君と歩く、君の手を握り。@JIN-仁-
2012年10月17日 タカラヅカ なんやかんや言ってますが、『JIN-仁-』は好きです。今回の公演、ショーと芝居どっちが好きかと聞かれたら、芝居と答えるくらいには(笑)。
迷走上等!のサイトーくん作『JIN-仁-』は、モチーフが好きなモノであることに加え、愛情だけは見える作りであるため、脳内補完+脳内盛り上がりできるのね。
サイトーくんは力不足でまったく描けていなかったけれど、咲と結命、トップ娘役がふたりのヒロイン役を演じているのは、ふたりが別人設定ではなく、「同じ魂」「何度めぐりあっても愛し合う、運命の恋人」ってことでしょ?
最後に出会う結命のなかに、咲が生きているわけでしょ? だからこそ、再び恋に落ちるわけでしょ?
仁@キムは、恋人の結命@みみを失い、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」という思いを抱き、結命ではないけれど彼女と同じ魂を持った咲に出会い、彼女に惹かれ、咲を愛し江戸の人々を愛し真摯に生きることで、結果結命を救うことになった。
結命のなかに、咲が、そして江戸の人々との出会いが生きている……。
だからわざわざ、オリジナルヒロインの名前が「結命」……命を結ぶ、なんだよね?
そーゆー話だよね?
そのスピリッツが、ぜんぜん描けてないけど(笑)、描きたかったんだってことは伝わっているから、泣けるの。
「神の手」ともてはやされながら、いちばん大切な人を救えなかった。
その、悔恨。
それは、「すべてを持ち合わせた人」と謳われながら、誰よりも孤独だった、カルロス@『ドン・カルロス』に通じる。
誉められれば誉められるほど、、感謝されればされるほど、彼の心の傷はうずく。血を流す。
他人が見ているモノと、真実の自分との乖離に、絶望がつのる。
咲の役目は、仁を救うことなんだなあと、思った。
自分自身を許せず、罪を背負ったまま生きている仁。
どれだけ他人を救い、神と崇められようと、彼は自分を救えない。
他人を救うことで、医師としての使命を全うすることで、折り合いを付けようと努力しているけれど、ほんとうのところ、彼は自分を許せずにいる。
人を救うことは、仁が生きている意味……いや、言い訳なんだ。
や、もちろん仁は誠実で真摯な医師だから、目の前で傷病に苦しむ人をあるがままに誠心誠意救っている。それはほんとう。
だけど、その奥の奥で。
他人の命を救っているんだから、必要とされているんだから、生きる意味はある……愛する人を救えなかったような自分でも、生きててもいいんだ……そう、言い訳になっているんだろう。
それが、夕霧@杏奈を救えなかったことで、仁はその「言い訳」すら失う。
現代の設備さえあれば救えた……つまり、「神の手」は仁個人ではなく、あくまでも現代の技術、設備、……仁自身になんの価値もない。
結命ひとり救えなかったように、仁にはなにもできない、誰も救えない……。
そう絶望した彼が、目の前の咲にすべてをぶつける。
「もう限界だ」と。
自分は150年後の未来から来ただけの、神でもなんでもない、無力な男なのだと。
その仁の悔恨を、罪の意識を、自虐を、咲が、救う。
難しいことなんてなにも理解しない、無垢な魂で。
無邪気な誠実さで。
全肯定する。
神じゃない、無力だ、無意味だ、と投げ捨てる仁の言葉を聞いたのに、それを聞く前と同じ信頼を語る。仁は人々を救っていると。
仁が救えなかった恋人も、幸せであったのだと。
無力じゃない、無意味じゃない。
仁は人々を救い、幸せにしている。
仁自身が信じられずにいたことを、咲が教える。
仁が見えないままだった世界を、咲が照らす。
だから仁は、「この世界で生きる」と決意する。
なにをなすべきか……自分を肯定し、自分に出来ることをする。自分を愛し、自分の生きるこの世界を、出会う人々を愛する。
結命を救えなかったことで閉ざされていた仁の瞳が、心が開く。
咲によって。
そして……。
咲と共に生きる決意をした仁は、やがて再び現代へ戻り、そこで生きている結命と再会する。
医術に生きるのだと言った咲が、医師となった結命のなかに生きている。
形を変えて、何度でも仁の前に現れる結命(咲)。
絶望と希望、哀しみと喜びを編み込みながら進む、時間の輪。
そのなかで、仁と結命(咲)は出会いと別れを繰り返しつつも、真摯に生き続ける。
エンディングでは、仁と結命の物語ははじまっていない。
きっとこれから、はじまる。
いくつもある、彼らの物語、そのなかのひとつ。
いつか別の時代では、ロミオとジュリエットだったかもしれない。
ニコライとマーシャだったかもしれないし、カルロスとレオノールだったかもしれない。
別の平行世界では、レンとアリエルだったかも、しれないね。
主題歌の「My Life Your Life」では、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」とある。
そしてこの歌は、さらにこう続くのさ。
「もしやり直せてもまた 同じ道を歩くだろう 君と過ごした 美しい季節」
何度出会っても、どこの時代、どんな姿でも。
ロミオとジュリエットでも、仁と咲でも。
何度やり直せたとしても、別れが待っているとしても。
それでも、君を愛する。
迷走上等!のサイトーくん作『JIN-仁-』は、モチーフが好きなモノであることに加え、愛情だけは見える作りであるため、脳内補完+脳内盛り上がりできるのね。
サイトーくんは力不足でまったく描けていなかったけれど、咲と結命、トップ娘役がふたりのヒロイン役を演じているのは、ふたりが別人設定ではなく、「同じ魂」「何度めぐりあっても愛し合う、運命の恋人」ってことでしょ?
最後に出会う結命のなかに、咲が生きているわけでしょ? だからこそ、再び恋に落ちるわけでしょ?
仁@キムは、恋人の結命@みみを失い、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」という思いを抱き、結命ではないけれど彼女と同じ魂を持った咲に出会い、彼女に惹かれ、咲を愛し江戸の人々を愛し真摯に生きることで、結果結命を救うことになった。
結命のなかに、咲が、そして江戸の人々との出会いが生きている……。
だからわざわざ、オリジナルヒロインの名前が「結命」……命を結ぶ、なんだよね?
そーゆー話だよね?
そのスピリッツが、ぜんぜん描けてないけど(笑)、描きたかったんだってことは伝わっているから、泣けるの。
「神の手」ともてはやされながら、いちばん大切な人を救えなかった。
その、悔恨。
それは、「すべてを持ち合わせた人」と謳われながら、誰よりも孤独だった、カルロス@『ドン・カルロス』に通じる。
誉められれば誉められるほど、、感謝されればされるほど、彼の心の傷はうずく。血を流す。
他人が見ているモノと、真実の自分との乖離に、絶望がつのる。
咲の役目は、仁を救うことなんだなあと、思った。
自分自身を許せず、罪を背負ったまま生きている仁。
どれだけ他人を救い、神と崇められようと、彼は自分を救えない。
他人を救うことで、医師としての使命を全うすることで、折り合いを付けようと努力しているけれど、ほんとうのところ、彼は自分を許せずにいる。
人を救うことは、仁が生きている意味……いや、言い訳なんだ。
や、もちろん仁は誠実で真摯な医師だから、目の前で傷病に苦しむ人をあるがままに誠心誠意救っている。それはほんとう。
だけど、その奥の奥で。
他人の命を救っているんだから、必要とされているんだから、生きる意味はある……愛する人を救えなかったような自分でも、生きててもいいんだ……そう、言い訳になっているんだろう。
それが、夕霧@杏奈を救えなかったことで、仁はその「言い訳」すら失う。
現代の設備さえあれば救えた……つまり、「神の手」は仁個人ではなく、あくまでも現代の技術、設備、……仁自身になんの価値もない。
結命ひとり救えなかったように、仁にはなにもできない、誰も救えない……。
そう絶望した彼が、目の前の咲にすべてをぶつける。
「もう限界だ」と。
自分は150年後の未来から来ただけの、神でもなんでもない、無力な男なのだと。
その仁の悔恨を、罪の意識を、自虐を、咲が、救う。
難しいことなんてなにも理解しない、無垢な魂で。
無邪気な誠実さで。
全肯定する。
神じゃない、無力だ、無意味だ、と投げ捨てる仁の言葉を聞いたのに、それを聞く前と同じ信頼を語る。仁は人々を救っていると。
仁が救えなかった恋人も、幸せであったのだと。
無力じゃない、無意味じゃない。
仁は人々を救い、幸せにしている。
仁自身が信じられずにいたことを、咲が教える。
仁が見えないままだった世界を、咲が照らす。
だから仁は、「この世界で生きる」と決意する。
なにをなすべきか……自分を肯定し、自分に出来ることをする。自分を愛し、自分の生きるこの世界を、出会う人々を愛する。
結命を救えなかったことで閉ざされていた仁の瞳が、心が開く。
咲によって。
そして……。
咲と共に生きる決意をした仁は、やがて再び現代へ戻り、そこで生きている結命と再会する。
医術に生きるのだと言った咲が、医師となった結命のなかに生きている。
形を変えて、何度でも仁の前に現れる結命(咲)。
絶望と希望、哀しみと喜びを編み込みながら進む、時間の輪。
そのなかで、仁と結命(咲)は出会いと別れを繰り返しつつも、真摯に生き続ける。
エンディングでは、仁と結命の物語ははじまっていない。
きっとこれから、はじまる。
いくつもある、彼らの物語、そのなかのひとつ。
いつか別の時代では、ロミオとジュリエットだったかもしれない。
ニコライとマーシャだったかもしれないし、カルロスとレオノールだったかもしれない。
別の平行世界では、レンとアリエルだったかも、しれないね。
主題歌の「My Life Your Life」では、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」とある。
そしてこの歌は、さらにこう続くのさ。
「もしやり直せてもまた 同じ道を歩くだろう 君と過ごした 美しい季節」
何度出会っても、どこの時代、どんな姿でも。
ロミオとジュリエットでも、仁と咲でも。
何度やり直せたとしても、別れが待っているとしても。
それでも、君を愛する。
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