トド様は、タカラヅカでの初恋の人だ。
 わたしがまだ若かった頃、舞台の上のトド様にオチた。
 それが最初、それがきっかけ。
 トド様なくしては、今のわたしはありえない。

 初恋は初恋であるというか、はじめてのご贔屓はゆっくりと良い思い出になってゆき、次のご贔屓へとときめきは移っていった。
 トドはご贔屓という位置にはいなくなったけれど、愛着は半端ナイ大切な人。
 見るたびに「やっぱり好きだなあ」と思う人。

 そーやって俯瞰していたはずなのに。
 去年『オネーギン』でまさかの再燃。しばらく忘れていたときめきを感じ、舞い上がった。
 わたしがかつて愛したあの人は、こんなに素敵な人だったんだ……! と、同窓会で焼けぼっくいに火がつく的な状態ではあった。
 だから次の彼の出演作が楽しみでならなかった。

 もともとそーやって、わたしの中のトド様株は上がっていたんだ。
 マヤさんとW主演とか楽しみすぎる、うれしすぎるとは思っていた。

 そして、ポスターが発表されたとき。

 惚れ直した。

 専科公演『おかしな二人』
 今まで見たことのない表情をする轟悠@劇団理事研27男役に、刮目した。

 今ここにきて、ここまできて、この顔をするのか。
 彫刻のような美しい顔を武器に下級生時代からやってきた人が。
 理事なんてもんになってからはなおさら、いわゆる「二枚目」から逸脱しない役ばかりやっていたのに。

 男役を極めた今だからこそ。

 つーことでもう、チケ取りは必死でしたよ。「なにがなんでも観たい!」と。
 トド様トド様!!

 んで待ちに待った初日。いつもはスルーするプログラム売り場に直行、プログラムだって絶対買うんだからー!
 んでこのプログラムがまた。

 かわいいっ。

 かわいーよーかわいーよーうわーん。

 トド様がかわいすぎるっ。
 そしてミサノエールもまた、めっちゃぷりちー(笑)。

 星組っこたちも全員スチール、よくある「直前公演の写真使い回し」じゃない。
 役になりきっての写真がかわいいし、きれい。

 演出はイシダせんせ。
 わたしは彼が描くところのトドロキが好きじゃない。
 最初はよかった。初演『再会』の頃は。それでも、新鮮だったから。
 でも、イシダせんせの「男性的無神経さ」ばかりを押しつけられる姿を何年も何作も見せられ続け、心から辟易した。たしかに、姿の良い中性的な男役が主流になってきた今のタカラヅカで、イシダの「男らしい男」を演じられる男役は減り、トドの肩にばかりのしかかってしまったのだろう。
 おかげでトドは「いつも同じ」人になってしまった。イシダ、植爺、谷と、偏った「英雄」像、「男らしさ」を押しつけられ、酒井の「耽美嗜好」「女性目線の型」を押しつけられた。
 いや、押しつけではないか。トド自身もそれでいいと思い、何年も過ごしてきたのかもしれないし。
 その「変わらない」姿は「究極の男役」なのかもしれない。極めた、ということは、そこで終わり、それ以上は変わらないということだ。
 変わらない、ことももちろん必要だ。そーゆーものも好きだ。
 でもそれだと、「たまに、思い出したときに見ればいい」ものになる。
 思い出のアルバムや、DVDと同じ。大切だけど、「今」必要じゃない。
 理事という肩書きのついてしまったトドは、それでいいんだろうか。一線を退いたのだから、「変わらない」ことだけを守ってこれから先も10年20年と同じことをしていろと?
 や、そういう人も、存在も、必要だけど。現にわたしも、今のご贔屓と生活との中、ふとなつかしくなって昔のDVD見たりするし、それと同じようにたまにあるトド様主演公演のチケット取って、彼が雪トップだった頃と変わらないイメージの「スター」である様を見、ああなつかしいと自分の青春時代を思い、しみじみする……そういう需要も、たしかにあるのだけど。

 トド様は、それでイイの?

 本人がどう思っているかは、知るよしもないが。

 今になって、わたしは「男役轟悠」の底力を知る。
 『Kean』でその兆しはあったけれど、そのあとまた元に戻っていたし。
 彼が自分の引き出しの中で、「いつものトドロキ」で出来る役ではない作品が来たときに、彼は変化する。だから「いつもの」作品をあてられると、彼は元に戻る。
 ゆえに、『オネーギン』では、新しいトドロキがいた。
 はじめて組む演出家だったためだろうか。

 しかし今回はイシダせんせ。「いつもの」筆頭だ。
 そして彼は、他の「いつもの」演出家と違い、トドに「下品」な意味での男らしさを求める。
 コメディ作品である『おかしな二人』も、そちらへ突出したら嫌だなと、それだけが不安だった。
 はじめて『再会』を見たときの、英雄や美形しかやってこなかったトドロキの、等身大の若者姿、笑ってすねて落ち込む滑稽な顔をいろいろ見せてくれた、そのことに感激し、驚喜した……それを再び得られることを、期待した。

 その期待に、応えてくれた。

 まるまる1作、見慣れないトドロキがいる。

 歌もダンスもないストレートプレイ、正味芝居だけ、間だけでやりとりが成立する。
 華美な衣装も幻想もなく、現実にあるものだけで展開する。
 舞台はオスカー@トドのマンションの居間、これだけ。最初から最後まで、これだけ。
 小さな世界。小さな宇宙。
 そこだけで、物語がはじまり、終わる。

 男役って、すごいな。

 しみじみ思う。
 なんでこんなことができるんだろう。

 誤魔化しのきかないガチンコ勝負だ、小手先でどうこうできない。
 「男役」としての型が、動きが完璧に入っている人しか、できない。
 かといってそれは、現実の男性ではないんだ。
 ナマの男が見たいなら、外で見ればいい。ミュージカルでもキラキラしい夢世界でもないこんな芝居、外でいくらでもふつーに男性俳優がやっている。
 でも、そうじゃない。

 これは、「タカラヅカ」だ。

 トド様は、泣けるほど「タカラヅカ」で、「男役」だった。
 彼が30年近くかけて作り上げてきたモノがまずそこにあり、基盤としてずっしりと存在し、その上で「タカラヅカらしくない芝居」をしている。

 すごい。
 こんなこともできるんだ。
 タカラヅカって、男役って、こんなところまで到達できるんだ。

 わたしはアメリカ人の感覚がとことん理解できないので、「アメリカの喜劇」を心底楽しめるわけではないのだけど、それでもコレは大丈夫だった! 大劇場でスベりまくったこだまっちギャグを見続けているせいかもしんないけど、ちゃんと面白かった(笑)。

 もちろん、マヤさんがうますぎるせいもある。
 星っこたちも良かった、この子たち大好き!

 個人的に、みっきーにポップコーン投げつけるトド様に身もだえした……可愛すぎる!!

 3幕途中から、なんか涙腺壊れて泣きっぱなしだった(笑)。
 周り誰も泣いてないし、泣くような話じゃないし。(最後までコメディですってば)

 でも、なんつーか、愛しすぎて泣けた。
 両手の上に、大切に載せていたい公演だ。

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