『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』の、アル・カポネさんを考える。
 「スカーフェイスに秘められた真実」ってことだけど、カポネさんの真実って? カポネさんってどんな人?

 有名ギャングだけど、実はいい人?
 それって真実?
 グレアム@『はみだしっ子』だって言ってたよ。リッチーもお年寄りや子どもには優しいって。自分が優越感を得られる、自分より下の者(と、自分で思っている相手)には寛大で優しいんだって。
 悪のダルトンだって、ひとり娘のエヴァにとっては「やさしいパパ」だったのよ、『メイミー・エンジェル』。
 悪人の「ほんとうは優しい人」は、アテにならない。自分にとって利益のある存在にだけ「やさしい」人は、「やさしい人」とか「いい人」にカウントしちゃいかんよね。

 カポネさんの「いい人」と描く手法が、この作品ではぶっちゃけつまんないんだと思う。

 だって、本人が、「俺は悪人じゃない、実はいいヤツなんだぜ」と言い訳語りしている。

 カポネを「悪人」としてこきおろした映画の脚本家を拉致してきて、「真実を知って欲しい」と語って聞かせる、ってのは、そういうことだよな。
 つまらんケンカで受けた傷とされている顔の傷も、「愛する女を守って受けた傷」とわざわざ解説しているわけだし。
 万事この調子で、「仕方なかったんだ。誤解なんだ」とやっていった、と思われる。

 カポネさんは自分目線での「真実」を語り、「どう受け取るかは人の数だけある」と、真実の押し売りはしなかった。(ただし、脚本家のベンくんはそれを理解せず、真逆に受け取ってしまうが)

 ベンくんが脚本に書いた「カポネはこんなに最低」な出来事を、いちいち「やったことは最低かもしれんが、実はこんな事情があったんだ。仕方なかったんだ」と言い訳したにしろ、それゆえに「書き直せ」とは強要していない。
 それだけが救いかな。これで強要してたら終わってた。

 でもさ、やっぱ「本人が言い訳」はかっこ悪いわー。
 しかも拉致監禁してまで、って、どんだけ必死やねん、って感じ。

 カポネさんの「いい人」ぶりは、エピソードとして語られる「善行」部分にはないと思う。
 妻のメアリーや息子のソニーにやさしいとかは、別に「いい人」の理由にならない。自分に利益を与える存在(家族)にだけやさしくて、それ以外は情け容赦なく殺すとか、美談にならねえ。
 本当にやさしい人は、自分の立場や利害と関係なくすべてやさしいのだから。
 私財を使ってのボランティアも、作中で言われていたけれど、「お前が言うな」的な行動だし。

 カポネさんの人柄を表す最大のポイントは、「グラッチェ」だと思う。
 彼の口癖、に近い言葉。

 昔、話し方についての話で、なんでもかんでも「うっそー?!」と返す女子のダメさについて、てのがあったなあ。
 なにかしら話を振られたときの第一声が「うっそー?!(嘘でしょ?)」は絶対NG、「相手の話を否定する」ところから会話をはじめるなんてとんでもない! てな。本人にとってはただの感嘆符、「まあ」程度の意味であったとしても、絶対に発してはならない。ただの感嘆符なら、素直に「まあ」でも「ええ」でも発しておけと。びっくりした、信じられない、という意味の言葉をどうしても発したいというならせめて「ほんとー?!」(肯定の言葉+疑問符)にしておけと。
 日常の、他愛ないことから人格はにじみ出る。
 なんでもかんでも「うっそー?!」と、相手の言葉をまず「否定」するところから人間関係をはじめる人にはなるなと。ただの会話の「癖」に過ぎないとあなどるなかれ、相手を尊重する気持ちがあれば「否定」から会話をはじめるはずがない。当人の人間性がそんな些細な「癖」に表れているんだ……てな。

 カポネさんは、まず「グラッチェ」と言う。
 それこそ、第一声で「うっそー?!」と返すようなところでも、「グラッチェ」と言う。
 「はい」という肯定の言葉でも十分あたたかいと思うのに、その上を行く、「感謝」の言葉。
 他人に対し、ごくごあたりまえに、感謝や感動を口にする。
 相手が目下であろうと関係なく。

 他人を尊重することを、あたりまえとしている。

 ほんとうに、他愛ないことだけど。
 カポネさんを見ていて思うことは、この人と話すのは楽しいだろうな、ということ。
 立場に関係なく、「ありがとう」「うれしい」を表してくれるんだ。それも、あたりまえに、日常的に。大切にされるんだ。礼を言われる、ってのは、そういうことよね?
 子分たちも、そりゃうれしいだろう。自分に感謝してくれる人のために力を尽くすのは。

 ヒロインのメアリーの描き方・カポネとの関係の描き方はつまらないと思っているけど、妊娠を告げる場面は好きだ。
 
 子どもが出来た、と言葉ではなくボディランゲージで伝えたメアリーに、カポネさんは「グラッチェ!!」と言う。
 ふつーならここ、「本当か?!」よね。マイナス言葉を使う人なら「嘘だろ?!」もあり得る。素直に「やったーー!」もあり。
 なのにここで、「グラッチェ!!」。
 「本当か?(疑問)」でも「嘘だろ?(否定)」でも「やったーー!(よろこび)」でもなくて、「グラッチェ!(感謝)」。
 相手の言葉を疑問も否定もなく瞬時に受け入れ、自分のよろこびを通り越して相手への感謝になる。

 ……て、すごいわ。
 このタイミングで、まず感謝の言葉が出る、って、すごいわ。
 自分よりも、相手なんだ。

 それがただの口癖であったとしても。
 それを口癖にする人格は、十分「いい人」「魅力的な人」だ。

 カポネさんが「実はいい人」なのは、脚本家に「こんなことがあったんだぜ」と語る「これみよがしな善行」とは関係ないところにある。
 むしろ、脚本家相手に自分語りしちゃうことで、カポネさんの人間性を落としている。
 原田せんせは、なんで構成の根幹部分をいつもいろいろ間違えるんだろう? 純粋に不思議だ。


 あと考えられることは、ベンくんの脚本が、あまりにも酷すぎて、口を出さずにはいられなかったということかなあ。
 カポネさんが口を出しても「仕方ない」と思えることって。カポネさんの人間性を下げずに、「ベンを拉致してまで自分語りするのも仕方ない」と判断出来るのって。

 タカラヅカを一度も観たことのナイ人が、2ちゃんねるの宝塚板のスレッドをひとつふたつ読んだだけで「これが宝塚歌劇団の真実!!」ってハリウッド映画化するとなったら、「ちょっと待て、おま、いくらなんでもソレはチガウやろ。せめて自分でまず一度宝塚歌劇観てみろよ」って、口出せる立場の人間が口を出しても、それは仕方ないか。

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