ふつうがいちばん。@ルパン -ARSÈNE LUPIN-
2013年7月12日 タカラヅカ ふつうでいいのに。
芝居を観ながら、ずーっとずーっと、しみじみと、心から、思っていました。
準トップ様のいなくなった、月組初日へ行ってきました。
正塚先生の新作『ルパン -ARSÈNE LUPIN-』。原作モノを手がける正塚! どうなるんだろ、わくわく。
……原作モノを舞台化する正塚せんせ、を楽しむなら、原作読んでなきゃダメじゃん。
行ってから気づきましたよ、しょぼーん。
原作未読なので知らないんですけど、「モーリス・ルブラン」ってキャラクタは、原作でもああやってストーリー上にずーーっといるんですか?
作者だから、語り部として舞台のオリジナルキャラとして正塚が出したのかなとわたしは思った。
もしも原作にも登場していて、原作を尊重して原作まんまの登場をしているとしたら、すまん。
すまんけど……あの役、いらない。
ふつーでいいんだよ。ふつーにしてくれれば、それでいいのに。
何故にこうなった。しょぼん。
アルセーヌ・ルパン@まさおは「ルパン」引退、平和に暮らしていたんだけど、ある陰謀に巻き込まれる。陰謀の渦中にいるのは、社交界の華・美貌の令嬢カーラ@ちゃぴ。騙られた「ルパン」の名とカーラのために、ルパンは再び怪盗紳士として静かに闘いをはじめる……。
で。
この物語に、ずーっとずーっと、作家のモーリス・ルブラン@みっちゃんが、いる。
とにかく、いる。
ただ、いる。
ルパンさんがシリアスにキメているときも、ヒロインとラブシーンをしているときも、ヅカ定番の幻想のデュエット(歌)をしているときも、とにかく、同じ画面に作家がいる!
なんで? なんでいるの?
いらねーよ、気が散るよ。
ただの空気ではない。でも、その場面に関連してもいない。
ルキーニでもオーディエンスでもない、中途半端な立場で、ただ、いる。
二転三転する陰謀の話なので、解説役は必要。
ルパンさんは作家さん相手に「これはこういうことだ」「そうか、わかったぞ」とかやって、ストーリー解説をする。
作家さんの基本属性は「コメディ」。
ルパンが「カッコいい」「クール」だから、それを際だたせるために、ルパンの推理や行動に振り回されたり驚いたりする。
ガニマール警部@マギーほど完全なお笑いキャラではなく、「くすっ」程度だけど、基本はコメディ。深刻キャラではない。
ルパンの物語に感情移入して入り込むには、作家が邪魔。
物語と別次元のものが画面にあると、正気に戻る。現実に引き戻される。
なんだろ、お茶の間でスカステを見ている感じ? どーせテレビの中だけのこと、家族が同じ部屋で別のことをやっている現実が、視覚のどこかに存在している、ような。
『ベルばら』の「今宵一夜」でも『ロミジュリ』の「天使の歌が聞こえる」でもいいよ、その世界にずっぽりはまりたい、集中したい、と思える主役カップルの場面に、「作者」という役の人が突っ立ている、それを想像してよ。
『ロミジュリ』で愛と死が画面のどこかに立っている、とは別よ? ラブシーンの後にひとこと感想入れたり、ツッコミ入れたりするのよ?
い、いらねーーっ!!
せっかく、正塚にしては「まっとーにタカラヅカ」やってるのに。
いや、ひょっとしてそのせいか?
あまりに「タカラヅカ」な画面や台詞を使ったりしているので、「うひょっ、俺ってばすっごく『タカラヅカ』みたいなモノを描いちゃってる!!」と自分で自分に照れて、ツッコミ入れずにはいられなくなってるの?
素直に「タカラヅカ」やるのが嫌で、わざとハズして見せてるの?
ふつーでいいのに。
変なことはしなくていいのに。
ルパンは作家とだけ会話して、事件を解き明かしていく。
陰謀云々の本筋は解説付きだから、わかりやすくなっていいとしても、「ルパンの物語」が、盛り上がらない。
2個イチで行動する相手が、親友でも仲間でもないんだ。
なにしろ、作家とそのモデル。
もちろんふたりの間にプラスの感情はあるが、別に親友ってわけでもないし、一蓮托生の仲間でもない。
だから「ルパン」はいつも「ひとり」。
「話し相手がいる」「解説の合いの手がいる」というだけで、気持ちの上でのドラマがない。
なんで相方を親友とか仲間にしないのよ?
そこにもナマの愛憎を絡めれば、物語はさらにさらに、面白くなったはずなのに。
いちばん長く一緒にいる相手が「ただの他人」じゃ、つまらなさすぎる。
ルパンの回想・現実・過去・現在を混在させるカタチで描いているもんだから、作家の存在……というか、「居方」はとても独特になっている。
作家の存在、ルパンとの関わり方は、とても「めずらしい」っていうか、「新しい」っていうかさ……。
ルパンに惚れ込んでその伝記を書く作家だから、もちろんルパンに好意を持ってそこにいるわけなんだけど、あくまでも作家とモデルだから、きれいに線が引かれているというか距離感があってだな。とにかく、ややこしいんだわ。
だから作家役のみっちゃんは大変。無駄に難しいことをやらされている。
でもそれ、「物語の力」になってない。
ダンディなヒゲ男、フロックコートの着こなし、なんつっても素晴らしい歌声……それらで「舞台を支える」ことはしているけれど、……それだけ。そしてそれは、みっちゃん自身の力、彼が技術面でいい仕事をしているってだけで、正塚の功績じゃない。
なんでこんなことに?
ふつーでいいのに。
めずらしくなくていい、新しくなくていい、ふつーでいいっ!!
単に「特出スター様」のために、「たくさん舞台の上にいる役」「トップスターと沢山お芝居する役」をこじつけたみたいな。
そんなことよりも、「心」が深く絡む役の方が役の意味はあるだろうに。
解説役として作家を使いたかったのなら、よくある狂言回しににすれば良かったのに。
みっちゃんならいい仕事したと思うよ。
主人公と「心」で絡む役なら、越リュウの役をもっと膨らませて、みっちゃんがやるとかさー。で、ルパンと一緒にもっと活躍するとかさー。
もしくは悪役の方をさせるとかさー。
とにかく、今の作家役、いらないよ……わたし、「タカラヅカ」は「タカラヅカ」として楽しみたいよ。主人公とヒロインのラブシーンや幻想の場面は、ふたりだけで見たいよ。
何回も観る人には、また違って受け止められるんだろう。
ラブシーンしてる主役の横に関係ない人が立っていても、何度も観れば「そーゆーもん」って慣れるだろうし。
でも、初見では無理だわー。「いらんっ」としか思えなかった……なぜこんな演出にしたんだ……。
芝居を観ながら、ずーっとずーっと、しみじみと、心から、思っていました。
準トップ様のいなくなった、月組初日へ行ってきました。
正塚先生の新作『ルパン -ARSÈNE LUPIN-』。原作モノを手がける正塚! どうなるんだろ、わくわく。
……原作モノを舞台化する正塚せんせ、を楽しむなら、原作読んでなきゃダメじゃん。
行ってから気づきましたよ、しょぼーん。
原作未読なので知らないんですけど、「モーリス・ルブラン」ってキャラクタは、原作でもああやってストーリー上にずーーっといるんですか?
作者だから、語り部として舞台のオリジナルキャラとして正塚が出したのかなとわたしは思った。
もしも原作にも登場していて、原作を尊重して原作まんまの登場をしているとしたら、すまん。
すまんけど……あの役、いらない。
ふつーでいいんだよ。ふつーにしてくれれば、それでいいのに。
何故にこうなった。しょぼん。
アルセーヌ・ルパン@まさおは「ルパン」引退、平和に暮らしていたんだけど、ある陰謀に巻き込まれる。陰謀の渦中にいるのは、社交界の華・美貌の令嬢カーラ@ちゃぴ。騙られた「ルパン」の名とカーラのために、ルパンは再び怪盗紳士として静かに闘いをはじめる……。
で。
この物語に、ずーっとずーっと、作家のモーリス・ルブラン@みっちゃんが、いる。
とにかく、いる。
ただ、いる。
ルパンさんがシリアスにキメているときも、ヒロインとラブシーンをしているときも、ヅカ定番の幻想のデュエット(歌)をしているときも、とにかく、同じ画面に作家がいる!
なんで? なんでいるの?
いらねーよ、気が散るよ。
ただの空気ではない。でも、その場面に関連してもいない。
ルキーニでもオーディエンスでもない、中途半端な立場で、ただ、いる。
二転三転する陰謀の話なので、解説役は必要。
ルパンさんは作家さん相手に「これはこういうことだ」「そうか、わかったぞ」とかやって、ストーリー解説をする。
作家さんの基本属性は「コメディ」。
ルパンが「カッコいい」「クール」だから、それを際だたせるために、ルパンの推理や行動に振り回されたり驚いたりする。
ガニマール警部@マギーほど完全なお笑いキャラではなく、「くすっ」程度だけど、基本はコメディ。深刻キャラではない。
ルパンの物語に感情移入して入り込むには、作家が邪魔。
物語と別次元のものが画面にあると、正気に戻る。現実に引き戻される。
なんだろ、お茶の間でスカステを見ている感じ? どーせテレビの中だけのこと、家族が同じ部屋で別のことをやっている現実が、視覚のどこかに存在している、ような。
『ベルばら』の「今宵一夜」でも『ロミジュリ』の「天使の歌が聞こえる」でもいいよ、その世界にずっぽりはまりたい、集中したい、と思える主役カップルの場面に、「作者」という役の人が突っ立ている、それを想像してよ。
『ロミジュリ』で愛と死が画面のどこかに立っている、とは別よ? ラブシーンの後にひとこと感想入れたり、ツッコミ入れたりするのよ?
い、いらねーーっ!!
せっかく、正塚にしては「まっとーにタカラヅカ」やってるのに。
いや、ひょっとしてそのせいか?
あまりに「タカラヅカ」な画面や台詞を使ったりしているので、「うひょっ、俺ってばすっごく『タカラヅカ』みたいなモノを描いちゃってる!!」と自分で自分に照れて、ツッコミ入れずにはいられなくなってるの?
素直に「タカラヅカ」やるのが嫌で、わざとハズして見せてるの?
ふつーでいいのに。
変なことはしなくていいのに。
ルパンは作家とだけ会話して、事件を解き明かしていく。
陰謀云々の本筋は解説付きだから、わかりやすくなっていいとしても、「ルパンの物語」が、盛り上がらない。
2個イチで行動する相手が、親友でも仲間でもないんだ。
なにしろ、作家とそのモデル。
もちろんふたりの間にプラスの感情はあるが、別に親友ってわけでもないし、一蓮托生の仲間でもない。
だから「ルパン」はいつも「ひとり」。
「話し相手がいる」「解説の合いの手がいる」というだけで、気持ちの上でのドラマがない。
なんで相方を親友とか仲間にしないのよ?
そこにもナマの愛憎を絡めれば、物語はさらにさらに、面白くなったはずなのに。
いちばん長く一緒にいる相手が「ただの他人」じゃ、つまらなさすぎる。
ルパンの回想・現実・過去・現在を混在させるカタチで描いているもんだから、作家の存在……というか、「居方」はとても独特になっている。
作家の存在、ルパンとの関わり方は、とても「めずらしい」っていうか、「新しい」っていうかさ……。
ルパンに惚れ込んでその伝記を書く作家だから、もちろんルパンに好意を持ってそこにいるわけなんだけど、あくまでも作家とモデルだから、きれいに線が引かれているというか距離感があってだな。とにかく、ややこしいんだわ。
だから作家役のみっちゃんは大変。無駄に難しいことをやらされている。
でもそれ、「物語の力」になってない。
ダンディなヒゲ男、フロックコートの着こなし、なんつっても素晴らしい歌声……それらで「舞台を支える」ことはしているけれど、……それだけ。そしてそれは、みっちゃん自身の力、彼が技術面でいい仕事をしているってだけで、正塚の功績じゃない。
なんでこんなことに?
ふつーでいいのに。
めずらしくなくていい、新しくなくていい、ふつーでいいっ!!
単に「特出スター様」のために、「たくさん舞台の上にいる役」「トップスターと沢山お芝居する役」をこじつけたみたいな。
そんなことよりも、「心」が深く絡む役の方が役の意味はあるだろうに。
解説役として作家を使いたかったのなら、よくある狂言回しににすれば良かったのに。
みっちゃんならいい仕事したと思うよ。
主人公と「心」で絡む役なら、越リュウの役をもっと膨らませて、みっちゃんがやるとかさー。で、ルパンと一緒にもっと活躍するとかさー。
もしくは悪役の方をさせるとかさー。
とにかく、今の作家役、いらないよ……わたし、「タカラヅカ」は「タカラヅカ」として楽しみたいよ。主人公とヒロインのラブシーンや幻想の場面は、ふたりだけで見たいよ。
何回も観る人には、また違って受け止められるんだろう。
ラブシーンしてる主役の横に関係ない人が立っていても、何度も観れば「そーゆーもん」って慣れるだろうし。
でも、初見では無理だわー。「いらんっ」としか思えなかった……なぜこんな演出にしたんだ……。
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