彼の孤高さに萌える作品。@双曲線上のカルテ
2012年7月30日 タカラヅカ 『双曲線上のカルテ』は、主演のちぎくんの美貌を愛でるためにある。
いやもお、ほんとに。
ちぎくんのメガネ姿とか、ちぎくんの白衣とか、ちぎくんの苦悩する姿とか、ちぎくんの苦しむ姿とか、そーゆーものを眺めて萌える、そのためにある。
しみじみと、ちぎくんの美しさは才能だなあと思った。
そして彼はやっぱり、正しく「タカラヅカ」だ。
作品のアレさを吹っ飛ばすのがタカラヅカ・スター。価値のない作品であったとしても、そこに彼がいる、ということだけに価値を創り出す、それがタカラヅカ・スター。
ちぎくんはほんとに、タカラヅカ・スターだ。作品がどうあれ、彼の美しさだけでわたしは納得できる。
そして、思い出すんだ。
わたしがもっとも嫌悪するイシダ作品『殉情』を。
あの作品も、ちぎくんの美しさが、救いだった。
ちぎくん主演時もそう感じていたけれど、さらに痛感したのは、彼が出演していないとき。
Wキャストだったため、別キャスト公演を観たときに、この酷い作品を支えていたのはちぎくんの美貌だったんだと改めて気づいた。
ちぎくんが美しすぎて、ファンタジーの域に達していたんだ。生身を感じさせる容貌の人が演じたら、気持ち悪くて観ていられなかった。あくまでも、作品が。
イシダ作品の毒を薄めることが出来る、ちぎはマジすげえ。
歌が課題な人だけど、芝居に関しては別に気にならないなあ。声もキライじゃない。
わたしがいちばん苦手なのは芝居が出来ない人、なので、ちぎくんは芝居ができるから好き。
ただ、今回は作品とキャラクタが良くないので、それを突き抜けるには「歌の力」が重要なんだなとは、思った。
なにしろ、誰にも共感できないイシダ芝居。
主人公とヒロインがそれぞれ歌で心情やキーとなる部分を表現するわけだが、ふたりとも歌が得意じゃないときた。
歌詞が伝わってこない、音楽の力で底上げされない、とくると、作品全体が平板になった。
せっかくの心情やら伏線になる歌が、ただ流れているだけで、心に届かない。
歌ウマさんがこの役を演じていたら、まずこの歌で一気に自分の世界へ観客を巻き込んでいくんだな、と平静に眺めた。
歌で勝ちに行くことが難しいなら、座付き作者が歌に比重を置かない作品を書けばいいだけのこと。
歌詞によって説明しなきゃいけない駄作を「名作に歌い上げろ」とちぎくんに任せなきゃいいだけのこと。
ちぎくんにはちぎくんならではの武器があるんだから、彼がトップスターになった暁にはぜひ、彼の得意分野で勝負できる作品を与えて欲しい。
てゆーかイシダめ……。
この作品は別に、「ちぎくんの魅力を底上げする」作品じゃないよね?
主人公のフェルナンド役はちぎくんアテ書きだとは思うし、実際かっこいいけど、この作品やこの表現方法が、ちぎくんありきで企画されたものだとは思えない。
組トップスターが卒業を発表している今だからこそ、組2番手のバウは、彼の得意分野で彼の魅力をこれでもかとアピールする作品を与えて欲しかったよ。
演出家が自分のやりたいモノを押しつけるのではなく。
ヒロインのモニカ@あんりちゃんは、かわいかった。
小動物系のかわいさ。歌も演技もがんばっていた。
てゆーか、思っていた以上に、よく出来てた。
今までの新公のデキから、かなり期待してなかったんだが(笑)、ごめんごめん、ちゃんとうまくなってる。
ただ、役が悪かったなあと思った。
純粋無垢でかわいい女の子、っていうのは未熟な下級生娘役が等身大で表現できる役なんだろうけど、純真さとおバカさは紙一重、ピュアというより思考が浅はかな子どもに見えてしまった。
ちぎくんとビジュアルが合わないこともきびしい。大人と子ども過ぎて、フェルナンド先生がロリコンに見えて困った。そりゃね、大人の男が女子高生たぶらかすのは簡単でしょうよ……。
フェルナンド先生は、わたしにはちぎくんが演じていることと外見以外、まったく魅力が理解できなかったんだが、彼の男ぶりを下げている一端は、間違いなくモニカにある。
男の器は、どんな女に惚れるかでわかる。しょーもない女を選ぶ男は、その程度の男なんだ。
どんだけ「天才医師」で「崇高な志」があったとしても、選ぶ相手が「自分に都合がいい、若く未熟なかわいいだけの少女」じゃ、台無し。
死を前にした男の救いとなるだけのモノが、モニカには感じられなかった。
だから、女は若くてかわいくて、バカならそれでよし!って選択基準に見えてしまい、フェルナンド先生のさいてー度が上がった。
たとえへたっぴでも、あんりちゃんに輝くような母性とか、慈愛、あるいは神聖性や包容力があればなあ。
この少女にすがった男の気持ちがわかる!と納得させてくれればなあ。
モニカは年相応のどこにでもいる女の子で、結婚詐欺に遭って一生を棒に振った残念な女性、という感じだった。
ラストのひまわり畑シーンが感動につながらず、わたし的には「最悪のパターン」に見えた。騙されて利用されて、加害者の子どもを産んで一生縛られて生きるんだ……それをしあわせだと思い込んでる痛々しさっちゅーか、うすら寒さが、「このラストだけは勘弁してくれ」と思った通りのラストだった(笑)。
後味悪かった……。
とんだアンハッピーエンド、サイコホラーっぽいわー。
……ちぎくんがんばれ。
『殉情』はヒロインが超ベテランだったから、彼女ひとりでも作品を支える力を持ってくれてたんだよね。
今回はヒロインがちぎくんを助けてはくれないので、ちぎくんひとりが踏ん張らないといけない。
雪組デビュー、ようこそともみん!は、とってもともみんアテ書きな役で、違和感なしのいつものともみん。
そのスタイルの良さで医者コスプレをどーんとこなし、アツさと明るさで作品を支えてくれていた。
この作品にともみんがいてくれてよかった。
でもって女役デビューのせしる。こちらも違和感なく美女。いづるんの転向したてバウヒロより、よっぽど女役としてハマってた。
もともと芝居できるもんね、性別がちがっても大丈夫だよね。
……フィナーレで「五峰ねーさんすげえな、ちぎとデュエットダンスあるんだ」と思っちゃってごめんよ……。
主人公と絡む若者役はこのふたつなんだけど、ふたりは作品を支えていい仕事をしていたけれど、ちぎくんを助けるわけじゃないんだなと思った。
もちろん、役のせいもあるけど。
ちぎくんが孤軍奮闘している気がした。
や、ちぎくんに関しては、そういうとこも萌えだけどな(笑)。
いやもお、ほんとに。
ちぎくんのメガネ姿とか、ちぎくんの白衣とか、ちぎくんの苦悩する姿とか、ちぎくんの苦しむ姿とか、そーゆーものを眺めて萌える、そのためにある。
しみじみと、ちぎくんの美しさは才能だなあと思った。
そして彼はやっぱり、正しく「タカラヅカ」だ。
作品のアレさを吹っ飛ばすのがタカラヅカ・スター。価値のない作品であったとしても、そこに彼がいる、ということだけに価値を創り出す、それがタカラヅカ・スター。
ちぎくんはほんとに、タカラヅカ・スターだ。作品がどうあれ、彼の美しさだけでわたしは納得できる。
そして、思い出すんだ。
わたしがもっとも嫌悪するイシダ作品『殉情』を。
あの作品も、ちぎくんの美しさが、救いだった。
ちぎくん主演時もそう感じていたけれど、さらに痛感したのは、彼が出演していないとき。
Wキャストだったため、別キャスト公演を観たときに、この酷い作品を支えていたのはちぎくんの美貌だったんだと改めて気づいた。
ちぎくんが美しすぎて、ファンタジーの域に達していたんだ。生身を感じさせる容貌の人が演じたら、気持ち悪くて観ていられなかった。あくまでも、作品が。
イシダ作品の毒を薄めることが出来る、ちぎはマジすげえ。
歌が課題な人だけど、芝居に関しては別に気にならないなあ。声もキライじゃない。
わたしがいちばん苦手なのは芝居が出来ない人、なので、ちぎくんは芝居ができるから好き。
ただ、今回は作品とキャラクタが良くないので、それを突き抜けるには「歌の力」が重要なんだなとは、思った。
なにしろ、誰にも共感できないイシダ芝居。
主人公とヒロインがそれぞれ歌で心情やキーとなる部分を表現するわけだが、ふたりとも歌が得意じゃないときた。
歌詞が伝わってこない、音楽の力で底上げされない、とくると、作品全体が平板になった。
せっかくの心情やら伏線になる歌が、ただ流れているだけで、心に届かない。
歌ウマさんがこの役を演じていたら、まずこの歌で一気に自分の世界へ観客を巻き込んでいくんだな、と平静に眺めた。
歌で勝ちに行くことが難しいなら、座付き作者が歌に比重を置かない作品を書けばいいだけのこと。
歌詞によって説明しなきゃいけない駄作を「名作に歌い上げろ」とちぎくんに任せなきゃいいだけのこと。
ちぎくんにはちぎくんならではの武器があるんだから、彼がトップスターになった暁にはぜひ、彼の得意分野で勝負できる作品を与えて欲しい。
てゆーかイシダめ……。
この作品は別に、「ちぎくんの魅力を底上げする」作品じゃないよね?
主人公のフェルナンド役はちぎくんアテ書きだとは思うし、実際かっこいいけど、この作品やこの表現方法が、ちぎくんありきで企画されたものだとは思えない。
組トップスターが卒業を発表している今だからこそ、組2番手のバウは、彼の得意分野で彼の魅力をこれでもかとアピールする作品を与えて欲しかったよ。
演出家が自分のやりたいモノを押しつけるのではなく。
ヒロインのモニカ@あんりちゃんは、かわいかった。
小動物系のかわいさ。歌も演技もがんばっていた。
てゆーか、思っていた以上に、よく出来てた。
今までの新公のデキから、かなり期待してなかったんだが(笑)、ごめんごめん、ちゃんとうまくなってる。
ただ、役が悪かったなあと思った。
純粋無垢でかわいい女の子、っていうのは未熟な下級生娘役が等身大で表現できる役なんだろうけど、純真さとおバカさは紙一重、ピュアというより思考が浅はかな子どもに見えてしまった。
ちぎくんとビジュアルが合わないこともきびしい。大人と子ども過ぎて、フェルナンド先生がロリコンに見えて困った。そりゃね、大人の男が女子高生たぶらかすのは簡単でしょうよ……。
フェルナンド先生は、わたしにはちぎくんが演じていることと外見以外、まったく魅力が理解できなかったんだが、彼の男ぶりを下げている一端は、間違いなくモニカにある。
男の器は、どんな女に惚れるかでわかる。しょーもない女を選ぶ男は、その程度の男なんだ。
どんだけ「天才医師」で「崇高な志」があったとしても、選ぶ相手が「自分に都合がいい、若く未熟なかわいいだけの少女」じゃ、台無し。
死を前にした男の救いとなるだけのモノが、モニカには感じられなかった。
だから、女は若くてかわいくて、バカならそれでよし!って選択基準に見えてしまい、フェルナンド先生のさいてー度が上がった。
たとえへたっぴでも、あんりちゃんに輝くような母性とか、慈愛、あるいは神聖性や包容力があればなあ。
この少女にすがった男の気持ちがわかる!と納得させてくれればなあ。
モニカは年相応のどこにでもいる女の子で、結婚詐欺に遭って一生を棒に振った残念な女性、という感じだった。
ラストのひまわり畑シーンが感動につながらず、わたし的には「最悪のパターン」に見えた。騙されて利用されて、加害者の子どもを産んで一生縛られて生きるんだ……それをしあわせだと思い込んでる痛々しさっちゅーか、うすら寒さが、「このラストだけは勘弁してくれ」と思った通りのラストだった(笑)。
後味悪かった……。
とんだアンハッピーエンド、サイコホラーっぽいわー。
……ちぎくんがんばれ。
『殉情』はヒロインが超ベテランだったから、彼女ひとりでも作品を支える力を持ってくれてたんだよね。
今回はヒロインがちぎくんを助けてはくれないので、ちぎくんひとりが踏ん張らないといけない。
雪組デビュー、ようこそともみん!は、とってもともみんアテ書きな役で、違和感なしのいつものともみん。
そのスタイルの良さで医者コスプレをどーんとこなし、アツさと明るさで作品を支えてくれていた。
この作品にともみんがいてくれてよかった。
でもって女役デビューのせしる。こちらも違和感なく美女。いづるんの転向したてバウヒロより、よっぽど女役としてハマってた。
もともと芝居できるもんね、性別がちがっても大丈夫だよね。
……フィナーレで「五峰ねーさんすげえな、ちぎとデュエットダンスあるんだ」と思っちゃってごめんよ……。
主人公と絡む若者役はこのふたつなんだけど、ふたりは作品を支えていい仕事をしていたけれど、ちぎくんを助けるわけじゃないんだなと思った。
もちろん、役のせいもあるけど。
ちぎくんが孤軍奮闘している気がした。
や、ちぎくんに関しては、そういうとこも萌えだけどな(笑)。
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