キムくんから「エリザベート」だの「トートみたい」だのと言われている『フットルース』のまつださん。

 踊る若者たちと違い、ムーア牧師@まっつは歌専門。
 その歌声で街を支配し、子どもたちの反抗を叩きつぶす。

 「歌の雪組」本領発揮の凄まじいコーラスの中、ムーアひとり別旋律を歌ったりと、すげー活躍っぷりです。

 わたしはまっつの声が好きで、歌声が好き。
 その端正で正確な……ともすれば面白味のない地味な歌手っぷりが、ほんとーに大好きです。

 歌が「表現」である以上、音程だーのピッチだーの技術的なことより感情優先、芝居が出来てりゃそれでいいじゃん!というのも、もちろんアリだし、そういう人も大好きです。
 調子っぱずれでも慟哭しながら歌われたら、なんか一緒に泣いちゃった、みたいな経験は、数え切れないほどある。
 役者さんってのはそうやって、観客を巻き込んでしまう力を持っているんだろう。

 そういうタイプの人と、まっつは真逆。
 悲しい歌を号泣しながら歌うとか、それゆえ音はずしまくるとか、正規のラインから逸脱することで「悲しさ」を表現しない。
 涙こぼすことなく歌い、正しい音階の歌声で悲しみを表現しようと努める。
 他のカンパニーならともかく、タカラヅカでそれは地味です。本人が泣いた方がわかりやすいし。
 音を完璧に操るより、多少雑でも感情を優先した方が、華やかだ。

 しかしその、とっても地味で地道な作業をえんえんくり返し、堅実に「音を操る」まっつが好き。

 今回「歌うボス」であるまっつが、一時期ちょっと、喉のコンディションが悪かった。
 第一声から「うわ、喉つぶした?」と戦慄するレベル。
 といってもそれは、ファンだとか、通常のまっつの歌をよく知っている人が気づくレベルで、初見の人はわからないくらい。まつヲタがうろたえきっている横で、一般ヅカファンは「まっつさん、いつ聴いてもいい声」「やっぱり歌うまいわね」と話しているのが聞こえてくる。
 一般人が聴いても変じゃないくらいのクオリティを、死守しているわけだ。

 その「喉、やっちゃった?」くらい大変な状態だったときのまっつが。
 すごかった。

 なにがって。
 ムーア牧師の痛々しさ、無限大。

 1幕ラストなんて、「ラスボスここにあり」じゃないですか。
 キムくんに「トートみたい」と言われるほど、次元違うところで君臨しているこわい人ですよ。

 そのこわいこわいムーアさんが。

 胸が詰まるほど、狂おしいほど、悲しげだった。

 厳格な言葉を並べているけれど、表情は悲しみに満ちている。
「正しい道を歩まねばならない」……そうくり返す彼は、そうすることによって己れを守っている。
「もう一度確認しましょう。この条例はボーモントの輝かしい未来を担うべきだった4人の若者に捧げられたものであることを」

 死んだ息子に捧げられた条例。

 彼は罪びと。
 息子を殺した父親。

 息子の死は事故。でも彼はずっと心に傷を負っている。
 何故、と。
 何故救えなかった、何故なにもできなかった。あのときこうしていれば、声を掛けていれば、いや、ああ育てていれば……時間を巻き戻し巻き戻し、何度も考える。
 息子を失わずに済む選択を。

 それゆえに、贖罪の気持ちから極端な条例を作り、それを徹底することにしがみついている。
 条例を侵そうとするもの、彼の街を乱そうとするもの、それはすべて敵。

 息子を殺そうとする、敵。

 ダンスやロックを禁じるこの条例があれば、息子は死ななかった。この条例を攻撃するものは、息子を殺そうとしている敵だ。

 ……もう、息子はいないのに。
 いないはずの子どもを守るために、武器を握って立ちはだかるかなしい父親。

 誰か彼を、救って。

 「正しき道を歩まねばならない」……そうくり返す彼が、悲鳴を上げているように見えた。
 壊れてしまう。
 このままでは、あの人は壊れてしまう。

 空っぽの巣を守って、狂い死にしてしまう。

 誰か、助けて。


 ……いやあ、すごかった。
 ラスボスなのに、こわい人なのに、あまりの痛々しさに、どうしようかと(笑)。

 初見時は、レン@キムたちの魂の叫びにシンクロして、泣けた。「神様に届くように」自由を叫ぶ子どもたち。
 間違っていることを間違っていると、権力に屈せず立ち上がる。
 革命。自立。
 従うだけなら楽だ。見ない振りして、陰で文句だけ言って生きればいい。
 でも、そうじゃない。困難でも、立ち向かうんだ。
 仲間たちと、力を合わせて。

 起ち上がる彼らに泣いた。魂が震えるっていうのかな、拳を握って立ち上がりたいような感覚。
 ああ、ひとはこうやって踊ってきたんだ。心の高揚を、そんな風に表現してきたんだ。……そう納得できる1幕のクライマックス。

 しかし、それがムーア牧師で号泣する日が来ようとは。

 リピート客なので、わかっているから。ムーアの傷、そして条例へのこだわり。「ボーモントの輝かしい未来を担うべきだった4人の若者」という言葉が、なにを意味しているのか。

 そして、そんな彼が「あなたはもうひとりぼっちです!」とレンに言い切られてしまうことも。

 そう。彼は、ひとりだ。
 こんなにこんなに、ひとりぼっちだ。
 罪を背負い、ひとりで戦い続けている。

 悲鳴を、上げ続けている。

 レン。
 早く、助けて。
 あの哀しい人を、助けて。

 泣きながら、思った。
 レンはほんとうに、泣けるくらい「主人公」だ。苦しいくらい「ヒーロー」だ。
 だって彼は、救うことが出来る。
 ムーアを。人間を。自分ではない、誰かのことを。

 そしてレンは「ヒーロー」ではない、等身大の少年で、わたしかも、あなたかもしれないリアルな存在。

 それが、この物語の最大の救い。

 ひとは、ひとを救える。

 ひとは、立ち上がれる。
 古い靴を脱ぎ去って。

 ヒーローでも神様でもない、ふつうの、わたしたちが。


 ムーアさん、喉の調子の悪かったあたり、そりゃーもー、ものすごいキャラになっててねえ。

 キャラクタの弱さと多層的な感情が、複雑に入り組んで、とんでもなく面白かった。面白い……interesting。目が離せない、息が詰まる、涙が止まらない。

 役としてもだけど、まっつの歌い方がまた。
 思うように声が出ないためだと思う。すごく慎重に、「声」を操っていた。
 ひとつひとつの音を探すように確認するように、歌うの。

 この人、ほんとに歌うまいんだ、と思った。
 声が出ないんだろうに、それでも歌い方を変えて、歌い切っちゃうんだよ。彼が不調だってこと、初見の人やライトな人には気づかせないんだよ。

 「音」と向き合っているまっつが、すごくよかった。
 いつもならただ「役」になりきって演じて終了のところ、余分なものが山ほどあって、いろんなものに足を取られていて、不自由ななかで懸命に役割を果たそうとする姿が……たまらん。

 喉はすぐに快方に向かったようで、ムーアさんはまた「冷徹なラスボス」になったけどね。
 わりとその日によってチガウっちゅーか、1幕ラストは悲しみ寄りだったり怒り寄りだったり、冷酷感ハンパねえ(震撼)だったり、するんだけどね。
 あの数回はほんと好みすぎて、悶えた(笑)。

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