主役カップルがいちばん物足りなかったと書いた。
 では、『近松・恋の道行』でいちばんツボったカップルはというと。

 幾松@鳳くん×きは@りりかだ。

 いやあ、まさかここに行くとは思わなかった。
 初日に観たとき、なんか気になって。次に観たときは、がつーんとキた(笑)。
 幾松の盲目の理由をわかった上で観る、リピート観劇のときの方が破壊力大きい。

 ちょ……っ、好みだわ、この子たち!!


 きはの正しさがいい。
 控えめで、じっと耐える誠実さのある娘。
 なんの落ち度もないのに振られて、どんどん身の置き場がなくなっていく。
 いや実際、たまらんでしょ、彼女の立場だと。
 長男の嫁に、この家の若女将に、と幼い頃から引き取られ、育てられてきたのに、当の長男に拒絶されるって。

 存在意義の否定キターーッ!

 嘉平次@みわっちに視線逸らされたりするのもつらいが、そのことで嘉平次パパ@汝鳥伶様に謝られたり、嘉平次弟幾松に気を遣われたりすると、さらにきついよなー。
 いっそ罵ってくれ、「お前が至らないから嘉平次が他の女に迷ったんだ」と。
 そうすれば謝ることも泣くことも出来る。
 しかし今のままだと、それもできない。

 ただ、苦しむだけ。

 黙って慎み続け、苦しみ抜くきは。

 その彼女が、2幕アタマの幻想場面で、嘉平次への想いを表す。
 うちに秘めて耐える、日本人女性の鑑のような彼女が、熱情をこぼす。嘉平次へ本心を解放する。
 いや、幻想ですら、彼女は自分を律しようとするのだけど。相手を炎に焼いたりはしないんだけど。

 自分の心の炎にとまどい、また苦悩する。


 そして、そんなきはを愛する、幾松。

 愛を封じるために、自ら目の光をあきらめる。

 盲目のままでいる、というのは、彼が選んだ戒め。
 彼が健康な青年ならば、道を誤った長男に代わり、棚ぼたなことになるかもしれない。
 家督を継ぎ、兄と沿うはずだった許嫁を娶る。それって万々歳じゃん、幾松はきはを好きなんだから。
 だけどそれじゃダメなんだ。だってきはは嘉平次を愛している。
 愛する人に、幸せになって欲しい。愛を成就して欲しい。きはの幸せは嘉平次と一緒になることだと信じている。
 幾松の目が見えないままなら、こんな身体で跡取りにはなれないから、父はなにがなんでも嘉平次を家に戻し、きはと一緒にさせるはずだ。

 きはのために、目をあきらめる。

 きはのため?
 そうじゃない。

 自分の、ためだ。

 もしも目が見えたなら、兄と遜色ない健康で聡明な若者だったなら。
 きっと、恋をあきらめられない。
 きはの幸せが嘉平次にあったとしても、彼女を得たいと渇望することだろう。

 それがわかっているから、盲目でいる。
 こんな身体だからと、彼女をあきらめられる。

 所詮は、自分のためにやっているんだ……。

 献身とか自己犠牲とか、美しいものをまといながら、本当はこんなに醜い。
 醜い私は、彼女に相応しくない。

 闇のスパイラル。

 傷つきながらも微笑むきはを必死で気遣う幾松は、彼女に言われる。

「幾松さんは、やさしいのね」

 この「やさしい」と言われた瞬間の幾松が。
 鳳くんが。
 かなしい、痛い顔をした。

 優しい、いい人、は「対象外」の男に投げられる常套句だから、そこに傷つく、という意味もあるのかもしれない。

 でも、「やさしい人」と言われちゃったら、きついよね。

 私は優しい人なんかじゃない。あなたにだから、優しくしているだけ。
 人格者だから徳のある言動しているんじゃなく、その奥に欲があってのこと。

 弱った彼女に優しくして、無意識に見返りを求めている。

 彼女の美しい言葉が、素直な感謝の心が、幾松の闇に刺さる。清浄さが汚濁を照らし、やりきれなくなる。

 だから彼は、目を開いてはいけない。
 このまま、闇に沈むべきだ。盲目のまま、不具のまま、家督を継ぐ資格も彼女を得る資格もないまま、朽ちていかなければ。

 2幕最初の幻想場面は、切ないよなあ。

 嘉平次とさが、清吉@みつると小弁@べーちゃんは、それぞれ苦しんでいるけれど、とどのつまりは相思相愛、ふたりの間に葛藤はない。
 幾松ときはだけが、心のベクトルがチガウ。

 嘉平次を恋い、叶わぬことに苦しみ、恋うことすら律しようと葛藤するきは、そんなきはを恋い、叶わぬことに苦しみ、恋うことすら律しようと葛藤する幾松。

 きはは正しい。
 まっすぐな女性。

 そのきはに対し、幾松は、歪んでいる。

 いやあ、幾松ってやばいよね(笑)。『春琴抄』系のやばさだよね。
 愛する女のために、目をつぶしますよ、っていう。

 嘉平次の弟だなと思う。
 嘉平次は狂気を秘めた男、その弟もまた、十分狂っている。

 その歪みが、ステキすぎる。

 鳳くんはこういう「ふつうの優しい人」が、ちょっくら道はずしちゃった系を演じるとイイ人ですなー。『CODE HERO/コード・ヒーロー』のときとかさー。
 天才とか華のある色悪とかだと、持ち味が違いすぎていろいろ大変なことになるけど。


 ところで、あちこちで七変化、すばらしい芸達者ぶりを見せているタソですが。
 「盲目の美青年・幾松」のお世話係がタソって……!!

 いやその、タソはうまいよ? めちゃくちゃうまいのはわかってる。
 しかし、この役は……誰か別の人で見てみたかった、かなあ。

 幾松の手を握ってよりそって歩く男が、タソだと、なんの広がりもない……っ!(笑)

 学年的にありえないのかもしれないが、この役割が「ただならぬ色気標準装備」のふみかやらいらいだったりしたら、別の物語がそこに。

 『春琴抄』ならぬ「幾松抄」がスタートですよ。美しい盲目のぼっちゃま、幾松をひそかに愛する男の物語ですよ……!(笑)

 景子たん、わかってないなあ。
 とも思うし、景子たんはわかっていて、あえてはずしたのかなとも思う。タソなら、そっち系への発展はあり得ないもんね、そっち系に考えて欲しくないから、腐女子ブロックの意味でタソなのかも。

 タソかわいいよタソ。君がタカラヅカに長くいてくれることを望む。


 閑話休題。

 幾松ときはが良かった。好きだった。

 惜しむらくは、ふたりともビジュアルが要研究、だったことかな……。
 鳳くんの顔かたちにあのヅラは似合わないものなのか……なんかとても特徴的な頭部になっていたような。
 りりかちゃんはお化粧改善なんとかならなかったんだろうか……。初日より後半マシになっていた、か、なあ?

 日本物は難しいよね。

 タカラヅカの楽しみのひとつは、ジェンヌの成長していく姿を眺めること。
 鳳くん、りりかちゃん、よいお芝居をしてくれるジェンヌさんたち。まったり眺めていきますわ。

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