すみません、今さらなこと言っていいですか。

 『愛と革命の詩』って、恋愛モノですか?

 機嫌良く公演に通い、毎回楽しんではいるんですが、観れば観るほど、わかんなくて。

 シェニエさん@らんとむは、マッダレーナ@蘭ちゃんを、愛しているのでしょうか。

 演じているのがらんとむだから、彼の芝居に愛と熱があるから、そんな気になるけど、やっぱ脚本と演出からは、恋愛がわかんなくて。

 革命だー!!って大変なときに、銃を取って戦うのでなく、政治家になって民衆を守るのでもなく、ただ詩を書くだけ。
 そんな自分に「これでいいのか」と少し不安を持ったときに、「あなたの詩で救われました!」と渡りに船の都合のいい手紙。
 ひたすら自分をヨイショしてくれる「ファンレター」を読んで、「相手は高貴な女性」と決めつけての脳内恋愛からスタート。

 まあそれはそれでいいんだけど。

 問題はさぁ、ジャコバン政府に捕まったあとのシェニエさんの態度なの。

 ジェラール@みりおの部屋に連行されたシェニエさんは、そこにマッダレーナがいることに驚く。
 ジェラールが死刑回避のための方法を口にすることで、理解できたと思う。マッダレーナが自分の命乞いのためにここへ来たのだと。
 死を逃れるために詩人の魂を売ることは出来ない。だからシェニエは、ジェラールの提案をすっぱり拒絶する。……のは、シェニエさん的にそうだろうなと思える。それはいい。
 ただ。
 ここまで命乞いに来たマッダレーナに対して、それでいいの? 彼女への気遣いは?
 実際、彼女は「私の命が消えようとしている」と口に出して嘆いているので、シェニエが自分を曲げずに死を選ぶことで、どれだけマッダレーナを傷つけるかは、わかるはずだ。
 詩人として死を選ぶ、それは仕方のないこと。でも、仕方ないことと、マッダレーナへの気遣いを見せることは、まったく別。

 ジェラールの提案を聞いたときに、マッダレーナを振り返るなり、するだろ?
 彼女を愛してるなら。
 迷えと言ってるんじゃない。そんな提案はありえない、そこは揺るがない。ただ、自分がそれを拒否することで恋人を悲しませてしまう、そのことに心を痛めないか、人間なら。目の前で泣いてる恋人がいるのに。
 ふつーならまず、マッダレーナに「すまない」とか、なにかひとことあってから、断らないか? もしくは、断ったあと、嘆く恋人になにか言葉を掛けないか?

 シェニエさん、マッダレーナのこと一切顧みずに、結論を口にするのね。
 大切なのは自分だけ。

 演出的に、マッダレーナへ言葉を掛けることは出来ると思うの。断ったあとはドラマティックに掛け合いの歌になるから無理だとして、その前に膝を折る彼女の元へ行き、その手を取り瞳を見つめ、彼女の気持ちを汲みながらもやさしく首を振る、正面を向き直り、「私は詩人だ」と拒絶の台詞を言う。
 今の演出に付け加えるだけで、流れを変えず、十分表現出来る。

 なのに、シェニエさんは詩人としての自分のことしか、アタマにない。

 さらに、最後の監獄場面。
 明日処刑される、ってときに、マッダレーナのことは、一切考えていない。
 「♪人の心 愛の深さ 伝えたい」と歌っているわりに、書きかけていた詩は「囚われの乙女」。……別の女の詩?!
 そりゃ自分が処刑されるんだもん、自分と同じ境遇の女の詩を書きたくなるのはわかるけど……ええっと、恋人のことは? てっきり、死してなお変わらない、永遠の愛でも綴っているのかと思ったよ。
 たかが恋人個人への愛ではなく、もっとグローバルな素晴らしい詩を書く人なんだ、ってことかもしんない。個人的な愛なんて小さい詩は否定、ってことなんのかもしんない。
 だからまあ、死の直前にマッダレーナへの愛を詩に書こうとしていないことについては、無理にでも自分を納得させよう。

 でもさ。
 弟のマリー=ジョゼフ@みつるが面会にやって来たときにも、マッダレーナのことは、ガン無視。

 ジャコバン党の襲撃を、アジトに教えに来たのはマリー=ジョゼフだ。彼はマッダレーナたちと一緒に逃げている。つまり、マッダレーナを知っている。
 一緒に逃げた、兄の恋人に、このブラコンの弟がなにも働きかけなかったはずはないし、マッダレーナだって恋人の弟と言葉もかわしていないはずもない。

 シェニエが最後に会ったマリー=ジョゼフは、マッダレーナたちと一緒に逃げていくところ。
 だったらふつー、聞かないか?
 マッダレーナがどうしているか。
 彼女が大丈夫かどうか、心配しないか?

 いや、マリー=ジョゼフとマッダレーナになんの接点もない、会ったこともないとしたって、この世で一番気に掛けている相手のことなら、尋ねないか? マッダレーナがどうしているか知らないか、私の恋人なんだ、私の死刑判決でショックを受けているはずなんだ、心配だ、と。
 マッダレーナに「最期の瞬間まで、君を愛している」と伝えてくれ、とかさ。

 シェニエさんが考えているのは、「死の恐怖で詩が書けない、こまった」ということだけ。
 自分のことだけ。

 なんでたったひとこと、恋人のことを口に出来ないんだろう。

 こんなだからさあ、マッダレーナが「一緒に死ぬために」シェニエの牢にやって来たときの「マッダレーナ!」というシェニエさんの驚きを見て、

 今の今まで、忘れていたな。

 と、思うんだ。
 「いたんだ!」とか、「やべ、忘れてた!」とか、シェニエさんの心の声を聞いてしまう。

 で、「愛する人」が自分と共に死ぬということを、止めも迷いもせず受け入れる。
 そこで言う台詞がまた、最高級にひどい。

「詩のネタが出来た!!」

 「ミューズが降り立ち、黄金の竪琴をかき鳴らし云々」と言ってるけど、よーするに、そういうことだよね?
 さっきまで、思うように詩が書けない、と悩んでました。そこへマッダレーナ登場で、「やった、詩が書ける!」……。

 いやそこはまず、愛を口にしろよ!! と、総ツッコミっすよ。

 最初の「文通愛」からして、「詩を書くのに都合のいい言葉をくれる相手」でしかなかったのに、最後までコレかよ。

 シェニエさんが詩人で、「愛の詩を書ける!」というのが、彼の最高級の愛の言葉、愛の表現だとしても、そーゆーこととは別に、ナチュラルに、ひどい。
 愛の表現が詩を書くことでもいい、それ以外のところで彼女のことを思っている表現を入れておこうよ。
 それこそ、「明日処刑される」最後の夜に、彼女の名前をつぶやくだけでもいいんだ。
 たったそれだけのこともなく、自分のことしか考えていない、高尚な詩人様に、どうやって感情移入すればいいんだ??

 シェニエさんとマッダレーナの、「死をも恐れない、高尚な愛」に白い翼が広がり、真っ白なふたりが美しい微笑みを浮かべていても、なんつーかこー、感動に欠けて困る。

 シェニエさん、マッダレーナのこと、愛してないよね? 自分の方が好きだよね?
 詩のネタとして重宝してたかもしんないけど、それだけだよね?
 あ、ごめん、詩のネタ、なんて言っちゃいけないね、ミューズよね、ミューズ。

 高尚な詩人様って、不自由だわ。
 や、わたしにとっては、すごく扱いに困る「大恋愛モノ!」の主人公様だわ。

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