発注済み・変更不可!!@アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―
2015年6月17日 タカラヅカ またしても、『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』の話。
気になるのは、歌は外部発注なのかなあ、ということ。
コンセプトしか決まってないときに、外部の作曲家さん?かなんかに「大体こんな感じでお願いします」と頼んであって、作曲家さんは構成も脚本も読んでない状態で、手探りで創る。
まだ脚本もなにもない白紙状態で、イメージだけで創らせたから、とーぜん出来上がってきたモノは、作品と微妙に合ってなくて、でも出来上がっちゃてるモノをボツにも出来ず、そのまま使っちゃいました……ということなのかな?
この「作曲」てのは、歌詞も含まれるのよ? 歌詞ごと外部発注。
発注したときは「こんな感じ」でやるつもりだったけど、実際脚本書いてるうちに、変わっちゃった。この場面なくなっちゃったんだけどなー、経費かかってるんだから、無理矢理どっかに突っ込むかー。
とか。
最初はこういうやりとりをさせるつもりだったんだけど、書いてるうちに話が横滑りして、流れが変わっちゃった。出来上がってきた曲は最初のやりとりのままだけど……ま、いっか、このまま使っちゃおう。
てなことなのかな?
前にも話題にした、「真実はひとつだ」と言ったアル・カポネ@だいもん。彼からその言葉を聞いた直後のベン@ひとこが、瞳をきらきらさせて歌う、「♪彼は言った。真実はひとつではないと」。
言ってねえええ!!
そんなこと、ひとことも言ってねえええ。
つか、反対だから、彼の言ったことと真逆だから!!
そして、アルとどきどきのふたりきり時間を過ごしたエリオット@かなと。立場を隠して近づいたのだけど、正体がばれてしまった……! てなところでドラマチックな曲調の歌になる。
エリオットとアルの掛け合いソング。
アルは歌う。
「♪もう一度あのときのように歩けと君は言うのか」
言ってねえええ!!
そんなこと、ひとことも言ってねえええ。
エリオットさんは、アルさんになんの指図もしてません。
第一、「あのとき」ってなに? いつどのときのこと?
捜査官だということを隠してアルに近づいたエリオットと、堅気のエリートに憧れるアルがかわした会話は、アルが無邪気な憧憬と昔話をし、エリオットが今のアルの人生を肯定した、だけで終わっている。
昔憧れた生き方をしている相手に、今の自分を肯定されたことで、アルはエリオットに惹かれ、のちのエリオットの「親友」発言につながる。
この会話の直後に歌われるあのとき、というのは、どのとき?
堅気に憧れていた少年時代のこと? だとすればエリオットが現在のアルを全否定したということで、アルとエリオットの友情は存在しない。ラストの「親友」につながらない。
ギャングの大ボスである、今のこと? 今現在を「あのとき」と表現するのは日本語の使い方がおかしい。また、前後の文脈も破綻する。
アルは「あのときのように生きることは出来ない」という文脈で歌っているので、今現在のように生きることは出来ないと苦悩するのはおかしい。
かわしていた会話と、歌詞がまったく合わないんだ。
ミュージカルにおいて、歌詞と本編がちぐはぐなことは、実によくある現象だ。それは「詞」というものが持つ不自由さ・不透明さ、決められた音に落とし込む際に起きる「仕方ないこと」だと思っている。
また、不自由であり、不透明であるゆえに、自由かつ透明でありえるのだとも思っている。ちぐはぐだったり足りなかったりするゆえに、聴く側が想像の翼を広げることが出来るのだから。
だから多少の齟齬は気にならない。よくあることだと思う。
が。
『アル・カポネ』の歌詞のわけわからなさは、度を超している。
確実に本編とチガウ、どこか他の作品から切り貼りしたような歌になっている。
『エリザベート』の1幕ラスト、フランツが部屋の奥にいるエリザベートに向けて、「♪君の手紙何度も読んだよ」と歌わなければならないところに、「♪今日から君がすべて」と『スカーレット・ピンパーネル』の「あなたこそ我が家」を歌い出すような感じ。
夫婦がこれからふたりで生きていく、と誓う歌だから、キーワードを拾うだけなら同じだけど、いやソレまったく別の歌だし! 別のことを歌ってるし!!。
話の内容を理解している人なら、たとえクイズを出された(この場面に入る歌は、次のうちのどれでしょうか、三択です!、とか)としても間違いようがない……なのに堂々と間違うのはそれ、話の内容を知らない人が歌を作ったということだよね?
『アル・カポネ』の歌は、まだ脚本が出来上がる前に歌詞ごと外注していて、契約上「出来上がった曲は歌詞も含め一切変更してはならない」となっていて、本編とそぐわなくても、そぐわないどころか正反対で間違っていても、そのまま使うしかなかった。
……ということなのかしら。
気になるのは、歌は外部発注なのかなあ、ということ。
コンセプトしか決まってないときに、外部の作曲家さん?かなんかに「大体こんな感じでお願いします」と頼んであって、作曲家さんは構成も脚本も読んでない状態で、手探りで創る。
まだ脚本もなにもない白紙状態で、イメージだけで創らせたから、とーぜん出来上がってきたモノは、作品と微妙に合ってなくて、でも出来上がっちゃてるモノをボツにも出来ず、そのまま使っちゃいました……ということなのかな?
この「作曲」てのは、歌詞も含まれるのよ? 歌詞ごと外部発注。
発注したときは「こんな感じ」でやるつもりだったけど、実際脚本書いてるうちに、変わっちゃった。この場面なくなっちゃったんだけどなー、経費かかってるんだから、無理矢理どっかに突っ込むかー。
とか。
最初はこういうやりとりをさせるつもりだったんだけど、書いてるうちに話が横滑りして、流れが変わっちゃった。出来上がってきた曲は最初のやりとりのままだけど……ま、いっか、このまま使っちゃおう。
てなことなのかな?
前にも話題にした、「真実はひとつだ」と言ったアル・カポネ@だいもん。彼からその言葉を聞いた直後のベン@ひとこが、瞳をきらきらさせて歌う、「♪彼は言った。真実はひとつではないと」。
言ってねえええ!!
そんなこと、ひとことも言ってねえええ。
つか、反対だから、彼の言ったことと真逆だから!!
そして、アルとどきどきのふたりきり時間を過ごしたエリオット@かなと。立場を隠して近づいたのだけど、正体がばれてしまった……! てなところでドラマチックな曲調の歌になる。
エリオットとアルの掛け合いソング。
アルは歌う。
「♪もう一度あのときのように歩けと君は言うのか」
言ってねえええ!!
そんなこと、ひとことも言ってねえええ。
エリオットさんは、アルさんになんの指図もしてません。
第一、「あのとき」ってなに? いつどのときのこと?
捜査官だということを隠してアルに近づいたエリオットと、堅気のエリートに憧れるアルがかわした会話は、アルが無邪気な憧憬と昔話をし、エリオットが今のアルの人生を肯定した、だけで終わっている。
昔憧れた生き方をしている相手に、今の自分を肯定されたことで、アルはエリオットに惹かれ、のちのエリオットの「親友」発言につながる。
この会話の直後に歌われるあのとき、というのは、どのとき?
堅気に憧れていた少年時代のこと? だとすればエリオットが現在のアルを全否定したということで、アルとエリオットの友情は存在しない。ラストの「親友」につながらない。
ギャングの大ボスである、今のこと? 今現在を「あのとき」と表現するのは日本語の使い方がおかしい。また、前後の文脈も破綻する。
アルは「あのときのように生きることは出来ない」という文脈で歌っているので、今現在のように生きることは出来ないと苦悩するのはおかしい。
かわしていた会話と、歌詞がまったく合わないんだ。
ミュージカルにおいて、歌詞と本編がちぐはぐなことは、実によくある現象だ。それは「詞」というものが持つ不自由さ・不透明さ、決められた音に落とし込む際に起きる「仕方ないこと」だと思っている。
また、不自由であり、不透明であるゆえに、自由かつ透明でありえるのだとも思っている。ちぐはぐだったり足りなかったりするゆえに、聴く側が想像の翼を広げることが出来るのだから。
だから多少の齟齬は気にならない。よくあることだと思う。
が。
『アル・カポネ』の歌詞のわけわからなさは、度を超している。
確実に本編とチガウ、どこか他の作品から切り貼りしたような歌になっている。
『エリザベート』の1幕ラスト、フランツが部屋の奥にいるエリザベートに向けて、「♪君の手紙何度も読んだよ」と歌わなければならないところに、「♪今日から君がすべて」と『スカーレット・ピンパーネル』の「あなたこそ我が家」を歌い出すような感じ。
夫婦がこれからふたりで生きていく、と誓う歌だから、キーワードを拾うだけなら同じだけど、いやソレまったく別の歌だし! 別のことを歌ってるし!!。
話の内容を理解している人なら、たとえクイズを出された(この場面に入る歌は、次のうちのどれでしょうか、三択です!、とか)としても間違いようがない……なのに堂々と間違うのはそれ、話の内容を知らない人が歌を作ったということだよね?
『アル・カポネ』の歌は、まだ脚本が出来上がる前に歌詞ごと外注していて、契約上「出来上がった曲は歌詞も含め一切変更してはならない」となっていて、本編とそぐわなくても、そぐわないどころか正反対で間違っていても、そのまま使うしかなかった。
……ということなのかしら。
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