正塚先生は、演技指導の折、すべての役を自分でやってみせるのだと聞く。女性の役も子どもの役も、彼自身が全部ひとりで演じる。

 正塚節と言われる独特の台詞、会話は、そうやって正塚自身から役者たちにコピーされていくんだろう。

 『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』にて、カイト@咲ちゃんとエリ@あゆみちゃんの会話なんか、まさに正塚節。
 昭和時代の若者である彼らは、衣装も雰囲気も関係性も台詞も会話も、全部全部正塚ならではの空気に満ち満ちている。

 多くを語らない会話。
 説明台詞はなく、「ああ」「うん」だけで進む。体言止めや文章の途中であとは省略されたような言葉が、山ほど。
 カイトとエリは最初から惹かれあっているわけだし、カイトのケガをきっかけに、恋人同士にまで発展するわけだが、そこにはなんの説明もない。
 愛の告白も、ラブシーンもない。

 だって、正塚だから。
 天下のマサツカ様が、愛の言葉だとかラブシーンだとか、そんなチャラいことをするわけないじゃん。

 ……ここはタカラヅカなんだけど、なにしろ正塚先生はそういう人で。


 それと対極を為すのが、もうひとつのカップル。
 バイロン侯爵@ともみんと、カテリーナ@せしこ。

 このふたりは、正塚らしくない。
 つか、正塚があえてやらないものばかりで成り立っている。

 つまり、なんでもかんでも全部、台詞でしゃべる。

 おかげで、説明台詞のオンパレード。
 なにがどうしてどうなって、そのとき私はどう思って、それでこうしたんだ。
 あのときああしてこうして、だから私はこう思って、それでああしたのよ。

 そして、愛を語りまくる。

 言葉にして、愛してるだの必要だの、ライバルは『ベルばら』ですか?ってくらい、えんえんえんえん愛について語っている。
 てゆーか、それしかない。
 2幕に侯爵とカテリーナの場面が3回あるんだけど、3回とも愛について説明台詞を長々語り続けているだけで、他のことはナニもしていない。

 で、ラブシーンがっつり。
 愛のデュエットソングなんか歌っちゃうし。

 侯爵は金髪ロン毛で時代錯誤なコスチューム。
 舞台となる侯爵のお屋敷も、……たぶんあれ、お屋敷っていうかお城だよね? 崖の上とかに建ってるんだよね? 侯爵のもとを飛び出したカテリーナが崖からダイビングしたわけだから。

 「正塚」と正反対、対極にあるもの……それが、侯爵とカテリーナ。

 「BJ」というタイトルゆえの、正塚せんせの気遣いというか、タカラヅカ愛なのかなあ、とか思う。

 『逆転裁判』とちがって『BJ』は現在直接的な集客力のある作品じゃない。……と、思う。
 有名だけど、それは「昔の名作」として有名なだけで、今現在リアルタイムのファンがアツいわけじゃない。
 『逆裁』ほど、原作ファンは観劇しに来ないだろう。

 とはいえ、誰もが「名前だけは知っている」ような昔の有名作である以上、原作名につられてやってきた、「はじめてタカラヅカに触れる人たち」のことを、考慮して作劇しなければならない。

 原作のテイストを守ることは大前提、そこに「タカラヅカらしさ」「タカラヅカで上演することの意味」を加えなければいけない。
 でないと、『BJ』なんてアニメやドラマでさんざんメディアミックスされているんだ、ふつーに男性俳優や声優が演じているんだ、今さら、タカラヅカで女の子たちがなんでわざわざ『BJ』なのか……その意味を、打ち出さなくては。

 正塚せんせは、「タカラヅカらしくない」作風の人だ。
 だからこそ、『BJ』の演出が似合っている。
 タカラヅカらしくない芸風の人が、タカラヅカらしくない原作を、わざわざタカラヅカの舞台でやる……。
 それでもなお、「タカラヅカ」である意味。
 それをわかりやすい形で担っているのが、ともみんとせしこかなっと。

 タカラヅカをよく知らない人が想像する、「タカラヅカ」。
 時代錯誤なコスチュームの金髪ロン毛の男役が、えんえんえんえん愛を語る。金髪美女が生きるの死ぬのと言いながら、えんえんえんえん愛を語る。
 そして、「愛~~、愛~~」と見つめあいながら歌い出す。

 「はいはい、はじめて宝塚歌劇をごらんになるお客様、これがタカラヅカですよ、ほーら、想像した通りのことをやっているでしょう?」……と、解説しているがごとく。

 正塚が書きたかったカップルは正塚節のカイトとエリで、侯爵とカテリーナは副次的なものなんだろうな。
 と、思う。

 尺だけはやたら取ってあるけれど、この作品の根幹部分……「誕生日おめでとう」というキーワードを言うのはカイトとBJだ。
 ぶっちゃけ、侯爵は、2幕に出なくても、話は通じる。
 ピノコ@ももちゃんにカラダを移植するだけの役目なんだし。
 BJ@まっつが1幕の終わりに「カテリーナと話し合ってみるべきです」と言い、侯爵が納得した……そこでもう、侯爵の物語は完結したも同然だし。
 2幕は、冒頭のピノコの「バイバイロン」のあとは、カテリーナとの結婚式だけ登場、で十分だよ。
 それよりも、カイトの物語をがっつり描く方が、正塚としても『BJ』という作品としても、正しかったと思う。

 カイトは舞台にただひとりで1曲歌うし、フィナーレも単独ソロで、いつもカテリーナと2個イチ登場のバイロンより2番手っぽい演出をいろいろとされている。これが大劇場なら、カイトには銀橋ソロがあるけれど、バイロンさんにはないっぽいもんなー。
 カイトに時間を割いて描いていれば、完璧に2番手の役だ。バイロンはアクセント的な役どころだろう。
 カイトとバイロンのポジション的な隔たりは、単に出番の多さに由来する。

 かといって、学年的にともみんが2番手ポジションであるから、ともみん演じる侯爵の出番を多くした、とも思えない。。
 だって、出番だけの問題なら、カイト役をともみんにすればいいだけのこと。
 役の比重をややこしくしてまで、なんで本筋ではないバイロン侯爵にあれだけ時間を割いたのか。

 バイロンの物語が正塚作品としても『BJ』としても不要でも、「タカラヅカ」には、必要だったんだ。

 一般人が思い描くような、『ベルばら』的なメロドラマが。
 ここが「タカラヅカ」だから。
 「タカラヅカ」と手塚治虫……『BJ』のコラボだからこそ。

 それゆえに、バイロンはともみんで、力強く展開されなければならなかったんだ。
 コスチュームと大芝居・歌舞伎を得意とする星組育ちの、ともみんの力が。

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