役替わりはフルコンプしましたっ。
『ベルばら』も植爺も大嫌いだけど、わたしはヅカヲタで祭り好き。役替わりはとりあえず、見られるだけは見ておきます。
全部見ました……のあとに来るのが、もうひとつの別キャスト版。
つまり、新人公演『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』。
2幕モノを編集して1幕で上演してしまうわけだから、いろいろカットになっていたり、再編成されていたりするのが、『ベルばら』新公のお約束。
だとしても。
これ、今回の月組『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』じゃなかったんだけど、いいの?
えーと、別モノでした。
「『スサノオ』の新公すごかった! 本公演とは別モノ!!」とか、そーゆー意味での「別モノ」呼びではありません。
観た人の主観で「緑色のものが青っぽく見えた!」という別モノ語りではなくて。
純粋に、シンプルに、本当に、別モノでした。
過去に上演された、別の『ベルばら』を持って来て「新公です」って使ってるの。
『エリザベート』とかで、新公トートが本役の衣装ではなく、他組で上演されたときのトートの衣装を着て舞台に立っているのと同じ。
他にあるモノを、新公で使っている。本公演と同じものを使うわけではない。
衣装はね……本役さんと新公の人が、あまりに体格チガウときとか、過去公演から着られる物を持ってきて着るのはありだと思うけど……「公演」自体をよそから持ってくるって、ソレ、新公の意味あるのか?
新公は新公だけ、別公演じゃん。
『ベルばら』はキライなので、いつどこのなんという公演から持って来たのか、調べる気になりません。たぶん、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』じゃないかな。
『フェルゼンとアントワネット編』だと、オスカルとアンドレの出番は少ない=1幕ものとして流用しやすい。
あくまでも主人公はフェルゼンだし、相手役はアントワネット。だけど『ベルばら』自体の主人公はオスカルだから、オスカルの名場面は押さえてある。今宵一夜とかバスティーユとか。
『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』と言いながら、途中から2006年の『フェルゼンとアントワネット編』になってました……別モノやんコレ。
つまり、ロザリーが、夜這いしない。
2006年の『オスカル編』にて、トップ娘役が演じるロザリーは、ベルナールという夫がありながらも同じ女性のオスカルを愛し続けていて、パリ出撃の前夜、オスカルの寝室に忍び込んで愛を告白する。「ペガちゃん編」と呼ばれることの多い公演だが、「ロザリー夜這い編」という呼び方でも通じるだろう。
外伝をのぞけば、史上最低作がこの2006年『オスカル編』だと思う。
ガチレズ話だからなー。
今回の『オスカルとアンドレ編』でも、この「ロザリー夜這い編」を下敷きに作られており、ロザリーは突然パリからベルサイユまでやってきて、窓からオスカルの寝室に侵入する。
愛の告白とデュエットがないからギリギリセーフ……だけど、それだからこそ余計に「この人、ナニしに来たの?」になっている。
大仰に現れたくせに、新しい情報はナニもなく(それ以前の場で話していた内容ばかりを仰々しく言う)、すぐにパリへ送還、なんのために来たのかまったく無意味。
……トップ娘役に見せ場を作るためだけど、こんなのまったく「見せ場」になっていない。豪華な衣装と何行もの台詞が「役者の格」だと信じる植爺の悪行。新しい情報があるなら台詞に意味もあるけど、他の場面で喋ったことをくり返すだけで「何行もの台詞」を稼いで「トップ娘役の格を上げた」と思っているなんて、アホ過ぎる。
アホらしいが、これが今回の『オスカルとアンドレ編』なんだから仕方ない。
2006年の『オスカル編』以降、トップ娘役がロザリーをやる場合は、夜這いをかけないといかんらしい。
が。
新公では違った。
『フェルゼンとアントワネット編』なので、ロザリーは夜這いせず、代わりに死の天使となっている。
「オスカル様はパリで死ぬのが宿命なのよ、だからパリに来るのを止めちゃダメよ」とベルナールに予言する、キモチ悪いシャーマン。
『フェルゼンとアントワネット編』ではこのあと、「王妃様は処刑されるのが宿命なのよ、だから止めちゃダメよ」と語り、死の天使っぷりをさらに不動のモノとする……んだけど、今回はアントワネット出ないからセーフ。
オスカルひとりを死に追いやるだけで済んだ。
また、『フェルゼンとアントワネット編』なので。
パリで「民衆に味方しようかな、ブイエ将軍の命令を聞こうかな」とオスカルが進退で悩まない。
民衆を殺せと息巻いているブイエ将軍のもとへ、オスカルは登場するなり剣を突きつけている。
ジェローデルが、暴力を振るわない。
原作のジェローデルなら、天地がひっくり返ってもオスカルを殴ったりしないはずなのに、今回の『オスカルとアンドレ編』では「女という低俗な生き物は殴って言うことを聞かせるべき」という植爺の信条から、無意味に暴力を振るっている。
過去何度も使い回された、暴力男ジェローデルバージョン。
それが新公では、ジェローデルは身を引いたあと二度と登場しないため、この狂った場面がない。
『フェルゼンとアントワネット編』なので、死の天使ロザリーとその夫ベルナールに、オスカルが「お聞きの通りだ」と話しかけ、そのままアンドレの死につながる。
いやあ、作品差し替えてOKなんだ、『ベルばら』って。
新人公演って、本公演と同じ脚本・演出を、新人たちが演じるモノだと思っていたよ。
別の公演に差し替えていいなら、これからも是非そうして欲しいわ(笑)。
てゆーか、『オスカルとアンドレ編』やるのをやめて、『フェルゼンとアントワネット編』のオスカルとアンドレ登場場面だけの1幕モノにして、ショーと2本立てにした方が、よくないか?
そしたらロザリー夜這いしないし、ジェローデル暴力振るわないし、オスカルは優柔不断じゃなくなるし。
『ベルばら』なら観たいご新規さんも、ショーが付くから既存のヅカヲタも、みんなみんなハッピーじゃん?
出番少ない人たちはショーがあるからそっちですくい上げて、『ベルばら』はさらにいらんシーンをカットして。
今回の『オスカルとアンドレ編』は過去の『ベルばら』比で大分マシになっていたとはいえ、上記の3点はほんと「あ、大嫌いなバージョン、まんまだ」ってなもんだったので、それを「なかったこと」として別の作品に差し替えてくれ、おまけに「ブイエ将軍、アタマおかしい」場面もさくっと全カットだったし、無意味だったり不快だったりする台詞はカットされてるし、新人公演はものすごーくストレスの少ない『ベルばら』でした。
これであと、わたしが今回いちばん嫌いな「カーテン前のジャルジェ家の人々」場面さえなくしてくれたら、素晴らしい『ベルばら』だったのに。
ここまで別モノにしていいのが新人公演なのか。
うれしい発見だわ。
『ベルばら』も植爺も大嫌いだけど、わたしはヅカヲタで祭り好き。役替わりはとりあえず、見られるだけは見ておきます。
全部見ました……のあとに来るのが、もうひとつの別キャスト版。
つまり、新人公演『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』。
2幕モノを編集して1幕で上演してしまうわけだから、いろいろカットになっていたり、再編成されていたりするのが、『ベルばら』新公のお約束。
だとしても。
これ、今回の月組『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』じゃなかったんだけど、いいの?
えーと、別モノでした。
「『スサノオ』の新公すごかった! 本公演とは別モノ!!」とか、そーゆー意味での「別モノ」呼びではありません。
観た人の主観で「緑色のものが青っぽく見えた!」という別モノ語りではなくて。
純粋に、シンプルに、本当に、別モノでした。
過去に上演された、別の『ベルばら』を持って来て「新公です」って使ってるの。
『エリザベート』とかで、新公トートが本役の衣装ではなく、他組で上演されたときのトートの衣装を着て舞台に立っているのと同じ。
他にあるモノを、新公で使っている。本公演と同じものを使うわけではない。
衣装はね……本役さんと新公の人が、あまりに体格チガウときとか、過去公演から着られる物を持ってきて着るのはありだと思うけど……「公演」自体をよそから持ってくるって、ソレ、新公の意味あるのか?
新公は新公だけ、別公演じゃん。
『ベルばら』はキライなので、いつどこのなんという公演から持って来たのか、調べる気になりません。たぶん、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』じゃないかな。
『フェルゼンとアントワネット編』だと、オスカルとアンドレの出番は少ない=1幕ものとして流用しやすい。
あくまでも主人公はフェルゼンだし、相手役はアントワネット。だけど『ベルばら』自体の主人公はオスカルだから、オスカルの名場面は押さえてある。今宵一夜とかバスティーユとか。
『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』と言いながら、途中から2006年の『フェルゼンとアントワネット編』になってました……別モノやんコレ。
つまり、ロザリーが、夜這いしない。
2006年の『オスカル編』にて、トップ娘役が演じるロザリーは、ベルナールという夫がありながらも同じ女性のオスカルを愛し続けていて、パリ出撃の前夜、オスカルの寝室に忍び込んで愛を告白する。「ペガちゃん編」と呼ばれることの多い公演だが、「ロザリー夜這い編」という呼び方でも通じるだろう。
外伝をのぞけば、史上最低作がこの2006年『オスカル編』だと思う。
ガチレズ話だからなー。
今回の『オスカルとアンドレ編』でも、この「ロザリー夜這い編」を下敷きに作られており、ロザリーは突然パリからベルサイユまでやってきて、窓からオスカルの寝室に侵入する。
愛の告白とデュエットがないからギリギリセーフ……だけど、それだからこそ余計に「この人、ナニしに来たの?」になっている。
大仰に現れたくせに、新しい情報はナニもなく(それ以前の場で話していた内容ばかりを仰々しく言う)、すぐにパリへ送還、なんのために来たのかまったく無意味。
……トップ娘役に見せ場を作るためだけど、こんなのまったく「見せ場」になっていない。豪華な衣装と何行もの台詞が「役者の格」だと信じる植爺の悪行。新しい情報があるなら台詞に意味もあるけど、他の場面で喋ったことをくり返すだけで「何行もの台詞」を稼いで「トップ娘役の格を上げた」と思っているなんて、アホ過ぎる。
アホらしいが、これが今回の『オスカルとアンドレ編』なんだから仕方ない。
2006年の『オスカル編』以降、トップ娘役がロザリーをやる場合は、夜這いをかけないといかんらしい。
が。
新公では違った。
『フェルゼンとアントワネット編』なので、ロザリーは夜這いせず、代わりに死の天使となっている。
「オスカル様はパリで死ぬのが宿命なのよ、だからパリに来るのを止めちゃダメよ」とベルナールに予言する、キモチ悪いシャーマン。
『フェルゼンとアントワネット編』ではこのあと、「王妃様は処刑されるのが宿命なのよ、だから止めちゃダメよ」と語り、死の天使っぷりをさらに不動のモノとする……んだけど、今回はアントワネット出ないからセーフ。
オスカルひとりを死に追いやるだけで済んだ。
また、『フェルゼンとアントワネット編』なので。
パリで「民衆に味方しようかな、ブイエ将軍の命令を聞こうかな」とオスカルが進退で悩まない。
民衆を殺せと息巻いているブイエ将軍のもとへ、オスカルは登場するなり剣を突きつけている。
ジェローデルが、暴力を振るわない。
原作のジェローデルなら、天地がひっくり返ってもオスカルを殴ったりしないはずなのに、今回の『オスカルとアンドレ編』では「女という低俗な生き物は殴って言うことを聞かせるべき」という植爺の信条から、無意味に暴力を振るっている。
過去何度も使い回された、暴力男ジェローデルバージョン。
それが新公では、ジェローデルは身を引いたあと二度と登場しないため、この狂った場面がない。
『フェルゼンとアントワネット編』なので、死の天使ロザリーとその夫ベルナールに、オスカルが「お聞きの通りだ」と話しかけ、そのままアンドレの死につながる。
いやあ、作品差し替えてOKなんだ、『ベルばら』って。
新人公演って、本公演と同じ脚本・演出を、新人たちが演じるモノだと思っていたよ。
別の公演に差し替えていいなら、これからも是非そうして欲しいわ(笑)。
てゆーか、『オスカルとアンドレ編』やるのをやめて、『フェルゼンとアントワネット編』のオスカルとアンドレ登場場面だけの1幕モノにして、ショーと2本立てにした方が、よくないか?
そしたらロザリー夜這いしないし、ジェローデル暴力振るわないし、オスカルは優柔不断じゃなくなるし。
『ベルばら』なら観たいご新規さんも、ショーが付くから既存のヅカヲタも、みんなみんなハッピーじゃん?
出番少ない人たちはショーがあるからそっちですくい上げて、『ベルばら』はさらにいらんシーンをカットして。
今回の『オスカルとアンドレ編』は過去の『ベルばら』比で大分マシになっていたとはいえ、上記の3点はほんと「あ、大嫌いなバージョン、まんまだ」ってなもんだったので、それを「なかったこと」として別の作品に差し替えてくれ、おまけに「ブイエ将軍、アタマおかしい」場面もさくっと全カットだったし、無意味だったり不快だったりする台詞はカットされてるし、新人公演はものすごーくストレスの少ない『ベルばら』でした。
これであと、わたしが今回いちばん嫌いな「カーテン前のジャルジェ家の人々」場面さえなくしてくれたら、素晴らしい『ベルばら』だったのに。
ここまで別モノにしていいのが新人公演なのか。
うれしい発見だわ。
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