今、オチてるんだけどな。こんな気分で、喜びって、歓喜って。
第九が喜びの歌だとわかっているのに、なんか今さら苦しくなった。
そして、一通りの注意が終わり、再度合唱開始。
アルトの歌声からはじまる、フーガ。
一小節遅れてソプラノが加わる。第九の特徴的なあのメロディ、Seid umschlungen, Millionen!とFreude, schöner Götterfunkenが女声だけで絡み合う。
テーマを1回歌い終わったところで、男声が加わる。4つのパートがそれぞれ別の歌詞を、メロディを追い掛け合うように歌う。
歌う内容はみんな同じ。
喜び。
気を取り直して歌っていたのに……何故だ、この男声が加わり、「第九」の本領発揮な音の重なり、フーガが加速したところで、またもガツンとキた。
一気に泣けた。
4つのパート、4つの声は、まさにganzen Weltを表すのだろう。全世界。いろんな人々。
みんなみんな、より良い世界を、美しい世界を望んでいる。
それが得られることを、望んでいる。
わたしがもしも、壮くんのファンサイトを運営するなら、ブログでもいいや、ファンブログをはじめるのなら、あるいは元同人女らしくファンジン(笑)を出すなら、タイトルは「Elysium」にしようと、決めていた(笑)。
第九の主題、あのもっとも有名なフレーズ。
第九と聞いて思い出す、あのメロディ部分の歌詞。
Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium
その、Elysium。
いつもいつも、ここでえりたんのことを思い出していた。
えりーずむ。
えり・イズム。
タイトルは絶対「Elysium -えりイズム-」。
Elysiumは「楽園」という意味の単語。
楽園という意味で、読みがえりたん!!
もお、壮くんのファンサイトにつけるしかないわ!と(笑)。
語学さっぱりなので、楽譜に書いてある語句の意味としてしか、知らないんですが。
教養がナイため、第九の歌詞でも勝手にジェンヌを思い浮かべてます。
Millionenではみりおくんだし、eine Seeleで愛音さんだし、Ahnestで『Ernest in Love』だし。Todはもちろんトート様だし。
「タカラヅカ」はわたしにとって、楽園なのです。
歓喜の歌で歌われる、Freude, schöner Götterfunkenなんですよ。
所詮は絵空事、誰もほんとうにそんな世界が作れるなんて思っちゃいないでしょう?な、歓喜の歌に歌われる、Alle Menschen werden Brüderな世界なんですよ。
そこで起こる、切なさや悲しみも含めて、全部ひっくるためて、「タカラヅカ」なんだと思う。
「楽園」なんだと思う。
わたしは、いちばんえりたんの境遇についてショックを受けたけれど、きっとすべてのヅカファンが、それぞれの立ち位置、それぞれの想いで受け止めていると思う。
傷ついたり悲しんだり混乱したり。もちろん、喜んだり。
わたし個人の中ですら、えりたんのことはえりたんのこととして、らんとむがトップになることはうれしいのだ、というややこしさがあるのだし。
ひとつの事象は、受け止める人によってちがっている。そのひとのなかですら、刻々と色を変える。
それでいいのだと思う。
わたしが傷ついたから、喜んでる人が信じられない!とかゆーのではなく、ひとりずつがチガウ受け止め方をする、それもが「宝塚歌劇」というモノなんだなと。
それすら内包するモノなんだ。なにしろ「Elysium」だからな。
劇団に対し憤ったり絶望したりはしょっちゅーだし、愚痴もさんざんこぼしているけれど、それすら含めてが「タカラヅカ」のファンであるわけだ。
美しき神々の火花、楽園の乙女。
彼らと出会えたこと、彼らを、そして彼らの生きる世界を愛している、喜び。
レッスン最終日にして、いちばん気持ちよく歌えた。腹の底から声を出した。
泣いて、ナニかぶっちぎれたみたいに、声が出るよーになった。周囲の人ごめん(笑)。
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