彼の真実。@アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―
2015年5月30日 タカラヅカ それで結局、「スカーフェイスに秘められた真実」ってなんだったんだろう?
たぶん、多くの人が同じ疑問を持ったと思う。『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』観劇後。
稀代の悪党アル・カポネ。
実は彼、本当はいい人だったんです☆ てか?
脚本家のベン@ひとこは、監獄で貴族生活中のアル・カポネ@だいもんのもとへ拉致されてきた。ベンがアルをモデルにした映画の脚本を書いていたためだ。アル・カポネといえばみんなが知ってる大悪党、ベンの脚本でももちろん悪党として描かれている。
真実を知って欲しい、とアルは自分の半生を語りはじめる。
真っ当に働き成功したいと夢見る若者であったこと、愛する女性メアリー@せしこを守るために顔に傷を負い、ギャングに目を付けられ、ブルックリンにいられなくなったこと。
移民であること、顔に傷があることなど、ギャングとして生きるほかはなかったこと、義に厚く誠実に、ファミリーと仁義を守り、自分に与えられた場での頂点を目指してきたこと。
その結果が映画のモデルになるほどの「稀代の悪党」となったこと。
「わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」……えー、要約すると、そういうことっすね。ギザギザハートの子守歌。
ベンをすっかり虜にしたあと、刑期を終えて娑婆へ戻ったアルさん。今度は知り合った保険屋の青年@かなとにこれまた自分語りスタート。うっかりたまたまギャングの大ボスやってるけど、世が世なら真っ当に成功していたはずだぜベイベ、カタギの友だち欲しかった、と。
ギザギザハートの子守歌リプライズ。この保険屋の青年ってのは、捜査官のエリオットなんだけどね。エリオットもすっかりアルの虜。
だけど結局アルは、重ねた悪行ゆえに破滅。弁護士のオヘアさん@あすを、ちゃんと口説いておかなかったからだよ! 裏切られちゃったよ! 仁義とか人情ですべてOKとしてきた世界観で、何故か唯一アルの人情攻撃、ギザギザハートの子守歌が通じなかった……って、そっか、オヘアさんには自分語りしてねーよ、ツンデレのツンしか見せてねーよ、ぬかったよ!!
収監されるアルの前に、ベンからの渾身のラブレターを携えてエリオット登場。
ただの悪者として描かれていた映画脚本が、変更されていた。アルの生き方を肯定するラストに。
拉致監禁してまで、自分語りした甲斐あったね、アル!
そしてエリオット。他人のラブレターで口説くとか、雑だなヲイ。終了。
…………アル・カポネの真実?(首かしげ)
断っておくが、「ギザギザハートの子守歌」が悪いと言ってるんじゃない。
「本当はいい人だったんです☆」でいいんだ。
タカラヅカなんだから、本当に救いのない悪党の話、残酷で血なまぐさい話をしなくていい。つか、悪党を主人公にした時点で、「本当はいい人」にするべきだ。それがお約束だ。
アル・カポネの真実が、仁義のマイホームパパでもいいんだ。
問題は、その描き方。
「本当はいい人」以外に、なんの視点もない出来事箇条書き話は、だれる。
妻メアリーとの恋愛メインなら、そこに視点を置く。
ベンもエリオットもいらん。アルの真実はメアリーだけが理解していればいい。
メアリーとは出会ったその日にラヴラヴで、次の場面で駆け落ちまで話が進み、そのあとはなんの障害もなくただスイートマイホームしてるだけ。
これで2時間描くにはネタが少なすぎるけど、本気で恋愛やるならオリジナルエピソード盛りまくって、心ひりつくラヴストーリーにだって出来るはずだ。命ぎりぎり愛可能な設定なんだから。
エリオットとの敵同士の友情をやるなら、ちんたら一代記やってないで、シカゴ時代から描くべき。
強敵と書いて「とも」と読む、少年マンガ的な盛り上がり。
原田くんの作風って、「書きたいこと」「伝えたいこと」が見えないんだよな。
だから、自分の作品好きじゃないのかな、やりたくてやってる仕事じゃないのかな、という気になる。
子どもに無理矢理作文書かせたら、出来事だけ羅列して原稿用紙埋めるじゃん。
タイトル『運動会』
「朝、起きました。顔を洗いました。朝ごはんを食べました。朝ごはんはハムエッグとトーストです。牛乳も飲みました。食べ終わったら歯を磨きました。靴を履いて学校へ行きました。今日は運動会です。楽しかったです」
運動会について、なんも書いてねええ!!みたいな。
テーマは運動会なのに、なんで朝起きたところから書くの、朝ごはんのメニューとかそれ、どうでもいいから。運動会について書いてよ、なにをしたの、なにがあったの、どう楽しかったの。
トーストを食べたことも歯を磨いたことも嘘じゃない、ほんとにあったことだから書くのは間違いじゃないけど、それを書いたために肝心の運動会についての記述なくなるなら、意味ナイから。
このテの作文から伝わることは「書きたくない」。作文なんて書きたくない、めんどくさい、嫌々やってるから出来事だけの羅列、だって楽だものね、あったことを箇条書きするのは。自分の気持ちを考えて言葉にするとか、難しいことはしたくない。要はマス目が埋まればそれでいいんだもの。
原田くんは、出来事箇条書きしながら、ナニを訴えたかったのかな。
アル・カポネの真実?
箇条書きだからこそ伝わると、思ったのかな。
あえて「視点」など作らず、ウィキペディア的な「あらすじ紹介」みたいな作品にするのが、彼の萌え・こだわりなのかもしれない。
とりあえず、「アル・カポネはホントはいい人」と言って、それが伝わっているんだから、成功?
間違ったことをたくさんしているけれど、彼は彼なりに精一杯生きたんだよ……ほろり。
彼が悪の道に進んだのは、彼のせいではないんだよ……ほろり。
てことで、いいのだろう。
……他に真実があったのかな? わたしの理解力の問題かもしれん。
たぶん、多くの人が同じ疑問を持ったと思う。『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』観劇後。
稀代の悪党アル・カポネ。
実は彼、本当はいい人だったんです☆ てか?
脚本家のベン@ひとこは、監獄で貴族生活中のアル・カポネ@だいもんのもとへ拉致されてきた。ベンがアルをモデルにした映画の脚本を書いていたためだ。アル・カポネといえばみんなが知ってる大悪党、ベンの脚本でももちろん悪党として描かれている。
真実を知って欲しい、とアルは自分の半生を語りはじめる。
真っ当に働き成功したいと夢見る若者であったこと、愛する女性メアリー@せしこを守るために顔に傷を負い、ギャングに目を付けられ、ブルックリンにいられなくなったこと。
移民であること、顔に傷があることなど、ギャングとして生きるほかはなかったこと、義に厚く誠実に、ファミリーと仁義を守り、自分に与えられた場での頂点を目指してきたこと。
その結果が映画のモデルになるほどの「稀代の悪党」となったこと。
「わかってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」……えー、要約すると、そういうことっすね。ギザギザハートの子守歌。
ベンをすっかり虜にしたあと、刑期を終えて娑婆へ戻ったアルさん。今度は知り合った保険屋の青年@かなとにこれまた自分語りスタート。うっかりたまたまギャングの大ボスやってるけど、世が世なら真っ当に成功していたはずだぜベイベ、カタギの友だち欲しかった、と。
ギザギザハートの子守歌リプライズ。この保険屋の青年ってのは、捜査官のエリオットなんだけどね。エリオットもすっかりアルの虜。
だけど結局アルは、重ねた悪行ゆえに破滅。弁護士のオヘアさん@あすを、ちゃんと口説いておかなかったからだよ! 裏切られちゃったよ! 仁義とか人情ですべてOKとしてきた世界観で、何故か唯一アルの人情攻撃、ギザギザハートの子守歌が通じなかった……って、そっか、オヘアさんには自分語りしてねーよ、ツンデレのツンしか見せてねーよ、ぬかったよ!!
収監されるアルの前に、ベンからの渾身のラブレターを携えてエリオット登場。
ただの悪者として描かれていた映画脚本が、変更されていた。アルの生き方を肯定するラストに。
拉致監禁してまで、自分語りした甲斐あったね、アル!
そしてエリオット。他人のラブレターで口説くとか、雑だなヲイ。終了。
…………アル・カポネの真実?(首かしげ)
断っておくが、「ギザギザハートの子守歌」が悪いと言ってるんじゃない。
「本当はいい人だったんです☆」でいいんだ。
タカラヅカなんだから、本当に救いのない悪党の話、残酷で血なまぐさい話をしなくていい。つか、悪党を主人公にした時点で、「本当はいい人」にするべきだ。それがお約束だ。
アル・カポネの真実が、仁義のマイホームパパでもいいんだ。
問題は、その描き方。
「本当はいい人」以外に、なんの視点もない出来事箇条書き話は、だれる。
妻メアリーとの恋愛メインなら、そこに視点を置く。
ベンもエリオットもいらん。アルの真実はメアリーだけが理解していればいい。
メアリーとは出会ったその日にラヴラヴで、次の場面で駆け落ちまで話が進み、そのあとはなんの障害もなくただスイートマイホームしてるだけ。
これで2時間描くにはネタが少なすぎるけど、本気で恋愛やるならオリジナルエピソード盛りまくって、心ひりつくラヴストーリーにだって出来るはずだ。命ぎりぎり愛可能な設定なんだから。
エリオットとの敵同士の友情をやるなら、ちんたら一代記やってないで、シカゴ時代から描くべき。
強敵と書いて「とも」と読む、少年マンガ的な盛り上がり。
原田くんの作風って、「書きたいこと」「伝えたいこと」が見えないんだよな。
だから、自分の作品好きじゃないのかな、やりたくてやってる仕事じゃないのかな、という気になる。
子どもに無理矢理作文書かせたら、出来事だけ羅列して原稿用紙埋めるじゃん。
タイトル『運動会』
「朝、起きました。顔を洗いました。朝ごはんを食べました。朝ごはんはハムエッグとトーストです。牛乳も飲みました。食べ終わったら歯を磨きました。靴を履いて学校へ行きました。今日は運動会です。楽しかったです」
運動会について、なんも書いてねええ!!みたいな。
テーマは運動会なのに、なんで朝起きたところから書くの、朝ごはんのメニューとかそれ、どうでもいいから。運動会について書いてよ、なにをしたの、なにがあったの、どう楽しかったの。
トーストを食べたことも歯を磨いたことも嘘じゃない、ほんとにあったことだから書くのは間違いじゃないけど、それを書いたために肝心の運動会についての記述なくなるなら、意味ナイから。
このテの作文から伝わることは「書きたくない」。作文なんて書きたくない、めんどくさい、嫌々やってるから出来事だけの羅列、だって楽だものね、あったことを箇条書きするのは。自分の気持ちを考えて言葉にするとか、難しいことはしたくない。要はマス目が埋まればそれでいいんだもの。
原田くんは、出来事箇条書きしながら、ナニを訴えたかったのかな。
アル・カポネの真実?
箇条書きだからこそ伝わると、思ったのかな。
あえて「視点」など作らず、ウィキペディア的な「あらすじ紹介」みたいな作品にするのが、彼の萌え・こだわりなのかもしれない。
とりあえず、「アル・カポネはホントはいい人」と言って、それが伝わっているんだから、成功?
間違ったことをたくさんしているけれど、彼は彼なりに精一杯生きたんだよ……ほろり。
彼が悪の道に進んだのは、彼のせいではないんだよ……ほろり。
てことで、いいのだろう。
……他に真実があったのかな? わたしの理解力の問題かもしれん。
コメント