はるばる博多へ、お盆のまっただ中行ってきました。
 なんでこの日程かというと、ひとえに未涼亜希『フットルース』お茶会参加が目的です。

 レポ機能はないので、感想のみ、自分語りのみ記す。


 まっつさんが語ってたんですよ。
 最近うれしいこと、と題して。
 ファンからの手紙で、自分の存在がきっかけになり、ファン同士が交流していることを知った、それがうれしい、って。
 タカラヅカファンで、まっつファンでなければ出会うことのなかった人たちが、一緒に博多名物を食べに行ったりしている。まっつファンになったことで、新しい世界が広がった。そんな人たちがいること、それがうれしいと。
 おこがましいかもしれないけど、と前置きしながら、そう語った。

 まっつさん素敵、まっつさんかっこいい、そう言われることももちろんありがたいしうれしいけど、ソレとは別に、自分の存在がファンの人の新しい出会いのきっかけになっているんだ、そういうことがうれしかったのだと。

 そう言うまっつはなんつーか、芸能人らしからぬっていうか、なんかとても共感できる「善い人」で、こういう感覚の人だからわたしは彼の創る舞台が好きなんだろうと思うし、多くの人に信頼され、愛されている人なんだと思う。

 そうなんだ。
 なんでわたし、こんだけいろいろ大変なときに、いろんなもの犠牲にして博多くんだりまで行っているかというと、すべつはまっつのためで。
 まっつを好きな、自分のためで。

 一緒にテーブル囲んでいる人たちとは、まっつがいなけりゃ顔を合わせることすらない、通りすがりの誰かさんですらない人たちで。
 まっつメイトと、お隣県民だからと借り出された古い友人と、深夜に屋台で並んでラーメン食べてるのも、まっつがいたからで。

 まっつがいなければ、わたし、どうしていたのかなあ。

 もともとヲタクだから、なにかに萌えて楽しく生きているとは思うけど。
 それでも今、まっつが好きで、まっつの舞台を観るために努力して、劇場へ行くために万難を排している。彼の存在がつらい現実の中の光に、癒しになっている。

 まっつがいたから、得られたものがあった。たくさん。
 まっつのために、失ったものもあった。いろいろ。

 2005年の博多。
 そう、まさにこの場所から、はじまった。
 まっつを好きで、もう7年……8年目に入ったのか。

 いろんな分岐点があって、その都度ひとつしか選べなくて、失ったモノ、選ばなかったモノに後ろ髪引かれあきらめ悪くうだうだ悩みながら、それでも前へ進んできた。

 まっつが、いたから。

 わたしだけでなく、いろんな人がいろんな想いを抱えて、まっつを見つめている。
 タカラジェンヌであるということ、スターであることってのは、とんでもないことだなあ。

 そんなことを、つらつら考えた。


 なんで彼を好きなのか、好きになったのか、考えてもわかんないけど、今、ひたすら感動している。
 舞台人としての、まっつの実力に。

 ヘタレ風味が味だったころから好きだっただけに、ここまで実力派になるとは思ってなくて。いやその、若手時代から華よりは実力の人だったけど、それにしたって最近の充実ぶりはすごくないかい?

 『フットルース』のムーア牧師の演技と歌、すごくないかい? レン@キムくんとの場面、すごくないかい?
 わたしが彼を好きになったときは、こんな実力者じゃなかったよ? 投げキスができなくて盛大にすべっている、残念な若手くんだったわけだよ?
 ものすごく巧いから好きになったわけじゃない、なのにずっと好きでいたら、どんどん研ぎ澄まされものすごい人になっていった。

 『フットルース』初日、まっつは体調が悪かったらしい。つか、発熱してなおあのクオリティで歌って芝居して踊ってたのか!とびびるよ。マジ役者ってすげえ。
 で、終演後、原作者のディーンさんを囲んで写真を撮ったりしてみんなで盛り上がっていたそうだが、まっつは熱でぼーっとしていたそうな。
 で、ふと気がついたら、いつの間にかディーンさんが横に来ていて。
 まっつを、べた褒めした。
 わざわざまっつを探して、感動したことを伝えてくれたそうだ。

 スカステで放送されたディーン氏の感想インタビューにて、字幕にならなかった部分でまっつ単体を誉めていたって、メールで教えてもらっていたんだけど。わたし英語さーっぱりわかんないから、「へー、そんなこと話してたんだー。字幕とぜんぜんチガウ~~」と、なんとなく納得していただけの部分が、リアルに実感できた。
 ほんとに原作者に絶賛されたんだ。

 原作者のイメージに近いムーア像を演じられたのだろう、うれしかった、とまっつは言っていたけど、わたしは痛いまっつファンだから、そんなところには収まらないね(笑)。
 イメージどころじゃない、マジにうまかったんだよ、すごかったんだよ! だから原作者さんも大喜びしてくれたんじゃん!
 わたしはファンだから盲目だけど、そうでない人から見ても、まっつってすごい役者なんだ。
 そう思えることがうれしい。


 わたしは舞台上のまっつしか知らないし、それだけで十分っちゅーか、中の人がナニを考えて演じているかにドリームは持たないので、まっつがナニ考えてムーア牧師を演じているか、ナニも考えてないとか、知らなくても問題ないと思っている。
 「役作りしてません。脚本通りです」と真顔で答えるよーな人だもんな、まつださん。
 役者のアタマの中は、文系ヲタのわたしと違って、いちいちここがこうだからこうで、と感情説明できるようなものじゃないんだ。
 「ナニも考えてません」と言いながら繊細な芝居をする、言葉を組み立てる回路と役者としての回路がつながっていないんだろうと思っている。

 まっつのムーア語りになんの期待もしていなかったが、わたしが思っていた以上に、「ボビー」にこだわっている部分が見えて、興味深かった。
 5年前に死んだ息子。舞台上には登場しない、名前だけの存在。
 ムーアがその名を呼ぶことはないが、彼の中にはずっとボビーの存在が刺さっている。
 それゆえに、あのムーアの姿があるのだと。

 レンにボビーを重ねているのは、言及するまでもないこと。
 それでも、ムーアの中の人から、それを聞くと感慨深い。

 異端審問……ぢゃねえや、えーっと、町議会でがんばって演説するレンから視線を逸らしているのは、レンにボビーが重なるからって意味もあるそうですよ。
 レンの主張自体は絶対許せない、叩きつぶしてやるってなもんだけど、それを一生懸命みんなとひとつになって創り上げてきたレンの姿は、在りし日の息子に重なるらしい。

 ……チャックに対してはそんなことカケラも思ってないみたいだし(笑)、高校生男子なら誰でもOKってわけじゃないのよね。レンだからなのよね。

 やっぱ運命のふたりっぽくていいなあ、ムーアとレン……。
 や、腐った意味だけで言ってませんよ?!←

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