今現在、もっとも人気があり、勢いがあるのが、星組だ。
 人気がある、ということは、それが多くの人に求められている、ということだ。
 客商売であり、エンタメであるのだから、その時代時代に「求められている」ものを提供すべきだ。

 星組が今もっともアツく、求められている……というならば、劇団は「今の星組」を維持継続させることに、心血を注ぐべきだ……とは、思う。

 ……思うけど、それはどうか、星組さんだけでやってください、他組は「古いタカラヅカ」のままでいて。と、思う。

 わたしが好きなのは、「古いタカラヅカ」なんだ。

 それを、しみじみと思い知らされた。
 『Dear DIAMOND!!』を観て。

 『Dear DIAMOND!!』は、ふつーに楽しいショーだった。
 しかし。

 わたしは、『Dear DIAMOND!!』って作品を観に来たつもりだった。
 星組の、本公演。組子全員出演する宝塚歌劇団の基本公演。芝居とショーの二本立て、いちばん基本となる形式の興行。

 『REON!!III』を観に来たつもりは、まったくなかった。

 ので、けっこう鼻白んだ。

 舞台に「REON」って電飾が輝き、主題歌もスター個人の名前を繰り返す。
 えっとこれ、「本公演」だよね? スター個人のコンサートじゃないよね……?

 初日だから、客席はコアでディープなファンで埋め尽くされていたのだと思う。
 だから、そのためだと思う。
 ファンばかりだから、反応がよりディープなのだと。
 団体客や一見さん、観劇文化自体未体験な一般の方々……そんな人たちが客席に極端に少なかったためだと、思う。
 が。
 当たり前に歓声の上がる「タカラヅカ」の大劇場本公演、というのは、なかなかめずらしいと思う。

 いちばん人気の組の、いちばん熱気ある客席。
 えーとこれが、今の主流? 「今」求められているモノ……?

 だ、だとしたらわたし、チガウかも……。
 わたしの求めるモノじゃないかも……。

 感動したら歓声を上げるのではなく、拍手をする。そういう「参加」の仕方が精一杯の、地味でおとなしい、ひと昔もふた昔も前の、舞台観劇、でいい。
 黙って坐って、静かに観劇したい。感動したい。

 しかし、それじゃもう、いかんのかなあ。
 今の時代、きゃーきゃー叫んじゃうようなエンタメでないと、受けないのかなあ。

 時代によって、変わっていいとは、思っているの。
 100年前となにひとつ同じでなくてはならないとか、型のひとつひとつを寸分違わずコピーすることだけに固執する必要はないと思っているの。
 コトバも音楽もお化粧も、時代によって変化していい。

 『黒豹の如く』は古くて見てられないと思う。現代でコレはないと思う。
 が、『Dear DIAMOND!!』は「現代らしい」のかもしれないが、「タカラヅカ」的ではないと思う。

 難しいな。

 『Dear DIAMOND!!』の『REON!!』的な部分が、サヨナラショーなら「ふつう」だと思うの。だってサヨナラショーは「組」の本公演ではなく、「スター個人」のショーだから。
 『PHOENIX宝塚!!』でも感じた、「なんでコレを本公演でやる? サヨナラショーでしろよ」が、さらにさらに顕著になった感じ。

 フジイくんは「サヨナラショー請負人」だと思うし、そういう演出のうまい人ではあると思ってる。でも。
 最近の彼の作品は、スターにおもねる部分が強すぎる。

 「組」の本公演、宝塚歌劇団の「看板公演」「ひとつの独立した作品」だという意識が、希薄になっている気がする。

 そしてわたしは、「組」の本公演という、ひとつの作品を観るつもりで行くから、ギャップにとまどう。置いてゆかれる。

 れおんくんをはじめとする、スターの魅力で十分楽しめてしまう、実際楽しい……のだけど、心にきしみが残る。「これ、チガウ」と。


 フジイくんは、「ファンが観たがるモノ」「ファンが求めるモノ」を作ったんだと思うよ?
 だから、「組」の公演ではなく、れおんくん個人のコンサートになったんだろう。今のタカラヅカと今の星組は、れおんくんあってのもので、組子もファンも「組」公演よりも、れおんくん個人コンサートを求めている、のだろう。
 求められているモノを差し出したから、星組は人気組でこの公演はチケット完売の超人気公演なんだもの。

 商売として正しい姿なんだけど、わたしが求める「タカラヅカ」とは、チガウなあ。

 楽しいんだけど。

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