臭いものに蓋。@新人公演『仮面の男』
2011年9月21日 タカラヅカ 演出が大幅に変更されていた。
雪組新人公演『仮面の男』。
演出刷新っす、これまた前代未聞。
1本モノの本公演を95分にまとめる、以外でここまで演出の変更になった新公を観たことがない。
どんだけ不評なんだ、本公演『仮面の男』の演出。
新人公演で大きく変更になっていたのは、「ルイの悪趣味」場面と、「監獄」場面。
その他でもいろいろ小さな変更はある。
ルイ13世の顔が窓から見えたり、無銭飲食の黒子が動かす瓶の軌道と、それによって起こるドタバタが違ったり、メガネっ子のドジ店員がいたり。
小さな変更はお遊びの類で、通常の新公にもあるレベル。
やはり問題は、大きく変更された場面の「意味」だろう。
一般的に「不評」とされている部分が、変更されていた。
一般っつったって、統計があるわけじゃないけどさ。わたしが見聞きする範囲で一般。
ルイの夜のお相手選びの「人間ボウリング」にて、淑女たちがボウリングピンを表すおかしなかぶり物ナシ、ふつーだった。
そのため数字がないので、巨大メガホンが読み上げるのは数字ではなく、名前だった。ちなみに勝者はカトリーヌというらしい。
勝者とルイのラブシーンにて、その周囲で貴族男と淑女がダンスをするんだが、ここの淑女がふつーだった。
淑女は自分の足で踊っていた。
本公演ではふくらんだスカートの中でローラーのついた低い台に坐り、がに股でその台を滑らせるように踊っていた。それによって子どものようないびつな体型の貴婦人が出来上がる。
正視に耐えない姿だった。当時の女性観とか扱いとかを風刺しているつもりかもしれないが、その描き方は倫理に触れるというか、「それはやっちゃいけないことだよ、こだまっち」と言いたくなるよーな生理的な不快感を持つ表現。
それが変更されていた。
ルイーズの初登場、電光矢印はナシ。ふつーに登場。
ルイーズを見初めたルイに対し、「めずらしい」と歌う淑女たちは唇のパペットなし、ふつーだった。
アニメ声の歌は同じ、だけど毒々しいクチビルの代わりに扇を持って登場。
クチビルしか出ない窓や扉の中から、ちゃんと淑女たちが顔をのぞかせて噂話をする。扇で口元を隠しひそひそ話風に、扇をひらひら回しいかにもゴシップに夢中な上流階級の人々といった風に。
もっとも大変更されていたのが、サンマール司令官の大囚人ナンバー。
生々しいうめき声のコーラスではなく、わかりやすいお笑い風のアクションに変更。
本公演の、鞭打つ→うめく、ではなく、鞭打つ→おかしな格好で飛び上がる・ポーズを付ける、なので、あまり痛そうじゃないというか、コントっぽくなっていて、苦しがられるより観ていて楽。
首つりロープとダチョウ倶楽部ネタはカット。
そこまでの携帯電話×2はあるんだけど。
「白状しなければ処刑だ! ……これがなんだかわかるか?」と、囚人たちに首つりロープを配る……ところからカット。ロープ無し。
ゴーストバスターを踊ったあと、調子に乗ったサンマールが「グー?(goodの意味のグー。オレってイケてる?系の確認を周囲にする)グー……グ、グ、グ、グランドフィナーレ!!」と、無理矢理つなげていた。
正直苦しい。「グー?」から「グランドフィナーレ」って……このつなげ方は無茶。でも、イイ。よくやった(笑)。
処刑された囚人が天使の羽根を背負って笑顔で踊ることもなく、首からロープをかけた囚人たちが踊ることもなく、ふつーに生きて元気な人たちが歌い踊っていた。
場面の時間調整に必要なのか、サンマールが銀橋でパフォーマンスすることになっていたけれど(笑)。
あと、目立つところでは、ミラーボールが、回らなかった。
一大ページェントの大女優が人間ミラーボールとなってつり上げられるところ。スカートを開くとそこにミラーボールが!! ……までは同じ、本公演では大女優自身が手でミラーボールを回すんだけど、それはナシ。
ただミラーボール風の衣装を着ている、というだけになっていた。
これだけ「不評」なところの変更なので、新公演出担当の原田くん個人の変更ではなく、劇団指示が入ったとみるべきだろう。
基本的には95分モノの新公は「お遊び」「独自の解釈」は入れても「変更」はしない。
本公演と新公の演出家が同じの場合は、キャストに合わせて役の比重やキャラクタを変えたり全体のカラーを変えたりといじってくることはあるけれど。それでも「変更」ではない。
新人公演の演出変更は、あくまでもはみ出した箇所の修正でしかない。
色を塗っていて、枠からはみだしちゃった、てなとこを修正液で訂正しただけのこと。
根本は、直っていない。
はみだしたところだけ修正液塗っても、そもそもその絵自体間違ってるから!
ストーリーがほとんどなく、本筋と無関係のどーでもいい場面がえんえんえんえん続いているのは同じ。水戸黄門が出てくるのも看守長がえんえん歌い踊り携帯電話が出てくるのも同じ。主役ふたりが銀橋でえんえん影絵をしているのも同じ。
いやだなあ、と思ったのは、「みんなが文句言うから、その嫌だってところを修正しましたよ、これで満足でしょ?」と、てきとーにあしらわれたよーな感じの作りだったこと。
たしかに嫌だったところ、明らかに不快を感じる人が多いだろう、こだまっちの異次元感覚ゆえの場面は修正された。
でも、そーゆー問題じゃない。
なんつーんだ、「料理に虫が入ってた? すみませんね、んじゃ新しい料理に取り替えますよ、これで文句ないでしょ」って虫の入っていない皿に替えてくれても、そもそもコレ、料理ちゃうやん、食べられへんやん!な部分はスルーされた感ゆんゆんというか。
こだまっちの『仮面の男』は、作品全体の作り、土台の部分が間違っている。
だからその上の表層の飾り部分だけ修正したって、その場しのぎでしかない。
土台から変更をしないことには、無意味なんだ。
とゆーことが、よくわかった。
だってさあ。
物語も登場人物もまったく描けてなくて、力が入っているのはわけのわからん「留学帰りのワタシを見て! ほめて!」というこだまっち自己顕示欲場面なわけよ。
で、作品的に力の入っている部分を「不評だから」と全部修正液で塗りつぶしていったら。
すげー地味。
もっとも力のある部分を否定し、おざなりな部分だけにすると、作品自体が沈む。
こだまっちの悪趣味がいいわけではまったくないが、そこがいちばん力の入った場面、という作りであることは確か。そこを否定し、ちまちまと修正したら、ただの地味なつまらないだけの作品になる。
ただひたすらふつーにするだけ。メリハリの派手な部分だけ削っていく作業。ただ平坦に。根本の歪みは無視して。
だってストーリーが「ない」のは変わってないのよ?
塗りつぶしばかりの本なんて読めたもんじゃない。
本文の大半をただ黒く塗りつぶしただけの本を、「改訂版出ました、どうぞお買い求めください」と商品として発売するのか、この会社。
や、今回は新公だから、それでもいいけど。
ただ、今後演出が変わり、新公と同じになるだけなら、それはそれでアタマを抱えるわ。
修正が入ったことは、うれしい。
世の中的に本当に不評であり、間違った演出なのだ……と、劇団も理解したということだろうから。
てゆーか、それを理解すること自体、前代未聞。劇団はどんだけひでー作品も、観客の声なんざ見ざる聞かざるを決め込んで完全スルーだったもの。
だからこれは快挙。
ありえないレベルの出来事。
しかし、この小手先だけ、口先だけの逃げ口上、臭いものに蓋、で、してやったりと思われていたら、嫌だなあ。
問題は、解決されていないのに。
雪組新人公演『仮面の男』。
演出刷新っす、これまた前代未聞。
1本モノの本公演を95分にまとめる、以外でここまで演出の変更になった新公を観たことがない。
どんだけ不評なんだ、本公演『仮面の男』の演出。
新人公演で大きく変更になっていたのは、「ルイの悪趣味」場面と、「監獄」場面。
その他でもいろいろ小さな変更はある。
ルイ13世の顔が窓から見えたり、無銭飲食の黒子が動かす瓶の軌道と、それによって起こるドタバタが違ったり、メガネっ子のドジ店員がいたり。
小さな変更はお遊びの類で、通常の新公にもあるレベル。
やはり問題は、大きく変更された場面の「意味」だろう。
一般的に「不評」とされている部分が、変更されていた。
一般っつったって、統計があるわけじゃないけどさ。わたしが見聞きする範囲で一般。
ルイの夜のお相手選びの「人間ボウリング」にて、淑女たちがボウリングピンを表すおかしなかぶり物ナシ、ふつーだった。
そのため数字がないので、巨大メガホンが読み上げるのは数字ではなく、名前だった。ちなみに勝者はカトリーヌというらしい。
勝者とルイのラブシーンにて、その周囲で貴族男と淑女がダンスをするんだが、ここの淑女がふつーだった。
淑女は自分の足で踊っていた。
本公演ではふくらんだスカートの中でローラーのついた低い台に坐り、がに股でその台を滑らせるように踊っていた。それによって子どものようないびつな体型の貴婦人が出来上がる。
正視に耐えない姿だった。当時の女性観とか扱いとかを風刺しているつもりかもしれないが、その描き方は倫理に触れるというか、「それはやっちゃいけないことだよ、こだまっち」と言いたくなるよーな生理的な不快感を持つ表現。
それが変更されていた。
ルイーズの初登場、電光矢印はナシ。ふつーに登場。
ルイーズを見初めたルイに対し、「めずらしい」と歌う淑女たちは唇のパペットなし、ふつーだった。
アニメ声の歌は同じ、だけど毒々しいクチビルの代わりに扇を持って登場。
クチビルしか出ない窓や扉の中から、ちゃんと淑女たちが顔をのぞかせて噂話をする。扇で口元を隠しひそひそ話風に、扇をひらひら回しいかにもゴシップに夢中な上流階級の人々といった風に。
もっとも大変更されていたのが、サンマール司令官の大囚人ナンバー。
生々しいうめき声のコーラスではなく、わかりやすいお笑い風のアクションに変更。
本公演の、鞭打つ→うめく、ではなく、鞭打つ→おかしな格好で飛び上がる・ポーズを付ける、なので、あまり痛そうじゃないというか、コントっぽくなっていて、苦しがられるより観ていて楽。
首つりロープとダチョウ倶楽部ネタはカット。
そこまでの携帯電話×2はあるんだけど。
「白状しなければ処刑だ! ……これがなんだかわかるか?」と、囚人たちに首つりロープを配る……ところからカット。ロープ無し。
ゴーストバスターを踊ったあと、調子に乗ったサンマールが「グー?(goodの意味のグー。オレってイケてる?系の確認を周囲にする)グー……グ、グ、グ、グランドフィナーレ!!」と、無理矢理つなげていた。
正直苦しい。「グー?」から「グランドフィナーレ」って……このつなげ方は無茶。でも、イイ。よくやった(笑)。
処刑された囚人が天使の羽根を背負って笑顔で踊ることもなく、首からロープをかけた囚人たちが踊ることもなく、ふつーに生きて元気な人たちが歌い踊っていた。
場面の時間調整に必要なのか、サンマールが銀橋でパフォーマンスすることになっていたけれど(笑)。
あと、目立つところでは、ミラーボールが、回らなかった。
一大ページェントの大女優が人間ミラーボールとなってつり上げられるところ。スカートを開くとそこにミラーボールが!! ……までは同じ、本公演では大女優自身が手でミラーボールを回すんだけど、それはナシ。
ただミラーボール風の衣装を着ている、というだけになっていた。
これだけ「不評」なところの変更なので、新公演出担当の原田くん個人の変更ではなく、劇団指示が入ったとみるべきだろう。
基本的には95分モノの新公は「お遊び」「独自の解釈」は入れても「変更」はしない。
本公演と新公の演出家が同じの場合は、キャストに合わせて役の比重やキャラクタを変えたり全体のカラーを変えたりといじってくることはあるけれど。それでも「変更」ではない。
新人公演の演出変更は、あくまでもはみ出した箇所の修正でしかない。
色を塗っていて、枠からはみだしちゃった、てなとこを修正液で訂正しただけのこと。
根本は、直っていない。
はみだしたところだけ修正液塗っても、そもそもその絵自体間違ってるから!
ストーリーがほとんどなく、本筋と無関係のどーでもいい場面がえんえんえんえん続いているのは同じ。水戸黄門が出てくるのも看守長がえんえん歌い踊り携帯電話が出てくるのも同じ。主役ふたりが銀橋でえんえん影絵をしているのも同じ。
いやだなあ、と思ったのは、「みんなが文句言うから、その嫌だってところを修正しましたよ、これで満足でしょ?」と、てきとーにあしらわれたよーな感じの作りだったこと。
たしかに嫌だったところ、明らかに不快を感じる人が多いだろう、こだまっちの異次元感覚ゆえの場面は修正された。
でも、そーゆー問題じゃない。
なんつーんだ、「料理に虫が入ってた? すみませんね、んじゃ新しい料理に取り替えますよ、これで文句ないでしょ」って虫の入っていない皿に替えてくれても、そもそもコレ、料理ちゃうやん、食べられへんやん!な部分はスルーされた感ゆんゆんというか。
こだまっちの『仮面の男』は、作品全体の作り、土台の部分が間違っている。
だからその上の表層の飾り部分だけ修正したって、その場しのぎでしかない。
土台から変更をしないことには、無意味なんだ。
とゆーことが、よくわかった。
だってさあ。
物語も登場人物もまったく描けてなくて、力が入っているのはわけのわからん「留学帰りのワタシを見て! ほめて!」というこだまっち自己顕示欲場面なわけよ。
で、作品的に力の入っている部分を「不評だから」と全部修正液で塗りつぶしていったら。
すげー地味。
もっとも力のある部分を否定し、おざなりな部分だけにすると、作品自体が沈む。
こだまっちの悪趣味がいいわけではまったくないが、そこがいちばん力の入った場面、という作りであることは確か。そこを否定し、ちまちまと修正したら、ただの地味なつまらないだけの作品になる。
ただひたすらふつーにするだけ。メリハリの派手な部分だけ削っていく作業。ただ平坦に。根本の歪みは無視して。
だってストーリーが「ない」のは変わってないのよ?
塗りつぶしばかりの本なんて読めたもんじゃない。
本文の大半をただ黒く塗りつぶしただけの本を、「改訂版出ました、どうぞお買い求めください」と商品として発売するのか、この会社。
や、今回は新公だから、それでもいいけど。
ただ、今後演出が変わり、新公と同じになるだけなら、それはそれでアタマを抱えるわ。
修正が入ったことは、うれしい。
世の中的に本当に不評であり、間違った演出なのだ……と、劇団も理解したということだろうから。
てゆーか、それを理解すること自体、前代未聞。劇団はどんだけひでー作品も、観客の声なんざ見ざる聞かざるを決め込んで完全スルーだったもの。
だからこれは快挙。
ありえないレベルの出来事。
しかし、この小手先だけ、口先だけの逃げ口上、臭いものに蓋、で、してやったりと思われていたら、嫌だなあ。
問題は、解決されていないのに。
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