『星逢一夜』初日観劇、「日本物で良かった」と思った件について。

 わたしは、日本物も好きだ。
 タカラヅカの伝統のひとつだと思っているし、タカラヅカならではの美しさを表現出来るジャンルだと思っている。

 が。

 日本物は、人気がない。

 これはまぎれもない事実。
 人気がない、ということは、求められていない、ということだ。

 地味だからねー、日本物。豪華絢爛派手派手が売りのタカラヅカで、わざわざ見たいジャンルじゃない。

 日本物は好きだけど、人気がないのも当然と思っている。
 日本物は難しいからだ。

 作品が難解だと言ってるんじゃないよ?
 「求められていないモノ」を、それでもあえて、わざわざ、欲しくない人たちに高いお金を出させて「買おう」という気持ちにさせることが、難しいという意味。

 フランス料理を食べたくて、洋館を改造して作ったレストランに入ったのに、和食のメニュー出されたら、閉口するでしょ?
 食べたいのはこれじゃないのに……他の店へ行こうか。そう思って背を向ける人たちを振り向かせ、テーブルに着かせて、料理を注文させるだけの工夫、乗り気ではないまま食べた人に「えっ、これおいしい!!」と感激させるだけの味。
 それって、フランス料理を食べたくて自分から料理を注文してフランス料理を食べる人を満足させるより、はるかに、とてつもなく、難しいことでしょ?

 昔はトップスターの名前だけでオールオッケーだったのかもしれない。
 このスターさんの出る公演ならなんでもいい、スターさんが出て、歌って踊っていれば、その内容なんかどうでもいい。
 フランス料理でも日本料理でも、ハンバーガーでもたまごかけごはんでも、このシェフの料理が食べたくて来たんだから、あとはどうでもいい、てな。

 でも今は、そんな時代じゃない。
 あのれおんくんだって、植爺の駄作付き三本立ては集客に苦労した。ある程度のお膳立ては必要だ。

 そして日本物は「日本物だ」というだけで難しい。
 得意の洋物だって、ストーリー破綻して大変なことになっているのに。そこから「みんなが求めている豪華さ」「美しさ」をさっ引いて、それでも「良い作品」を作るって、どんだけ高難度。

 わたしは日本物も好きだ。
 というか、良い日本物なら、見たいと思う。

 洋物よりも構築が難しいのだ、ということを理解して、日本物ならではの武器を使い、洋物以上にきちんと練り上げられた作品なら、見たいと思う。
 だが、日本物の一部は……一部に留まらない気もしてるけど……「人気がないのは、日本物だから仕方ない」と、駄作なのを「日本物のせい」にしている気がするんだ。
 「最近の観客は、日本物を理解する素養がない」ゆえに、日本物が受け入れられない、とかな。
 素養がないとわかっているなら、その素養がない人にも受け入れられる工夫をして、なおかつ高尚な日本物を作ればいい。
 最初からアウェイなんだ。求められていないのだから。
 食べたかったのはこれじゃない、のに、無理に出された「高尚な」和食を、それでもおいしく食べてもらう工夫が必要なんだ。
 それをせずに、洋物を作るときと同じ濃度でいつもの凡作や駄作を作って、酷評のすべてを「日本物だから」と言い逃れる。

 日本物の駄作は、洋物の駄作よりも、さらにつまらない。
 同じ駄作なら、美しいドレスや軍服、テンポのいい音楽を楽しめる洋物を見たいじゃないか。せめて目で耳で楽しみたいじゃないか。

 日本物は好きだけど、人気がないのも当然と思っている。
 日本物は難しいからだ。
 この難しさを理解していない老演出家の作品には、うんざりしている。

 あえてアウェイで戦う。
 アウェイであることを理解し、それでも「勝つ!!」と意気を上げる人の作品なら見たい。

 大野せんせの日本物が好きなのは、その意気を感じるからだ。
 や、ちっとも勝ててないと思うけど(笑)。本人は、勝てると思ってやがる……そのカンチガイを含めて、「いいぞもっとやれ」と思う。
 大野くんの敗因は、「自分が好きなモノはみんなも好き」だと思い込んでるところだと思うけどな……って、話がずれるからこのネタはまたいつか。

 上田せんせの大劇場デビュー作が日本物で、よりによって江戸物と知って、本人の自信と、劇団の期待を感じた。
 だから、日本物はアウェイなんだよ。
 デビューの新人作家を、いきなりアウェイに放り込むとは。
 劇団はひょっとしたらなんも考えてないかもしれんが、ウエクミ自身は確信犯……なにもかも理解した上でやっている、気がする。

 よほどのハイクオリティ作品を出さないことには、失敗するよ?

 なんでわざわざ日本物?
 いくらでも選択肢はあるはずなのに、それでもあえて、江戸物。ちょんまげ物。ヅカファンがいちばん避けるジャンルを、わざわざデビュー作で選ぶ……って。

 バカか自信家か。

 わたしなら絶対避ける(笑)。自分でそんなハードル上げない。「お話はつまんないけど、画面がきれいだからいいわ」とスターのファンにお目こぼしもらえる時代設定にする。

 そういう点でも、ウエクミすげえなあ、と思う。
 そして、それでもなお、ウエクミならいいものを見せてくれるのでは? と期待させてくれる、今までの実績と。

 また、自信と実績はいいけど、最初からこのジャンルを選ぶウエクミの姿勢に、引っかかりを感じているのだと思う。
 観客<自分、という匂い。
 タカラヅカが大好きで、まずタカラヅカファンがよろこぶモノを創りたい、と考えるならば、同じテーマやストーリーでも、タカラヅカらしい、みんながよろこぶ装飾をしてもいいんじゃないかな?
 いやむしろするべきじゃないかな?
 フィクションが素晴らしいのは、テーマを表現するための舞台を自由に選べることだもの。
 歴史上のこの事件を実名で扱いたい、ということでなければ、架空の世界を構築して、そこで物語を展開すればいいんだ。
 権力者の悲哀、農民の反乱、幼なじみの三角関係を書きたいとしても、暗くて泥臭い江戸時代にせんでもええやん、と思う。ヨーロッパの小国とかにして、ドレスと軍服の物語にすればええやん、と思う。

 ヅカファンにおもねらず、自分の腕頼み。
 クリエイターとしてはかっこいいけど、ヅカファンとしては、その姿勢にちょっと引っかかる。

 ファンのことも考えてくださいよ? と。

 わたしがウエクミ作品に耽溺出来ないのって、そーゆー部分が引っかかってるからなのかなあ?


 とまあ、つらつらながなが語って来ましたが。

 この「なんでよりにもよって、わざわざ日本物?」という疑問は、晴興と泉の結末で腑に落ちたのでした。

 これをやるなら、日本物しかない、と。

 ここで涙を呑んで別れるから、やせ我慢するから、我欲を否定するから、日本的な決着なんだ。
 日本物の真骨頂! だよなあ。

 わたしだって、このテーマをやるなら日本物を選ぶか……日本物でなきゃダメだな、この風情は出ない、と思う。


 引っかかりはあるのだけど、それはともかくとして、「デビュー作からアウェイで勝負!」に、ウエクミは勝利したんじゃないかと思う。いろんな意味ですごい。

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