ラヴソング。@フットルース
2012年8月20日 タカラヅカ 君の心の中に
私はまだ住んでいるのだろうか?
長い沈黙が許されるのなら
今もう一度 やり直したい
手を取り合って
『フットルース』のエピローグ的な場面で、ムーア牧師@まっつが妻のヴァイ@きゃびいへ歌う。
ここの場面ってさー、いろいろとすごいよねー。
ムーア牧師は、妻のヴァイに問いかけるわけだ。「ひどいことしちゃったけど、まだ愛されてるのかな? 許してもらえるのかな?」と。
ええ、質問系ですよ、一応。
で、「許してくれるなら、やり直したい」と続くわけですな。
まず、質問からです。
でも。
肯定されることを前提に、質問してやがる、この男(笑)。
愛されていること、許されること、わかっていて、言ってやがる。
ひどい。
ひどいわ~~!!(笑)
ここのまつださんの芝居が、すごくて。
言葉の上では質問系。
だけどムーアのこの台詞っていうか、作品の演出では、相手の答えを知った上で、「下手に出る」感じ。
だってムーアさん、ひとことも、謝ってない。
悪かったことは認めてるけど、謝罪はしないの(笑)。
で、上から目線で、あえて下手に出てやるの。
相手の気持ちを、返事をわかった上で。
それがね、すごくいいの。
悪かったことは認めている、それでも許され、愛されていることも知っている。
その事実に対する、甘え。
そして、「許され、愛されていることに対し、甘えている」ことに対する、はにかみ。
甘えて、はにかんで、バツが悪いことも承知の上で、それでも答えを欲する、妻への愛情。
さらに、男の傲慢さや、ずるさも垣間見えるの。それに対する心の揺らぎも見えるの。
それらが、見事に表現されているわけですよ!!
この歌と、芝居に。
ナマの芝居だから、いつも成分が同じなわけじゃない。
甘え成分多めのときとか、はにかみ成分多めのときとか、いろいろあるよ。
ちょっとつっけんどんになってみたり、最初からあまあまムードになっていたり。
しかし、細かい。
芝居がすげー細かい。
心がひとつではなく、いろんな感情が同時に存在していることが、わかる。
ムーア牧師は、心が動いているときは、ポケットに手を入れる。
ヴァイに対し、この「謝らない、わかっている答えをあえて求める」という語りかけをするときもまた、ポケットに手を入れている。
そして、妻と抱き合い、チークを踊ったあと、肩を抱いて退場する際も、空いた方の手はポケットに入れている。
ムーア牧師がとびきり「人間」らしい反応を見せているときの癖。
ヴァイへのこの語りかけは、なんつーか、「夫婦」であり、「家族」ゆえなんだなあと思う。
彼が、言葉にしては謝らないこと。
ヴァイの気持ちも反応もわかっていながら、あえて質問のカタチを取って尋ねること。
こんな「甘え」が出来ること、許されること。
それは、ムーアがムーアだからであり、ヴァイがヴァイであるから。
夫婦であるから。家族であるから。
男と女、であること。
まつださんをすごいと思うのは、この複雑なモノを内包した演技を、ほんとに自然に説得力に富み、かつエロく演じていること。
主人公が高校生である以上、その親世代なんて対象外になりがちじゃん? 恋愛していいのは、観客をときめかせていいのは主人公である高校生たち、その親なんてただの年寄り、恋愛やときめき以外担当!でも、おかしくない。
なのにムーアさん、とびきり現役色男。
心を閉ざしていてアレですよ、んでフットルースしちゃった、解き放っちゃった途端、フェロモン解禁ですよ。
とんでもないなヲイ。
この人マジに芝居うまいんだ!と、今さら、またしても顎を落とす。
こんな芝居が出来る人なんだ……。
なんて今、改めて思うのはですね。
ラヴソングを歌うまっつを、はじめて見た。……からなのですよ。
はじめて。
ファンになってから。
タカラヅカはシステム上、主要キャラクターしか愛を語らない、歌わない。短い上演時間で起承転結するために、脇のキャラの愛だ恋だまで拾っていられない。
そりゃショーでは愛に関係した歌も歌っていただろうけど、物語も相手役もなしに歌うのはノーカウント。
まっつは本公演の芝居で主要キャラクタを演じることは長らくなかったし、バウやDCなどで2番手を演じる機会はあっても、何故か恋愛関係ない役ばかりだった。
まっつには恋愛させたくないの? 愛を語らせたり、ラヴシーンさせたくないの?
どういうことなのよ演出家?!
と、詰め寄りたくなるわー。
その他大勢でしかなかった本公演は仕方ないとしても、2番手ならふつーあるだろ? ねえ?
てゆーか、まっつが2番手やったのって、海馬教授(ヘンタイ)と相沢(ホモ)とプガチョフ(ホモ)?!
女は言い訳、主人公(男)の海馬を追いかけていた海馬教授の変態ぶりはともかく、相沢とプガチョフは別にホモぢゃないけど、作品中女より誰より主人公(男)を愛していたキャラなので……。
2番手じゃないけど、とても大きな役だった張良先生も、相手役ははっちさんだったりえりたんだったり、してたしなあ。
まっつには女より男なの?! 恋愛より友情なの?!
それが演出家の共通見解なのかしら……。
前回の本公演、『ドン・カルロス』にしたって、原作はフェリペ二世も交えた三角関係なのに、演出家がわざわざオリジナル設定加えて別モノにしちゃったしね。
おかげでフェリペ二世、「愛すれば愛するほど♪」とか一見愛の歌あったけど、別にラヴソングちがう……ただの自己正当化ソング……相手不在……。最終的に、若い嫁といい雰囲気にはなっていたけど、テーマはそこになかった。
やはり、まっつには女と恋愛させたく……ゲフンゲフン。
そんな人だからほんと、ラヴソングを聴いたことがなかった。
歌ウマなのに! 歌ウマにラヴソング歌わせようよ歌劇団! 歌劇団なんだから!
てことで。
今、はじめての、ラヴソング。
甘ったるさとストイックさの、絶妙のブレンド。
芝居の巧さに加えて、歌唱力という武器を使った表現の幅と深さ。
まっつのラヴソング、パネェ!!
こんなすごいことになるのか。
わたしがはじめて見るまっつで、はじめて聴くまっつの歌声だった。
まっつオチして7年。今さら、こんな歌を聴けるなんて……。
しみじみと、しんしんと深い。
浸透してくるような、歌声。愛情。
それは、ゆっくりとぴったりと、隙間をなくすように抱きしめる、彼の抱擁に似て。
毒が、深い。
逃げられなくなる(笑)。
私はまだ住んでいるのだろうか?
長い沈黙が許されるのなら
今もう一度 やり直したい
手を取り合って
『フットルース』のエピローグ的な場面で、ムーア牧師@まっつが妻のヴァイ@きゃびいへ歌う。
ここの場面ってさー、いろいろとすごいよねー。
ムーア牧師は、妻のヴァイに問いかけるわけだ。「ひどいことしちゃったけど、まだ愛されてるのかな? 許してもらえるのかな?」と。
ええ、質問系ですよ、一応。
で、「許してくれるなら、やり直したい」と続くわけですな。
まず、質問からです。
でも。
肯定されることを前提に、質問してやがる、この男(笑)。
愛されていること、許されること、わかっていて、言ってやがる。
ひどい。
ひどいわ~~!!(笑)
ここのまつださんの芝居が、すごくて。
言葉の上では質問系。
だけどムーアのこの台詞っていうか、作品の演出では、相手の答えを知った上で、「下手に出る」感じ。
だってムーアさん、ひとことも、謝ってない。
悪かったことは認めてるけど、謝罪はしないの(笑)。
で、上から目線で、あえて下手に出てやるの。
相手の気持ちを、返事をわかった上で。
それがね、すごくいいの。
悪かったことは認めている、それでも許され、愛されていることも知っている。
その事実に対する、甘え。
そして、「許され、愛されていることに対し、甘えている」ことに対する、はにかみ。
甘えて、はにかんで、バツが悪いことも承知の上で、それでも答えを欲する、妻への愛情。
さらに、男の傲慢さや、ずるさも垣間見えるの。それに対する心の揺らぎも見えるの。
それらが、見事に表現されているわけですよ!!
この歌と、芝居に。
ナマの芝居だから、いつも成分が同じなわけじゃない。
甘え成分多めのときとか、はにかみ成分多めのときとか、いろいろあるよ。
ちょっとつっけんどんになってみたり、最初からあまあまムードになっていたり。
しかし、細かい。
芝居がすげー細かい。
心がひとつではなく、いろんな感情が同時に存在していることが、わかる。
ムーア牧師は、心が動いているときは、ポケットに手を入れる。
ヴァイに対し、この「謝らない、わかっている答えをあえて求める」という語りかけをするときもまた、ポケットに手を入れている。
そして、妻と抱き合い、チークを踊ったあと、肩を抱いて退場する際も、空いた方の手はポケットに入れている。
ムーア牧師がとびきり「人間」らしい反応を見せているときの癖。
ヴァイへのこの語りかけは、なんつーか、「夫婦」であり、「家族」ゆえなんだなあと思う。
彼が、言葉にしては謝らないこと。
ヴァイの気持ちも反応もわかっていながら、あえて質問のカタチを取って尋ねること。
こんな「甘え」が出来ること、許されること。
それは、ムーアがムーアだからであり、ヴァイがヴァイであるから。
夫婦であるから。家族であるから。
男と女、であること。
まつださんをすごいと思うのは、この複雑なモノを内包した演技を、ほんとに自然に説得力に富み、かつエロく演じていること。
主人公が高校生である以上、その親世代なんて対象外になりがちじゃん? 恋愛していいのは、観客をときめかせていいのは主人公である高校生たち、その親なんてただの年寄り、恋愛やときめき以外担当!でも、おかしくない。
なのにムーアさん、とびきり現役色男。
心を閉ざしていてアレですよ、んでフットルースしちゃった、解き放っちゃった途端、フェロモン解禁ですよ。
とんでもないなヲイ。
この人マジに芝居うまいんだ!と、今さら、またしても顎を落とす。
こんな芝居が出来る人なんだ……。
なんて今、改めて思うのはですね。
ラヴソングを歌うまっつを、はじめて見た。……からなのですよ。
はじめて。
ファンになってから。
タカラヅカはシステム上、主要キャラクターしか愛を語らない、歌わない。短い上演時間で起承転結するために、脇のキャラの愛だ恋だまで拾っていられない。
そりゃショーでは愛に関係した歌も歌っていただろうけど、物語も相手役もなしに歌うのはノーカウント。
まっつは本公演の芝居で主要キャラクタを演じることは長らくなかったし、バウやDCなどで2番手を演じる機会はあっても、何故か恋愛関係ない役ばかりだった。
まっつには恋愛させたくないの? 愛を語らせたり、ラヴシーンさせたくないの?
どういうことなのよ演出家?!
と、詰め寄りたくなるわー。
その他大勢でしかなかった本公演は仕方ないとしても、2番手ならふつーあるだろ? ねえ?
てゆーか、まっつが2番手やったのって、海馬教授(ヘンタイ)と相沢(ホモ)とプガチョフ(ホモ)?!
女は言い訳、主人公(男)の海馬を追いかけていた海馬教授の変態ぶりはともかく、相沢とプガチョフは別にホモぢゃないけど、作品中女より誰より主人公(男)を愛していたキャラなので……。
2番手じゃないけど、とても大きな役だった張良先生も、相手役ははっちさんだったりえりたんだったり、してたしなあ。
まっつには女より男なの?! 恋愛より友情なの?!
それが演出家の共通見解なのかしら……。
前回の本公演、『ドン・カルロス』にしたって、原作はフェリペ二世も交えた三角関係なのに、演出家がわざわざオリジナル設定加えて別モノにしちゃったしね。
おかげでフェリペ二世、「愛すれば愛するほど♪」とか一見愛の歌あったけど、別にラヴソングちがう……ただの自己正当化ソング……相手不在……。最終的に、若い嫁といい雰囲気にはなっていたけど、テーマはそこになかった。
やはり、まっつには女と恋愛させたく……ゲフンゲフン。
そんな人だからほんと、ラヴソングを聴いたことがなかった。
歌ウマなのに! 歌ウマにラヴソング歌わせようよ歌劇団! 歌劇団なんだから!
てことで。
今、はじめての、ラヴソング。
甘ったるさとストイックさの、絶妙のブレンド。
芝居の巧さに加えて、歌唱力という武器を使った表現の幅と深さ。
まっつのラヴソング、パネェ!!
こんなすごいことになるのか。
わたしがはじめて見るまっつで、はじめて聴くまっつの歌声だった。
まっつオチして7年。今さら、こんな歌を聴けるなんて……。
しみじみと、しんしんと深い。
浸透してくるような、歌声。愛情。
それは、ゆっくりとぴったりと、隙間をなくすように抱きしめる、彼の抱擁に似て。
毒が、深い。
逃げられなくなる(笑)。
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