『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。
ようやく第1幕のラストです。
「嫌い」ということだけを語りたくて、この文字数! なんて情熱!(笑)
ここまで語らずにいられなくなるくらい、やっぱ力があるんだと思うよ、植爺の『ベルばら』。
月組の『オスカルとアンドレ編』でも相当溜まっていたんだけど、書き起こすガッツがなかったのね。わたしもう年だし。
書くこと、語ること、文章を組み立てること、それらを全部放棄していた。面倒だから。
もういいや、『ベルばら』にそんなに労力割けないよ、どーでもいいよ。そう思っていた。
2006年にかなり腰入れて書いたしね。もう一度、1からやるのはめんどくさい……。
そう思っていた。
でも、えんえんリピート観劇するうちに、「嫌い」が溜まりまくり積み重なりまくり、どんなに面倒でも大変でも、吐き出さずにはいられなくなった。
今でしょ?
いつやるかじゃないっすよほんと。
今、書かなくてはならない。
そう思ったんだ。
はあ、やれやれ。
てことで、1幕ラストの「第15場 ベルサイユ宮殿・王座の間」という場面。
フェルゼンが「愛について」語る、前半のクライマックス。
舞台冒頭「第5場 王家の紋章」の3バカ(プロバンス伯爵・ブイエ将軍・ルイ16世)がおかしなことをほざいているのは置くとして。
フェルゼンさんが、わたしにはわかりません。
たぶん「婚約ネタ」はメルシー伯爵発案なんだろう。フェルゼンとアントワネットの不倫関係などなかった、そういうことにして送り出したかったんだろう、すべての人のために。
それが嘘だとわかっていても、「言葉にしている部分」と「あえてしていない部分」をわきまえ、宮廷の人々も婚約ネタを受け止めるはずだった。
ふつーなら。
植爺はふつうじゃないから、全部自分でぐちゃぐちゃにしちゃったけど。
フェルゼンはメルシー伯爵にお説教をされて、アントワネットのために帰国することにした。お説教されたときは逆ギレして、あんだけひどいことを言ってたのにねー。心変わりしたらしいよ。
フェルゼンの「帰国の挨拶」とやらを仕切っているのがメルシー伯爵だから、たぶんふたりは和解したんだろう。……フェルゼンはちゃんとメルシー伯爵に謝ったのかしら。
まあともかく、「帰国する」のは「愛する人のため」なわけだ。
実際にフェルゼンはこの場面で、「たとえ偽りを告げてそのお方を悲しませることになっても、こうすることが真実の愛だと悟ったからでございます」と言っている。
それは殊勝な心がけだ。うん、いいこと言ってる。
でもさ。
フェルゼンの言葉、矛盾してるんですけど?
「愛する人のために偽りを告げても身を引く」と言いながら、「婚約はしていない」と言う。
はあ? 偽りなんか告げてないじゃん。フェルゼンが言っていることって、「愛する人のために身を引く俺かっけー!」だけで、「偽りを告げて、悪役になる」ことはしていない。
「婚約したから帰国する」こそが「愛する人のための偽り」でしょ? 「もう君を愛してなんかいないよ、俺は別の女と結婚するのさ」と、たとえ相手を傷つけたとしても、すぱっと別れることが必要よね? それによって、不倫の噂を完全否定してこそ「愛する人のため」よね。
なのに、
フェルゼン「婚約などしておりません。決して…それは私の心を裏切ることになるからでございます」
フェルゼン「このままフランスに滞在することは、愛する人に迷惑がかかるからでございます」
よーするにこれって、「不倫してます、今も絶賛恋愛中、だけど身を引く俺」を宣伝してるだけだよね。
王宮で、すべての要人が見守る中で「不倫宣言」するフェルゼンは、自分のことしか考えていない。
言うだけ言って帰国するフェルゼンはいいけど、このままベルサイユに残されるアントワネットは、地獄だわな。夫も含め全員が不倫の事実を知っている、しかも「今も愛し合っているけれど、周囲のせいで無理矢理別れさせられた、と恨んでいる」と思われるよーな状況。
ほんとひでえ。得をするのはフェルゼンのみという、「アン・ドゥトロワ、私のための道」と歌う男のやることって突き抜けてる。
言葉に偽りあり、行動に矛盾ありまくり、こんな男に「愛について」語られても、ぽかーん。
特にルイ16世は作品冒頭からずっと、出てくるたびに「ただのバカ」として描かれていたため、ここで「困る」と言い出すのはバカに付ける薬なし!!状態だし。
つか、アホとかまぬけを通り越し、触っちゃいけない人みたいだよ……。
いくら夫がアホで「不倫していいよ」って言ってくれたからといえ、町内会のうるさがたの揃う中で「そっちのお嬢さんに愛されてました、そこの奥さんとは今もラブラブです」って宣伝しなくても……。
そして、不倫を認めてくれた夫に「それらすべてを包み込むような大きな愛」って……その持ち上げ方が打算が透けて見えすぎて、キモチワルイ……。
ここで表現されているのは、フェルゼンの身勝手さ。
まったくもって、彼の美点になっていない。
なのに「ものすごく感動的な場面を書いたぜ!」と作者の鼻息が見えるようで、心から辟易する。
重ねて書くが、演じている人とは無関係。
こんだけ「嫌い」とか「きもちわるい」とか書いてるのに、それでもリピート観劇出来るのは、ジェンヌさんの演技が素晴らしいせい。
植爺がどんだけ間違っていても、言葉の意味を脳に送らないようにして、彼らの演技だけ見て感じ入ることができるんだもの。
ほんとタカラジェンヌってすごいわー。
間違いまくった「ベルサイユ宮殿」場面が、大仰なクライマックス。
ほんとこの場面、わけわかんない。
唯一良かったことって、「グスタフ3世とスウェーデン宮廷場面を観ずに済んだ」ってことだけかな。
あれはもっともっと最低最悪な場面だからなー。
ようやく第1幕のラストです。
「嫌い」ということだけを語りたくて、この文字数! なんて情熱!(笑)
ここまで語らずにいられなくなるくらい、やっぱ力があるんだと思うよ、植爺の『ベルばら』。
月組の『オスカルとアンドレ編』でも相当溜まっていたんだけど、書き起こすガッツがなかったのね。わたしもう年だし。
書くこと、語ること、文章を組み立てること、それらを全部放棄していた。面倒だから。
もういいや、『ベルばら』にそんなに労力割けないよ、どーでもいいよ。そう思っていた。
2006年にかなり腰入れて書いたしね。もう一度、1からやるのはめんどくさい……。
そう思っていた。
でも、えんえんリピート観劇するうちに、「嫌い」が溜まりまくり積み重なりまくり、どんなに面倒でも大変でも、吐き出さずにはいられなくなった。
今でしょ?
いつやるかじゃないっすよほんと。
今、書かなくてはならない。
そう思ったんだ。
はあ、やれやれ。
てことで、1幕ラストの「第15場 ベルサイユ宮殿・王座の間」という場面。
フェルゼンが「愛について」語る、前半のクライマックス。
舞台冒頭「第5場 王家の紋章」の3バカ(プロバンス伯爵・ブイエ将軍・ルイ16世)がおかしなことをほざいているのは置くとして。
フェルゼンさんが、わたしにはわかりません。
たぶん「婚約ネタ」はメルシー伯爵発案なんだろう。フェルゼンとアントワネットの不倫関係などなかった、そういうことにして送り出したかったんだろう、すべての人のために。
それが嘘だとわかっていても、「言葉にしている部分」と「あえてしていない部分」をわきまえ、宮廷の人々も婚約ネタを受け止めるはずだった。
ふつーなら。
植爺はふつうじゃないから、全部自分でぐちゃぐちゃにしちゃったけど。
フェルゼンはメルシー伯爵にお説教をされて、アントワネットのために帰国することにした。お説教されたときは逆ギレして、あんだけひどいことを言ってたのにねー。心変わりしたらしいよ。
フェルゼンの「帰国の挨拶」とやらを仕切っているのがメルシー伯爵だから、たぶんふたりは和解したんだろう。……フェルゼンはちゃんとメルシー伯爵に謝ったのかしら。
まあともかく、「帰国する」のは「愛する人のため」なわけだ。
実際にフェルゼンはこの場面で、「たとえ偽りを告げてそのお方を悲しませることになっても、こうすることが真実の愛だと悟ったからでございます」と言っている。
それは殊勝な心がけだ。うん、いいこと言ってる。
でもさ。
フェルゼンの言葉、矛盾してるんですけど?
「愛する人のために偽りを告げても身を引く」と言いながら、「婚約はしていない」と言う。
はあ? 偽りなんか告げてないじゃん。フェルゼンが言っていることって、「愛する人のために身を引く俺かっけー!」だけで、「偽りを告げて、悪役になる」ことはしていない。
「婚約したから帰国する」こそが「愛する人のための偽り」でしょ? 「もう君を愛してなんかいないよ、俺は別の女と結婚するのさ」と、たとえ相手を傷つけたとしても、すぱっと別れることが必要よね? それによって、不倫の噂を完全否定してこそ「愛する人のため」よね。
なのに、
フェルゼン「婚約などしておりません。決して…それは私の心を裏切ることになるからでございます」
フェルゼン「このままフランスに滞在することは、愛する人に迷惑がかかるからでございます」
よーするにこれって、「不倫してます、今も絶賛恋愛中、だけど身を引く俺」を宣伝してるだけだよね。
王宮で、すべての要人が見守る中で「不倫宣言」するフェルゼンは、自分のことしか考えていない。
言うだけ言って帰国するフェルゼンはいいけど、このままベルサイユに残されるアントワネットは、地獄だわな。夫も含め全員が不倫の事実を知っている、しかも「今も愛し合っているけれど、周囲のせいで無理矢理別れさせられた、と恨んでいる」と思われるよーな状況。
ほんとひでえ。得をするのはフェルゼンのみという、「アン・ドゥトロワ、私のための道」と歌う男のやることって突き抜けてる。
言葉に偽りあり、行動に矛盾ありまくり、こんな男に「愛について」語られても、ぽかーん。
特にルイ16世は作品冒頭からずっと、出てくるたびに「ただのバカ」として描かれていたため、ここで「困る」と言い出すのはバカに付ける薬なし!!状態だし。
つか、アホとかまぬけを通り越し、触っちゃいけない人みたいだよ……。
いくら夫がアホで「不倫していいよ」って言ってくれたからといえ、町内会のうるさがたの揃う中で「そっちのお嬢さんに愛されてました、そこの奥さんとは今もラブラブです」って宣伝しなくても……。
そして、不倫を認めてくれた夫に「それらすべてを包み込むような大きな愛」って……その持ち上げ方が打算が透けて見えすぎて、キモチワルイ……。
ここで表現されているのは、フェルゼンの身勝手さ。
まったくもって、彼の美点になっていない。
なのに「ものすごく感動的な場面を書いたぜ!」と作者の鼻息が見えるようで、心から辟易する。
重ねて書くが、演じている人とは無関係。
こんだけ「嫌い」とか「きもちわるい」とか書いてるのに、それでもリピート観劇出来るのは、ジェンヌさんの演技が素晴らしいせい。
植爺がどんだけ間違っていても、言葉の意味を脳に送らないようにして、彼らの演技だけ見て感じ入ることができるんだもの。
ほんとタカラジェンヌってすごいわー。
間違いまくった「ベルサイユ宮殿」場面が、大仰なクライマックス。
ほんとこの場面、わけわかんない。
唯一良かったことって、「グスタフ3世とスウェーデン宮廷場面を観ずに済んだ」ってことだけかな。
あれはもっともっと最低最悪な場面だからなー。
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