10years ~あれから10年も、この先10年も。~
2012年5月3日 タカラヅカ
昔語り、自分語りをする。
2002年5月3日。
ふと思いついて、「日記サイト」に登録をした。
当時有名だった日記サイトは、「さるさる日記」かな。
でも、有名どころはわたし的にしっくりこなかったので、無名かつ地味な「DiaryNote」を選ぶ。
選ぶっていうか、偶然行き当たった。
別に、やりたいことがあるわけでも、全世界に発信したいことがあるわけでもなかった。
ほんとに、ただなんとなく。
「彼女は陽気な破壊的気質を持っている。」という、変なタイトル。
「緑野こあら」という、変な名前。
その場の思いつきで決めた、思考タイムなし(笑)。
出典はそれぞれあるけど、そこから決めたのは一瞬。
あのころのわたしは、なにを考えていたんだっけ。
よく思い出せない。
いろいろ鬱屈していたとは思う。そして、いろいろお気楽だったと思う。相反するが、それが事実。
「DiaryNote」は、利用者に無断で(笑)、どんどん変わっていった。
名前通りの日記サイトだったんだってば。
日記ですから、ただ書くだけ。一方通行ですとも。コメント機能すらなかったんだ。
それが勝手にコメント付けるわ、トラックバック付けるわ、あげくのはてに「今日からブログになりました」だもんよ。
ちょお待て。日記とブログはまったくチガウものだぞ??
もっとも、ブログなんて名乗っているだけで、やっぱり「DiaryNote」は日記サイトで、ブログとは根本が違っている作りのサイトなんだけどね。
あの「さるさる日記」がサービス終了するくらい、時代は移り変わった。いろんなサイトが終了していった。
そんな中で、よくもまあ、生き残ってくれたもんだ。
感謝してます、「DiaryNote」さん。
以前は問い合わせをしてもガン無視が当たり前だったけど、最近は返事もらえるようになったし。不具合の報告したら、直してくれるし。
……何年か前、カウンターが上限超えちゃうよ、桁数増やして、とお願いしたときもガン無視、999999…を超えて仕切り直しになったのも、なつかしい思い出。
次にカウンターが上限超えそうになったとき、また同じお願いをしてみる予定。今なら返事もらえるのかなあ?
なんやかんやで、10年。
誰にも告げず、検索サイトへの登録(当時はそれが定石だった)もせず、ひとりで日記を書いていた。
上の画像は、いちばん最初に書いた記事。
カウンター数が「73」だけど、初日にこんな数字だったわけじゃない。画像保存したのが2002年5月20日なので、半月かかってもそんな訪問者数だった。ってゆーか、その大半はわたしがひとりで回していたはず。わたし以外、誰もいないはずだもの。
カウンターが1日に10回ったら、うろたえてたなー。なにが起こったんだ、と。当時の「DiaryNote」には、アクセス解析もナニもなかったんですよ。
日々書き続けるうちに、なにがしたいかわかってきた。
最初は日常からマンガ・アニメ、創作系の話、映画やドラマの話も書いていた。
でも途中から、タカラヅカの話のみにしぼった。
エクササイズの場だったときも、あった。
文章を書く練習。
テーマを決めて起承転結、決められた文字数で。
読み物としての意識を持ち、リアルと表現手段を模索。てな。
いろいろ悩んでいたな。人生回り道ばっかしだ。
今はそーゆー縛りはなくし、とにかく好きなだけ好きなように書く、ようにしている。
貴重な息抜きの場、かな。
書きたいことはいろいろあるが、時間が取れなくて、昔ほど書けなくなったのが残念。
タカラヅカはどんどん変わっていく。
変わらないけど、変わっていく。
変わっていくのに、これほど変わらないものもない。
先日、ムラでサトリちゃんと会った。
ピュアしいちゃんファンの彼女は、ご贔屓を見送るために全力疾走し、ご贔屓と共にヅカを卒業した。
彼女とは、他では会っていたけれど、タカラヅカの聖地・ムラで会うのは実に3年ぶりだった。
「変わってないねええ」
と、ロビーを見回して感嘆する声に、心から同意した。
「変わってないよ、ここは」
まるで、「時間」というものの外側にあるようなところだ。
宝塚大劇場って。
改めて、思う。
わたしは10年前も、同じようにここにいた。
劇場はなにも変わっておらず、やっていることも、変わっていない。
そしてわたしも、変わっていない。
サトリちゃんはリア充満喫中で、着実に人生を歩んでいる。
それに比べ、わたしナニやってんだろう、と途方に暮れた(笑)。
うん、ときどき、なにもかも嫌になる。
宝塚駅にいるときとか、ソリオを歩いているときとか。「いったい何千回この駅に来ただろう。いくら使っただろう」って思うと、目の前が暗くなるんだ、絶望で(笑)。
アホすぎるよ、こんな人生。
自分の変わらなさ……というか、進歩のなさに、心からへこむ。
後悔はするけど、反省はしない。
何故ならば、依然、改める気がないからだ(笑)。
阿呆上等ですよ。
わたしみたいな木っ端人生に過ぎないモノであっても、それを左右する、大きな魅力があるのですよ、タカラヅカ。
文句言うし、愚痴も言うけど。
今現在、キムくんのことでへこんでいるけど。
それでも、タカラヅカをすごいと思っている。
それでも、タカラヅカを愛している。
ほんとに、おもしろいよ。
現実にある、とんでもないファンタジーだ。
時の流れの外側にある、幻の王国ですよ。
「タカラヅカ」という概念は変わらず揺るぎなく、ただそこにいる人々は移り変わっていく。
花の命は短くて、タカラジェンヌの寿命は10年ちょっと、人生のもっとも美しい時期を捧げて輝く。
タカラヅカはどんどん変わっていく。
変わらないけど、変わっていく。
変わっていくのに、これほど変わらないものもない。
わたしは10年分確実に老いたし、衰えた。
なのに10年前と、なんら変わっていない。
なんかもお、とてつもないなあ、と思う。
ここで「日記」を書きはじめて、丸10年。
先のことはわからないけれど、わかっていることはある。
変わらないモノは、ある。
タカラヅカが愛しいのは、それゆえにだろう。
2002年5月3日。
ふと思いついて、「日記サイト」に登録をした。
当時有名だった日記サイトは、「さるさる日記」かな。
でも、有名どころはわたし的にしっくりこなかったので、無名かつ地味な「DiaryNote」を選ぶ。
選ぶっていうか、偶然行き当たった。
別に、やりたいことがあるわけでも、全世界に発信したいことがあるわけでもなかった。
ほんとに、ただなんとなく。
「彼女は陽気な破壊的気質を持っている。」という、変なタイトル。
「緑野こあら」という、変な名前。
その場の思いつきで決めた、思考タイムなし(笑)。
出典はそれぞれあるけど、そこから決めたのは一瞬。
あのころのわたしは、なにを考えていたんだっけ。
よく思い出せない。
いろいろ鬱屈していたとは思う。そして、いろいろお気楽だったと思う。相反するが、それが事実。
「DiaryNote」は、利用者に無断で(笑)、どんどん変わっていった。
名前通りの日記サイトだったんだってば。
日記ですから、ただ書くだけ。一方通行ですとも。コメント機能すらなかったんだ。
それが勝手にコメント付けるわ、トラックバック付けるわ、あげくのはてに「今日からブログになりました」だもんよ。
ちょお待て。日記とブログはまったくチガウものだぞ??
もっとも、ブログなんて名乗っているだけで、やっぱり「DiaryNote」は日記サイトで、ブログとは根本が違っている作りのサイトなんだけどね。
あの「さるさる日記」がサービス終了するくらい、時代は移り変わった。いろんなサイトが終了していった。
そんな中で、よくもまあ、生き残ってくれたもんだ。
感謝してます、「DiaryNote」さん。
以前は問い合わせをしてもガン無視が当たり前だったけど、最近は返事もらえるようになったし。不具合の報告したら、直してくれるし。
……何年か前、カウンターが上限超えちゃうよ、桁数増やして、とお願いしたときもガン無視、999999…を超えて仕切り直しになったのも、なつかしい思い出。
次にカウンターが上限超えそうになったとき、また同じお願いをしてみる予定。今なら返事もらえるのかなあ?
なんやかんやで、10年。
誰にも告げず、検索サイトへの登録(当時はそれが定石だった)もせず、ひとりで日記を書いていた。
上の画像は、いちばん最初に書いた記事。
カウンター数が「73」だけど、初日にこんな数字だったわけじゃない。画像保存したのが2002年5月20日なので、半月かかってもそんな訪問者数だった。ってゆーか、その大半はわたしがひとりで回していたはず。わたし以外、誰もいないはずだもの。
カウンターが1日に10回ったら、うろたえてたなー。なにが起こったんだ、と。当時の「DiaryNote」には、アクセス解析もナニもなかったんですよ。
日々書き続けるうちに、なにがしたいかわかってきた。
最初は日常からマンガ・アニメ、創作系の話、映画やドラマの話も書いていた。
でも途中から、タカラヅカの話のみにしぼった。
エクササイズの場だったときも、あった。
文章を書く練習。
テーマを決めて起承転結、決められた文字数で。
読み物としての意識を持ち、リアルと表現手段を模索。てな。
いろいろ悩んでいたな。人生回り道ばっかしだ。
今はそーゆー縛りはなくし、とにかく好きなだけ好きなように書く、ようにしている。
貴重な息抜きの場、かな。
書きたいことはいろいろあるが、時間が取れなくて、昔ほど書けなくなったのが残念。
タカラヅカはどんどん変わっていく。
変わらないけど、変わっていく。
変わっていくのに、これほど変わらないものもない。
先日、ムラでサトリちゃんと会った。
ピュアしいちゃんファンの彼女は、ご贔屓を見送るために全力疾走し、ご贔屓と共にヅカを卒業した。
彼女とは、他では会っていたけれど、タカラヅカの聖地・ムラで会うのは実に3年ぶりだった。
「変わってないねええ」
と、ロビーを見回して感嘆する声に、心から同意した。
「変わってないよ、ここは」
まるで、「時間」というものの外側にあるようなところだ。
宝塚大劇場って。
改めて、思う。
わたしは10年前も、同じようにここにいた。
劇場はなにも変わっておらず、やっていることも、変わっていない。
そしてわたしも、変わっていない。
サトリちゃんはリア充満喫中で、着実に人生を歩んでいる。
それに比べ、わたしナニやってんだろう、と途方に暮れた(笑)。
うん、ときどき、なにもかも嫌になる。
宝塚駅にいるときとか、ソリオを歩いているときとか。「いったい何千回この駅に来ただろう。いくら使っただろう」って思うと、目の前が暗くなるんだ、絶望で(笑)。
アホすぎるよ、こんな人生。
自分の変わらなさ……というか、進歩のなさに、心からへこむ。
後悔はするけど、反省はしない。
何故ならば、依然、改める気がないからだ(笑)。
阿呆上等ですよ。
わたしみたいな木っ端人生に過ぎないモノであっても、それを左右する、大きな魅力があるのですよ、タカラヅカ。
文句言うし、愚痴も言うけど。
今現在、キムくんのことでへこんでいるけど。
それでも、タカラヅカをすごいと思っている。
それでも、タカラヅカを愛している。
ほんとに、おもしろいよ。
現実にある、とんでもないファンタジーだ。
時の流れの外側にある、幻の王国ですよ。
「タカラヅカ」という概念は変わらず揺るぎなく、ただそこにいる人々は移り変わっていく。
花の命は短くて、タカラジェンヌの寿命は10年ちょっと、人生のもっとも美しい時期を捧げて輝く。
タカラヅカはどんどん変わっていく。
変わらないけど、変わっていく。
変わっていくのに、これほど変わらないものもない。
わたしは10年分確実に老いたし、衰えた。
なのに10年前と、なんら変わっていない。
なんかもお、とてつもないなあ、と思う。
ここで「日記」を書きはじめて、丸10年。
先のことはわからないけれど、わかっていることはある。
変わらないモノは、ある。
タカラヅカが愛しいのは、それゆえにだろう。
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