キムシンは、アテ書きの人である。
 原作付きであろうとなかろうと、キャストにアテ書きをする。その生徒が魅力的に見える部分をクローズアップしてくる。
 ときどき、本人の趣味が走りすぎて大変なことになるが、概ね的確にアテ書きされている。

 今回の『ドン・カルロス』も、アテ書きの見事さに感心する。

 カルロスの聡明さと哀れさ、そして強さは、音月桂ならではだろう。

 キムくんは「王子様キャラ」だと言われる。ロミオ役がハマり、キラキラした砂糖菓子男子をイメージされる男の子だ。
 今回のカルロスもぴっちぴちの若い王子様。
 生まれたときからすべてを与えられ、愛されることが当然の恵まれた人。
 幼い頃から超路線スター様でビッグなスポンサー様も付き、トップスターになることが当たり前とされ、育ってきたキムラさん。
 キラキラ微笑みながら、ふと空虚な瞳で歌う。
「ただひとり私だけが ナニも持たない 私を知る」

 カルロスはいろんな意味で、キムくん自身とシンクロして切ない。

 『ドン・カルロス』は、あちこちで『ロミオとジュリエット』を彷彿とさせる演出がしてある。
 主人公カルロスの登場シーンもだし、ヒロイン・レオノール@みみちゃんとの場面も、バルコニーを使っている。

 『ロミオとジュリエット』はキムくんのトップお披露目作品であり、キムくんのハマり役のひとつだ。
 むしろ、「ロミオ? 似合うだろうね」で終わらされてしまう危険性があるほど、似合いすぎた役でもある。

 『ロミジュリ』と似た演出をしているところを、わたしはキムシンによるアンチ『ロミジュリ』提議かと思った。

 『ロミジュリ』という作品をどうこう言うのではなく、「音月桂と『ロミジュリ』」に異議を唱えているのでは、と。

 たしかにキムはロミオが似合う。わたしは大好きだ。
 でも、ロミオというキャラの持つ「甘ったれたお坊ちゃんが、それゆえに巻き起こす騒動」=ピュア、少年性、みたいなモノをキムそのものとするのはチガウだろ、と言っている気がしたんだ。

 たしかに少年である輝きは、キムの魅力だ。
 しかしキムはそれだけの男じゃない。
 もっと悲しい強さを持っている。
 世間知らずゆえの強さではない、傷ついた大人ゆえの強さだ。

 すべての傷を飲み込んで、穏やかに微笑むカルロス。
 自分ではどうにもできないことがたくさんある、だから人の役に立ちたい。自分の悲しみを、他人には味わせたくない。
 悲しい微笑みを浮かべ、そう言い切れる人。

 愛を叫ぶことで他人に迷惑を掛けるロミオと、真逆。
 他人を思いやるがゆえに、愛を封じ込めるのがカルロスだ。

 レオノールもまた、ジュリエットと真逆の耐える少女だ。

 『ロミオとジュリエット』と同じシチュエーションをあえて取っている、そう思えるんだ。
 同じモチーフを使いながら、わざと真逆のことをする。
 そして、最後もまた反対。
 愛を封じ込め、立場をわきまえて生きようとしたカルロスとレオノールは、生きて愛を成就させる。愛を叫んで破滅した、ロミオとジュリエットと、反対に。

 「死」に取り憑かれたロミオも、間違いなく音月桂の魅力を発揮できる役だった。
 が、一見キラキラしい王子様でありながら、その実誰よりも大人で聡明なカルロスは、とんでもなく音月桂だ。

 みんなの愛を糧に、たったひとりで戦い、勝利を得る強さも。

 わたしがキムくんを好きで、もともと好きだけど、ロミオ以降自分でもちょっとびびるくらい好きで(笑)、何故キムがこんなに好きなのか、言葉にする以前の部分をこの「カルロス」という役に集約された気がする。


 レオノールも、泣けるくらいみみちゃんアテ書きだし。
 こちらも『ロミオとジュリエット』を下敷きに、あえて真逆なものを提示して、舞羽美海の魅力を凝縮したレオノールというキャラクタを作り上げている。

 キムみみの学年差や、コンビを組むまでの距離感を含め、みみちゃんがいつも一歩下がってキムくんを見上げている感じ、でもいざというときの爆発力、ふたりの手が重なったときのパワー全開ぶりとか、カルロスとレオノールでよくぞこれだけ表現してくれたというか。


 キムシンはあまり緻密に計算して作劇するタイプに思えないので、このアテ書き能力って、感性ゆえなんだろうなと思う。
 ここがこうだからこうに違いないと数学的計算で答えを導き出すのではなく、「こんな感じー! そうそう!」と書いちゃうみたいな。
 で、わたしはキムシンと好みが合うので、彼が感性で「こんな感じー!」とアテ書きするモノが、「そうそう! まさにこんな感じー!」とツボに入るんだ。


 で、実はさらに「アテ書きすげえ!」と思っているのは、ポーザ侯爵@ちぎくんだ。

 ポーザ侯爵をどう描くか、親友を裏切る男をどう設定するかは、クリエイターのフリースペース、腕の見せどころだと思う。
 それを、真面目で、繊細な男にしたのは、キムシンGJ! それこそ、ちぎくんありき、なんだよなと。

 美しすぎるちぎくんに、いちばん振りやすいのは、実は渡会@『Samourai』みたいなキャラクタだと思う。
 二枚目半というか、三枚目というか。
 なまじ正統派の美形ゆえ、美形役をやらせてもおもしろくない……というか、沈んでしまうのね、色合いが。
 イロモノの方が、美形を活かしやすい。
 それで結局、タカラヅカにおいて真の美形って、割を食う。かのトドロキ様も、若い頃から一貫して「いわゆる美形」役はほとんどやってないよ。トップになってからだよなー、正統派二枚目役も回ってくるようになったの。

 そんなちぎくんに、あえて正統派二枚目役。
 シリアスで、文武両道の正義感あふれるヒーロー。
 「抜き」どころのない、正味苦悩する美形様だ。

 彼が苦悩する理由が、鈍感な者ならスルーできるようなことで。
 「目的のためには手段を選ばず」とするならば、ふつうは「恋人を殺された」「家族が不幸になった」など、直接の被害があり、私怨ゆえの復讐劇にするところだ。
 しかし、そうはしなかった。
 無関係な少女のために立ち上がる。
 それは義憤であり、同時に己れのためでもある。
 少女の死が引き金となり、自分の中の闇、深淵をのぞき込んでしまった苦悩と絶望が、ポーザ侯爵を動かす。

 彼のまっすぐ過ぎるゆえの「生きにくさ」、強さと表裏一体の「弱さ」、自分自身を焼き尽くす炎をそれでも燃やし続ける様が、ちぎくんという人に似合いすぎている。

 てゆーかポーザ侯爵好きだなあ。
 このキャラクタの複雑さ、弱さが好き過ぎる。
 それは、この役を演じているちぎくんのことが、好き過ぎるってことだ。

 うおおお。
 楽しいよー。『ドン・カルロス』、楽しいよー。

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