彼は、耽美を理解しない。@白夜の誓い
2014年11月26日 タカラヅカ ヲヅキさんの説得力すげー! と思う。
まだ語る『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』。
グスタフ@かなめくんがアホの子に見えるのは、もちろん脚本のせい。
前述の通り、あんだけマイナスな台詞ばっか言わされたら、賢く見えようがないわ。
というのは前提だけど、それに加えて。
対峙する相手がヤコブ@ヲヅキだというのが、分が悪い。
ヲヅキさんが真摯に説得すると、彼が正しく見えるんだよなあ。なんなのあの誠実さ。重さと正しさ。
説得力のある誠実な人に、なんかきーきーと異を唱えるおーきさん、という図になり、彼の残念度が上がってしまうという……。
かなめくんの声って軽いんだなあ。それが魅力になる場合もあるが、今回は分が悪いとしか。
幼なじみの親友、からはじまって、やがて対立し、最後は暗殺という暴挙に出るまでの、ヤコブという人物の変化がヲヅキさんならではの説得力ある芝居で示されている。
グスタフ中心の視界でも、ヤコブの存在、動向がぴりっと引っかかる。ヲヅキさんは群衆に埋もれない。なにかあそこで動いている、変化がある……そう、意識の何割かを持って行かれる。
グスタフが主役だけど、この物語は主役は変化も成長もないんだよね。彼は同じことを言ってるだけ。変わるのは周囲。中でもヤコブの変化はドラマがあるので、注視すると楽しい。
わたしはもともとヲヅキさんスキーなので、彼の芝居に意識を向けている以上、ヤコブの裏切りはとても自然な展開だった。
いい男だなあ、ヤコブ……。いい役者だなあ、ヲヅキ……。
でもって、ヲヅキ氏の特色かもしんないけどさ。
ヤコブがホモに見えないのは、なんなんだろ。
脚本だけ、設定だけ見れば、ヤコブはいいホモだし、テルキタだし、原田くんも(一部の)観客も、それを狙ってたり期待してたり、してると思うんだ。
でも、そーゆー臭いがしない。
ヤコブから感じるのは、朴訥な誠実さ。軍人なんだ、ということが納得の骨太さ。リアル男性の「あるある」「いるいるこーゆー男」的な。
せっかくホモを匂わす立ち位置なのに、別の人が演じたらきっと匂い立つモノがあったろうに、ヲヅキさんからは、淫靡なモノを感じない。
ヲヅキさんのガチホモ役って、史実と設定からガチホモだったディアギレフ@『ニジンスキー』だけ? ホモですよとわかって演じたホモの役だけ?
その他の匂わせホモは全部不発に終わってる気がするの。
この間の『翼ある人びと』もさ、あんなにオイシイ設定で、なんでああも色気ナッシングの健全師弟やってたかな。ふつーあそこは愛憎にもつれ込むだろう!! まぁ様ファンが苦笑いしてたわよ、どっちも健全すぎるって!(まぁ様にも責任はある・笑)
ヲヅキさんはねえ……「ふつーに演じても不必要にイヤラシクて、勝手にホモに見えちゃうんです」ということが、ナイ。
彼は健全で真っ当で誠実。歪みがない。
ひねくれてたり苦悩したりしていても、精神の健全さは揺るがない。まっすぐに迷ってまっすぐにぶち当たって、いずれまっすぐに乗り越えたり破滅したりするんだろう……そう思える。
そこがいい。
「男役同士が絡むのがいいんだろ、え、こーゆーのが好きなんだろ」と、勝手にサービスシーンのつもりでどーでもいい耽美シーンを作る演出家が各種いるし、生徒の方でも心得たもんでわざとそれっぽく盛り上げたりもするけれど。
そーじゃないんだっ、そーゆーのは違うんだっ。そんな「やらせ」に萌えないんだっ。握り拳。
どっから見てもノンケ、そっちのセンサーついてません、という朴訥な男が醸し出す色気こそが萌えるのよっ!! 熱弁。
ヲヅキさんは演出家その他がお膳立てしても、そっち方面の色気とは無縁な人だと思います。
萌えを狙うのではなく、大真面目に芝居してそうなイメージです。
彼にホモを演じさせたかったら、ちゃんと台本に「ホモ。グスタフの情人」と書いて、台詞やト書きに直接的なことを書き、なおかつ稽古場でモロな演出をつけなきゃいかんと思います。
なにも指示しなくても勝手にホモにしたりは、しないと思います。
そんな、朴訥男だからこそ、その男っぽさゆえに、彼にホモ幻想を抱きたくなるのでしょう、ディアギレフに続いて主人公の情人ポジションの男をやらせる原田くんとか。ズレてるけど。
ヲヅキさんの色気のなさ、耽美力のなさが、大好きです。
もちろん知識はあるだろうけれど、それを理解し、実践できるかは別スキル。ティボルト役で色気を放棄した(と、公言までした)彼ですもの。
……わたしにはそう見える、というだけで、世間的に「ヲヅキトオマといえばお耽美キャラ! フリルブラウスで薔薇の花びらついばむのが似合う金髪巻き毛の美青年キャラ!!」とか、そーゆー認識なのかもしれませんが。
わたしには、そーゆーのと対極にある人に思えるのです。
ぶっきらぼうで不器用な、荒削りで素朴な……そして、その奥に繊細さを持ったキャラクタが、彼ならではのあたたかさを持って存在する……タカラヅカでこーゆースターがいることに、可能性を感じるのです。
だからこそ、いずれは専科でお芝居を続けて欲しかったんだ。
ヲヅキさんは色濃いキャラクタを持っているので地味ではないのだけど、ショーでは違和感を持つことがしばしば。
たぶん今のポジションだと、ショーは「チガウ」んだよなあ。トップスターの相手役であったアンドレを演じたとき、オープニングのショー場面や銀橋ソロで感じた違和感が答えだろう。
彼は優れた役者だけれど、トップスター資質ではない。本公演のショーでは、スターのひとりとして登場したり、スパイス的な使い方はアリだけど、トップスターや2番手として大劇場の真ん中に立つのはいろいろ苦しい。
たとえば、ともちんやとみもんなら、ショーの真ん中でぱーーんとはじけてても違和感はないんだけどなあ。
ヲヅキさんは、なんかチガウ。
重くて、暗い。派手な色合いと濃い輪郭を持っていても、暗色の濁りがある。
……だからこそわたしは、彼に惹かれるのだと思う。
ポジションというか、扱いが上がりすぎたせいで、ショーでの違和感が大きくなった。
それゆえに、組子としては限界なのかなあと思った。そして、組を離れたくないのなら、退団しか道はないのかも、とも。
だから専科に……!(リプライズ)
ヲヅキの芝居を、役者としての彼を、もっと見たかった。
彼が助演することで、輝きを増すスターたちも、見たかった。
残念だし、ただシンプルに、寂しい。
寂しいよ、ヲヅキさん。
演目が発表になったときは、ガチホモ設定来るかと思ったんだけどなあ。原田くんだし。
ったく、ガチホモ演出しない限り、ヲヅキさんは否耽美なんだってば~~っ、詰めが甘いわ原田っ!!
いろいろ欠点の見える作品だからこそ、濃ゆさで吹っ飛ばして欲しかったわ(笑)。
ほんとに、あのヤコブやってホモにならない、淫靡にならないヲヅキ最強。頑強。
……そんなヲツキさんとは反対に、ともちんなんかは、なんでもかんでもホモとか変態にしちゃう役者さんでしたな……(笑)。あれはあれで素晴らしい個性でした。
まだ語る『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』。
グスタフ@かなめくんがアホの子に見えるのは、もちろん脚本のせい。
前述の通り、あんだけマイナスな台詞ばっか言わされたら、賢く見えようがないわ。
というのは前提だけど、それに加えて。
対峙する相手がヤコブ@ヲヅキだというのが、分が悪い。
ヲヅキさんが真摯に説得すると、彼が正しく見えるんだよなあ。なんなのあの誠実さ。重さと正しさ。
説得力のある誠実な人に、なんかきーきーと異を唱えるおーきさん、という図になり、彼の残念度が上がってしまうという……。
かなめくんの声って軽いんだなあ。それが魅力になる場合もあるが、今回は分が悪いとしか。
幼なじみの親友、からはじまって、やがて対立し、最後は暗殺という暴挙に出るまでの、ヤコブという人物の変化がヲヅキさんならではの説得力ある芝居で示されている。
グスタフ中心の視界でも、ヤコブの存在、動向がぴりっと引っかかる。ヲヅキさんは群衆に埋もれない。なにかあそこで動いている、変化がある……そう、意識の何割かを持って行かれる。
グスタフが主役だけど、この物語は主役は変化も成長もないんだよね。彼は同じことを言ってるだけ。変わるのは周囲。中でもヤコブの変化はドラマがあるので、注視すると楽しい。
わたしはもともとヲヅキさんスキーなので、彼の芝居に意識を向けている以上、ヤコブの裏切りはとても自然な展開だった。
いい男だなあ、ヤコブ……。いい役者だなあ、ヲヅキ……。
でもって、ヲヅキ氏の特色かもしんないけどさ。
ヤコブがホモに見えないのは、なんなんだろ。
脚本だけ、設定だけ見れば、ヤコブはいいホモだし、テルキタだし、原田くんも(一部の)観客も、それを狙ってたり期待してたり、してると思うんだ。
でも、そーゆー臭いがしない。
ヤコブから感じるのは、朴訥な誠実さ。軍人なんだ、ということが納得の骨太さ。リアル男性の「あるある」「いるいるこーゆー男」的な。
せっかくホモを匂わす立ち位置なのに、別の人が演じたらきっと匂い立つモノがあったろうに、ヲヅキさんからは、淫靡なモノを感じない。
ヲヅキさんのガチホモ役って、史実と設定からガチホモだったディアギレフ@『ニジンスキー』だけ? ホモですよとわかって演じたホモの役だけ?
その他の匂わせホモは全部不発に終わってる気がするの。
この間の『翼ある人びと』もさ、あんなにオイシイ設定で、なんでああも色気ナッシングの健全師弟やってたかな。ふつーあそこは愛憎にもつれ込むだろう!! まぁ様ファンが苦笑いしてたわよ、どっちも健全すぎるって!(まぁ様にも責任はある・笑)
ヲヅキさんはねえ……「ふつーに演じても不必要にイヤラシクて、勝手にホモに見えちゃうんです」ということが、ナイ。
彼は健全で真っ当で誠実。歪みがない。
ひねくれてたり苦悩したりしていても、精神の健全さは揺るがない。まっすぐに迷ってまっすぐにぶち当たって、いずれまっすぐに乗り越えたり破滅したりするんだろう……そう思える。
そこがいい。
「男役同士が絡むのがいいんだろ、え、こーゆーのが好きなんだろ」と、勝手にサービスシーンのつもりでどーでもいい耽美シーンを作る演出家が各種いるし、生徒の方でも心得たもんでわざとそれっぽく盛り上げたりもするけれど。
そーじゃないんだっ、そーゆーのは違うんだっ。そんな「やらせ」に萌えないんだっ。握り拳。
どっから見てもノンケ、そっちのセンサーついてません、という朴訥な男が醸し出す色気こそが萌えるのよっ!! 熱弁。
ヲヅキさんは演出家その他がお膳立てしても、そっち方面の色気とは無縁な人だと思います。
萌えを狙うのではなく、大真面目に芝居してそうなイメージです。
彼にホモを演じさせたかったら、ちゃんと台本に「ホモ。グスタフの情人」と書いて、台詞やト書きに直接的なことを書き、なおかつ稽古場でモロな演出をつけなきゃいかんと思います。
なにも指示しなくても勝手にホモにしたりは、しないと思います。
そんな、朴訥男だからこそ、その男っぽさゆえに、彼にホモ幻想を抱きたくなるのでしょう、ディアギレフに続いて主人公の情人ポジションの男をやらせる原田くんとか。ズレてるけど。
ヲヅキさんの色気のなさ、耽美力のなさが、大好きです。
もちろん知識はあるだろうけれど、それを理解し、実践できるかは別スキル。ティボルト役で色気を放棄した(と、公言までした)彼ですもの。
……わたしにはそう見える、というだけで、世間的に「ヲヅキトオマといえばお耽美キャラ! フリルブラウスで薔薇の花びらついばむのが似合う金髪巻き毛の美青年キャラ!!」とか、そーゆー認識なのかもしれませんが。
わたしには、そーゆーのと対極にある人に思えるのです。
ぶっきらぼうで不器用な、荒削りで素朴な……そして、その奥に繊細さを持ったキャラクタが、彼ならではのあたたかさを持って存在する……タカラヅカでこーゆースターがいることに、可能性を感じるのです。
だからこそ、いずれは専科でお芝居を続けて欲しかったんだ。
ヲヅキさんは色濃いキャラクタを持っているので地味ではないのだけど、ショーでは違和感を持つことがしばしば。
たぶん今のポジションだと、ショーは「チガウ」んだよなあ。トップスターの相手役であったアンドレを演じたとき、オープニングのショー場面や銀橋ソロで感じた違和感が答えだろう。
彼は優れた役者だけれど、トップスター資質ではない。本公演のショーでは、スターのひとりとして登場したり、スパイス的な使い方はアリだけど、トップスターや2番手として大劇場の真ん中に立つのはいろいろ苦しい。
たとえば、ともちんやとみもんなら、ショーの真ん中でぱーーんとはじけてても違和感はないんだけどなあ。
ヲヅキさんは、なんかチガウ。
重くて、暗い。派手な色合いと濃い輪郭を持っていても、暗色の濁りがある。
……だからこそわたしは、彼に惹かれるのだと思う。
ポジションというか、扱いが上がりすぎたせいで、ショーでの違和感が大きくなった。
それゆえに、組子としては限界なのかなあと思った。そして、組を離れたくないのなら、退団しか道はないのかも、とも。
だから専科に……!(リプライズ)
ヲヅキの芝居を、役者としての彼を、もっと見たかった。
彼が助演することで、輝きを増すスターたちも、見たかった。
残念だし、ただシンプルに、寂しい。
寂しいよ、ヲヅキさん。
演目が発表になったときは、ガチホモ設定来るかと思ったんだけどなあ。原田くんだし。
ったく、ガチホモ演出しない限り、ヲヅキさんは否耽美なんだってば~~っ、詰めが甘いわ原田っ!!
いろいろ欠点の見える作品だからこそ、濃ゆさで吹っ飛ばして欲しかったわ(笑)。
ほんとに、あのヤコブやってホモにならない、淫靡にならないヲヅキ最強。頑強。
……そんなヲツキさんとは反対に、ともちんなんかは、なんでもかんでもホモとか変態にしちゃう役者さんでしたな……(笑)。あれはあれで素晴らしい個性でした。
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