音を操る。@フットルース
2012年7月20日 タカラヅカ キムくんから「エリザベート」だの「トートみたい」だのと言われている『フットルース』のまつださん。
踊る若者たちと違い、ムーア牧師@まっつは歌専門。
その歌声で街を支配し、子どもたちの反抗を叩きつぶす。
「歌の雪組」本領発揮の凄まじいコーラスの中、ムーアひとり別旋律を歌ったりと、すげー活躍っぷりです。
わたしはまっつの声が好きで、歌声が好き。
その端正で正確な……ともすれば面白味のない地味な歌手っぷりが、ほんとーに大好きです。
歌が「表現」である以上、音程だーのピッチだーの技術的なことより感情優先、芝居が出来てりゃそれでいいじゃん!というのも、もちろんアリだし、そういう人も大好きです。
調子っぱずれでも慟哭しながら歌われたら、なんか一緒に泣いちゃった、みたいな経験は、数え切れないほどある。
役者さんってのはそうやって、観客を巻き込んでしまう力を持っているんだろう。
そういうタイプの人と、まっつは真逆。
悲しい歌を号泣しながら歌うとか、それゆえ音はずしまくるとか、正規のラインから逸脱することで「悲しさ」を表現しない。
涙こぼすことなく歌い、正しい音階の歌声で悲しみを表現しようと努める。
他のカンパニーならともかく、タカラヅカでそれは地味です。本人が泣いた方がわかりやすいし。
音を完璧に操るより、多少雑でも感情を優先した方が、華やかだ。
しかしその、とっても地味で地道な作業をえんえんくり返し、堅実に「音を操る」まっつが好き。
今回「歌うボス」であるまっつが、一時期ちょっと、喉のコンディションが悪かった。
第一声から「うわ、喉つぶした?」と戦慄するレベル。
といってもそれは、ファンだとか、通常のまっつの歌をよく知っている人が気づくレベルで、初見の人はわからないくらい。まつヲタがうろたえきっている横で、一般ヅカファンは「まっつさん、いつ聴いてもいい声」「やっぱり歌うまいわね」と話しているのが聞こえてくる。
一般人が聴いても変じゃないくらいのクオリティを、死守しているわけだ。
その「喉、やっちゃった?」くらい大変な状態だったときのまっつが。
すごかった。
なにがって。
ムーア牧師の痛々しさ、無限大。
1幕ラストなんて、「ラスボスここにあり」じゃないですか。
キムくんに「トートみたい」と言われるほど、次元違うところで君臨しているこわい人ですよ。
そのこわいこわいムーアさんが。
胸が詰まるほど、狂おしいほど、悲しげだった。
厳格な言葉を並べているけれど、表情は悲しみに満ちている。
「正しい道を歩まねばならない」……そうくり返す彼は、そうすることによって己れを守っている。
「もう一度確認しましょう。この条例はボーモントの輝かしい未来を担うべきだった4人の若者に捧げられたものであることを」
死んだ息子に捧げられた条例。
彼は罪びと。
息子を殺した父親。
息子の死は事故。でも彼はずっと心に傷を負っている。
何故、と。
何故救えなかった、何故なにもできなかった。あのときこうしていれば、声を掛けていれば、いや、ああ育てていれば……時間を巻き戻し巻き戻し、何度も考える。
息子を失わずに済む選択を。
それゆえに、贖罪の気持ちから極端な条例を作り、それを徹底することにしがみついている。
条例を侵そうとするもの、彼の街を乱そうとするもの、それはすべて敵。
息子を殺そうとする、敵。
ダンスやロックを禁じるこの条例があれば、息子は死ななかった。この条例を攻撃するものは、息子を殺そうとしている敵だ。
……もう、息子はいないのに。
いないはずの子どもを守るために、武器を握って立ちはだかるかなしい父親。
誰か彼を、救って。
「正しき道を歩まねばならない」……そうくり返す彼が、悲鳴を上げているように見えた。
壊れてしまう。
このままでは、あの人は壊れてしまう。
空っぽの巣を守って、狂い死にしてしまう。
誰か、助けて。
……いやあ、すごかった。
ラスボスなのに、こわい人なのに、あまりの痛々しさに、どうしようかと(笑)。
初見時は、レン@キムたちの魂の叫びにシンクロして、泣けた。「神様に届くように」自由を叫ぶ子どもたち。
間違っていることを間違っていると、権力に屈せず立ち上がる。
革命。自立。
従うだけなら楽だ。見ない振りして、陰で文句だけ言って生きればいい。
でも、そうじゃない。困難でも、立ち向かうんだ。
仲間たちと、力を合わせて。
起ち上がる彼らに泣いた。魂が震えるっていうのかな、拳を握って立ち上がりたいような感覚。
ああ、ひとはこうやって踊ってきたんだ。心の高揚を、そんな風に表現してきたんだ。……そう納得できる1幕のクライマックス。
しかし、それがムーア牧師で号泣する日が来ようとは。
リピート客なので、わかっているから。ムーアの傷、そして条例へのこだわり。「ボーモントの輝かしい未来を担うべきだった4人の若者」という言葉が、なにを意味しているのか。
そして、そんな彼が「あなたはもうひとりぼっちです!」とレンに言い切られてしまうことも。
そう。彼は、ひとりだ。
こんなにこんなに、ひとりぼっちだ。
罪を背負い、ひとりで戦い続けている。
悲鳴を、上げ続けている。
レン。
早く、助けて。
あの哀しい人を、助けて。
泣きながら、思った。
レンはほんとうに、泣けるくらい「主人公」だ。苦しいくらい「ヒーロー」だ。
だって彼は、救うことが出来る。
ムーアを。人間を。自分ではない、誰かのことを。
そしてレンは「ヒーロー」ではない、等身大の少年で、わたしかも、あなたかもしれないリアルな存在。
それが、この物語の最大の救い。
ひとは、ひとを救える。
ひとは、立ち上がれる。
古い靴を脱ぎ去って。
ヒーローでも神様でもない、ふつうの、わたしたちが。
ムーアさん、喉の調子の悪かったあたり、そりゃーもー、ものすごいキャラになっててねえ。
キャラクタの弱さと多層的な感情が、複雑に入り組んで、とんでもなく面白かった。面白い……interesting。目が離せない、息が詰まる、涙が止まらない。
役としてもだけど、まっつの歌い方がまた。
思うように声が出ないためだと思う。すごく慎重に、「声」を操っていた。
ひとつひとつの音を探すように確認するように、歌うの。
この人、ほんとに歌うまいんだ、と思った。
声が出ないんだろうに、それでも歌い方を変えて、歌い切っちゃうんだよ。彼が不調だってこと、初見の人やライトな人には気づかせないんだよ。
「音」と向き合っているまっつが、すごくよかった。
いつもならただ「役」になりきって演じて終了のところ、余分なものが山ほどあって、いろんなものに足を取られていて、不自由ななかで懸命に役割を果たそうとする姿が……たまらん。
喉はすぐに快方に向かったようで、ムーアさんはまた「冷徹なラスボス」になったけどね。
わりとその日によってチガウっちゅーか、1幕ラストは悲しみ寄りだったり怒り寄りだったり、冷酷感ハンパねえ(震撼)だったり、するんだけどね。
あの数回はほんと好みすぎて、悶えた(笑)。
踊る若者たちと違い、ムーア牧師@まっつは歌専門。
その歌声で街を支配し、子どもたちの反抗を叩きつぶす。
「歌の雪組」本領発揮の凄まじいコーラスの中、ムーアひとり別旋律を歌ったりと、すげー活躍っぷりです。
わたしはまっつの声が好きで、歌声が好き。
その端正で正確な……ともすれば面白味のない地味な歌手っぷりが、ほんとーに大好きです。
歌が「表現」である以上、音程だーのピッチだーの技術的なことより感情優先、芝居が出来てりゃそれでいいじゃん!というのも、もちろんアリだし、そういう人も大好きです。
調子っぱずれでも慟哭しながら歌われたら、なんか一緒に泣いちゃった、みたいな経験は、数え切れないほどある。
役者さんってのはそうやって、観客を巻き込んでしまう力を持っているんだろう。
そういうタイプの人と、まっつは真逆。
悲しい歌を号泣しながら歌うとか、それゆえ音はずしまくるとか、正規のラインから逸脱することで「悲しさ」を表現しない。
涙こぼすことなく歌い、正しい音階の歌声で悲しみを表現しようと努める。
他のカンパニーならともかく、タカラヅカでそれは地味です。本人が泣いた方がわかりやすいし。
音を完璧に操るより、多少雑でも感情を優先した方が、華やかだ。
しかしその、とっても地味で地道な作業をえんえんくり返し、堅実に「音を操る」まっつが好き。
今回「歌うボス」であるまっつが、一時期ちょっと、喉のコンディションが悪かった。
第一声から「うわ、喉つぶした?」と戦慄するレベル。
といってもそれは、ファンだとか、通常のまっつの歌をよく知っている人が気づくレベルで、初見の人はわからないくらい。まつヲタがうろたえきっている横で、一般ヅカファンは「まっつさん、いつ聴いてもいい声」「やっぱり歌うまいわね」と話しているのが聞こえてくる。
一般人が聴いても変じゃないくらいのクオリティを、死守しているわけだ。
その「喉、やっちゃった?」くらい大変な状態だったときのまっつが。
すごかった。
なにがって。
ムーア牧師の痛々しさ、無限大。
1幕ラストなんて、「ラスボスここにあり」じゃないですか。
キムくんに「トートみたい」と言われるほど、次元違うところで君臨しているこわい人ですよ。
そのこわいこわいムーアさんが。
胸が詰まるほど、狂おしいほど、悲しげだった。
厳格な言葉を並べているけれど、表情は悲しみに満ちている。
「正しい道を歩まねばならない」……そうくり返す彼は、そうすることによって己れを守っている。
「もう一度確認しましょう。この条例はボーモントの輝かしい未来を担うべきだった4人の若者に捧げられたものであることを」
死んだ息子に捧げられた条例。
彼は罪びと。
息子を殺した父親。
息子の死は事故。でも彼はずっと心に傷を負っている。
何故、と。
何故救えなかった、何故なにもできなかった。あのときこうしていれば、声を掛けていれば、いや、ああ育てていれば……時間を巻き戻し巻き戻し、何度も考える。
息子を失わずに済む選択を。
それゆえに、贖罪の気持ちから極端な条例を作り、それを徹底することにしがみついている。
条例を侵そうとするもの、彼の街を乱そうとするもの、それはすべて敵。
息子を殺そうとする、敵。
ダンスやロックを禁じるこの条例があれば、息子は死ななかった。この条例を攻撃するものは、息子を殺そうとしている敵だ。
……もう、息子はいないのに。
いないはずの子どもを守るために、武器を握って立ちはだかるかなしい父親。
誰か彼を、救って。
「正しき道を歩まねばならない」……そうくり返す彼が、悲鳴を上げているように見えた。
壊れてしまう。
このままでは、あの人は壊れてしまう。
空っぽの巣を守って、狂い死にしてしまう。
誰か、助けて。
……いやあ、すごかった。
ラスボスなのに、こわい人なのに、あまりの痛々しさに、どうしようかと(笑)。
初見時は、レン@キムたちの魂の叫びにシンクロして、泣けた。「神様に届くように」自由を叫ぶ子どもたち。
間違っていることを間違っていると、権力に屈せず立ち上がる。
革命。自立。
従うだけなら楽だ。見ない振りして、陰で文句だけ言って生きればいい。
でも、そうじゃない。困難でも、立ち向かうんだ。
仲間たちと、力を合わせて。
起ち上がる彼らに泣いた。魂が震えるっていうのかな、拳を握って立ち上がりたいような感覚。
ああ、ひとはこうやって踊ってきたんだ。心の高揚を、そんな風に表現してきたんだ。……そう納得できる1幕のクライマックス。
しかし、それがムーア牧師で号泣する日が来ようとは。
リピート客なので、わかっているから。ムーアの傷、そして条例へのこだわり。「ボーモントの輝かしい未来を担うべきだった4人の若者」という言葉が、なにを意味しているのか。
そして、そんな彼が「あなたはもうひとりぼっちです!」とレンに言い切られてしまうことも。
そう。彼は、ひとりだ。
こんなにこんなに、ひとりぼっちだ。
罪を背負い、ひとりで戦い続けている。
悲鳴を、上げ続けている。
レン。
早く、助けて。
あの哀しい人を、助けて。
泣きながら、思った。
レンはほんとうに、泣けるくらい「主人公」だ。苦しいくらい「ヒーロー」だ。
だって彼は、救うことが出来る。
ムーアを。人間を。自分ではない、誰かのことを。
そしてレンは「ヒーロー」ではない、等身大の少年で、わたしかも、あなたかもしれないリアルな存在。
それが、この物語の最大の救い。
ひとは、ひとを救える。
ひとは、立ち上がれる。
古い靴を脱ぎ去って。
ヒーローでも神様でもない、ふつうの、わたしたちが。
ムーアさん、喉の調子の悪かったあたり、そりゃーもー、ものすごいキャラになっててねえ。
キャラクタの弱さと多層的な感情が、複雑に入り組んで、とんでもなく面白かった。面白い……interesting。目が離せない、息が詰まる、涙が止まらない。
役としてもだけど、まっつの歌い方がまた。
思うように声が出ないためだと思う。すごく慎重に、「声」を操っていた。
ひとつひとつの音を探すように確認するように、歌うの。
この人、ほんとに歌うまいんだ、と思った。
声が出ないんだろうに、それでも歌い方を変えて、歌い切っちゃうんだよ。彼が不調だってこと、初見の人やライトな人には気づかせないんだよ。
「音」と向き合っているまっつが、すごくよかった。
いつもならただ「役」になりきって演じて終了のところ、余分なものが山ほどあって、いろんなものに足を取られていて、不自由ななかで懸命に役割を果たそうとする姿が……たまらん。
喉はすぐに快方に向かったようで、ムーアさんはまた「冷徹なラスボス」になったけどね。
わりとその日によってチガウっちゅーか、1幕ラストは悲しみ寄りだったり怒り寄りだったり、冷酷感ハンパねえ(震撼)だったり、するんだけどね。
あの数回はほんと好みすぎて、悶えた(笑)。
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