まったりのんびり、未涼亜希『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』東宝お茶会の話。
レポではなく、あくまでもわたし個人の感想。
わたしのフィルターを通したまっつ話なので、真実と違っているんだろうが、無問題。わたしはわたしの目でまっつを追う。
走り書きしたメモは、お茶会の最初の方しかないため、後半に話していたことはもう忘却の彼方。
メモがなんで最初の方しかないかって、そりゃ時間とか気力とかがもたなかったんだわな(笑)。
お茶会の前半が公演の話。
撮影会のあと、後半にテーブルを回りつつプレゼントを渡したり「男役らしいポーズ」を取ったり、なにかネタ的なことをやらされていたと思う。
そのへんはすでによくおぼえていない。
だからとりあえず、おぼえている公演の話。
前日欄の「お父さんの気持ちは芽生えましたか?」にしろ、その次の「イサベル王妃に愛情が芽生えたのはいつか?」にしろ、「マントの扱いには慣れましたか?」にしろ、質問の内容がなんであれ、最初の反応って、一貫している。
質問される。
↓
反射的に、飾り気のない「本音」がバサーッと返る。
「ショーのスペインの場面、殺されてせり下がるときの気持ちはどうですか?」
↓
「セリに入ってるかな」
「ショーの光と影の場面で、せり上がりの気持ちは?」
↓
「しんどいな」
身もフタもない(笑)。
正直かつ、回転の速い人だと思う。
計算したり取り繕ったりする前に、すぱんと言葉にする。
その言い方が、なんとも「切り捨てている」感があるというか、「突き放している」感があるというか、独特。
まっつを好きな人には、たまらん部分だろうなあと思う。
話の内容は、ファン目線ではない。
これを言うとファンが喜ぶとか、ファンはこれを聞きたがっているとか、そーゆー視点では一切回答しない。
あくまでも、自分がどう思ったかのみを口にする。
そういった意味では、ファンサービスに欠けるので、エンターティナー的な話術やもてなしを期待して行くと、肩すかしかもな。
でも、お茶会なんて基本ファンしか行かないわけだし、まっつのそのすぱーんとした話し方自体を愛でられる、楽しめる人には癖になる楽しさがある(笑)。
正直だからこその、毒舌。
しかし、無神経でも無礼でもない。
すぱーんと切り捨てたのち、ちゃんとバランス感覚のあるフォローを入れる。
せり下がりで気にしているのが、「セリに入ってるかな」だけなの? そんなもんなの? と、びっくりさせておきながら。
「それまでが、セリ線確認できてないんですよ」と、その場面の説明をする。そう考えるのが仕方ないこと、当然であることを。
「しんどいな」って、そんなこと言っちゃっていいの? と、びっくりさせておきながら。
ずっと動いているとそうでもないが、止まってるとかえってしんどいものだということや、せっかくの盆を回してのせり上がり、気持ちよくやらせてもらっているということを、ちゃんと伝える。
アタマが良くて、一般的な感覚も持ち合わせた人の毒舌は、気持ちいいもんだ。
笑いを取るためとか、リップサービスでSな発言をするわけじゃない。
素のまま突き放して、あとから解説やフォローを入れる、この繰り返しは面白い。
突き放されて、助け起こされるのよ? なにそのツンデレ効果。
書いてるうちに思い出してきた。
影の話のときに、髪型のことも出たんだった。
乱れ髪が素敵ですね、てな話題に、やっぱりまずはすぱっと切り捨てて、突き放して、そのあとでたらたらと解説してた(笑)。
あの素敵な乱れ髪は、てきとーだそうですよ。
とにかく時間がなくて、さくっとやっているだけなので、そのときの手癖次第、偶然の産物、同じ髪型にしろと言われても二度と出来ない系の、その場限りのヘアスタイルらしい(笑)。
たまたまそうなった、ってだけだから、緻密な計算にて、このウェーブが、とか、このラインが、とかはないらしい。
好みの乱れ具合を見られたら、それはラッキー☆ってことなんだよな。
……いや、そんな予感はしていたよ……きっと、わたしだけでなく、多くの人が……ひょっとしたら、ほとんどの人が……(笑)。
しかし、まっつへの質問は難しいよなあ。
大抵のことは「ないです」「考えてません」系の返事だもんなー。しかもそれがすぱっと突き放し系……。
なかにはすぱっと返せず「うーん」と考え込んじゃうときもあるけど。
多角的にいじれる質問内容で、突き放されてもさらにいじれる系のネタを仕込んでおくのが、対まっつには必要なんじゃないかと思ったり。
いや、外野だからそんな風に思うのであって、実際はいろいろと難しいんだろう。わたしにそんな返しが出来るとも思えないから、ほんと、できもしないことをうだうだ言っているだけですよ。
キムくんの卒業に関しての言及は一切なし。
個人的コメントを挟む気はないんだろうな。
大人というか、プロだなという感じ。や、実際大人でプロなんだけど。タカラジェンヌはそれだけでない部分、ゆるさやあまさも愛でるモノだから、まっつのそーゆー線の引き方がちょっと寂しくもあったり。
それと同時に、さもありなん、と誇らしくもあったり。
つくづく、未涼亜希という人は、「舞台の上の姿」を裏切らない人だと思う。
どんな役を演じていようと、舞台上のまっつがそのまま、素のまっつにつながっている。
生きる、姿勢が。
わたしは基本、ジェンヌさんに舞台の上だけしか興味を持たないし、ナマに近づくこともないのだけど、まっつのお茶会に違和感がないのはそーゆーことかなと思う。
しあわせだ。
レポではなく、あくまでもわたし個人の感想。
わたしのフィルターを通したまっつ話なので、真実と違っているんだろうが、無問題。わたしはわたしの目でまっつを追う。
走り書きしたメモは、お茶会の最初の方しかないため、後半に話していたことはもう忘却の彼方。
メモがなんで最初の方しかないかって、そりゃ時間とか気力とかがもたなかったんだわな(笑)。
お茶会の前半が公演の話。
撮影会のあと、後半にテーブルを回りつつプレゼントを渡したり「男役らしいポーズ」を取ったり、なにかネタ的なことをやらされていたと思う。
そのへんはすでによくおぼえていない。
だからとりあえず、おぼえている公演の話。
前日欄の「お父さんの気持ちは芽生えましたか?」にしろ、その次の「イサベル王妃に愛情が芽生えたのはいつか?」にしろ、「マントの扱いには慣れましたか?」にしろ、質問の内容がなんであれ、最初の反応って、一貫している。
質問される。
↓
反射的に、飾り気のない「本音」がバサーッと返る。
「ショーのスペインの場面、殺されてせり下がるときの気持ちはどうですか?」
↓
「セリに入ってるかな」
「ショーの光と影の場面で、せり上がりの気持ちは?」
↓
「しんどいな」
身もフタもない(笑)。
正直かつ、回転の速い人だと思う。
計算したり取り繕ったりする前に、すぱんと言葉にする。
その言い方が、なんとも「切り捨てている」感があるというか、「突き放している」感があるというか、独特。
まっつを好きな人には、たまらん部分だろうなあと思う。
話の内容は、ファン目線ではない。
これを言うとファンが喜ぶとか、ファンはこれを聞きたがっているとか、そーゆー視点では一切回答しない。
あくまでも、自分がどう思ったかのみを口にする。
そういった意味では、ファンサービスに欠けるので、エンターティナー的な話術やもてなしを期待して行くと、肩すかしかもな。
でも、お茶会なんて基本ファンしか行かないわけだし、まっつのそのすぱーんとした話し方自体を愛でられる、楽しめる人には癖になる楽しさがある(笑)。
正直だからこその、毒舌。
しかし、無神経でも無礼でもない。
すぱーんと切り捨てたのち、ちゃんとバランス感覚のあるフォローを入れる。
せり下がりで気にしているのが、「セリに入ってるかな」だけなの? そんなもんなの? と、びっくりさせておきながら。
「それまでが、セリ線確認できてないんですよ」と、その場面の説明をする。そう考えるのが仕方ないこと、当然であることを。
「しんどいな」って、そんなこと言っちゃっていいの? と、びっくりさせておきながら。
ずっと動いているとそうでもないが、止まってるとかえってしんどいものだということや、せっかくの盆を回してのせり上がり、気持ちよくやらせてもらっているということを、ちゃんと伝える。
アタマが良くて、一般的な感覚も持ち合わせた人の毒舌は、気持ちいいもんだ。
笑いを取るためとか、リップサービスでSな発言をするわけじゃない。
素のまま突き放して、あとから解説やフォローを入れる、この繰り返しは面白い。
突き放されて、助け起こされるのよ? なにそのツンデレ効果。
書いてるうちに思い出してきた。
影の話のときに、髪型のことも出たんだった。
乱れ髪が素敵ですね、てな話題に、やっぱりまずはすぱっと切り捨てて、突き放して、そのあとでたらたらと解説してた(笑)。
あの素敵な乱れ髪は、てきとーだそうですよ。
とにかく時間がなくて、さくっとやっているだけなので、そのときの手癖次第、偶然の産物、同じ髪型にしろと言われても二度と出来ない系の、その場限りのヘアスタイルらしい(笑)。
たまたまそうなった、ってだけだから、緻密な計算にて、このウェーブが、とか、このラインが、とかはないらしい。
好みの乱れ具合を見られたら、それはラッキー☆ってことなんだよな。
……いや、そんな予感はしていたよ……きっと、わたしだけでなく、多くの人が……ひょっとしたら、ほとんどの人が……(笑)。
しかし、まっつへの質問は難しいよなあ。
大抵のことは「ないです」「考えてません」系の返事だもんなー。しかもそれがすぱっと突き放し系……。
なかにはすぱっと返せず「うーん」と考え込んじゃうときもあるけど。
多角的にいじれる質問内容で、突き放されてもさらにいじれる系のネタを仕込んでおくのが、対まっつには必要なんじゃないかと思ったり。
いや、外野だからそんな風に思うのであって、実際はいろいろと難しいんだろう。わたしにそんな返しが出来るとも思えないから、ほんと、できもしないことをうだうだ言っているだけですよ。
キムくんの卒業に関しての言及は一切なし。
個人的コメントを挟む気はないんだろうな。
大人というか、プロだなという感じ。や、実際大人でプロなんだけど。タカラジェンヌはそれだけでない部分、ゆるさやあまさも愛でるモノだから、まっつのそーゆー線の引き方がちょっと寂しくもあったり。
それと同時に、さもありなん、と誇らしくもあったり。
つくづく、未涼亜希という人は、「舞台の上の姿」を裏切らない人だと思う。
どんな役を演じていようと、舞台上のまっつがそのまま、素のまっつにつながっている。
生きる、姿勢が。
わたしは基本、ジェンヌさんに舞台の上だけしか興味を持たないし、ナマに近づくこともないのだけど、まっつのお茶会に違和感がないのはそーゆーことかなと思う。
しあわせだ。
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