花組バウホール公演『スターダム』初日観劇。
 ちなつくん、バウ主演おめでとーー!!

 ……なんだけど、うーむ、この作品ってどうよ。
 正塚せんせの新作書き下ろし、歌手を目指す若者たちのオーディション番組を舞台とした、「夢を追い求める若者達と、彼らを支えるスタッフ達の姿を描く群像劇」。
 出演者の大半は下級生、プラス、別格スキル潤沢な精鋭上級生が支えに回っている。
 バウなんて大抵下級生てんこ盛りだから、この公演が特別「下級生バウ」だとは思わない。

 しかし……なんなんだろう、このワークショップ的な作り。

 新作ミュージカルを観に行ったら、文化祭の発表会を見せられてしまった、ようなとまどい。

 どうしちゃったんだ、正塚せんせ。


 この公演が発表になったとき、作品解説を見て「文化祭の焼き直しだったらどうしよう」と思った。
 音楽学校文化祭の演劇を、高確率で正塚せんせが演出している。そして毎度書き下ろしのはずのその作品は、いつも「同じ」。
 バックステージ物というか、ある劇団が舞台で、そこの劇団員たちが次の公演のために稽古をしている。劇団員として喋っていたかと思うと、役になりきってライトを浴びたりする。役を得るためのオーディションがあり、そのためにがんばっていたりする。
 んで、さらに最近は、その「劇団」が公演する「演目」が、過去の正塚作品の使い回しだったりして、骨組みから道具立てまでリサイクル! というものすごさ。
 正塚せんせ、新作書けなくなってたりしない……よね? 大丈夫だよね? と、老婆心。
 なんかこの『スターダム』のあらすじ、文化祭作品っぽい……。まさか、焼き直しじゃないよね? ちゃんと書き下ろしだよね?

 失礼しました、焼き直しなんかじゃありません、ちゃんとオリジナル作品でした!! ……や、わたしが知る限り。

 今回の公演のために、書き下ろされた新作なんだと思う。
 それはいい。
 それはいいんだけど。

 新作だけど、作りが文化祭仕様だった。


 通常のタカラヅカ公演と、文化祭作品の違いとは?
 他の演出家のことは置いておいて、ハリーにのみ限る。

 通常のタカラヅカ公演は、「主人公がいる、ひとつの物語」である。
 文化祭作品は、「主人公はいるけど、みんなが主役。みんなに出番を」という意図で作られている。

 『スターダム』を観て驚いた……というか、うろたえたのは、物語がない、ということだった。

 主人公をめぐるドラマ。
 ひとりの男が人と出会い、出来事に遭遇し、精神的な変化を経験し、人間関係や出来事に決着や新展開を迎え、スタート地点とは別のところに心が着地する。
 これがまず幹として真ん中にあり、他のキャストはその幹から広がる枝葉、彩る花や果実だ。
 当然、主人公にとって大切な出来事や人間はクローズアップして描かれるし、関係ないモノはモブにしかならない。
 正塚作品はこの「主人公とモブ」の落差が激しく、数名の主要人物以外は薄暗いところで帽子を目深くかぶり、タンゴを踊るくらいしか役目がない……という、「ファン泣かせ」の演出家だった。

 だが、文化祭作品の正塚はチガウ。
 目的はまず、「生徒全員に出番と見せ場を」。
 ストーリーはそのためのガイドレール。ひとりずつが「自分の出番だ」と真ん中へ出て来て、与えられた台詞を喋る。台詞が終わったら交代、次の子が「わたしの出番だ」と台詞を喋る。
 植爺の「横一列で一言ずつ台詞」ではなく、ひとりである程度まとまった枠割りを与えられる。だから、そのまとまった役割をどうこなすか、それが生徒の腕の見せどころ。
 主役はいるし、ストーリーもある。だが、主人公が物語を回すのではなく、入れ替わり立ち替わりいろんな人が語り部をすることで、話を進めていく。
 文化祭にトップスターはおらず、みんな平等に「生徒」だからだ。

 『スターダム』は、この文化祭の方程式で作られていた。
 主人公のドラマを中心にすべてが配置されるのではなく、まず「オーディション番組」という「みんなに見せ場を作る」ためのお膳立てがされて、後付けに主人公の話も盛りつけた。

 だから、主人公であるはずの、ちなつくんの物語部分は少ない。
 べーちゃん、あれんくんが出て来る30分くらい? にしか、ドラマがない。
 マイティに至っては、ドラマなしっすよ……。

 ドラマというのは、人間同士の絡み合いだ。

 ひとりで小道具相手に台詞を言うことじゃない。
 唯一のネタである、父親との確執も、父親舞台に存在せず、マイティのひとり芝居で終了て……。

 ちなっちゃんやマイティに限らず、出演者たちみんな、下級生に至るまでひとりずつに見せ場はある。
 が、それはあくまでも、「ひとりずつ」だ。
 単体で技術披露しているだけのこと。
 それじゃ、「2時間の枠を持った、長編芝居」である意味ナイじゃん。

 芝居って、ひとりでは出来ないんだと思う。
 人間同士で向き合って、濃い心の動き、やりとりをしなければ。
 バウホールで主演、2番手、3番手……あたりの役割を得た子たちってさ、本公演では体験出来ない、本気の芝居をやれるもんなんじゃないの?
 オーディション仲間です、程度の会話なら、他でも回ってくる機会あるだろ。そうじゃなくて、バウ作品だからこその、ちゃんとした、本気の芝居を、何故やらない……?

 今回の作品がファンには受けていることは、わかる。
 正塚の、数名以外はすべてモブ、舞台にはいつも少人数、えんえん会話するだけ、歌もダンスも極少、といういつもの作品に比べ、そりゃ楽しいだろうさ。
 でもさ、その楽しさって、『New Wave!』が楽しい、的な楽しさっしょ?
 芝居の楽しさじゃないよ。
 濃い芝居をやらず、みんなで歌って踊ってれば楽しい、ファンがよろこび、公演は大成功! ……って、ソレなんかチガウ。

 そして、ちなつくんは「ワークショップの主な出演者」じゃない。ちゃんとしたバウ公演の「主演」だ。
 なのにこんな、ドラマ部分がわずかな「みんなが主役の文化祭」みたいな作品って、腑に落ちないよ。


 『スターダム』は、悪い作品じゃない。
 こういう構造の公演は、これからも是非やるべきだ。
 下級生に活躍する機会を与えるのは大切だ。

 だからさ、使い方なんだよ。
 たとえば主演は別格上級生とか、専科さんとか、「通常ならバウ主演しないよね?」的な人にまとめ役をかってもらって、下級生たちのステップアップに尽力してもらう。
 あるいは、最初からワークショップと銘打って、まだ主演するには心許ない若いスターに主演させる。ドラマ部分が少なく、役割の大半は真正面向いてひとりでパフォーマンスするだけだから、なんとかなる。

 スターの通常の「バウ主演公演」とは分ける。
 これ重要。

 ふつうに、ちなつくん主演で、マイティ2番手のバウ公演だと思って観たから、コレジャナイ感半端ナイ……。

 楽しかったよ。みんなが活躍してて歌いっぱいで。
 楽しかったけどね。

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