あれは、きりやんのサヨナラショーを観たときだ。

 まさみりは、愛し合うしかない。

 と、思った。

 まさおくんとみりおくん、中の人がどんな人たちなのか、関係がどうなのか、わたしはまったく知りません。
 実際がどうだからではなく、変な意味でなく、彼らの置かれた立場的に。

 もう、愛し合うしかないじゃん?

 と、思った。


 月組はとにかくみりおくんを大切に育ててきてて。
 途中から何故か、まさおくんもピックアップされて。

 みりおは組配属時から特別扱いの御曹司だったし、実際美形だし、実力に破綻ないしで、未来のトップスターとして育てるに相応しい子だったと思う。
 意外だったのは、まさおの使い方。
 そこそこの位置にはいたけど、路線として考えられてはいなかったはず……最初は。みりおくんよか、ずっと脇の扱いだったし。下級生のみりおくんが主要人物やってる横で、モブキャラやってたよねえ。

 真ん中ににじり寄ってきたのは、まさおの実力だと思っている。ジェンヌとして、スターとしての実力……だけでなく、「真ん中に立ちたい!」という意志の力も含めた、実力。
 や、実際、脇にいた頃のまさおくん、上昇志向強すぎて鼻息荒く見えたもん、わたしには。

 そうやって、女顔で幼い雰囲気のみりおくん育成に、もうちょい時間かかるかな、と劇団が考えた、その隙間にまさおがうまく滑り込んだかなあ。

 生まれ持ってのサラブレッドみりおと、野生育ちのまさお。
 みりおくんは、お育ちゆえにおっとりと。
 まさおくんは、お育ちゆえに生々しく。
 ふたりの対比は、外から眺める分には楽しかった。

 問題はまさおくんが、野生育ちであることを捨て、ハイソなキャラに転換しようとあがきはじめたことかなー。
 みりおくんの真似はしなくていいのにー。まさおはまさおだからいいのにー。

 気がつくとまさみりは、「美少女コンビ」みたいになっていた。
 素顔の美しさで売る、きれいな女の子ふたり。

 ふたりの持ち味はチガウのに、劇団はふたりひとまとめに女役をやらせ、ドレスを着せ、ダルマ姿で太ももを出させる。

 みりおくんは、「強いな」と思う。
 劇団がどんだけ彼をオンナノコ扱いしても、がんとして男であることを貫いている。
 やっぱ本物は強い。彼は揺るがない。

 悲しいのは、野生育ちのまさおくんだ。
 彼は揺らぎまくる。劇団のやり方、考え方に左右され、そのたびスタンスを変え、混乱している。
 どんなことをしても、彼はそこにいたいんだ。だから、そこに居続けるための努力を惜しまないんだ。それゆえに、右往左往するんだ。

 学年が上だからと、かろうじてまさおの体面は保たれているけれど、劇団の掌中の玉はみりお。それは彼の入団時から、変わっていない。まさおの立ち位置こそが、シナリオ外。
 それがわかっていて、みりおは控えめに微笑み、まさおはなにも気にしていない風に振る舞う。
 どちらもやりにくいだろう。

 まさみりの役替わり、ふたりの同列ぶり(学年はまさお、人気はみりお)は、一筋の緊張感を孕みつつも、好評である。
 これで、上級生のまさおが人気だと、意味がない。それじゃ当たり前だからだ。学年・立ち位置と人気が逆転していることに、価値がある。

 彼は正統派の芸風と美貌で人気スター、かつ御曹司育ち。なのに、彼より癖のある芸風で彼ほど人気がなく、しかも途中から路線に乗った上級生が、彼の前に立ちはだかる。
 この立ち位置、関係性が、ファンの意識を波立たせる。

 うまいなーと思う。
 思うけど、まさおの迷走ぶりへの懸念と、まさみり双方への負担の大きさ、タカラヅカの正統ピラミッドを愛するモノとして、こんなやりかたを手放しで支持できない。

 まさみりは好きだけど。
 わたしが見たかったまさおは、みりおは、こんなカタチじゃなかった。
 月組新体制、きりやんの退団公演中に発表された準トップ制度は、イチヅカヲタとして心荒むものだった。

 これからどうするんだろう。
 まさみりは、これからもずーーっと役替わりを続けるのか。
 御曹司みりお、そこに横から割り込んできたまさお、割り込みだからトップとは名ばかりの扱いを受けるのか。
 それっていくらまさおが雑草育ちだからってひどくないか、大丈夫なのかそんなことして。
 それっていくらみりおが正統的に強いからってひどくないか、大丈夫なのかそんなことして。

 彼らの立ち位置、関係、思い、そんなもんを勝手に考えては気を重くしていたわけですよ。

 そしてそれは、彼らがトップと準トップという、いびつな関係である以上、変わることはない。
 変わることはない……けれど。

 きりやんのサヨナラショーを観たときに、思ったんですよ。

 まさみりは、愛し合うしかない、って。

 彼らのこの、タカラヅカ100年の歴史でもめずらしい、いびつな関係性……それでもまさおは、次の月組トップスターとして全部背負う気でいる。
 みりおくんは、黙して受け止めようとしている。
 彼らの覚悟を、見た気がした。

 まさおが男役率いて出てきたときにね、なんかどばーっと泣けて。きりまり最後だお別れ寂しい、という涙ではなく、まさみりへの涙。

 劇団はひどいよ。なんで月組だけ、まさみりだけ、こんなことをするんだ。
 ふたりが仲良しでも親友でも、天敵として憎み合っていたとしても、つらいだけじゃないか。
 外野があれこれ思うだけで、ジェンヌたちはあまり番手とか立ち位置とか衣装のキラキラの数とか役の上下とか、気にしていないのかもしれない。トップスターなのに主役が出来なくても、2幕の途中で殺されて出てこなくなっても、平気なのかもしれない。誰もナニも気にしないものなのかもしれない。
 だけど、少なくとも「ファンが、気にする」ことを彼らは知っているだろう。ファンが気にしているのに、それをまったく気にせずにはいられないだろう。
 だからひどいよ。何故まさみりにだけ、こんな重荷を背負わせるんだ。

 という、その重荷、ひどい、と思う状態。
 それらを受け止め、飲み込み、この華やかな迷宮の真ん中に立つ、たったふたりの男たち。
 他の誰でもない。まさおとみりお、彼らだけ。

 となるともお、彼らは愛し合うしかない。

 ……えー、変な意味ぢゃないっすよ。
 んじゃどういう意味かと言われても、説明しづらいが。

 愛し合うしかない。
 理屈じゃない。
 この地球上に、彼らふたりぽっちなんだもの。人類が死に絶え、かれらだけが生き残ったようなもんだもの。
 憎み合ったり無関心でいる場合じゃない。
 愛し合え。
 それしかない。


 …………全部わたしの個人的な考えなので、事実とどんだけかけ離れていても、間違いまくっていても、関係ないっす。
 まさみりという関係性に、意味を見いだした瞬間。
 準トップ制度なんていびつだと思うし、やめてくれと思う。タカラヅカはトップスターを中心としたピラミッドだからいいんだ。
 準トップ制度は認められないけれど、その上にある、まさおとみりおは、愛しい。

 娘役トップは小さな切手サイズ追記写真、まさみりだけどーんとポスターに載り、新公主演はまさみりの役の子たち、というふたり同等のような扱いに見える、『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』を前にして、思う。

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