個性無視と配置の謎が散漫さにつながる。@ファンシー・ガイ!
2015年1月4日 タカラヅカ 楽しいけれど、タカラヅカっぽくない『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』。
それと併演なのが『ファンシー・ガイ!』なのは、いかがなものかと(笑)。
『ファンシー・ガイ!』でいちばんテンションあがったのって、幕間の緞帳があがったときだなー。
ニュースター☆ってちぎくんの写真が複数、タイトルバックに使われていたの。
龍馬とかバドとか、なつかしい公演スチール。
うわあ、ステキ、うわあ、楽しそう……と、テンション上がった。
……幕が開く前が最高潮って(笑)。
実際に幕が開くと、黄色+紫??と、目がちかちか。
いったい誰得なのあの衣装……?
細かいことは置いておいて。
前々から疑問だったこと。
三木先生は、耽美を理解してないよね?
や、耽美なシチュエーションはわかっている。作れる。
が。
見よう見まねで上っ面をなぞっているだけで、理解はしていない、よね?
なのに、耽美スキーで、やたらと耽美な場面を作りたがる。
のが、気持ち悪い。
そして、その「理解していない」ところが、「人間配置」であるところに、ヅカヲタとしていや~~なモノを感じるの。
タカラヅカは人ありき。作品が多少アレでも、キャストがよければ評価される。
他愛ない話でも、スターにアテ書きされていればそれで絶賛。
名作でも生徒に役や出番がなく、任に合ってなければこきおろされる。
いい悪いではなく、そういうカンパニーである。
そして、演出家は外部からこの作品のためだけに連れてこられた人ではなく、同じ釜の飯を食ってきた座付き作家である。ゆえに、ファンとスターの特質を心得て作品を作ることを求められる。
そういうところで、生徒の持ち味・カラーを無視した配置をするというのは、「演出家の怠慢」に思える。
生徒のこと、ろくに見てないんだ、てな。
『Dancing Heroes!』で、紳士たちが妖しく絡んで踊るホモの館……もとい「紳士の館」は、出演者たちが「男の服を着ただけの女の子たち」だったがゆえに、なかなかつらい場面になっていた。下級生メインのバウ公演だったので仕方ない。主演のそのかひとりぶっち切りのセクシーさで、あと唯一男役としてスキルのあったとしくんと場面を支えていた。
それの焼き直しの全ツ『ロック・オン!』。やはり男役スキル低い人たちをたくさん使わなくてはならなくて、成功していたとは言いがたい……が、なにより真ん中の問題だろう、キムとまっつで大人系耽美ホモやろうとか、どうして思うんだ。ソコからだろまず間違いは。
まっつも晩年は「どんな相手でもホモOK!」なまでに出来上がっていたけれど、このときはまだ無理だった。
そんな風に「耽美な場面」を作るんだけど、「耽美が似合う人」と、「やめとけ? な?」という人の、区別が付いてない。
自分の設定大事? や、自分大事なら、その大事な作品をぶちこわしにするキャスティングはしないよ。耽美得意なジェンヌって、なんのお膳立てもせずスーツで立っているだけで耽美なんだからね。そういう人にこそ、ここぞってな耽美場面を演じて欲しいと思うでしょう。
点数の出る世界じゃないから、誰が美しいか、誰が耽美かなんて、人の数だけ感じ方はあると思う。
だから、わたしの感じ方が絶対無二の正義だとは思わないけどさー。男役スキルの低い下級生たちでホモやられても、女子校の文化祭っぽさが増すだけで途方に暮れる、ての、わりと中庸な感性ではないかなあ?
それと。
ともみんを耽美キャラ認定してない、というのは、わりに一般的ではないかな?
すみません、ひょっとしたら世の中の人はともみんを「妖しい魅力の耽美キャラ」だと思っているのでしょうか。
太陽よりも月、陽より陰、光より闇、ひまわりより黒薔薇。折れそうに華奢で中性的で儚げで、物憂い雰囲気で花びら食ってるのが似合うキャラだという認識なんでしょうか。や、この耽美のイメージもわざとらしすぎるくらいだけど!
ともみん、つーと、元気で陽気な体育会系。暑苦しいくらいの「いい人」キャラ、というイメージ。太陽と真っ青な海とラジオ体操が似合っちゃうような。健康でにぎやかで善良な、愛すべき男。それこそ演出家がこぞって愉快な三枚目役をアテ書きするくらいの。
耽美、という概念と、対極にある存在。
という、わたしのともみん感は、特異なものなんだろうか。
だったらごめん、わたしのこの感想は、わたしの特殊な感性ゆえに生じている。
ともみんに耽美やらせるとか、演出家バカなんじゃないの?
卒業する生徒に愛情持って活躍の場を与える、というなら、そこでなんで耽美になるのよ? ホモになるのよ? バカじゃないの?
卒業する別格スターと、同期のトップスターに、「同期ならでは」の場面を作る。それはお約束、ヅカの座付き作家なら当然だ。
ただ、ともみんとちぎくんで、それがなんで耽美ホモになるのよ?!
んなもん求めてねーよっ。
ともみんのともみんらしい、明るく元気で、そして「カッコイイ(重要)」役と場面で、明るく元気にちぎくんと絡めてくれ。
男同士の友情!って感じに。
暑苦しいくらいの「ヒーロー」……ともみんにアテ書きしたら、そうなるよね? 彼はたしかに重太夫@『一夢庵風流記 前田慶次』のような三枚目キャラがハマる。でも、重太夫って少年マンガの主人公タイプなのよ。ドジでおバカだけどやるときはやる、義に厚い男。普段は三枚目だけど、有事には誰よりもカッコイイ「ヒーロー」になる……それが、ともみんの愛すべきキャラクタ。
芝居が銭形警部なんだもん、ショーでは直球にカッコイイ「真ん中」タイプの役を見せてくれよ。
ちぎとも場面があるにはあるが、2場面とも耽美ホモって、なんだソレ。
似合うならともかく、柄違いなのに、2場面……。
どうしてもやりたかった、ともみんは耽美キャラなんだ、ちぎくんとホモさせたかった、というなら、片方だけにしてくれ。ふたつもいらん。
片方は、真っ当に明るいちぎともにしてくれよ……。
ちぎともでみゆちゃん取り合ってそれぞれチーム率いてダンス対決、トラブルでちぎちゃん沈んでともみん勝利、だけどみゆちゃんはちぎくんを選んで、「ちぇっ、オレの負けだよ」的なともみん、「いや、オレこそ」てな男の友情、最後はどっちのチームも楽しくダンス、とか。
ちぎともみゆでかわいく明るくさー、そういうのをさー。
生徒の持ち味無視の耽美ホモ尽くし、舞台の雰囲気どよんと動かず、盛り上がりやメリハリないまま終始。
お披露目なのにみゆちゃん出番ナシ、ともみん・だいもん共にメイン場面ナシ、人の使い方がおかしいゆえに場面の芯がブレて印象希薄、構成力云々というより、やっぱり人間配置能力が相当変わっている??
きついなあ、これ。
三木せんせらしいといえば、とてもらしい作品。
それと併演なのが『ファンシー・ガイ!』なのは、いかがなものかと(笑)。
『ファンシー・ガイ!』でいちばんテンションあがったのって、幕間の緞帳があがったときだなー。
ニュースター☆ってちぎくんの写真が複数、タイトルバックに使われていたの。
龍馬とかバドとか、なつかしい公演スチール。
うわあ、ステキ、うわあ、楽しそう……と、テンション上がった。
……幕が開く前が最高潮って(笑)。
実際に幕が開くと、黄色+紫??と、目がちかちか。
いったい誰得なのあの衣装……?
細かいことは置いておいて。
前々から疑問だったこと。
三木先生は、耽美を理解してないよね?
や、耽美なシチュエーションはわかっている。作れる。
が。
見よう見まねで上っ面をなぞっているだけで、理解はしていない、よね?
なのに、耽美スキーで、やたらと耽美な場面を作りたがる。
のが、気持ち悪い。
そして、その「理解していない」ところが、「人間配置」であるところに、ヅカヲタとしていや~~なモノを感じるの。
タカラヅカは人ありき。作品が多少アレでも、キャストがよければ評価される。
他愛ない話でも、スターにアテ書きされていればそれで絶賛。
名作でも生徒に役や出番がなく、任に合ってなければこきおろされる。
いい悪いではなく、そういうカンパニーである。
そして、演出家は外部からこの作品のためだけに連れてこられた人ではなく、同じ釜の飯を食ってきた座付き作家である。ゆえに、ファンとスターの特質を心得て作品を作ることを求められる。
そういうところで、生徒の持ち味・カラーを無視した配置をするというのは、「演出家の怠慢」に思える。
生徒のこと、ろくに見てないんだ、てな。
『Dancing Heroes!』で、紳士たちが妖しく絡んで踊るホモの館……もとい「紳士の館」は、出演者たちが「男の服を着ただけの女の子たち」だったがゆえに、なかなかつらい場面になっていた。下級生メインのバウ公演だったので仕方ない。主演のそのかひとりぶっち切りのセクシーさで、あと唯一男役としてスキルのあったとしくんと場面を支えていた。
それの焼き直しの全ツ『ロック・オン!』。やはり男役スキル低い人たちをたくさん使わなくてはならなくて、成功していたとは言いがたい……が、なにより真ん中の問題だろう、キムとまっつで大人系耽美ホモやろうとか、どうして思うんだ。ソコからだろまず間違いは。
まっつも晩年は「どんな相手でもホモOK!」なまでに出来上がっていたけれど、このときはまだ無理だった。
そんな風に「耽美な場面」を作るんだけど、「耽美が似合う人」と、「やめとけ? な?」という人の、区別が付いてない。
自分の設定大事? や、自分大事なら、その大事な作品をぶちこわしにするキャスティングはしないよ。耽美得意なジェンヌって、なんのお膳立てもせずスーツで立っているだけで耽美なんだからね。そういう人にこそ、ここぞってな耽美場面を演じて欲しいと思うでしょう。
点数の出る世界じゃないから、誰が美しいか、誰が耽美かなんて、人の数だけ感じ方はあると思う。
だから、わたしの感じ方が絶対無二の正義だとは思わないけどさー。男役スキルの低い下級生たちでホモやられても、女子校の文化祭っぽさが増すだけで途方に暮れる、ての、わりと中庸な感性ではないかなあ?
それと。
ともみんを耽美キャラ認定してない、というのは、わりに一般的ではないかな?
すみません、ひょっとしたら世の中の人はともみんを「妖しい魅力の耽美キャラ」だと思っているのでしょうか。
太陽よりも月、陽より陰、光より闇、ひまわりより黒薔薇。折れそうに華奢で中性的で儚げで、物憂い雰囲気で花びら食ってるのが似合うキャラだという認識なんでしょうか。や、この耽美のイメージもわざとらしすぎるくらいだけど!
ともみん、つーと、元気で陽気な体育会系。暑苦しいくらいの「いい人」キャラ、というイメージ。太陽と真っ青な海とラジオ体操が似合っちゃうような。健康でにぎやかで善良な、愛すべき男。それこそ演出家がこぞって愉快な三枚目役をアテ書きするくらいの。
耽美、という概念と、対極にある存在。
という、わたしのともみん感は、特異なものなんだろうか。
だったらごめん、わたしのこの感想は、わたしの特殊な感性ゆえに生じている。
ともみんに耽美やらせるとか、演出家バカなんじゃないの?
卒業する生徒に愛情持って活躍の場を与える、というなら、そこでなんで耽美になるのよ? ホモになるのよ? バカじゃないの?
卒業する別格スターと、同期のトップスターに、「同期ならでは」の場面を作る。それはお約束、ヅカの座付き作家なら当然だ。
ただ、ともみんとちぎくんで、それがなんで耽美ホモになるのよ?!
んなもん求めてねーよっ。
ともみんのともみんらしい、明るく元気で、そして「カッコイイ(重要)」役と場面で、明るく元気にちぎくんと絡めてくれ。
男同士の友情!って感じに。
暑苦しいくらいの「ヒーロー」……ともみんにアテ書きしたら、そうなるよね? 彼はたしかに重太夫@『一夢庵風流記 前田慶次』のような三枚目キャラがハマる。でも、重太夫って少年マンガの主人公タイプなのよ。ドジでおバカだけどやるときはやる、義に厚い男。普段は三枚目だけど、有事には誰よりもカッコイイ「ヒーロー」になる……それが、ともみんの愛すべきキャラクタ。
芝居が銭形警部なんだもん、ショーでは直球にカッコイイ「真ん中」タイプの役を見せてくれよ。
ちぎとも場面があるにはあるが、2場面とも耽美ホモって、なんだソレ。
似合うならともかく、柄違いなのに、2場面……。
どうしてもやりたかった、ともみんは耽美キャラなんだ、ちぎくんとホモさせたかった、というなら、片方だけにしてくれ。ふたつもいらん。
片方は、真っ当に明るいちぎともにしてくれよ……。
ちぎともでみゆちゃん取り合ってそれぞれチーム率いてダンス対決、トラブルでちぎちゃん沈んでともみん勝利、だけどみゆちゃんはちぎくんを選んで、「ちぇっ、オレの負けだよ」的なともみん、「いや、オレこそ」てな男の友情、最後はどっちのチームも楽しくダンス、とか。
ちぎともみゆでかわいく明るくさー、そういうのをさー。
生徒の持ち味無視の耽美ホモ尽くし、舞台の雰囲気どよんと動かず、盛り上がりやメリハリないまま終始。
お披露目なのにみゆちゃん出番ナシ、ともみん・だいもん共にメイン場面ナシ、人の使い方がおかしいゆえに場面の芯がブレて印象希薄、構成力云々というより、やっぱり人間配置能力が相当変わっている??
きついなあ、これ。
三木せんせらしいといえば、とてもらしい作品。
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