未だにちゃんと書いていなかった、『Shining Rhythm!』の感想。

 わたしはこのショーが好き。
 イレギュラーばかりの昨今、ワンパターンの王道レビューはそれだけでうれしくなる。タカラヅカっていいなあ!と心から思える。
 別にものすごい名作ではないんだろうし、キャストに思い入れがなければ「可もなく不可もない」レベルだろうし、過去の中村B作品と区別付かないだろうけどなっ(笑)。
 タカラヅカのタカラヅカらしい、ふつーにいい作品だと思う。
 単調になりがちないつの中村Bなんだけど、振付を場面ごとに変えることで差別化しているし。


 わたしは好きだけど、この「可もなく不可もない」あたりを簡単に考えてみた。

 過去の中村B作品もそうだとはいえ、『Shining Rhythm!』が単調に感じるとしたら、ソレはどのへんに原因があるのか?

 オープニング - 王道のスター顔見せ。番手や学年に合わせ、順番に見せ場をもらって華々しく歌い踊る。蛍光オレンジのトンデモカラー燕尾。

 ショータイム1 - ちぎくんを中心に、黒スーツの男たちが都会的に粋に踊る。セクシーな黒ミニドレスの娘役たちも絡む。外国人振付家による、スタイリッシュ場面。

 ショータイム2 - 中村B定番のスパニッシュ。ふたりの男がひとりの女を争う系。トップコンビの情熱愛。マタドール衣装。

 中詰め - ラテンメドレー。番手や学年に合わせ、順番に見せ場をもらって華々しく歌い踊る。黄色燕尾とドレス。トップコンビは黄金色。

 ショータイム3 - エジプト調の音楽だけど、わりと無国籍系。トップコンビ以下総力戦。衣装はファンタジック。

 フィナーレ - コマ銀橋ソロ→ロケット(ロケットボーイ@翔くん付き)→大階段黒燕尾→みみちゃんたち娘役いっぱい→若手スター銀橋歌い継ぎ→みんな登場黒燕尾+ドレス→トップコンビのデュエットダンス→パレード。


 「タカラヅカ」のルールに則った、端正でシンプルな作りだと思う。
 「タカラヅカのショー作品を作る」という講座があったら、お手本として「初心者用キット」に出来そうなスタンダード感。

 大昔に確立され、ずっとずっとくり返されてきたショーのひな形的構成。
 なのにソレが単調だったりしたら、「タカラヅカ」が単調ってことになる。
 ナニがいけないんだろう?

 作品構成がルール通り順番通りの上に、その場面ごとの人間使いまでもが番手通り・学年通りだからか。
 縦の線も横の線も、ずっと同じなんだよねえ。
 それが中村Bの特徴なので、ソレはそれでアリだと愛でてるけどなー。

 ならばせめて、中詰めで変化を付けるべきだったかな、とは思う。

 オープニングからフィナーレまで、場面ごとに全部「番手順・学年順」。全体を通して俯瞰しても、「番手順・学年順」。場面は今までの中村Bのお約束通り、過去にどこかで見たモノ通りで、人使いは同じことの繰り返し。
 ならばそれらのお約束が集約された箇所にひとつ、どかんとイレギュラーを入れたら、印象が大きく変わるんじゃないかな?

 お約束の集大成といえば、オープニングと中詰めとフィナーレだ。
 しかしオープニングとフィナーレは変えちゃいけない。ここを変えると「タカラヅカの伝統」からはずれてしまう。
 だとすれば、変えられるのは中詰め。

 中詰めは、ある意味オープニングの繰り返しだ。
 仕切り直し、もう一度ここからはじまりますよ的な。
 主題歌にのってスターの銀橋ラインナップ、キャスト全員舞台上に登場して歌い踊る。
 や、別に主題歌でなくてもいいんだけど。そーゆーノリの場面だよね。

 他の作家ならそれでいいけど、なにしろ中村B。
 他の部分が全部同じ方程式で作られているから、方程式がもっとも剥き出しになるオープニングと中詰めは「同じことしている」感が強い。
 オープニングですでに同じことをやっているのに、中詰めでさらに時間かけて同じことをやっちゃうのは、なあ。

 ここをどんと方程式無視でぶちかましたら、いいコントラストになったろうな。
 メリハリになったろうな。
 とは思う。

 ……だからといって、それをやっちゃうと中村Bではないと思うので、結局はこのままでいいんだけどなー(笑)。


 ビバ・ワンパターン。


 ……て、実はこのテキスト、最終更新日が3月11日になってるヤツなんだけどな、初日観たあとすぐに書いた日記の、テーマからぶれるからと削除した部分(笑)。
 日記書きながら、話がとっちらかっちゃって、こりゃダメだと軌道修正、ズレた部分を切り取って、またいつか使うこともあるかと保存してあるんだけど、整理能力がないもんで、どこにナニを書いたやら……。テキストデータ膨大すぎてわけわかんない……。

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