それは、秘密兵器(笑)。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月4日 タカラヅカ 未だに『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
今回、セットが美しいと思う。
鳥かごのような儚さと、檻のような哀しさを感じさせる細い格子のパネルで、さまざなものを表現している。
正塚せんせはほんと、中劇場向きの人だなあ。
同じことを大劇場でやっても、地味なだけだろう。
千人規模の劇場だから、このシンプルさが美しい。
舞台変わって、BJの自宅。
ミイラのような包帯ぐるぐる巻き人間が奥に横たわっていて、看護師の五条さん@きゃびいが立ち働いている。
戻ってきたBJ@まっつが、言葉少なに彼女へ敬意を払っているのが、心地いい。
それまでが、大統領側近たちとか、トラヴィス@ホタテたちとか相手に、すごくイヤな態度を取ってるじゃん。
なにも知らない人が見たら、どんだけえらそーで自分勝手な男かと思うじゃん。
そうじゃないんだ、相手によっては敵意や悪意を平気でむき出しにするだけで(大人げない……笑)、すべての人に対してそんな態度を取る人じゃない。
留守中に患者の容態を看てくれていた五条さんに対して、大袈裟にありがとう連発しないけど、事務的に連絡事項確認だけしているみたいだけど、すごくやさしい、信頼のこもった目を向けている。
こんな瞳で見つめられるなら、礼を言われるのなら、わたしが五条さんならよろこんで仕事しますよ。
でもってこの五条さんが、部屋を出たときドアのところに立っているトラヴィスに気づいて、悲鳴を上げる。
そりゃそーだよな、誰もいないと思っていたのに、金髪の外人さんが立ってるんだもん。……でもすぐに、BJ先生が外人さんを連れて帰国したんだろうと思い直して、それ以上騒がず去って行く。
この、「騒がず去って行く」のがいいなあ。
見知らぬ人が家の中にいる!って悲鳴上げて「泥棒?! 強盗?!」って大騒ぎして、ホウキで殴りかかったりヒステリックな反応を取る女性、って、フィクションの定番だもん。
その方が面白いと思ってるんだろうけど、わたしアレ、好きじゃない。面白くない。
現実問題、「見知らぬ人」=「犯罪者! 攻撃しなければ!」なんて思考はしないっしょ? 「なにか事情があってここにいるのかしら?」とまずは現状認識へ気持ちが動くよね? 平和で善良な日本人なら。「躊躇したら殺される!! 即攻撃しなければ!」なんて日常ではないんだし。
悲鳴を上げる五条さんに対し、トラヴィスの返しが「Hi」なのがイイですな。
うわ、アメリカ人だー!と思う(笑)。
や、某合衆国であって、アメリカとは言われてませんけどね、作中。
で、このやりとりを奥の部屋で聞いているBJの反応がいいの。
BJ先生ってば、トラヴィスの存在を忘れてるのね。
五条さんに会い、患者の容態を聞いて、あとは患者のことだけしか考えなくなっている。
そこへ、ドアの外から悲鳴と「Hi」が聞こえ……「ああ、そうだ。あいつがいるんだった」と思い出す。
引き続き患者を診たいのに、仕方なく応接間に出てくる。だから不機嫌というか、トラヴィスに対してひどく突き放した態度になっている。
この感情の流れが自然で。
五条さんにはイイ顔して、トラヴィスには冷淡。それはただの裏表ではなくて、「大切な患者」を中心においての自然な感情の動きである、という。
正塚作品は「台詞にない」部分のリアルさがいいよな。
で、GPS発信器のくだりになるんだけど。
70年代だと、GPSが軍事機密らしい。BJ先生が「GPS」を知っているとは思えないので、「知らない単語はスルー」した模様。ここで「ジーピーエス? なんだそれ」「Global Positioning Systemの略で……」とかやられたらうざい。
実際そんなもんが当時あったかどうかはともかく、「らしい雰囲気」が伝わればヨシ。
なので、トラヴィスがどや顔で出した発信器の「ちゃちさ」がイイ(笑)。
テレビリモコンみたいな細長い箱に、わざとらしい赤い大きなボタン。
『ヤッターマン』でボヤッキーが「ぽちっとな」しそうな、脱力デザイン。
そんなしょーもない機械を手に、大の男がふたり、真面目に会話。
わたし、BJ先生の「これは秘密兵器ってわけか」が好き。発信器片手にトラヴィスと話しているときの顔が、大好き過ぎる(笑)。
揶揄しながらも、ちょっとわくわくしている感じっていうか。
男の子ってこーゆー秘密兵器とかスパイグッズとか、好きだよね(笑)。
そして、「わかったわかった(棒読み)」が超好き。悶える(笑)。
「秘密兵器(笑)」を無表情(を、装いつつ)に、ポケットへしまう仕草が好きで、いつもガン見。
男役のズボンは、通常の男性のそれとカタチが違っている。股上がめちゃくちゃ深いのよね。だから、ふつーの男性がズボンのポケットに入れるようには、入れられない。ポケットの位置や、タックの位置がチガウから。
それでもさも「ふつーの男性」としてポケットに入れる、その一連の仕草が好き。
不自然に股上の深い「男役ズボン」がむき出しになるのも含めて(笑)。
トラヴィスを追い払ったあと、完全にひとりになったと確認するや、ポケットから発信器を取り出し、しげしげと眺め……あ、やっぱ興味津々だったんだ……と思っていたら、先生、おもむろにボタンを押すし。
押しちゃうんだ!
音が鳴り出して、「え、どうしよう」とうろたえ出して。いや、無表情なんだけど。
「どうしましたーーっ!!」とトラヴィスは血相変えて走り込んで来るし、ぴーぴー鳴り続けているし。なんか大騒ぎな感じで。
それを引き起こしちゃったBJの、「ちょっと、試してみた」が、かわいすぎる。
BJは終始こんな感じだよなー。ラストのトラヴィスとの別れにしたって、不思議なリズムと行間の余韻がある。
ここのくだりは何回観てもかわいくて面白くて、飽きることがなかった。
正塚芝居だから、アドリブ一切禁止だもんねー。決められた台詞と演出だけで、毎回ずーっと大爆笑させてくれた。
しかしBJ先生、ここでもうトラヴィスのこと好きだった……心を許していた、てのは(お茶会談)、なんですかい、この受信機持って「ぐおおおっ!!」と走り込んできた、その姿を見てですかい。
たしかに真面目で一生懸命で、かわいい姿だけどさ。これで……って、警戒心、なさ過ぎ(笑)。いや、人を見る目がある、ってことか。
あ、正塚脚本の「無意味なこだわり」と思う部分が、ここにひとつある。
BJに旅館の名刺を渡されたトラヴィスが、一瞬「ありがとうござ……!」と言いかけて、やめる。
うれしそうに礼を言いかけて、途中でやめて、「それでは」と去って行く、そのこだわりがわかんない。
そりゃ、任務中のトラヴィスは感情的にならないよう自制しているわけで、素の純真青年ぶりを出してはならない、だからつい素でよろこんじゃったけど、途中で「いかん、仕事中だ」と冷静になろうとした……と、説明は付く。
でも、そこまで細かくせんでも、と思う。
正塚脚本の自然さ、細かさは好きだけどさー。リアルにこだわるあまり、無駄にややこしくしている部分もあると思うの。わざわざ流れを止めてまでやることか、という。
観客としては、わざわざ前言撤回されると、そこに引っかかっちゃうのね。ナニか重要なメッセージが隠されているのではないか、って。
『La Esperanza』で、喫茶店に入ってオーダーする、それだけのことなのに、わざわざ一旦オーダー撤回するくだりを思い出した。
「オレン……アップルジュース」って。
わざわざ言い直す意味がどこにあるのかと。そりゃ日常ではそういうことは往々にしてあるけど、舞台でわざわざやる意味があるのかと。
ここで「オレンジジュース」を頼もうとして、思いとどまり、「アップルジュース」にした、それにナニか意味はあるのか。これは伏線なのか?
……ただの「日常にあるリアルさ」を描きたいだけなら、こーゆーのは不要だと思う。
他にもっとこだわるとこあるだろ、と。
今回、セットが美しいと思う。
鳥かごのような儚さと、檻のような哀しさを感じさせる細い格子のパネルで、さまざなものを表現している。
正塚せんせはほんと、中劇場向きの人だなあ。
同じことを大劇場でやっても、地味なだけだろう。
千人規模の劇場だから、このシンプルさが美しい。
舞台変わって、BJの自宅。
ミイラのような包帯ぐるぐる巻き人間が奥に横たわっていて、看護師の五条さん@きゃびいが立ち働いている。
戻ってきたBJ@まっつが、言葉少なに彼女へ敬意を払っているのが、心地いい。
それまでが、大統領側近たちとか、トラヴィス@ホタテたちとか相手に、すごくイヤな態度を取ってるじゃん。
なにも知らない人が見たら、どんだけえらそーで自分勝手な男かと思うじゃん。
そうじゃないんだ、相手によっては敵意や悪意を平気でむき出しにするだけで(大人げない……笑)、すべての人に対してそんな態度を取る人じゃない。
留守中に患者の容態を看てくれていた五条さんに対して、大袈裟にありがとう連発しないけど、事務的に連絡事項確認だけしているみたいだけど、すごくやさしい、信頼のこもった目を向けている。
こんな瞳で見つめられるなら、礼を言われるのなら、わたしが五条さんならよろこんで仕事しますよ。
でもってこの五条さんが、部屋を出たときドアのところに立っているトラヴィスに気づいて、悲鳴を上げる。
そりゃそーだよな、誰もいないと思っていたのに、金髪の外人さんが立ってるんだもん。……でもすぐに、BJ先生が外人さんを連れて帰国したんだろうと思い直して、それ以上騒がず去って行く。
この、「騒がず去って行く」のがいいなあ。
見知らぬ人が家の中にいる!って悲鳴上げて「泥棒?! 強盗?!」って大騒ぎして、ホウキで殴りかかったりヒステリックな反応を取る女性、って、フィクションの定番だもん。
その方が面白いと思ってるんだろうけど、わたしアレ、好きじゃない。面白くない。
現実問題、「見知らぬ人」=「犯罪者! 攻撃しなければ!」なんて思考はしないっしょ? 「なにか事情があってここにいるのかしら?」とまずは現状認識へ気持ちが動くよね? 平和で善良な日本人なら。「躊躇したら殺される!! 即攻撃しなければ!」なんて日常ではないんだし。
悲鳴を上げる五条さんに対し、トラヴィスの返しが「Hi」なのがイイですな。
うわ、アメリカ人だー!と思う(笑)。
や、某合衆国であって、アメリカとは言われてませんけどね、作中。
で、このやりとりを奥の部屋で聞いているBJの反応がいいの。
BJ先生ってば、トラヴィスの存在を忘れてるのね。
五条さんに会い、患者の容態を聞いて、あとは患者のことだけしか考えなくなっている。
そこへ、ドアの外から悲鳴と「Hi」が聞こえ……「ああ、そうだ。あいつがいるんだった」と思い出す。
引き続き患者を診たいのに、仕方なく応接間に出てくる。だから不機嫌というか、トラヴィスに対してひどく突き放した態度になっている。
この感情の流れが自然で。
五条さんにはイイ顔して、トラヴィスには冷淡。それはただの裏表ではなくて、「大切な患者」を中心においての自然な感情の動きである、という。
正塚作品は「台詞にない」部分のリアルさがいいよな。
で、GPS発信器のくだりになるんだけど。
70年代だと、GPSが軍事機密らしい。BJ先生が「GPS」を知っているとは思えないので、「知らない単語はスルー」した模様。ここで「ジーピーエス? なんだそれ」「Global Positioning Systemの略で……」とかやられたらうざい。
実際そんなもんが当時あったかどうかはともかく、「らしい雰囲気」が伝わればヨシ。
なので、トラヴィスがどや顔で出した発信器の「ちゃちさ」がイイ(笑)。
テレビリモコンみたいな細長い箱に、わざとらしい赤い大きなボタン。
『ヤッターマン』でボヤッキーが「ぽちっとな」しそうな、脱力デザイン。
そんなしょーもない機械を手に、大の男がふたり、真面目に会話。
わたし、BJ先生の「これは秘密兵器ってわけか」が好き。発信器片手にトラヴィスと話しているときの顔が、大好き過ぎる(笑)。
揶揄しながらも、ちょっとわくわくしている感じっていうか。
男の子ってこーゆー秘密兵器とかスパイグッズとか、好きだよね(笑)。
そして、「わかったわかった(棒読み)」が超好き。悶える(笑)。
「秘密兵器(笑)」を無表情(を、装いつつ)に、ポケットへしまう仕草が好きで、いつもガン見。
男役のズボンは、通常の男性のそれとカタチが違っている。股上がめちゃくちゃ深いのよね。だから、ふつーの男性がズボンのポケットに入れるようには、入れられない。ポケットの位置や、タックの位置がチガウから。
それでもさも「ふつーの男性」としてポケットに入れる、その一連の仕草が好き。
不自然に股上の深い「男役ズボン」がむき出しになるのも含めて(笑)。
トラヴィスを追い払ったあと、完全にひとりになったと確認するや、ポケットから発信器を取り出し、しげしげと眺め……あ、やっぱ興味津々だったんだ……と思っていたら、先生、おもむろにボタンを押すし。
押しちゃうんだ!
音が鳴り出して、「え、どうしよう」とうろたえ出して。いや、無表情なんだけど。
「どうしましたーーっ!!」とトラヴィスは血相変えて走り込んで来るし、ぴーぴー鳴り続けているし。なんか大騒ぎな感じで。
それを引き起こしちゃったBJの、「ちょっと、試してみた」が、かわいすぎる。
BJは終始こんな感じだよなー。ラストのトラヴィスとの別れにしたって、不思議なリズムと行間の余韻がある。
ここのくだりは何回観てもかわいくて面白くて、飽きることがなかった。
正塚芝居だから、アドリブ一切禁止だもんねー。決められた台詞と演出だけで、毎回ずーっと大爆笑させてくれた。
しかしBJ先生、ここでもうトラヴィスのこと好きだった……心を許していた、てのは(お茶会談)、なんですかい、この受信機持って「ぐおおおっ!!」と走り込んできた、その姿を見てですかい。
たしかに真面目で一生懸命で、かわいい姿だけどさ。これで……って、警戒心、なさ過ぎ(笑)。いや、人を見る目がある、ってことか。
あ、正塚脚本の「無意味なこだわり」と思う部分が、ここにひとつある。
BJに旅館の名刺を渡されたトラヴィスが、一瞬「ありがとうござ……!」と言いかけて、やめる。
うれしそうに礼を言いかけて、途中でやめて、「それでは」と去って行く、そのこだわりがわかんない。
そりゃ、任務中のトラヴィスは感情的にならないよう自制しているわけで、素の純真青年ぶりを出してはならない、だからつい素でよろこんじゃったけど、途中で「いかん、仕事中だ」と冷静になろうとした……と、説明は付く。
でも、そこまで細かくせんでも、と思う。
正塚脚本の自然さ、細かさは好きだけどさー。リアルにこだわるあまり、無駄にややこしくしている部分もあると思うの。わざわざ流れを止めてまでやることか、という。
観客としては、わざわざ前言撤回されると、そこに引っかかっちゃうのね。ナニか重要なメッセージが隠されているのではないか、って。
『La Esperanza』で、喫茶店に入ってオーダーする、それだけのことなのに、わざわざ一旦オーダー撤回するくだりを思い出した。
「オレン……アップルジュース」って。
わざわざ言い直す意味がどこにあるのかと。そりゃ日常ではそういうことは往々にしてあるけど、舞台でわざわざやる意味があるのかと。
ここで「オレンジジュース」を頼もうとして、思いとどまり、「アップルジュース」にした、それにナニか意味はあるのか。これは伏線なのか?
……ただの「日常にあるリアルさ」を描きたいだけなら、こーゆーのは不要だと思う。
他にもっとこだわるとこあるだろ、と。
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