物語というものについての、発見。
 てゆーか、自分的アタマの体操。……の、続き。
 というか、今度こそ本題(笑)、これで完結。

 90分のミュージカル『追憶のバルセロナ』を、30分のストプレ『黒い風の物語』に焼き直したハリー。
 『追憶のバルセロナ』はびみょー作だが、『黒い風の物語』は面白かったぞっと。
 内容は同じなのに、描き方でえらい違いだ。
 つまり、「物語」というのは、構成・演出によって生かされも殺されもするってことだ。

 『黒い風の物語』はストプレだから、「基本プロット」感が強い。
 コレに肉付けして「タカラヅカ」を創るとしたら……いろんな可能性が広がる。

 てことで、いろんなパターンを考えてみる。
 アタマの体操!


 まず、主人公を誰にするか。

 タカラヅカだから男性主人公。つまり、フランシスコとアントニオ、どちらかだ。
 わかりやすく主人公っぽいフランシスコを、主人公にするのがいいだろうな。でも、アントニオ主人公も絶対面白い。ダブル主演のバウだったら、アントニオ側も書き込み出来るぞ。

 んで、ヒロインを誰にするか。
 フランシスコ主人公なら、セシリアとイサベル、どっちもヒロイン可能。

 同じプロット、同じ脚本で、「見せ方」を変えられる。

 まず、どちらの女性を最初に登場させるか。
 イサベルか、セシリアか。

 そして、作中、どちらに銀橋ソロを歌わせるか。

 これによって、「ヒロイン」が変わる。

 プロットと脚本は同じでいいのよ?
 新しく銀橋ソロを付け加えるだけ。
 それだけで、物語が変わる。

 ダブル主演作品にだって、変更可能。
 アントニオの苦悩のソロを加えるだけでいい。

 プロットという骨組みは同じ、肉付けは歌とダンス場面。だってタカラヅカだから!
 キャラ個人の心情を、ソロ歌や、関係性をダンスで表現する。
 歌とダンスがあるのは、主人公とヒロイン優先ですよ。

 ソロパートだけではダメだ、タカラヅカには華やかなダンスナンバーが必要。

 セシリア・アントニオ側の比重を上げるのなら、バルセロナ社交界のダンス場面を作る。横暴なフランス軍が権力を見せつけるために開く舞踏会。嫌々フランス将校と踊らされるセシリア、妻を守れず唇を噛むアントニオ、てな。
 フランシスコ・イサベル側を描くならば、ジプシーたちのにぎやかダンス。祭りとか、酒場ではしゃぐシーンとか。そこでふたりの気持ちが近づく。いい雰囲気になる。……もちろん、元からある、フランス兵の横暴 → フランシスコの記憶が戻る、もそのままに。

 歌とダンスで、いくらでも物語の舵を取れる。
 行き先を変えられる。

 やだちょっと、面白い。
 わくわくする。

 面白いプロット(素材)をもらって、これを使って好きに「タカラヅカ」を作っていいよ、って言われたら。
 どんなに楽しいだろう!!
 フランシスコ、アントニオ、イサベル、セシリア。
 この4人の物語だけで、いくらでも切り口を変えて、物語を作れる。

 「視点」をどこに置くか。
 それだけで、どんだけ可能性が広がるか。

 ……ああ、そうか。
 だからわたし、二次創作好きなんだよなあ。
 自分で「視点」を作れるから。
 原作を否定したり、ないがしろにするのではなく、原作に別の視点で「物語の再構築」をしたいの。
 物語を切り分けて分析して、自分なりのテーマで作り直す作業が楽しいの。
 「二次創作って、作品に対する理解とキャラに対する共感の固まりですからね」と、この間某アニメで言ってたんだけど、まさにそれ。
 好きな物語は、とことんまで、味わいたくなる。
 ばらばらにして、再構築するほど。
 雪組の『ロミオとジュリエット』は、本気でそれ、やり尽くしたし。
 物語が好き。物語を作ることが好き。
 物語を、さらに物語るのも好き。

 『追憶のバルセロナ』と『黒い風の物語』は、わたしの「物語好き」のハートをくすぐってくれました。
 うおおお、物語って楽しい。

 アタマの体操。
 どこをどう分解して、どう組み立てるか。考えるのが、すごく楽しい。

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