「嫌い」物語・19。~お姉様と妹と~@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年7月10日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズ、なにこの長さ。
タイトルが「嫌い」物語、なのは、わたしがただ「嫌い嫌い」とわめいているだけの実のナイ話、マイナスの意識だけで書かれた文章なんて醜悪! せめて「物語」、フィクションだと思ってくださいよ、という逃げの姿勢の表れなのだ(笑)。
「嫌い」より、「好き」を語る方が楽しいのにね。なんでこんな、誰のためにもならないことを……って、わたしにはこの作業が必要。
文章にすることで、解脱出来るのなー。
「嫌い」とわめいておりますが、演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話です、念のため。
ようやく第2幕です。
「第2場 フェルゼン邸の庭園」、登場人物はフェルゼンと妹ソフィア、そして執事のデュガゾン。
植爺『ベルばら』の特色、切り貼りしても、微調整はなし!が発揮されているため、つじつまが合っていない。
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』では、ここでフェルゼンと話すのは「妹ソフィア」ではなく、「姉シモーヌ」だ。
ソフィアは原作に登場するけれど、シモーヌはいない。
なんで原作キャラを捨ててまで、オリキャラを出したかっていうと、副組長救済のためだ。
副組長に役をつけないわけにはいかない。だが、役がない。それで無理矢理フェルゼンの姉というキャラを作った。副組長の学年や持ち味からして、いくらなんでも「妹」役は無理だと判断したためだろう。
今の星組『ロミジュリ』で、キャピュレット家の仮面舞踏会になんの意味もなく唐突にフラメンコがはじまるのと、同じ理由だ。
「妹」ならいざ知らず、30過ぎのフェルゼンの「姉」がどうして実家にいるのか謎だが、そういうことになった。
前にも語ったけれど、副組長のために台詞の行数を増やしたからか、無駄な説明台詞をくり返しているしね。
フェルゼン家を守っているのは、姉のシモーヌ。だから執事のデュガゾンは、「館の女主人」であるシモーヌに来客の報告をする。
「姉」のつもりで作ったキャラクタ、作った流れ。
それをそのまま、なんの調整もせずに、「妹」に変更した。
そのため、執事のデュガゾンは「館の主人」であるフェルゼンを無視し、フェルゼンの客をソフィアへ報告する、という奇妙な場面になっている。
また、これまた別の作品にて、執事デュガゾンは、フェルゼンの見張り役というネタがあった。えーと、2005年の全ツ版だよね。フェルゼン家に仕える目つきの悪いデュガゾンは、ヨルゲン陸軍大臣のスパイでした!てな。
そのエピソードを削ったのに、演出はそのまま。
だから執事は主人に敵意を持ってそうな態度で、主人を無視して妹にだけ話しかける、ということになっている。
なんでちゃんと微調整しないんだろう。
切り貼りのぶった切り、投げっぱなしになっているネタが「作品の幅を広げている」「キャラクタの深みを増している」とでも思っているのかな。
ナニも知らない観客が「デュガゾンは何故フェルゼンを無視するんだろう」「ソフィアにだけ話しかけるんだろう」と、本筋とは関係ないところに引っかかるのが、「作品の幅」? 「デュガゾンってひょっとして、ソフィアを好きなのかな」とか、本筋とは関係ない、むしろ間違っている想像などに誘導するのが「キャラクタの深み」?
バカじゃないの? ……と、わたしは思う。
デュガゾンに案内されて、ジェローデル登場。
ここの会話が、ひどい。
「オスカルは死にました」じゃないよ? これは台詞がというより、構成の失敗だと思うから。
全ツ版ではこの台詞で笑いが起こったしね……ギャグだよね、さんざん煽って「主要人物です」と持ち上げたあとで、「死にました」。どっかーん。
だから、そのことではなくて。
フェルゼン「…なに…死んだ…」
ジェローデル「アンドレと共にバスティーユの戦闘で…」
フェルゼン「オスカル…」
ジェローデル「隊長はアンドレと強く結ばれ、ベルサイユからパリに進駐していきました…」
フェルゼン「可哀想に…。オスカル…オスカル…君はどれだけ苦しかったことか…」
あの、わたし、下線部分の台詞、いりません。
可哀想だとう?! ナニを上から目線で哀れんでやがるんだ、この偽善者。
あんたに「可哀想」呼ばわりされる覚えはナイっ。
と、がるがる威嚇しちゃいますね。
第一、この時点でフェルゼンは、オスカルの死の真相を知らない。
「パリに進駐」「バスティーユの戦闘で戦死」ってだけの情報だと、オスカルは、国王軍として民衆を攻撃し、民衆に殺されたと思うよね。オスカルは貴族で、アントワネットの腹心だったんだから。
こんな、話の途中、オスカルのドラマもなにもわかってない状態で、「可哀想」とか言われたくないわ。
で、さらにわたしの嫌いな台詞。
ジェローデル「そのことでジャルジェ一家をどれだけ悲しませたことか…」
フェルゼン「オスカル…」
そのことって、どのことよ?
つーことで、次項へ続く。
回想シーンへの導入の拙さについて!
タイトルが「嫌い」物語、なのは、わたしがただ「嫌い嫌い」とわめいているだけの実のナイ話、マイナスの意識だけで書かれた文章なんて醜悪! せめて「物語」、フィクションだと思ってくださいよ、という逃げの姿勢の表れなのだ(笑)。
「嫌い」より、「好き」を語る方が楽しいのにね。なんでこんな、誰のためにもならないことを……って、わたしにはこの作業が必要。
文章にすることで、解脱出来るのなー。
「嫌い」とわめいておりますが、演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話です、念のため。
ようやく第2幕です。
「第2場 フェルゼン邸の庭園」、登場人物はフェルゼンと妹ソフィア、そして執事のデュガゾン。
植爺『ベルばら』の特色、切り貼りしても、微調整はなし!が発揮されているため、つじつまが合っていない。
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』では、ここでフェルゼンと話すのは「妹ソフィア」ではなく、「姉シモーヌ」だ。
ソフィアは原作に登場するけれど、シモーヌはいない。
なんで原作キャラを捨ててまで、オリキャラを出したかっていうと、副組長救済のためだ。
副組長に役をつけないわけにはいかない。だが、役がない。それで無理矢理フェルゼンの姉というキャラを作った。副組長の学年や持ち味からして、いくらなんでも「妹」役は無理だと判断したためだろう。
今の星組『ロミジュリ』で、キャピュレット家の仮面舞踏会になんの意味もなく唐突にフラメンコがはじまるのと、同じ理由だ。
「妹」ならいざ知らず、30過ぎのフェルゼンの「姉」がどうして実家にいるのか謎だが、そういうことになった。
前にも語ったけれど、副組長のために台詞の行数を増やしたからか、無駄な説明台詞をくり返しているしね。
フェルゼン家を守っているのは、姉のシモーヌ。だから執事のデュガゾンは、「館の女主人」であるシモーヌに来客の報告をする。
「姉」のつもりで作ったキャラクタ、作った流れ。
それをそのまま、なんの調整もせずに、「妹」に変更した。
そのため、執事のデュガゾンは「館の主人」であるフェルゼンを無視し、フェルゼンの客をソフィアへ報告する、という奇妙な場面になっている。
また、これまた別の作品にて、執事デュガゾンは、フェルゼンの見張り役というネタがあった。えーと、2005年の全ツ版だよね。フェルゼン家に仕える目つきの悪いデュガゾンは、ヨルゲン陸軍大臣のスパイでした!てな。
そのエピソードを削ったのに、演出はそのまま。
だから執事は主人に敵意を持ってそうな態度で、主人を無視して妹にだけ話しかける、ということになっている。
なんでちゃんと微調整しないんだろう。
切り貼りのぶった切り、投げっぱなしになっているネタが「作品の幅を広げている」「キャラクタの深みを増している」とでも思っているのかな。
ナニも知らない観客が「デュガゾンは何故フェルゼンを無視するんだろう」「ソフィアにだけ話しかけるんだろう」と、本筋とは関係ないところに引っかかるのが、「作品の幅」? 「デュガゾンってひょっとして、ソフィアを好きなのかな」とか、本筋とは関係ない、むしろ間違っている想像などに誘導するのが「キャラクタの深み」?
バカじゃないの? ……と、わたしは思う。
デュガゾンに案内されて、ジェローデル登場。
ここの会話が、ひどい。
「オスカルは死にました」じゃないよ? これは台詞がというより、構成の失敗だと思うから。
全ツ版ではこの台詞で笑いが起こったしね……ギャグだよね、さんざん煽って「主要人物です」と持ち上げたあとで、「死にました」。どっかーん。
だから、そのことではなくて。
フェルゼン「…なに…死んだ…」
ジェローデル「アンドレと共にバスティーユの戦闘で…」
フェルゼン「オスカル…」
ジェローデル「隊長はアンドレと強く結ばれ、ベルサイユからパリに進駐していきました…」
フェルゼン「可哀想に…。オスカル…オスカル…君はどれだけ苦しかったことか…」
あの、わたし、下線部分の台詞、いりません。
可哀想だとう?! ナニを上から目線で哀れんでやがるんだ、この偽善者。
あんたに「可哀想」呼ばわりされる覚えはナイっ。
と、がるがる威嚇しちゃいますね。
第一、この時点でフェルゼンは、オスカルの死の真相を知らない。
「パリに進駐」「バスティーユの戦闘で戦死」ってだけの情報だと、オスカルは、国王軍として民衆を攻撃し、民衆に殺されたと思うよね。オスカルは貴族で、アントワネットの腹心だったんだから。
こんな、話の途中、オスカルのドラマもなにもわかってない状態で、「可哀想」とか言われたくないわ。
で、さらにわたしの嫌いな台詞。
ジェローデル「そのことでジャルジェ一家をどれだけ悲しませたことか…」
フェルゼン「オスカル…」
そのことって、どのことよ?
つーことで、次項へ続く。
回想シーンへの導入の拙さについて!
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