償いと大芝居。@復活
2012年1月29日 タカラヅカ 『復活 -恋が終わり、愛が残った-』を、最初に観たときは、素直に感動した。
どーしたんだイシダ?! イシダなのにおもしろいって?! イシダなのに感動するって?!
……イシダせんせの作品ととことん気が合わず、生理的に無理!なことがほとんどであるために、そーゆー感想になりました。イシダなのに、生理的に無理じゃない、むしろおもしろい、感動するなんて、どーゆーこと?! と。
出てくる人々みんなが人間的で、共感する部分のある「生きた」人々。そして誰もがなにかしら光を見つけて一歩を踏み出していく様が、見ていて気持ちよかった。
主人公のネフリュードフ@らんとむの行動は狂気の沙汰、いろんな意味で共感は得にくいと思うけど、それでもらんとむだから成り立っているのかなと思った。
なんつーんだ、彼のホットな持ち味、血の通った芸風だからこそ、「それってどうよ?」な行動も、許されるのかなと。
これが、彼より熱伝導率の悪い人が演じたら、ますます「ナニ考えてんの?」な人になったろうなあ、と。
また、らんとむは、かっこいい。
男役としての美貌、格好良さが確立している。
ここがタカラヅカである以上、これほどに美しい男なら、ナニをやったって許される。
だから、らんとむで良かった。
で。
ネフリュードフって、どうよ?
その、キャラとして。
初見では素直に感動したけどさあ、2回目を見たら、この男への反感むらむら(笑)。
過去の過ちはひどいけど、それだけなら人としてまだ許容範囲。
問題は、その償いをしようと暴走しはじめること。
ただの自己満足で、誰かを救う気なんてナイんじゃん。
……と、思えた。
カチューシャ@蘭ちゃんを愛しているとも、思えない。演じているのがらんとむだから熱伝導ゆえに愛情っぽく見えるけど、「ネフリュードフ」という男は愛してないよね?
イワノーヴァナ伯母様の「自分が幸せでないのに、愛する人を幸せにしようなんて、おこがましい」は真理だと思う。
間違った恋愛モノに必ずある、「自分を犠牲にして……」ってやつ。そんなの、やられた方が迷惑だっての。
ネフリュードフの「罪」は若き日のカチューシャを捨てたことではなく、「償い」の名の下に今現在行われていることだと思った。
周りの人々を不幸にし、泣かせ、迷惑を掛け。
ただ自分が気持ちよくなるためだけに。
救いたいのはカチューシャではなく、自分自身。
なのに美談ですか。最低だな。
2回目でそう思ったのは、ネフリュードフを演じるらんとむ氏の演技に、引っかかったからかもしれない。
らんとむは最初からあーゆー演技してたっけ? あんな芝居の人だったけ?
なんつーか……ひとりだけ、わざとらしい、大芝居。
「今オレ、芝居してまっす!」的な、歌舞伎っぷり。
他の人たちがナチュラルに話しているもんだから、ネフリュードフの芝居口調が、気になる気になる。
どうしちゃったの? わざとあんな風にやってるの?
ひとりだけ大芝居なこともあり、ネフリュードフへの違和感ばりばり。彼の言う「キレイゴト」が、まさしく口先だけに思える。
公演が進むにつれ、演技に力が入りすぎ、それで大芝居になっちゃってるのかな?
それとも、わたしが気づかなかっただけで、らんとむっていつもこんなだった?
アンソニー・ブラックやナポレオンなら、この喋り方でもいいと思うけど、ネフリュードフは違うやろ。ってゆーか、周りの人たちみんな、そんな喋り方してないやん。何故ひとりだけそんな、もったいつけた節回しなの?
初見時は「それも愛かな」と思えたのに、全部欺瞞に見えてしまった。
そして。
それはそれで、完結している。
ネフリュードフは、今現在「罪」を行っている。「償い」だと言いながら、他者を不幸にし続ける。
罪や欠点と、その人の魅力はまた別次元のことだからね。間違わない人だけが魅力的なわけじゃないもの。
周囲の人たちは、それでもネフリュードフを愛し、受け止め、彼の暴走ゆえに成長する。突然のトラブルや不幸で、成長するのはよくあることだもんね。
で、その間違いまくったネフリュードフが、最後、目を覚ますところで、この物語は終わる。
過去の罪を、間違った自分を受け止める精神を持たなかった、弱い弱い男が、罪を認められずに偽善を尽くしあがきまくる様を描き、そこから一歩踏み出す物語だったのか。
ネフリュードフは、もともとはまともな男だったけれど、打たれ弱く、自分のせいでカチューシャが不幸になったという現実を受け入れられなかった。
で、精神的におかしくなった。
芝居がかった台詞回しは、異常の現れ。
芝居することで、現実逃避し、自分を守っている。
やることなすこと、自己防衛。めちゃくちゃでも、他人に迷惑でもおかまいなし。それは病がなせる技。
そんな弱い弱い男が、シベリアまで行ってよーやく、正気に返る……そーゆー物語だったのか。
と、目からウロコ的に、きれいに完結した。
そーゆー意図があって、ひとり大芝居をしているのかな?
なんにせよ、迷惑なやっちゃ。
そりゃカチューシャも、命がけで逃げるわ。
ストーカーにつきまとわれた女が、「結婚しかない」と思うのも当然。
んで、いちばん近くにいた男とゴールインしちゃうのも、自明の理。
すげー、すべて辻褄合う。
なんて、わたしの感想が見当外れでもなんでも、まあ「注・個人の感想です」ってやつで(笑)。
どーしたんだイシダ?! イシダなのにおもしろいって?! イシダなのに感動するって?!
……イシダせんせの作品ととことん気が合わず、生理的に無理!なことがほとんどであるために、そーゆー感想になりました。イシダなのに、生理的に無理じゃない、むしろおもしろい、感動するなんて、どーゆーこと?! と。
出てくる人々みんなが人間的で、共感する部分のある「生きた」人々。そして誰もがなにかしら光を見つけて一歩を踏み出していく様が、見ていて気持ちよかった。
主人公のネフリュードフ@らんとむの行動は狂気の沙汰、いろんな意味で共感は得にくいと思うけど、それでもらんとむだから成り立っているのかなと思った。
なんつーんだ、彼のホットな持ち味、血の通った芸風だからこそ、「それってどうよ?」な行動も、許されるのかなと。
これが、彼より熱伝導率の悪い人が演じたら、ますます「ナニ考えてんの?」な人になったろうなあ、と。
また、らんとむは、かっこいい。
男役としての美貌、格好良さが確立している。
ここがタカラヅカである以上、これほどに美しい男なら、ナニをやったって許される。
だから、らんとむで良かった。
で。
ネフリュードフって、どうよ?
その、キャラとして。
初見では素直に感動したけどさあ、2回目を見たら、この男への反感むらむら(笑)。
過去の過ちはひどいけど、それだけなら人としてまだ許容範囲。
問題は、その償いをしようと暴走しはじめること。
ただの自己満足で、誰かを救う気なんてナイんじゃん。
……と、思えた。
カチューシャ@蘭ちゃんを愛しているとも、思えない。演じているのがらんとむだから熱伝導ゆえに愛情っぽく見えるけど、「ネフリュードフ」という男は愛してないよね?
イワノーヴァナ伯母様の「自分が幸せでないのに、愛する人を幸せにしようなんて、おこがましい」は真理だと思う。
間違った恋愛モノに必ずある、「自分を犠牲にして……」ってやつ。そんなの、やられた方が迷惑だっての。
ネフリュードフの「罪」は若き日のカチューシャを捨てたことではなく、「償い」の名の下に今現在行われていることだと思った。
周りの人々を不幸にし、泣かせ、迷惑を掛け。
ただ自分が気持ちよくなるためだけに。
救いたいのはカチューシャではなく、自分自身。
なのに美談ですか。最低だな。
2回目でそう思ったのは、ネフリュードフを演じるらんとむ氏の演技に、引っかかったからかもしれない。
らんとむは最初からあーゆー演技してたっけ? あんな芝居の人だったけ?
なんつーか……ひとりだけ、わざとらしい、大芝居。
「今オレ、芝居してまっす!」的な、歌舞伎っぷり。
他の人たちがナチュラルに話しているもんだから、ネフリュードフの芝居口調が、気になる気になる。
どうしちゃったの? わざとあんな風にやってるの?
ひとりだけ大芝居なこともあり、ネフリュードフへの違和感ばりばり。彼の言う「キレイゴト」が、まさしく口先だけに思える。
公演が進むにつれ、演技に力が入りすぎ、それで大芝居になっちゃってるのかな?
それとも、わたしが気づかなかっただけで、らんとむっていつもこんなだった?
アンソニー・ブラックやナポレオンなら、この喋り方でもいいと思うけど、ネフリュードフは違うやろ。ってゆーか、周りの人たちみんな、そんな喋り方してないやん。何故ひとりだけそんな、もったいつけた節回しなの?
初見時は「それも愛かな」と思えたのに、全部欺瞞に見えてしまった。
そして。
それはそれで、完結している。
ネフリュードフは、今現在「罪」を行っている。「償い」だと言いながら、他者を不幸にし続ける。
罪や欠点と、その人の魅力はまた別次元のことだからね。間違わない人だけが魅力的なわけじゃないもの。
周囲の人たちは、それでもネフリュードフを愛し、受け止め、彼の暴走ゆえに成長する。突然のトラブルや不幸で、成長するのはよくあることだもんね。
で、その間違いまくったネフリュードフが、最後、目を覚ますところで、この物語は終わる。
過去の罪を、間違った自分を受け止める精神を持たなかった、弱い弱い男が、罪を認められずに偽善を尽くしあがきまくる様を描き、そこから一歩踏み出す物語だったのか。
ネフリュードフは、もともとはまともな男だったけれど、打たれ弱く、自分のせいでカチューシャが不幸になったという現実を受け入れられなかった。
で、精神的におかしくなった。
芝居がかった台詞回しは、異常の現れ。
芝居することで、現実逃避し、自分を守っている。
やることなすこと、自己防衛。めちゃくちゃでも、他人に迷惑でもおかまいなし。それは病がなせる技。
そんな弱い弱い男が、シベリアまで行ってよーやく、正気に返る……そーゆー物語だったのか。
と、目からウロコ的に、きれいに完結した。
そーゆー意図があって、ひとり大芝居をしているのかな?
なんにせよ、迷惑なやっちゃ。
そりゃカチューシャも、命がけで逃げるわ。
ストーカーにつきまとわれた女が、「結婚しかない」と思うのも当然。
んで、いちばん近くにいた男とゴールインしちゃうのも、自明の理。
すげー、すべて辻褄合う。
なんて、わたしの感想が見当外れでもなんでも、まあ「注・個人の感想です」ってやつで(笑)。
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