植田歌舞伎と人の言う。@ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-
2013年1月15日 タカラヅカ らんとむ、えりたんとアンドレ特出舞台からスタートしたので。
準トップ様がベルナールという出番がろくにない役をやっているくらい、組子たちが玉突き配役になっている状態を続けざまに観劇したわけです、『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』。
月組さんって植爺歌舞伎にあまり当たってなかったんだ。『ベルばら』自体涼風さん以来なんだっけ。『パリ空』とか植爺自体は当たっているけれど、本公演で2~3ヶ月みっちり植爺歌舞伎っていつぶり?
なんというか、月組全体の据わりの悪さ、歌舞伎が板に付いていない上滑り感が終始気になった。
月組はミュージカルの組で、今はアイドル組だっけ。そういう人たちは時代遅れの歌舞伎芝居なんかやる必要ないのかもしれない。組ごとのカラーの違いはあってしかるべき、月組はそれでいいんだろう。
歌舞伎ができていないいちばんの問題児は、他でもない、主役のオスカル@まさお氏だと思った。
まさおオスカルがキモチ悪いのは、あのみょーな台詞回しにあると思う。
植田歌舞伎をするために、変に大仰に節を回して台詞を言う。
おかげで、「台詞まで全部歌のミュージカル」状態。ふつーに喋ってない。全部、歌ってる。
植爺の歌舞伎芝居は、「歌」ぢゃないんだよ~~。
全部歌にしちゃっても、歌舞伎にはなってないよ~~。むしろさらに変だよ~~、作曲家が書いた曲として台詞を歌っているわけじゃなくて、通常の台詞に節を付けているだけってのは。
オスカルを見ながら、「頼む、ふつーに喋ってくれ」と思い続けた。変な節回しはいらないから。歌舞伎が出来ないなら出来ないでいいから、それならふつーに喋ってくれ。
……まさおさんはいろいろと不自由で、萌えますな(笑)。
そんななか、感動したのが、ジェローデル@みやるり。
現在の月組組子で、もっとも正しく植田歌舞伎を演じている!!
星組育ちって、そーゆーことか!
星組は植爺の組。昔から、星組トップさんって植爺のお気に入りが多い印象。ワタさん時代はすごかったなあ。植爺作品本公演2作連続、間の全ツも植爺とか、とんでもないことになっていた。
そういう組で、そういう時代に少年期を送ったんだね、みやるり。
彼自身が植爺役者であるかないかというよりは、「植田歌舞伎とはなんたるものか」が、身体に入っている感じ。
『ベルばら』ってほんと、様式美の世界というか、伝統芸能のように「型」を受け継いでいくものなんだと、みやるりを見て思った。
なにがどうじゃなく、気持ちいいの。
あるべきものが、あるべきカタチである、ということが。
植爺の時代錯誤な大芝居を好きかキライかという話ではなく、正しく植爺的大芝居をしているみやるりが、気持ちいい。
あー、これこれ、これですよ。
網膜に、細胞に、焼き付いている『ベルばら』を、そのイメージまんまに再現してくれる。
また、みやるりがとてもかしちゃんとかぶって見えた。
もともと似ているし、『アンナ・カレーニナ』以降何度も言っているけど、またしてもみやるりを見て「かっしーに似てる」と思いました。
かしちゃんもジェローデルやっていたしね。余計にね。
現代的な容姿をしていながら、みやちゃんはきちんと「昭和的」なものを……つまり、「タカラヅカ」というものを、形作ってみせる。
だからみやるりはいいんだよな。
ジェローデルが正しく「お貴族様」であること。華やかで高貴で、ナチュラルに上から目線であることなど、タカラヅカのジェローデルらしさを堪能。
短い出番で横顔ばっかし(笑)なんだけど、よくぞ演じてくれました。
……って、みやちゃん、ジェローデルが本役じゃないんだよね?? 特出による玉突き配役されてるだけなんだよね??
それが不思議なほどの、似合いっぷり。
反対に、歌舞伎は出来ていないわ、貴族的でもないわで大変なことになっていたのが、フェルゼン@ゆりやくん。
この「小物感」は、どーしたもんか。
フェルゼンは、ひどい役だ。
今回の芝居でいちばんひどい役だろう。(次点はもちろんブイエ将軍)
突然出てきて「衛兵隊の隊長は女のキミには責任が重いのではないか(女なんてもんには、大きな仕事は出来っこない)」で、「キミの忠告を聞いて帰国するんだから、衛兵隊を辞めて近衛に戻ってくれ(悪いのはボク以外のすべて、だから周りのすべてはボクのために尽くすべき)」で、「ボクの頼みを断るなんて、女を捨てて生きているせいだ(ボクのために尽くさない者は、すべて悪、全否定、総攻撃)」で、「ボクは友だちを失ったようだ(可哀想なボク。非道なオスカル)」とだけ畳みかけて、去って行く。
問答無用で、脚本が悪い。原作者は何故クレームを付けないんだ、このフェルゼンだけで「もう二度とタカラヅカとは仕事をしない」と糺弾してもいいくらいひどい原作破壊なんだが……原作者にはもうナニも期待できないもんなあ。
悪いのは間違いなく植爺だけど、そのひどさに、完敗したままだ、ゆりやくんのフェルゼン。
植爺がひどいことは、原作のフェルゼンを知ってこの『ベルばら』を観た人ならみんな理解する。もう前提みたいなもんでしょ、「植爺ひどい」。
その前提を前提とした上で、どう役を作るか。「植爺がひどいんだから仕方ない」であきらめないで、どう立ち向かうか。
この非人道的なフェルゼンというキャラを、ただのアレな人にしてはならない。だって主人公オスカルの想い人なんだ。こんなキ○ガイに惚れているオスカルっておかしいんぢゃね?と観客に思わせないために、がんばらなくてはならない。
それには、耳から入る台詞の無茶苦茶さが脳に届かないくらい、視覚で納得させなくてはならない。
貫禄とか、異次元感とか。
「言ってることは意味わかんないけど、なんかすごい」てな。
見終わったあとの感想が「フェルゼンひどかったね」ではなく「フェルゼンすごかったね」になるくらい。
圧倒的な美貌とか、圧倒的なオーラとか、そーゆーものがあれば。
有無を言わさない力があれば。
うまいヘタとはまた別の次元。
……たぶん、蘭寿さんや壮さんなら、このフェルゼン役だとしても、観客がぽかーんとなるくらい、異次元に連れて行ってくれただろう。
「あのフェルゼンって、よくわかんないけど、すごかった」になるだろう。
それくらいの力がないと成り立たない役だ、植爺のフェルゼン。それくらい、ひどい脚本と演出なんだ。
研17のトップスター様でなきゃこなせないような超難しい役なのは確かだけど、それにしたってゆりやくん……へなちょこすぎる。
歌舞伎はできてないわ、貫禄もオーラもないわで……フェルゼンが脚本以上にアホの子になってる……。
ゆりやくんの得意分野でないことはわかるし、彼の魅力を出しにくい役なのもわかるけど、……ひどいなー。
いや、いっそこれが味になる日が来るのかもしれんが。
玉突き配役のためだよね、本役は誰なのかしら、と思ったら、役替わりナシ、ゆりやくんだけの役だった。
植爺ェ……。
まさおのオスカルもアレだから、相乗効果になっている面も、あるんだけどね、フェルゼン……。
植爺歌舞伎は大変。ジェンヌ個人の魅力とは別次元のスキル。
準トップ様がベルナールという出番がろくにない役をやっているくらい、組子たちが玉突き配役になっている状態を続けざまに観劇したわけです、『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』。
月組さんって植爺歌舞伎にあまり当たってなかったんだ。『ベルばら』自体涼風さん以来なんだっけ。『パリ空』とか植爺自体は当たっているけれど、本公演で2~3ヶ月みっちり植爺歌舞伎っていつぶり?
なんというか、月組全体の据わりの悪さ、歌舞伎が板に付いていない上滑り感が終始気になった。
月組はミュージカルの組で、今はアイドル組だっけ。そういう人たちは時代遅れの歌舞伎芝居なんかやる必要ないのかもしれない。組ごとのカラーの違いはあってしかるべき、月組はそれでいいんだろう。
歌舞伎ができていないいちばんの問題児は、他でもない、主役のオスカル@まさお氏だと思った。
まさおオスカルがキモチ悪いのは、あのみょーな台詞回しにあると思う。
植田歌舞伎をするために、変に大仰に節を回して台詞を言う。
おかげで、「台詞まで全部歌のミュージカル」状態。ふつーに喋ってない。全部、歌ってる。
植爺の歌舞伎芝居は、「歌」ぢゃないんだよ~~。
全部歌にしちゃっても、歌舞伎にはなってないよ~~。むしろさらに変だよ~~、作曲家が書いた曲として台詞を歌っているわけじゃなくて、通常の台詞に節を付けているだけってのは。
オスカルを見ながら、「頼む、ふつーに喋ってくれ」と思い続けた。変な節回しはいらないから。歌舞伎が出来ないなら出来ないでいいから、それならふつーに喋ってくれ。
……まさおさんはいろいろと不自由で、萌えますな(笑)。
そんななか、感動したのが、ジェローデル@みやるり。
現在の月組組子で、もっとも正しく植田歌舞伎を演じている!!
星組育ちって、そーゆーことか!
星組は植爺の組。昔から、星組トップさんって植爺のお気に入りが多い印象。ワタさん時代はすごかったなあ。植爺作品本公演2作連続、間の全ツも植爺とか、とんでもないことになっていた。
そういう組で、そういう時代に少年期を送ったんだね、みやるり。
彼自身が植爺役者であるかないかというよりは、「植田歌舞伎とはなんたるものか」が、身体に入っている感じ。
『ベルばら』ってほんと、様式美の世界というか、伝統芸能のように「型」を受け継いでいくものなんだと、みやるりを見て思った。
なにがどうじゃなく、気持ちいいの。
あるべきものが、あるべきカタチである、ということが。
植爺の時代錯誤な大芝居を好きかキライかという話ではなく、正しく植爺的大芝居をしているみやるりが、気持ちいい。
あー、これこれ、これですよ。
網膜に、細胞に、焼き付いている『ベルばら』を、そのイメージまんまに再現してくれる。
また、みやるりがとてもかしちゃんとかぶって見えた。
もともと似ているし、『アンナ・カレーニナ』以降何度も言っているけど、またしてもみやるりを見て「かっしーに似てる」と思いました。
かしちゃんもジェローデルやっていたしね。余計にね。
現代的な容姿をしていながら、みやちゃんはきちんと「昭和的」なものを……つまり、「タカラヅカ」というものを、形作ってみせる。
だからみやるりはいいんだよな。
ジェローデルが正しく「お貴族様」であること。華やかで高貴で、ナチュラルに上から目線であることなど、タカラヅカのジェローデルらしさを堪能。
短い出番で横顔ばっかし(笑)なんだけど、よくぞ演じてくれました。
……って、みやちゃん、ジェローデルが本役じゃないんだよね?? 特出による玉突き配役されてるだけなんだよね??
それが不思議なほどの、似合いっぷり。
反対に、歌舞伎は出来ていないわ、貴族的でもないわで大変なことになっていたのが、フェルゼン@ゆりやくん。
この「小物感」は、どーしたもんか。
フェルゼンは、ひどい役だ。
今回の芝居でいちばんひどい役だろう。(次点はもちろんブイエ将軍)
突然出てきて「衛兵隊の隊長は女のキミには責任が重いのではないか(女なんてもんには、大きな仕事は出来っこない)」で、「キミの忠告を聞いて帰国するんだから、衛兵隊を辞めて近衛に戻ってくれ(悪いのはボク以外のすべて、だから周りのすべてはボクのために尽くすべき)」で、「ボクの頼みを断るなんて、女を捨てて生きているせいだ(ボクのために尽くさない者は、すべて悪、全否定、総攻撃)」で、「ボクは友だちを失ったようだ(可哀想なボク。非道なオスカル)」とだけ畳みかけて、去って行く。
問答無用で、脚本が悪い。原作者は何故クレームを付けないんだ、このフェルゼンだけで「もう二度とタカラヅカとは仕事をしない」と糺弾してもいいくらいひどい原作破壊なんだが……原作者にはもうナニも期待できないもんなあ。
悪いのは間違いなく植爺だけど、そのひどさに、完敗したままだ、ゆりやくんのフェルゼン。
植爺がひどいことは、原作のフェルゼンを知ってこの『ベルばら』を観た人ならみんな理解する。もう前提みたいなもんでしょ、「植爺ひどい」。
その前提を前提とした上で、どう役を作るか。「植爺がひどいんだから仕方ない」であきらめないで、どう立ち向かうか。
この非人道的なフェルゼンというキャラを、ただのアレな人にしてはならない。だって主人公オスカルの想い人なんだ。こんなキ○ガイに惚れているオスカルっておかしいんぢゃね?と観客に思わせないために、がんばらなくてはならない。
それには、耳から入る台詞の無茶苦茶さが脳に届かないくらい、視覚で納得させなくてはならない。
貫禄とか、異次元感とか。
「言ってることは意味わかんないけど、なんかすごい」てな。
見終わったあとの感想が「フェルゼンひどかったね」ではなく「フェルゼンすごかったね」になるくらい。
圧倒的な美貌とか、圧倒的なオーラとか、そーゆーものがあれば。
有無を言わさない力があれば。
うまいヘタとはまた別の次元。
……たぶん、蘭寿さんや壮さんなら、このフェルゼン役だとしても、観客がぽかーんとなるくらい、異次元に連れて行ってくれただろう。
「あのフェルゼンって、よくわかんないけど、すごかった」になるだろう。
それくらいの力がないと成り立たない役だ、植爺のフェルゼン。それくらい、ひどい脚本と演出なんだ。
研17のトップスター様でなきゃこなせないような超難しい役なのは確かだけど、それにしたってゆりやくん……へなちょこすぎる。
歌舞伎はできてないわ、貫禄もオーラもないわで……フェルゼンが脚本以上にアホの子になってる……。
ゆりやくんの得意分野でないことはわかるし、彼の魅力を出しにくい役なのもわかるけど、……ひどいなー。
いや、いっそこれが味になる日が来るのかもしれんが。
玉突き配役のためだよね、本役は誰なのかしら、と思ったら、役替わりナシ、ゆりやくんだけの役だった。
植爺ェ……。
まさおのオスカルもアレだから、相乗効果になっている面も、あるんだけどね、フェルゼン……。
植爺歌舞伎は大変。ジェンヌ個人の魅力とは別次元のスキル。
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