額縁の中の世界。@オネーギン
2010年11月27日 タカラヅカ 『オネーギン』がどんな話かは、あまりわかっていません。
オネーギン@トドは親友@ヲヅキとの蜜月(笑)に区切りをつけ、少年時代を過ごした伯父@ヒロさんの屋敷に戻った。つか、若いよトド様若い。そこで昔なじみの友人レンスキー@ひろみと再会、彼の婚約者オリガ@さらさとその一家と出会う。
オリガの姉・タチヤーナ@みみはヲタクのメガネっ子(@イメージ)。純粋培養奥手でフェアリー。彼女はオネーギンに一目惚れ、ヲタクなめんなアクション早いよアツいよ、熱烈なラブレターを書く。
でもオネーギンはお断りしちゃう。ヲタだから嫌だっつーわけではなく、その反対、ピュアすぎる彼女は手に余る。揺れる思いを断ち切るためにも、オネーギンはオリガと踊っちゃったりする。
そしたらレンスキーがキレた、決闘だ! 彼こそ本物の夢見る夢子ちゃん、夢の中で生き続けるためには死ぬしかない、迷惑な情熱に巻き込まれ、オネーギンは友人殺しの十字架を背負う。
それから数年。ヒゲのダンディとなり、若過ぎてないありがたい外見に落ち着いてくれたトド様……ぢゃねえ、オネーギンは心とカラダの放浪を続けていたが、あるとき人妻となったタチヤーナと再会。メガネっ子のお約束、メガネを取ると美少女! 引きこもりヲタを卒業し、メガネをコンタクトに替えて華麗な美女にスキルアップした(@イメージ)タチヤーナに、オネーギンの恋がめらめら盛り上がる。てことで、彼もラブレター書いて渡しちゃうんだけど。
ラブレターは実ったためしがないなこの話、やっぱりお断りで突き返される。
そしてオネーギンは革命への道を選ぶのでした。
物理的に主な出来事だけ拾うと、ラストにつながらない(笑)。
出来事の合間合間に出てくる少年時代のオネーギン@彩凪くんや、要所要所に登場するちぢれっ毛の友人@ヲヅキと彼の思想、全体を囲む閉塞感など総合的なモノではじめて、ラストのカタルシスへたどり着く。
トド様の作り込まれ磨き抜かれた「男役」としての美しさと存在感ゆえに、この一見地味な物語がどーんと牽引されていることはたしかだが、それ以外の人たちもまあ、よくぞトド様についていったなと。
なにしろトドロキ様はこの道25年超えの大ベテランっす。トド様が天才でなかったとしても、ひとつの道をこれだけの年月極めてきた人に、たかだか数年かじっただけの人は太刀打ちできません。
トドが齢**を超えてなお、ヅカに留まり続けてくれるのは1ファンとしてうれしいけれど、彼と他ジェンヌとの芸風の差が年々広がっていくのは、やるせないことだった。(ジェンヌはフェアリーです、年齢などありません)
巧い下手ではなく、今どきの少女マンガに昭和時代のキャラがひとりだけ登場しているような、画風の差。『メイちゃんの執事』のマンガのコマの中に、『ベルサイユのばら』のキャラがひとりだけ描かれてるよーな違和感。
それはもう、どうしようもないことで。
仕方ないことだから、それはあきらめるというか、スルーするしかない。
が、覚悟していたほど、トドひとり浮き上がっていなかった。
そりゃどうしても、いろいろと違いはあるし、下級生たちと次元が違って当たり前の人だから浮いていていいんだけど、危惧していたようなやるせないモノではなかった。
クラシックな世界観はトドに似合うし、トドも空気に合わせた芝居をしているし、そして主要メンバーが予想以上にがっちり芝居していて、出来ていて、トドを孤立させていなかった。
いちばん感心したのが、親友@ヲヅキだ。
トドと、ちゃんと親友に見える。
ここがあまりに乖離していると、物語の根幹を失う。
いい男になったなああ、ヲヅキ……。
大人の男で、体格にリアリティのある「厚み」を持つ。
ビジュアルの良さから、男女問わず好かれるだろうモテるだろうと思えるけれど。
彼の魅力はその魂にある「やんちゃさ」だと思う。
大人の男を作り、演じてなお老成しきらない。小柄な子より体格的に「大人」を作りやすいと思うがそこに収まりきらない「魂の若さ」を持つ。
ヲヅキはこれからも大人の役を演じるだろう。それでも彼は魂に「少年」をひそませているだろう。
そう思える、魅力。そう思わせる、期待感。
「友だち」と言いながら、なんでこの人たち友だちやってんだろう?という、中身や感情の伴わない「作者の都合だけで友人関係」になっている設定だけの友だちも、フィクションには数多く存在する。
そーゆーモノではなく、本当に「友だちなんだな」と思う心の距離感が心地いい。
いつも一緒にいるから友だちじゃない。その「いつも一緒だから友だち」の少年時代を経て、それぞれの意識でそれぞれの場所で生きながら、「いつも一緒」時代に培った信頼や絆を血肉にしている。
考え方や生き方が違ったとしても、会えば変わらず一杯やって語り明かせるような。
「オネーギン」の物語である以上、そんな「友だち」の存在はありがたい。オネーギンを中心とした視界で世界を見ている中、彼がどれほど救いであるか。
オネーギンと観客たるわたしはある意味シンクロして、その人生をロールプレイングしている。だからオネーギンからちぢれっ毛の友人への好意が伝わるんだ、感じられるんだ。わたし自身の感情として。そこに観客であるひとりの女性として、素敵な男性への好意も加わるから、最強だ、ちぢれっ毛の君(笑)。
物語の最後に、このちぢれっ毛の友人こそが『オネーギン』の作者プーシキンだとわかる。
ナニこの二重構造。
つまりこれってヲヅキのトド様へのラブレターってこと? ヲヅキが愛情持って描いた物語だからトド様もあんなにかわいらしくて魅力的だってこと?(役名で言いなさい)
ストーリーなんかある意味投げてますのよ。これがこうだからこうなった、ではなく楽しみました。いや、ストーリー自体はとても神経質に(笑)計算されて描かれているのですが。彼がここでこう思ったのは、あの場面でこれがあったからだ、とかいちいち伏線の応酬されているので、かえってそんなもん無視してやらあなキモチというか(笑)。
オネーギン@トドは親友@ヲヅキとの蜜月(笑)に区切りをつけ、少年時代を過ごした伯父@ヒロさんの屋敷に戻った。つか、若いよトド様若い。そこで昔なじみの友人レンスキー@ひろみと再会、彼の婚約者オリガ@さらさとその一家と出会う。
オリガの姉・タチヤーナ@みみはヲタクのメガネっ子(@イメージ)。純粋培養奥手でフェアリー。彼女はオネーギンに一目惚れ、ヲタクなめんなアクション早いよアツいよ、熱烈なラブレターを書く。
でもオネーギンはお断りしちゃう。ヲタだから嫌だっつーわけではなく、その反対、ピュアすぎる彼女は手に余る。揺れる思いを断ち切るためにも、オネーギンはオリガと踊っちゃったりする。
そしたらレンスキーがキレた、決闘だ! 彼こそ本物の夢見る夢子ちゃん、夢の中で生き続けるためには死ぬしかない、迷惑な情熱に巻き込まれ、オネーギンは友人殺しの十字架を背負う。
それから数年。ヒゲのダンディとなり、若過ぎてないありがたい外見に落ち着いてくれたトド様……ぢゃねえ、オネーギンは心とカラダの放浪を続けていたが、あるとき人妻となったタチヤーナと再会。メガネっ子のお約束、メガネを取ると美少女! 引きこもりヲタを卒業し、メガネをコンタクトに替えて華麗な美女にスキルアップした(@イメージ)タチヤーナに、オネーギンの恋がめらめら盛り上がる。てことで、彼もラブレター書いて渡しちゃうんだけど。
ラブレターは実ったためしがないなこの話、やっぱりお断りで突き返される。
そしてオネーギンは革命への道を選ぶのでした。
物理的に主な出来事だけ拾うと、ラストにつながらない(笑)。
出来事の合間合間に出てくる少年時代のオネーギン@彩凪くんや、要所要所に登場するちぢれっ毛の友人@ヲヅキと彼の思想、全体を囲む閉塞感など総合的なモノではじめて、ラストのカタルシスへたどり着く。
トド様の作り込まれ磨き抜かれた「男役」としての美しさと存在感ゆえに、この一見地味な物語がどーんと牽引されていることはたしかだが、それ以外の人たちもまあ、よくぞトド様についていったなと。
なにしろトドロキ様はこの道25年超えの大ベテランっす。トド様が天才でなかったとしても、ひとつの道をこれだけの年月極めてきた人に、たかだか数年かじっただけの人は太刀打ちできません。
トドが齢**を超えてなお、ヅカに留まり続けてくれるのは1ファンとしてうれしいけれど、彼と他ジェンヌとの芸風の差が年々広がっていくのは、やるせないことだった。(ジェンヌはフェアリーです、年齢などありません)
巧い下手ではなく、今どきの少女マンガに昭和時代のキャラがひとりだけ登場しているような、画風の差。『メイちゃんの執事』のマンガのコマの中に、『ベルサイユのばら』のキャラがひとりだけ描かれてるよーな違和感。
それはもう、どうしようもないことで。
仕方ないことだから、それはあきらめるというか、スルーするしかない。
が、覚悟していたほど、トドひとり浮き上がっていなかった。
そりゃどうしても、いろいろと違いはあるし、下級生たちと次元が違って当たり前の人だから浮いていていいんだけど、危惧していたようなやるせないモノではなかった。
クラシックな世界観はトドに似合うし、トドも空気に合わせた芝居をしているし、そして主要メンバーが予想以上にがっちり芝居していて、出来ていて、トドを孤立させていなかった。
いちばん感心したのが、親友@ヲヅキだ。
トドと、ちゃんと親友に見える。
ここがあまりに乖離していると、物語の根幹を失う。
いい男になったなああ、ヲヅキ……。
大人の男で、体格にリアリティのある「厚み」を持つ。
ビジュアルの良さから、男女問わず好かれるだろうモテるだろうと思えるけれど。
彼の魅力はその魂にある「やんちゃさ」だと思う。
大人の男を作り、演じてなお老成しきらない。小柄な子より体格的に「大人」を作りやすいと思うがそこに収まりきらない「魂の若さ」を持つ。
ヲヅキはこれからも大人の役を演じるだろう。それでも彼は魂に「少年」をひそませているだろう。
そう思える、魅力。そう思わせる、期待感。
「友だち」と言いながら、なんでこの人たち友だちやってんだろう?という、中身や感情の伴わない「作者の都合だけで友人関係」になっている設定だけの友だちも、フィクションには数多く存在する。
そーゆーモノではなく、本当に「友だちなんだな」と思う心の距離感が心地いい。
いつも一緒にいるから友だちじゃない。その「いつも一緒だから友だち」の少年時代を経て、それぞれの意識でそれぞれの場所で生きながら、「いつも一緒」時代に培った信頼や絆を血肉にしている。
考え方や生き方が違ったとしても、会えば変わらず一杯やって語り明かせるような。
「オネーギン」の物語である以上、そんな「友だち」の存在はありがたい。オネーギンを中心とした視界で世界を見ている中、彼がどれほど救いであるか。
オネーギンと観客たるわたしはある意味シンクロして、その人生をロールプレイングしている。だからオネーギンからちぢれっ毛の友人への好意が伝わるんだ、感じられるんだ。わたし自身の感情として。そこに観客であるひとりの女性として、素敵な男性への好意も加わるから、最強だ、ちぢれっ毛の君(笑)。
物語の最後に、このちぢれっ毛の友人こそが『オネーギン』の作者プーシキンだとわかる。
ナニこの二重構造。
つまりこれってヲヅキのトド様へのラブレターってこと? ヲヅキが愛情持って描いた物語だからトド様もあんなにかわいらしくて魅力的だってこと?(役名で言いなさい)
ストーリーなんかある意味投げてますのよ。これがこうだからこうなった、ではなく楽しみました。いや、ストーリー自体はとても神経質に(笑)計算されて描かれているのですが。彼がここでこう思ったのは、あの場面でこれがあったからだ、とかいちいち伏線の応酬されているので、かえってそんなもん無視してやらあなキモチというか(笑)。
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