to be continued…?@雪組公演千秋楽
2015年8月17日 タカラヅカ チケットがない。
どういうことだ雪組!!
いつも大劇場公演なんてもんは、好きなときに好きなだけ観ることが出来た。不便な田舎にある、広大な劇場だ、前売りで埋まることなんてほとんどないし、当日券だって2階最後列と立見が最低100枚(最大で120だっけ?)発売される、行けばどこかしらの席で、あるいは立見で観ることが出来る。
そこが美点だった。
あんな遠いところまで行くんだ、「必ず観られる」とわかってなきゃ!
贔屓の雪組なので、前もって週1でチケット用意していたけれど、後半「もっと観たい」と思った……ときには、チケットがなかった。
前売り、売り切れてる……。
また、自分がチケットをすでに持っている平日午後公演に行った際、立見まで完売しているのを観た日にゃあ、目を疑うっていうか、マジかよヲイ、みんな大丈夫か、ナニが起こっているんだ。
盛況なのはうれしいけれど、自分が観られないのは困る。
わたしにとってムラは遠いんだ、「観られるかどうかわからない」状態で、休みを1日つぶして行くのはハードルが高い。
そりゃ、始発で当日券に並べば確実に観られるけれど、ごめん、そこまでしたいわけじゃない。
若い頃はね、チケットなくても、観られるかどうかわからなくても、平気でムラへ通ったし、門の前にお財布握って立ち続け、サバキ待ちをしましたさ。
暗いうちから当日券に並んで、確実にチケットを手に入れようともしましたさ。
でももう、わし、年寄りなんや……。精神的にも肉体的にも、それはかなり難度が高いんや……。
わたしみたいなゆるい年寄りファンには、なんとも困った状況になりました。
おかげで、「前もって持っている公演」以外は、観られませんでした。
母が観たがっていたけれど、チケット取れるかどうかわかんない公演に連れて行けないし。
通常日時でもそんなだったのに、ましてや千秋楽なんて……。
ということで、『星逢一夜』千秋楽。
チケットなくて、直前までばたばたしてました。
徹夜で公演二次書いてたり、なんかもー、興奮冷めやらず! ですな。
わたしにとって『星逢一夜』は、源太@だいもんに途中から全部持って行かれた感じです。
初日は泉@みゆちゃん視点だったし、いつだって泉絡みは泣けるし、作品自体に目を向けると晴興@ちぎくん一人称で、こういうまとまった話を読み解くのは大好きで、晴興自体好きなキャラクタなんだけど。
途中から、だいもん大暴れ。
源太の変貌に気持ちを掻き乱され、その意味を知ろうと夢中になっているうちに、公演が終わっちゃいました。
面白いなあ、舞台って!!
これが映画なら、途中から芝居が変わることなんてないもの。芝居の変化云々でなくても、監督が自分の意志で見せたいモノだけ見せる、見せたくないモノはフレームに入れない。
映像作品なら、だいもんがどれだけ暴走したって、要は映さなければ済む。ちぎくんのアップ映してストーリー部分だけ追って行けば、源太の変化なんて映像しか見ない人にはわからない。
だからライブは面白い。一人称視点で作られた物語でも、別方向から眺められる。
ただ、自分が「これで完璧」と思って書いた作品を、役者が別方向に発展させる可能性がある、という点で、作者的には諸刃の剣? 自分ひとりで完成させるジャンルじゃない、複数の役者という別の存在なしには創り出せない世界だから、それゆえのよろこびや発見も、失望や反発もあるんだろうなあ、と思ってみたり。
なんにせよ、楽しいわ、雪組公演。
もっともっと、観たかった。
公演途中から、ヒメが休演になった。
急場しのぎの代役のうちは、「すぐに戻って来るよね?」と思っていたけど、本格的に代役が立ったので、「長引くってことか」と覚悟した。
芝居で悪目立ちするきらいはあるものの、雪組公演にヒメの歌声がないのはさみしい。
早く元気になって、戻って来て欲しい。
……絶対やめちゃ嫌だよ、休演→復帰してすぐ退団、とか、誰かさんみたいなことはやめてね!(トラウマ)
それはそれとして、『La Esmeralda』での、代役うきちゃんの銀橋!!
きゃ~~! うきちゃーーん!
きれい、かわいい!
えーちゃんの男前さが好きだった。
本人も自分のオトコマエさを自覚し、売りにしている感じだったのに、どうしてやめちゃうんだろう……しょぼん。
卒業のお花は、組からと同期からとそれぞれ贈られ、ふたつ合わせてひとつになる。ひとつのデザインを、あえてパーツに分けているわけだ。その完成されたお花を、またふたつに割った人を、はじめて観た(笑)。
ちぎくんお約束の「絆、絆」をやるために、えーちゃんひとり、お花をぱパカッ……、なんつーオトコマエっぷり……。
イリヤくんのソロ、最初のうちはライト当たってなかった(あったとしても、暗めのライト?)だったと思うけど、千秋楽はちゃんとライトもらってたよね? 濃くあろう!とする舞台姿に、いつも心意気を感じていたよ。
雛ちゃんの美女っぷりも、これで見納めか……。雪組美女たちを点呼する楽しみの、定番のひとりだった。
いのりちゃんはいろんな音色で歌える人だなあ、と今回のショーで改めて思った……もっといろんな魅力を見せて欲しかった。
さらさちゃんはサイトーのお気に入りだけあって、ショーでは破格の扱い。晴れ晴れした表情にこっちも胸が熱くなる。
『フットルース』に特別の思い入れがあるわたしは、そこで活躍していた子たちの退団が切なくてならない。
さらさちゃん、えーちゃん、いのりちゃん、イリヤくん……。キラキラしていた舞台姿を、はっきりと思い出せる。
『La Esmeralda』は作品としての出来は良くないけど、組ヲタとしては楽しめた。いろんな人に見せ場があって、目がいくつあっても足りなかった。
そして、『星逢一夜』と相性がいい(笑)。『星逢一夜』のあとだから、『La Esmeralda』くらいナニも考えないで済む、勢いだけのショーがおさまりいい。
『星逢一夜』だけだったら、リピートしんどいもんなあ。
とはいえ、『星逢一夜』が好きだった。
タカラヅカでこの作品を観られたことがうれしい。
もっと観たかった。
わたしのなかでまだ、整理が着かない。というか、源太@だいもんが整理出来ない。
だいもん自身、まだ完成形には至ってないらしく、観るたびにニュアンスがチガウ。闇が広がるダーク源太なのは後半一定してるんだけど、その闇っぷりが揺れ動いている。
ちぎみゆが安定しているのと対照的。
千秋楽だから「最終回です」といきなり答えが出るわけでもない、「to be continued」な芝居だったと思う。
これは東宝まで追いかけるしかないのか……? とも思う。
キャストへの愛着とは別に、「まだ終わって欲しくない、まだ足りない」公演だった。
どういうことだ雪組!!
いつも大劇場公演なんてもんは、好きなときに好きなだけ観ることが出来た。不便な田舎にある、広大な劇場だ、前売りで埋まることなんてほとんどないし、当日券だって2階最後列と立見が最低100枚(最大で120だっけ?)発売される、行けばどこかしらの席で、あるいは立見で観ることが出来る。
そこが美点だった。
あんな遠いところまで行くんだ、「必ず観られる」とわかってなきゃ!
贔屓の雪組なので、前もって週1でチケット用意していたけれど、後半「もっと観たい」と思った……ときには、チケットがなかった。
前売り、売り切れてる……。
また、自分がチケットをすでに持っている平日午後公演に行った際、立見まで完売しているのを観た日にゃあ、目を疑うっていうか、マジかよヲイ、みんな大丈夫か、ナニが起こっているんだ。
盛況なのはうれしいけれど、自分が観られないのは困る。
わたしにとってムラは遠いんだ、「観られるかどうかわからない」状態で、休みを1日つぶして行くのはハードルが高い。
そりゃ、始発で当日券に並べば確実に観られるけれど、ごめん、そこまでしたいわけじゃない。
若い頃はね、チケットなくても、観られるかどうかわからなくても、平気でムラへ通ったし、門の前にお財布握って立ち続け、サバキ待ちをしましたさ。
暗いうちから当日券に並んで、確実にチケットを手に入れようともしましたさ。
でももう、わし、年寄りなんや……。精神的にも肉体的にも、それはかなり難度が高いんや……。
わたしみたいなゆるい年寄りファンには、なんとも困った状況になりました。
おかげで、「前もって持っている公演」以外は、観られませんでした。
母が観たがっていたけれど、チケット取れるかどうかわかんない公演に連れて行けないし。
通常日時でもそんなだったのに、ましてや千秋楽なんて……。
ということで、『星逢一夜』千秋楽。
チケットなくて、直前までばたばたしてました。
徹夜で公演二次書いてたり、なんかもー、興奮冷めやらず! ですな。
わたしにとって『星逢一夜』は、源太@だいもんに途中から全部持って行かれた感じです。
初日は泉@みゆちゃん視点だったし、いつだって泉絡みは泣けるし、作品自体に目を向けると晴興@ちぎくん一人称で、こういうまとまった話を読み解くのは大好きで、晴興自体好きなキャラクタなんだけど。
途中から、だいもん大暴れ。
源太の変貌に気持ちを掻き乱され、その意味を知ろうと夢中になっているうちに、公演が終わっちゃいました。
面白いなあ、舞台って!!
これが映画なら、途中から芝居が変わることなんてないもの。芝居の変化云々でなくても、監督が自分の意志で見せたいモノだけ見せる、見せたくないモノはフレームに入れない。
映像作品なら、だいもんがどれだけ暴走したって、要は映さなければ済む。ちぎくんのアップ映してストーリー部分だけ追って行けば、源太の変化なんて映像しか見ない人にはわからない。
だからライブは面白い。一人称視点で作られた物語でも、別方向から眺められる。
ただ、自分が「これで完璧」と思って書いた作品を、役者が別方向に発展させる可能性がある、という点で、作者的には諸刃の剣? 自分ひとりで完成させるジャンルじゃない、複数の役者という別の存在なしには創り出せない世界だから、それゆえのよろこびや発見も、失望や反発もあるんだろうなあ、と思ってみたり。
なんにせよ、楽しいわ、雪組公演。
もっともっと、観たかった。
公演途中から、ヒメが休演になった。
急場しのぎの代役のうちは、「すぐに戻って来るよね?」と思っていたけど、本格的に代役が立ったので、「長引くってことか」と覚悟した。
芝居で悪目立ちするきらいはあるものの、雪組公演にヒメの歌声がないのはさみしい。
早く元気になって、戻って来て欲しい。
……絶対やめちゃ嫌だよ、休演→復帰してすぐ退団、とか、誰かさんみたいなことはやめてね!(トラウマ)
それはそれとして、『La Esmeralda』での、代役うきちゃんの銀橋!!
きゃ~~! うきちゃーーん!
きれい、かわいい!
えーちゃんの男前さが好きだった。
本人も自分のオトコマエさを自覚し、売りにしている感じだったのに、どうしてやめちゃうんだろう……しょぼん。
卒業のお花は、組からと同期からとそれぞれ贈られ、ふたつ合わせてひとつになる。ひとつのデザインを、あえてパーツに分けているわけだ。その完成されたお花を、またふたつに割った人を、はじめて観た(笑)。
ちぎくんお約束の「絆、絆」をやるために、えーちゃんひとり、お花をぱパカッ……、なんつーオトコマエっぷり……。
イリヤくんのソロ、最初のうちはライト当たってなかった(あったとしても、暗めのライト?)だったと思うけど、千秋楽はちゃんとライトもらってたよね? 濃くあろう!とする舞台姿に、いつも心意気を感じていたよ。
雛ちゃんの美女っぷりも、これで見納めか……。雪組美女たちを点呼する楽しみの、定番のひとりだった。
いのりちゃんはいろんな音色で歌える人だなあ、と今回のショーで改めて思った……もっといろんな魅力を見せて欲しかった。
さらさちゃんはサイトーのお気に入りだけあって、ショーでは破格の扱い。晴れ晴れした表情にこっちも胸が熱くなる。
『フットルース』に特別の思い入れがあるわたしは、そこで活躍していた子たちの退団が切なくてならない。
さらさちゃん、えーちゃん、いのりちゃん、イリヤくん……。キラキラしていた舞台姿を、はっきりと思い出せる。
『La Esmeralda』は作品としての出来は良くないけど、組ヲタとしては楽しめた。いろんな人に見せ場があって、目がいくつあっても足りなかった。
そして、『星逢一夜』と相性がいい(笑)。『星逢一夜』のあとだから、『La Esmeralda』くらいナニも考えないで済む、勢いだけのショーがおさまりいい。
『星逢一夜』だけだったら、リピートしんどいもんなあ。
とはいえ、『星逢一夜』が好きだった。
タカラヅカでこの作品を観られたことがうれしい。
もっと観たかった。
わたしのなかでまだ、整理が着かない。というか、源太@だいもんが整理出来ない。
だいもん自身、まだ完成形には至ってないらしく、観るたびにニュアンスがチガウ。闇が広がるダーク源太なのは後半一定してるんだけど、その闇っぷりが揺れ動いている。
ちぎみゆが安定しているのと対照的。
千秋楽だから「最終回です」といきなり答えが出るわけでもない、「to be continued」な芝居だったと思う。
これは東宝まで追いかけるしかないのか……? とも思う。
キャストへの愛着とは別に、「まだ終わって欲しくない、まだ足りない」公演だった。
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