『ドン・カルロス』の構成に無駄がない、と思うのは、ストーリー云々より、キャラクタをきちんと作ってあるためかなと思う。

 キムシンは緻密なストーリー構成をする人というより、多彩なキャラクタをキャストにアテ書きする人だ。
 ストーリーの多少の粗は、キャラの立ち方で吹っ飛ばす系というか。

 だからこの作品がうまくパーツが組み上がっているのは、キャラクタゆえかなと。

 主人公カルロス@キム中心に、すべてのキャラクタがぴちっとはめ込まれている。

 このキャラクタならここでこうする、こんなことがあればこう言う、それが徹底されているので、必然的にストーリーも破綻しない。

 承前部分で、高貴な身分ゆえに不自由であることを説明されたカルロス。
 さらに初登場となる銀橋部分で、彼の核となる部分を表現しちゃうんだから、キャラ物としてこれでもかと押し出している感じ。

 銀橋ソングでは、「王子である」という正の部分、陽の部分と、負の部分、陰の部分が1枚の紙の裏表みたいに、ちらちらと揺れる。
 歌声の美しさ、姿の美しさに誤魔化されがちだけど、実際初っぱなからすげー高度なことが展開されている。……キムくん、信頼されてるよなあ。

 カルロスは別に、「王子の義務」を己れの不幸だと思っていない。
 「好きな女の子と結婚できないよう!」と嘆いているわけじゃない。

 カルロスの不幸は、父に愛されなかったことがすべて、と言っていいと思う。
 冒頭のソロで、愛に飢えていることを歌う彼は、「母を知らず、父と隔てられ」と、森の中の鳥にすら憧憬を抱く。

 母は亡く、たったひとりの父に愛されない。
 それが、カルロスという人間を作る原点。

 親に愛されない、親に否定される、ことは、子どもを大きく傷つける。
 その人の魂のコア部分を歪めてしまう。

 父に愛されない、そこからカルロスのすべてがはじまる。

 レオノール@みみちゃんと出会い、騎士と姫君ごっこをして愛を育んだのも、成人した今、それでも身分違いの彼女を愛し続けているのも。

 父に愛されていないがゆえ、でしょう。親の愛に飢えているから、でしょう。

 もしもカルロスが、真っ当に親の愛を得ていたら、レオノールを愛しただろうか。
 身分違いの孤児と心を重ね合わせることができただろうか。

 生まれつきどこまでも優しく他人の心の傷や悲しみが理解できる、神様みたいな人だったのです!……てな、人間離れした存在でもない限り、レオノールの孤独や悲しみは王子様には理解できないよね? まだ6つや7つのときに。
 カルロス自身が悲しい少年だったからこそ、悲しいレオノールと理解し合えた。

 一度も傷ついたことのナイ人間に、他人の痛みなどわからない。
 子どもが虫や小動物を平気で殺したり乱暴に扱ったりするように、無知な者は他者に優しくなれない。
 神様でも天使でもナイ、カルロスもレオノールも、悲しみを知っているから優しい子どもだった。

「自分ではどうにも出来ないことがたくさんある、だからわずかでも人の役に立ちたいと願うのです」……そう語るカルロスは、悲しみを知るゆえに、心の傷を多く知るゆえに、やさしい人になった。

 今のカルロスを作っているのは、フェリペ二世@まっつの冷淡さゆえ。

 もしも。
 母が生きて、カルロスに当たり前の愛情を注いでいたら。
 父が逃避せず、カルロスに当たり前の愛情を注いでいたら。

 カルロスのまっすぐな性格からして、今よりずっと義務に忠実だったと思う。
 父に生意気な口をきいたりもせず、素直に尊敬し、共に国のために尽くしていただろう。
 とっとと政略結婚してたんじゃね?
 レオノールとも出会ってないし。
 レオノールは叔母のフアナ@リサリサのもとにいたわけだから、出会う可能性はあるけれど、しあわせいっぱいの王子様は、身分違いの孤児にそれほど感情移入しないだろうし、もししたとしても、「子どもの頃の淡い思い出」として完結していそうだ。

 父の愛に飢える子どもだったからこそ、カルロスはレオノールと出会い、彼女を愛した。
 カルロスにとって、レオノールは救いだったんだろう。
 現在もまだ父と心が通じていない。子どもの頃と同じ悲しみ・孤独を持ち続けている……それゆえに、レオノールを愛し続けている。

 心の欠けた部分、満たされていない部分があるゆえに、彼は明確にレオノールの愛を求める。

 キャラ設定として、なんの齟齬もナイ。

 父との関係と、レオノールへの愛と。
 カルロスを形作る中枢が、このふたつ。
 これが、スペイン王子であること、ハプスブルグ家のカルロスであること、を外殻として物語が展開する。
 カルロスは自分の立場を決して忘れない。

 それゆえ、クライマックスの異端審問において、カルロスは原点を尊重する。
 原点……父・フェリペ二世との関係。

 レオノールを泣かせても、傷つけても、彼はまず王子であることを優先する。
 「処刑されたのち、父上の目に触れてくれたらそれでいいと思っていた」と、命を救うことになるかもしれない証拠を挙げずにいた。
 そこで父親なんだ。
 命を懸けて、振り向かせたい相手が。

 これが「家族の物語」であり、フェリペ二世との確執がすべてのはじまりであった、ということを表しているんだなあ。

 父の愛を得られない。
 生まれてすぐの否定。
 カルロスは母の命と引き替えに生まれたのかもしれないが、フェリペ二世は妻を愛するあまりに息子を殺したんだ。
 はじめて会った息子に背を向けた、その行動にて、息子を殺したんだ。

 父に否定されたそのときに、カルロスは家庭的に抹殺された。
 父に肯定されない限り、彼は一歩も進めない。自分の人生を歩めない。

 異端審問において、フェリペ二世に赦されたとき、認められたとき、はじめてカルロスは生まれた。
 生まれ直した。
 だから、生きるための闘いを始める。

 無罪判決が出たあと、王子としての身分返上を申し出るのも、そのためだろう。

 彼は今、生まれたんだ。

 王子として、父の愛を求めて生きた時間は、一旦幕を下ろした。
 父に愛されない、母殺しの十字架を背負ったままでは、願いなどなにひとつ口に出来なかった。
 父の愛を得た今だからこそ、言える。

 旅に出たいと願い出るカルロスに、レオノールのことは頭にない。身分違いの女官と結婚したいから身分返上を言い出したわけじゃない。
 生まれ直す、生き直すことしか、考えていない。
 フアナがレオノールと妻合わせたのは結果であって、この時点でカルロスはひとりで旅立つつもりだ。

 ほんとうに、元凶は、フェリペ二世だったんだなあ。

 カルロスがフェリペ二世の心を得るまで、がこの物語。
 あるいは、フェリペ二世が心を開くまで。
 キムシンが、フェリペ二世と会った(笑)ことから作劇がはじまったとプログラムに書いてあるだけのことはある。

 キャラクタを正しく作り、動かしてあるから、物語も見事に起承転結した。
 正しいキャラ物だわ。

コメント

日記内を検索