この不自由で、美しい世界。@ドン・カルロス
2012年4月29日 タカラヅカ 書けてないことが、いろいろある。
今回の雪組公演は、芝居もショーも楽しすぎて、ムラ初日から何度も「これって奇跡?」とつぶやいてきた。
こんなにしあわせな公演があっていいの、と。
しあわせ過ぎたあとに、奈落へ落ちた。
いやあ、アップダウン大きすぎ。
通常の高さから落ちたんじゃないもん。いつもより遙か高みから、地面ではなく亀裂の底まで落ちたんだもん。どんだけ。
なまじしあわせだっただけに、納得できない。
どうして「今」なの。このしあわせなキモチを、もう少し味わせてくれないの。と。
東宝公演分、つまりあと1ヶ月は奇跡のようなしあわせを味わえるはずだった。
人生そうそうない、もう二度とないかもしれない、そんなしあわせを、あとひと月。
……それすら、許されないのか。
まあ、それでもわたしや、ムラ組は良かったのかもしれない。ムラ公演中は、ほんとにしあわせで、楽しかったもの。
東宝初見で、ネットや人づてで「良い作品だよ!」と話だけ聞き、自分の観劇日を楽しみにしていた人たちは、手放しの幸福感に酔うこともできなかったのだから。
良い作品である、雪組のまとまりやパワーを感じられる公演であるだけに、何故……!という憤りや悲しみを抱いての観劇になってしまう。
んで、このしあわせ絶頂から悲しみ痛みを抱いての観劇へ、って既視感あるなと思ったら、『ロミジュリ』がそうでした。
トップ娘役不在、謎の夢華さんを除けば、本当にすばらしい公演でこんなに大好きな作品には二度とで会えないかもしれないと、狂ったよーにムラへ通った。ムラ公演も途中から、トップ娘役はみみちゃんだと思って観ていたし、みみちゃんジュリエットのときしか観なくなっていたので、ほんとにしあわせな公演だった。
それがあと1ヶ月、東宝ででも続くと思っていたら、観劇どころではない大きな悲しみが襲った。
雪組って、キムくんって、ずっとずっとそうなのか。お披露目からそうで、その次は劇団史に残る問題作で、3作目の今回は不審な退団発表で。
わたしは打たれ弱い人間なので、断ち切られた幸福感に、傷口の生々しさに、現実と向き合うのに時間を要しておりますが。
そして、いつものことだけど後悔する。
なんでもっと早くに、書きたいことを書いておかなかったんだろう。仕事が忙しすぎるとか、家族や自分の入院がとか、理由はいくらでもあるけれど。
感想を書くことは、なにより自分のためなのに。
しあわせだったあの頃のまま、そのキモチのまま、思いを残すべきだった。
痛みがじくじくと在り続ける今とでは、同じネタで書く感想も、視点のありようが違ってくる。
もっともっと、きちんと残したいのに。
いつかナニもかも遠くなったとき、読み返すために。
わたしはしぶとく長生きする予定で、そのよぼよぼ老後の楽しみとして、若かった頃、壮年だった頃の感想や萌えを記したい。
ってことで、今さらだけど『ドン・カルロス』のいろんなこと。
書き切れてないことが多すぎて、記憶はどんどん抜け落ちて、切ないったらない。
オープニングは、ポーザ侯爵@ちぎ、フアン@ヲヅキ、アレハンドロ@翔が銀橋へ登場。
3人ともカッコイイ。そして、帽子の被り方がそれぞれ違っててイイ。みんな似合ってる。つか、ちぎくんなんか、美形でなきゃ!って被り方だよなあ。素晴らしい。
狩りの場面なので、殿方たちはそれぞれ弓だの鞭だのを持っている。
ここのツボは、ヲヅキひとり、ボウガンかよ!!(笑)ってことですわ。ただの弓じゃないのよ、ひとりだけ。殺傷力半端ナイですよ。初日からツボりまくった。強そうだなヲイ!と。
初日に鼻白んだ舞台上のネギ……不透明水彩絵の具(小学生が使うアレ)で書き殴ったようなネギの色に、もう少しなんとかならんかったんか、と思ったのもいい思い出(笑)。
2階席から照明込みで観ると、あのネギはアリだった。殿方たちの衣装も合わせて、舞台全部が絵画のように見える。
殿方たちのイケメンぶり、小芝居やコーラスする様を愛でる場面であることに、加えて、ナニ気に気になる兵士ふたり。
真地くんは相変わらず美形で、どこにいてもわかる。それと、今回やたら目に付く凰くん。このふたりの並びはいいな、なんかゴージャス(笑)。
殿方たちに続いて登場する淑女たち。
オープニングのこれだけの場面ですら、キムシンらしさ全開で、キムシンファン的には楽しい。
「男なら」「乙女なら」と歌う、その断言口調。
男なら狩りが好き、戦うことが好きだと決めつけてますよ、言い切ってますよ。
「男はみんな王になりたい」だよな。うんうん、そーゆー少年ジャンプ的な感性が好きだ(笑)。
で、男性の闘争本能を肯定しているくせに、キムシン自身は戦いが嫌い。彼の作品では、戦闘場面の描き方がおざなりだったり少なかったり、本人に興味がないことが透けて見える。
戦争に行くぞー、わー! 場面変換、戦争終わったぞー! →戦い場面なし。
狩りに行くぞー、わー! 場面変換、狩り終わったぞー! →狩り場面なし。
そんなんばっかしや(笑)。
淑女たちの内緒話、雪娘はかわいいなあ!としみじみ。
いつもオペラグラス使ってわくわく眺めている。
るりるり、あだちゅうは『インフィニティ』以来、なんか親近感持って眺めてしまう。
前にも書いたが、この噂話のときに、名前と同時に殿方を登場させて欲しい。
「ポーザ侯爵はいかが?」で、花道に立つちぎにライト、「気むずかし屋さん♪」、「フアン・デ・アウストリア様は?」で、反対の花道に立つヲヅキにライト、とやってくれればなあ。
初見だと名前を羅列されてもわかんねーよ。
話題の最初に出るカルロス王子@キムを登場させられないから、無理だったんだろうけど。
しかしこの若手娘役ちゃんたちの場面は好きだ。毎回オペラを覗くのに忙しい。
かわいい女の子たちが、本気でかわいい芝居、仕草をしているのを見るのが好き。みんなかわいいー。
今回、不思議なほど構成がすっきりまとまっている。キムシンなのに(笑)。
無駄がないというか。
承前、という感じの殿方と淑女の場面。ここで、この作品を観る上での必要な情報が解説されている。
殿方たちの場面では、カルロスが同世代の貴族青年たちに敬われながらも「親友」と呼ばれていること。変わり者だと思われていること、それでもみんな笑ってそんなところをも愛し、受け入れていること。
淑女たちの場面では、カルロスだけでなくポーザ侯爵やフアンの紹介。
カルロスは「いちばん素敵」でも、「次元が違う」と貴族たちに切り捨てられる存在であること、彼こそ自由になにも選べないこと。
人物紹介が、立て板に水で観客の理解に及ばないにしろ、この時代の「恋愛」「結婚」についての説明は、誰にだって理解できるだろう。
不自由さはカルロスがもっとも顕著だが、それ以外の貴族たちもまた、自分で選んだ相手と結婚できない。それをすることはすべてを捨てることなのだと。
ラストのカルロスとレオノール@みみとリンクしてるんだよね。
前もって必要な情報を提示した上で、ようやく本編の幕が上がる……すなわち、カルロスが登場する。
今回の雪組公演は、芝居もショーも楽しすぎて、ムラ初日から何度も「これって奇跡?」とつぶやいてきた。
こんなにしあわせな公演があっていいの、と。
しあわせ過ぎたあとに、奈落へ落ちた。
いやあ、アップダウン大きすぎ。
通常の高さから落ちたんじゃないもん。いつもより遙か高みから、地面ではなく亀裂の底まで落ちたんだもん。どんだけ。
なまじしあわせだっただけに、納得できない。
どうして「今」なの。このしあわせなキモチを、もう少し味わせてくれないの。と。
東宝公演分、つまりあと1ヶ月は奇跡のようなしあわせを味わえるはずだった。
人生そうそうない、もう二度とないかもしれない、そんなしあわせを、あとひと月。
……それすら、許されないのか。
まあ、それでもわたしや、ムラ組は良かったのかもしれない。ムラ公演中は、ほんとにしあわせで、楽しかったもの。
東宝初見で、ネットや人づてで「良い作品だよ!」と話だけ聞き、自分の観劇日を楽しみにしていた人たちは、手放しの幸福感に酔うこともできなかったのだから。
良い作品である、雪組のまとまりやパワーを感じられる公演であるだけに、何故……!という憤りや悲しみを抱いての観劇になってしまう。
んで、このしあわせ絶頂から悲しみ痛みを抱いての観劇へ、って既視感あるなと思ったら、『ロミジュリ』がそうでした。
トップ娘役不在、謎の夢華さんを除けば、本当にすばらしい公演でこんなに大好きな作品には二度とで会えないかもしれないと、狂ったよーにムラへ通った。ムラ公演も途中から、トップ娘役はみみちゃんだと思って観ていたし、みみちゃんジュリエットのときしか観なくなっていたので、ほんとにしあわせな公演だった。
それがあと1ヶ月、東宝ででも続くと思っていたら、観劇どころではない大きな悲しみが襲った。
雪組って、キムくんって、ずっとずっとそうなのか。お披露目からそうで、その次は劇団史に残る問題作で、3作目の今回は不審な退団発表で。
わたしは打たれ弱い人間なので、断ち切られた幸福感に、傷口の生々しさに、現実と向き合うのに時間を要しておりますが。
そして、いつものことだけど後悔する。
なんでもっと早くに、書きたいことを書いておかなかったんだろう。仕事が忙しすぎるとか、家族や自分の入院がとか、理由はいくらでもあるけれど。
感想を書くことは、なにより自分のためなのに。
しあわせだったあの頃のまま、そのキモチのまま、思いを残すべきだった。
痛みがじくじくと在り続ける今とでは、同じネタで書く感想も、視点のありようが違ってくる。
もっともっと、きちんと残したいのに。
いつかナニもかも遠くなったとき、読み返すために。
わたしはしぶとく長生きする予定で、そのよぼよぼ老後の楽しみとして、若かった頃、壮年だった頃の感想や萌えを記したい。
ってことで、今さらだけど『ドン・カルロス』のいろんなこと。
書き切れてないことが多すぎて、記憶はどんどん抜け落ちて、切ないったらない。
オープニングは、ポーザ侯爵@ちぎ、フアン@ヲヅキ、アレハンドロ@翔が銀橋へ登場。
3人ともカッコイイ。そして、帽子の被り方がそれぞれ違っててイイ。みんな似合ってる。つか、ちぎくんなんか、美形でなきゃ!って被り方だよなあ。素晴らしい。
狩りの場面なので、殿方たちはそれぞれ弓だの鞭だのを持っている。
ここのツボは、ヲヅキひとり、ボウガンかよ!!(笑)ってことですわ。ただの弓じゃないのよ、ひとりだけ。殺傷力半端ナイですよ。初日からツボりまくった。強そうだなヲイ!と。
初日に鼻白んだ舞台上のネギ……不透明水彩絵の具(小学生が使うアレ)で書き殴ったようなネギの色に、もう少しなんとかならんかったんか、と思ったのもいい思い出(笑)。
2階席から照明込みで観ると、あのネギはアリだった。殿方たちの衣装も合わせて、舞台全部が絵画のように見える。
殿方たちのイケメンぶり、小芝居やコーラスする様を愛でる場面であることに、加えて、ナニ気に気になる兵士ふたり。
真地くんは相変わらず美形で、どこにいてもわかる。それと、今回やたら目に付く凰くん。このふたりの並びはいいな、なんかゴージャス(笑)。
殿方たちに続いて登場する淑女たち。
オープニングのこれだけの場面ですら、キムシンらしさ全開で、キムシンファン的には楽しい。
「男なら」「乙女なら」と歌う、その断言口調。
男なら狩りが好き、戦うことが好きだと決めつけてますよ、言い切ってますよ。
「男はみんな王になりたい」だよな。うんうん、そーゆー少年ジャンプ的な感性が好きだ(笑)。
で、男性の闘争本能を肯定しているくせに、キムシン自身は戦いが嫌い。彼の作品では、戦闘場面の描き方がおざなりだったり少なかったり、本人に興味がないことが透けて見える。
戦争に行くぞー、わー! 場面変換、戦争終わったぞー! →戦い場面なし。
狩りに行くぞー、わー! 場面変換、狩り終わったぞー! →狩り場面なし。
そんなんばっかしや(笑)。
淑女たちの内緒話、雪娘はかわいいなあ!としみじみ。
いつもオペラグラス使ってわくわく眺めている。
るりるり、あだちゅうは『インフィニティ』以来、なんか親近感持って眺めてしまう。
前にも書いたが、この噂話のときに、名前と同時に殿方を登場させて欲しい。
「ポーザ侯爵はいかが?」で、花道に立つちぎにライト、「気むずかし屋さん♪」、「フアン・デ・アウストリア様は?」で、反対の花道に立つヲヅキにライト、とやってくれればなあ。
初見だと名前を羅列されてもわかんねーよ。
話題の最初に出るカルロス王子@キムを登場させられないから、無理だったんだろうけど。
しかしこの若手娘役ちゃんたちの場面は好きだ。毎回オペラを覗くのに忙しい。
かわいい女の子たちが、本気でかわいい芝居、仕草をしているのを見るのが好き。みんなかわいいー。
今回、不思議なほど構成がすっきりまとまっている。キムシンなのに(笑)。
無駄がないというか。
承前、という感じの殿方と淑女の場面。ここで、この作品を観る上での必要な情報が解説されている。
殿方たちの場面では、カルロスが同世代の貴族青年たちに敬われながらも「親友」と呼ばれていること。変わり者だと思われていること、それでもみんな笑ってそんなところをも愛し、受け入れていること。
淑女たちの場面では、カルロスだけでなくポーザ侯爵やフアンの紹介。
カルロスは「いちばん素敵」でも、「次元が違う」と貴族たちに切り捨てられる存在であること、彼こそ自由になにも選べないこと。
人物紹介が、立て板に水で観客の理解に及ばないにしろ、この時代の「恋愛」「結婚」についての説明は、誰にだって理解できるだろう。
不自由さはカルロスがもっとも顕著だが、それ以外の貴族たちもまた、自分で選んだ相手と結婚できない。それをすることはすべてを捨てることなのだと。
ラストのカルロスとレオノール@みみとリンクしてるんだよね。
前もって必要な情報を提示した上で、ようやく本編の幕が上がる……すなわち、カルロスが登場する。
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