『ドン・カルロス』のクライマックスである異端審問。
 これちょっとわかりにくいと思うんだが、どうだろう。
 確かに、必要なことはあらかじめ情報として作品中に提示されている。
 今回ほんと、伏線しっかり張ってあるんだよキムシン。

 でも、異端審問においては、台詞が足りていないと思うんだ。

 王妃と王子の密会はタブー。
 ドイツ語訳の聖書は、持っていることすら罪の、禁断の書。

 それを破ったからカルロスは裁かれる。

 わかりにくいのは、ふたつの罪がごっちゃに裁かれているためだと思う。


 まずひとつめの王妃と王子の密会について、罪に問われているのがカルロス@キムのみだってのが、混乱のもと。
 観客はふたりが不義の密会をしていたのでないことを知っている上、会いたいと持ちかけたのがイサベル@あゆみであることも知っている。だから余計にややこしいんだ。
 何故カルロスだけが?

 男と女が不義を働いた場合、男だけが罪に問われるの?
 王子と王妃が不義を働いた場合、王子だけが罪に問われるの?

 チガウでしょ。
 フアン@ヲヅキが説明しているように、「カルロスがイサベルを誘惑した」ということになっているため、でしょう?

 だから悪いのはカルロスだけで、イサベルは他人事で傍聴席にいる。彼女はまきこまれただけ、あるいは被害者。

「何故無実を訴えないのです」「そんなことをしたら母上の身が危うくなるのです」レオノール@みみと話していることから、「密会を申し出たのはイサベル」という事実は伏せられている。
 イサベルの身の振り方で、彼女の故国フランスとの外交問題に発展する恐れがあるため、カルロスが罪を被ろうとしている。

 ……という設定が、わかりにくいの。

 前もって説明されているし、ちゃんと集中して観劇していれば、伏線を理解していれば、ついて行けるけど。
 そこまで観客に任せないで、ただひとこと台詞を追加するだけで、ものすごーくわかりやすくなるんですけど。

「見るべきモノは見た」
 と、霊廟に乱入してくるフェリペ二世@まっつ。彼の側近であるアルバ公爵@きんぐやルイ・ゴメス@がおり、そして兵士たち。
 兵士が捕らえるのが、カルロスだけでなく、イサベルにも及べばいい。手荒なことをするのでなくていいから、彼女もまた罪に問われるのだとわかるように。
 そこで、カルロスが叫ぶ。

「密会を持ちかけたのは私です。母上は私をたしなめるために、ここまで来られました」


 ……「イサベルをかばい、自ら罪を被るカルロス」という台詞があるだけで、すっげーわかりやすくなると思うんだ。
 これだけはっきり言われたら、フェリペ二世も「がーーん、やっぱり息子に裏切られたんだ!!」ってことで、「異端審問にゆだねる」と息子を切り捨てても仕方ない流れになるよね。


 フェリペ二世はその夜、牢獄でカルロスとレオノールの会話を盗み聞き、真実を知る。
 でもすでに異端審問に掛けると宣言しちゃったし、一方(カルロス)だけの話で決められない。
 公の場で、イサベルが真実を話さない限り、王としては引き下がれない。

 ひとつめの問題、王子(主体)が王妃と密会に及んだ、に異議があるか。
 カルロスは無言、すなわち異議なし。
 イサベルひとりが、異議を申し立てた。

 密会に及んだのは自分であること、そしてそれは不義ゆえではなく、フェリペ二世を愛するがゆえであることを。

 異端審問に掛けると宣言したフェリペ二世は、ここで訴えを取り下げる。
 カルロスがイサベルを誘惑したのではない、自分の至らなさが招いたことだと認め、場を収めた。

 王様、視野狭すぎ、と思うのは、この異端審問が不義問題のみだと思い込んでるあたりね。
 不倫してるんじゃなかった、ごめん、勘違いだったね。取り下げるからハッピーエンド。
 と思ったら、問題はそれだけじゃなかった。いやむしろ、異端審問長官@にわにわ的には、色恋ネタより宗教ネタが重要。

 フェリペ二世がふたつの問題を混同しているもんだから、観客も混同しちゃうのよ。
 別の問題を裁いているんだってことが、わかりにくい。
 ったく、フェリペ二世め。こんなとこでも元凶かよ。


 そして、もうひとつの問題、禁断の書。
 持っているだけで死刑上等の書を、カルロスが持っていた。

 異端の書を所持していたことは事実。だからカルロスは異議を申し立てない。それゆえ、死刑判決が出る。

 禁断の書を持っている、というのは物的証拠。
 これを状況だとか人的だとかで覆すのは、大変。
 「この本を持っているけど、この本の内容はキライなんだよ!」では言い逃れにしか聞こえないよなあ。
 キライである、書いてある内容を認めていない、ということを、証明しなければならない。

 キライである証拠、思っていることを形に表す、って、どうやって?
 それも、今この時点で新たに言っても無駄。命惜しさに、いくらでも「キライなんだ」と言える。
 捕縛される前に「キライだ」と言った証拠がなければ。

 常識として、「好き嫌いの証拠」なんて、出せるものじゃないよね。
 「持っている」=「好き」だと思われても仕方ない。
 持っているだけで死刑になるのに、好きでなきゃ、わざわざ持ってないでしょ。

 苦しい言い訳にはなるけれど、考えられる方法としては、「持っている」のは「自分の意志じゃない」と訴えること。
「たしかに異端の書を持ってはいた。でもこれは自分の意志ではなく、人から無理に預けられたのです」「私は悪くない、仕方なく手元に置いていただけ」
 ザ・責任転嫁。
 言葉だけの話になっちゃうけど、そうやって無実を訴えることは可能。
 死刑になるくらいなら、それくらい言っちゃっても不思議はないよね。

 でもそうすると、「誰から渡された本なのか」という話になる。
 カルロスはそのため、口をつぐんでいる。自分が助かるために、友人を売ることはしない。
 「自分の本だ」とすべて認めて、黙って処刑されれば、本の出所は言及されない。

 じゃあ、カルロスが持っていた「157ページ」ってなに? ってことになる。

 ふたつめの問題で争点になっているのは、ずはり宗教問題。
 「持っている」=「好き」だから、聖書を持っているということは、信者だということ。
 聖書を持っているにも関わらず、信者ではないのだと証明しなければ、無実にならない。

 157ページってのは、その「聖書を持っているけど、信者にあらず」という証拠なんだけど、そんな証拠を持っていたのに最初から出さなかったから、これがまたややこしくなっている。

 つづく。

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